番外編 僕の女神さま 前編。
物心ついた時からずっとここに居た。
逃げようなんて思ったことはない。
自分にとって、ここが帰る家だったから。
◇◇◆◇◇
「おい、起きろ」
岩のように硬い土壁が壁床天井全てを囲み、唯一の出口は天井と地面を貫通させて設置されている格子で塞がれている小さな部屋。
鉄格子の向こう側も同じような部屋がいくつもあり、多分地下なのだろうと容易に想像が着く。光が一切届かない部屋は全て廊下に等間隔に設置されたロウソクによってかろうじて明るいという程度。
部屋とも言えないお粗末なこの空間は自分一人のみが保管されている。強制労働の時間になると、頭に袋を被せられて外に出る。出会ったことはないが、他にも自分と同年代の少年少女が居ることは確かだ。
――嫌だあああああああ
――痛ぃ……辛ぃ……
――誰か助けて……
――こんな所で死にたくなんてないっ
なんだって、叫び声が絶えず聞こえるのだから。
「死んだのか?」
頭から冷水が掛けられる。
朦朧としていた意識が若干浮上すると、首から垂れた鎖を乱暴に引っ張られた。その衝撃で噎せるが、鎖を持つ手は容赦が無い。
一週間に一度ここへ食料と飲料を運んでくる男が気だるそうにこちらを見下ろしていた。
「なんだ、生きてるじゃねーかよ」
「しごとの時間ですか?」
今日の分は終わったはずだ。
だから横になっていたというのに。
「買い手がついた」
「かいて……?」
面倒臭そうに言われたのは、聞き慣れない言葉だった。
『かいて』とはなんだろうか。
「さっさと出ろ」
錆びた音を立てて鉄格子の扉が開く。
「よし、動くなよ」
いつものごとく袋を被せられれば、完全に光がシャットアウトされる。後ろ手に固められた手に枷が嵌められる。
何の整備もされていない地面を裸足で歩けば、当然ながら石を踏み何かの破片を踏み、足の裏が切れる。痛みは感じないが、嫌な違和感が歩く度に広がる。
次第に道が舗装されたものへ変化したのを足裏に感じた。
そこからまた、体感数分。
ガチャリと扉が開く音がした後、またひとつ足裏に感じる質感が変化する。
冷たいツルツルした石のようなもの。
「抵抗はしなかったか?」
「はい、大人しいもんです。うんともすんとも返事もしねぇ。というか、ほんとにこいつ買い手がついたんです?」
人の気配が一気に増えた。
「あぁ、物好きもいるもんだよ。なんせ、黒目をご所望する宝石商だ。眼球で宝飾品でも作るんじゃねーか?」
顔を覆っていた袋も取り払われ視界に一気に光が戻る。
自分の部屋とは比べ物にならないほど豪奢な部屋に目がチカチカする。
どこかの建物の中のようだ。
「『こちら一級品の黒曜石で――』……こんな感じですか? あははははははっ!」
「だはははははははっ! おいおい、もしそうならこれ程傑作なのはないだろ! くっ……くくくく」
誰かを真似て馬鹿にするように笑い合うのは、自分を連れ出した下卑た男ともう一人、メガネの男――誰だろうか。メガネ男の声には覚えがない。
「あまり大きな声を出すな。お客様に聞こえたらどうしてくれる。下品な――」
立派な扉が開かれ、身なりの良い男が眉をひそめてこちらへ近づいて来た。
真似た相手はこの男だろうか。
「よし。君たち、商品の見てくれを整えてくれ。時間がないから最低限でいい」
「かしこまりました。旦那様」
先程まで馬鹿にしていたであろう旦那様に恭しく男たちが頭を下げた。
大人とはよく分からない。
ーーーーーーー
「お望みの黒目の男児ですよ」
いつもの如く視界は遮られており何も分からない。しかし違うのは、今度は袋での目隠しではなく、当て布での目隠しだったことだ。
「あぁ、ドンピシャだ! 奴隷と言えば、やはり君の商会だな? あぁほら約束分だ」
ジャラ、と重みのある音が耳に届く。
「過不足なく確かに。――任せてくれよ、今回の黒目から他国の血まで子供の奴隷なら選り取りみどりさ」
自分の身柄が誰かに引き渡される。
「それにしても、いつも何処から仕入れて来るんだよ」
「ファントムメナス」
「ファントムって……そりゃホントか!? どうやって取引を――」
「これ以上は企業秘密ですね」
「まぁいいさ。また世話になるだろうから、どうかバレないでくれよ」
「今後とも、どうぞご贔屓に」
一度は解放された腕をまた縛り直され猿轡を噛ませられる。
抵抗するつもりなど鼻からないのに、この徹底ぶり。
身動きが取れないほど狭い箱に体を押し込まれる。どこかに移動するようだ。
馬の嘶きが聞こえ、振動が直に伝わって来る。身体はきっと打ち身だらけなことだろう。
まぁ元々綺麗な体でもないことは自覚済みだが。




