01 新たな舞台。
「お嬢様、お手をどうぞ」
頭上は当たり一面に広がる青空。
まるで、女神から今日この日を祝福されているように清々しい朝である。
(まぁ、私以外だけど)
レティシアは従者の手を取って馬車から降り立った。
差し出された手を取った彼女はどきりと胸を跳ねさせた。
「もうルカっ」
さりげなくキュッと握られたことに動揺しながらも、声は抑え気味に叱り飛ばす。
「人目! 人目を気にしなさい! ここはプリマヴェールじゃないのよ?」
「気にしすぎですよ」
しかし、当の本人――従者ルキウスはレティシアのお小言を受け流してどこ吹く風である。
「確かにここは領地内ではありませんが、もう少し肩から力を抜いてもいいと思いますよ」
その言葉にハッとした。
自分の緊張を解こうという考えからした行動だと分かってしまえば、レティシアはこれ以上怒るに怒れない。
やり方には少し引っかかりを覚えなくもないが。
「ありがとう。でも、私たちは主人と従者なんだから――」
「表向きは、ね?」
「ルキウス!」
一連の言い合いを見慣れている御者が、いつもの事だとタイミングを見計らいレティシアに声をかける。
「レティシア様。本日はアシェル坊ちゃんがお迎えにあがってくださるのですよね?」
「えぇ、そのはずなのだけど――。ん〜、まだ姿が見えないわね……?」
煉瓦の土台から凝った蔦の意匠の鉄格子が伸びる囲障、その唯一の入り口であり約束の場所である立派な門構えの前で辺りを見渡すが、兄のアシェルらしき人物は見当たらない。
キョロキョロと首を回していると、目の前が急に黒へと染まる。
それはルキウスの背広だった。珍しく緊張に強ばっている目の前の体躯にカリんは眉を顰める。
「ルカ?」
途端、彼の背中に隔たれた向こう側で旋風が起こった事を肌で感じ取った。
巻き起こり方からして自然のものではなく、強制的に発生させたように感じたので、風の加護だろうかと、見えない向こう側に意識を向ける。
「ごめん遅くなった」
レティシアとルキウスの緊張とは裏腹に、聞こえたのは久しく耳にした声だった。
「お兄様!」
ひょこりと顔を覗かせれば、そこには記憶よりも背が伸びたアシェルの姿があった。
着用している臙脂色の制服も相まって余計に大人っぽく見えるその人に抱きつく。
「久しぶり、レティ」
抱きつく妹と、それを危なげなく受け止めた兄が、熱い抱擁を交わす。その様子はまさに絵画の一枚のような美しさがある。
ルキウスは、アシェルの腕の中でその兄を見上げるレティシアを緊張を解いて見守った。彼にとって、レティシアの喜びは何ものにも変え難い尊いものなのだ。
「元気にしていたか?」
少年から青年に移ろう時期特有の泡沫のボイスが優しくレティシアを歓迎する。
「とっても!」
「それは何より」
「――ダンテ、ここまでご苦労だった」
「ありがたきお言葉。御者冥利に尽きます。それとアシェル様にお渡しするものがありまして」
帽子を胸に当てそう言葉を切ったダンテは御者の座席の座面を開けて、何やら手紙らしきものを取り出した。
「父上からか」
「はい。恐れ多くも、くれぐれも私からアシェル坊ちゃんにお渡しするようにと」
「ありがとう。確かに」
差出人はどうやら父らしい。
アシェルはここで中身を確認することはせず、羽織っているケープの内ポケットへ仕舞った。
「では、私はこれで」
「ここまでありがとう。道中、気をつけて帰ってね」
「お気遣い感謝します、レティシアお嬢様」
領地へ引き返す馬車が見えなくなるまで見送ったレティシアは、仕切り直しだと兄へ向き直りニコリと笑う。
「お兄様は元気だった?」
「あぁ勿論」
レティシアの質問に同じくニコリと笑みを浮かべたアシェルの顔の美しさと言ったらない。首を傾げる角度までもう完璧だ。
久々に直で喰らうと、その輝きに目が負けそうである。
「元気だったさ。じゃあ、行こうか?」
重厚感のある格子門が門番によって開門され、青々と茂った立派な大木が成る並木道をゆっくりと進む。
「よく言うなぁアシェル」
レティシアがアシェルと会うのはかれこれ一年ぶりであった。だからこそ気がつくのは、彼の目の下に在る隈のようなものの存在だ。
「今日までろくに寝れていなかったくせに」
隈の原因をアシェルへ追求する前に、正解であろう回答がアシェルの背後から上がった。
「リオン!」
後ろからずずいと進み出て来た人物にレティシアが目を見開く。
レティシアは一年ぶりに会う兄のことに気を取られていたために、全くもってこの青年に気が付いていなかった。
「やぁ、小さなお姫様。初めまして」
「はぁ……。寮の同室のリオンだ」
透き通る碧眼の瞳を細め、人好きのする笑みを浮かべたリオンと呼ばれた青年がレティシアの目線に合わせるように腰を折る。
「どうぞよろしく」
「レティシア・ロザートです。よろしくお願い致します」
「堅いなぁ」
雪原の輝きを放った銀髪が彼の動きに合わせてさらりと振れる。
アシェル同様『美しい』という言葉が似合う人だった。
(どこかで会ったことがあるような?)
レティシアはリオンに会った事がないはずであった。回帰前の記憶をひっくり返りても、どうも見当たらないのだから。
しかし、感じる確かな既視感が存在し、首を傾げる他なかった。
(リオン――うーん……?)
やはり記憶の引き出しは固く、いくら考えても思い出せそうもなかった。
片手を口元に添えて、眉を顰めながらうんうん唸るレティシアにリオンが手を伸ばす。が、それを阻止するかのように、上から何かが降ってくる。
「おっと」
リオン目掛けて降ってきた何かは、ルキウスの腕だった。
「こりゃ、なかなか警戒心が強い番犬だな?」
「言っておくけど、僕もそれは許可してないからね」
背後からリオンの肩に手を置いたアシェルが凄んだ。
アシェルは母エストレラの容姿を色濃く継いでいるが、性質は父アルフレドとよく似ている。
「怖ぇよ」
前から後ろから容赦なく突き刺さる、許可なく触れるなという圧にリオンはそう言いながらも怯まない。
「「「――――――」」」
好きな人に触れられたくない従者。
自分の目が黒いうちは妹を誰にも渡すつもりがない兄。
その二人の様子に、俄然お姫様に興味が湧いた新参者。
三人の間に火花が散るも、膨大な記憶の海を一人彷徨っていたレティシアは何一つ気がつくことはなかった。
ーーーーーーー
「あ、ほら、見えてきた。あそこが僕たちの学舎だよ」
他愛の無い話をしながら長い並木道を歩くこと十数分。
アシェルの言葉に顔をあげたレティシアは思わず感嘆の声を漏らした。
「わぁ……」
見えてきたのは白亜の壁が眩しい豪奢な建物。多くの生徒が広大な庭園に出て、思い思いに過ごしている。
「ようこそ、レティシア。これからは君も学園の一員だな」
回帰からすでに三年の時が過ぎ、十歳の誕生日を迎えたレティシア。
彼女は今、ディアヴァルム王立アカデミーを訪れていた。




