06 女神から授かったのは。
「ふぅ……」
レティシアは王太子妃になることで、無能でないことを証明しようとしたのだが、時間が経てば人は冷静になるもの。その後、遠くない未来でルキウスと出会い、ヤケクソで妃の話に飛びついた事に頭を抱えたのは言うまでもない。
過去の自分の行いを大いに呪ったものだ。
何度巻き戻したいと思ったか。過去に飛んで自分の頭を思い切り叩いて目を覚まさせる、なんて夢を見たのも一度や二度じゃない。
ルキウスも憎からず自分を想ってくれていたとレティシアは確信していた。家族も友人も救えなかったレティシアのズタズタな心を癒し引き上げてくれたのは、他でも無いルキウスだった。
仮にも妃候補として教育を受けていた身では、ルキウスに想いを伝えるなぞ到底出来なかった。候補から外れる事を待っていたら、予想外の出来事で死を迎えて終わり。
(ほんと、呆気ない)
折角戻ってきたのだから、後ろめたさも何もない状態でルキウスに会いに行きたい。今度こそ、まっさらな白紙の状態からルキウスと新たな関係を築けるかもしれない。いや、するのだ。
そのためにも、誕生日パーティでは自分の行動に細心の注意を払わねばならない。
「レティ、昨日は少しとはいえお熱があったのだから、体に違和感があれば直ぐにお父様に伝えるのよ?」
「はい、お母さま」
神殿に向かうのはレティシア本人と父アルフレド、そして父の護衛騎士カイオンとその息子のオーリ、そして、レティシアの護衛騎士のトーリとノーラン。
女主人の母は誕生日パーティーの準備のため、家に残る。
「アルフレド、私たちの可愛い娘を頼みますね」
美男美女な両親の抱擁はまるで絵画の一枚のようだった。
「あぁ、任された」
レティシアは本日の主役な為、いつもは両親が腰掛ける馬車の上座に座っている。
向かいに腰を下ろした父に手を取られた。
「レティシア。大丈夫、父様も儀式の間一緒にいるからね」
「はい。お父さま」
御者の風の祝福と助手の物質軽量化の特殊系の祝福により振動を極限まで抑えた馬車に静かに揺られながら、向き合うべき最初の運命に思いを馳せた。
馬車に揺られること休憩を挟みながら三時間、中央神殿に辿り着く。
本来なら三日はかかってしまう道のりも、風の祝福を持つ御者がいればなんのその。
まさに百人力いや千人力だ。
「アルフレド・ロザート様、レティシア様」
近くで見上げると首が痛くなるほどに高く広い入口に純白のローブに身を包んだ神官らが並んで待ち構えていた。みなが此方に頭を垂れている。
「ようこそ、おいでなさりました」
そう言ったのは仰々しい杖を持ち彼らの真ん中で一際存在感を放つご老人。父が珍しいものでも見たかのように片眉を上げた。
「お嬢様の良き日になりますよう、お力添え出来ればと」
「大神官直々の出迎えとは珍しいこともあるものだな?」
父が口にしたのは、前回の儀式ではいなかった人物だった。
(大神官ですって??)
ヴァルディアは王政だが、神殿はその力が及ばない所謂【聖域】に属している。彼らの主はガルテアであって、王家ジスタルではないため、その筆頭の大神官は国の催事には一切現れないレアキャラだった。
祝福の儀も『ガルテアの思し召しなので場所提供はします』的なものだ。
「いやはや、お嬢様が体調を崩されたと小耳に挟みましてな。神官たちだけでは私めが心配なもので――念の為です」
体調を崩したことは外部には一切知らしていない。大神官はどこからその情報を得たのか。
「…………まぁいい」
父は大神官のその返答に納得が言っていないようだった。
サイメシアを操る侯爵の懐疑的な視線にも臆することなく、大神官は長く伸ばされた自身の口ひげを撫でる。
糸目の尻に皺を寄せた穏やかなそうな大神官は、一見どこにでも居そうな老人で、だが同時に、どこか浮世離れしている。
レティシアが大神官に抱いた第一印象は、目が合うと思わず背筋が伸びる感覚を抱く人、だ。
「カイオン、トーリ、一緒に来い。オーリ、ノーラン、二人はダンテと待機だ」
「「「「はっ」」」」
「其方の騎士様、神殿に入られる際はソードは――」
「言われなくとも」
神殿では帯剣が禁じられており、トーリに声を掛けた神官はソードを預かろうと両手を差し出した。しかし彼はその言葉を遮り兄のオーリにそれを預ける。
騎士と神官は昔から水と油の関係で、互いに騎士と神官といびりあっている話は有名も有名だ。
オーリとトーリの父であるカイオンは “無” だが、年子の兄弟は顔には出さずともピリピリしてるし、二人より少し年若いノーランなんて分かりやすく猫のように威嚇している。
令嬢であるレティシアが思っている以上に、シビアな世界なんだろう。
「お前たち控えろ、レティシアの前だ」
「「「はっ」」」
裏を返せばレティシアの前でなければ問題ないとも取れる。
突っ込まない。空気が読める子だ。
「では、こちらへ」
レティシアたちはとうとう大神官の案内で儀式を行う《祈りの間》へ向かう。
大神官がいなかった回帰前とは違う展開に妙な胸騒ぎを覚えるが、杞憂であることを願うばかりだ。
壁も床も等間隔に設置された天使の像も全てが白一色な目がチカチカする。長い廊下を進み、目的の場所へ続く重厚な両開きの扉が控えていた神官により開放される。
扉の先は緩い下りの階段となっていて奥は暗く何も見えない。
「……なんの真似だ」
父は当然のように一緒に《祈りの間》へ向かおうとしたが、その前に神官たちが立ちはだかった。
「ここからはレティシア様のみ入室です」
「そんなこと聞いてないぞ」
「聞かれておりませんので」
飄々と返された返答に父と護衛たちの目の色が変わった。
「儀式は親同伴のはずだが」
「えぇ、基本的にはそうですね。私めも神の遣いを務めて長いですが、こんなことは初めてで少々戸惑っております」
「その言い方だと……大神官殿の決定では無いように聞こえるが」
「無論。私めは、ただの御使い。此度のことは、我が女神ガルテアの御意向にございます」
「今回、娘の儀式に大神官殿が同席するのも、これが真の理由だな」
「お嬢様の体調ももちろん心配でありますよ」
そう言われてしまえば、父もどうすることも出来ない。
(ガルテアの意思……)
大神官自らが対応する運びになったのは、神託があったからということらしい。体調がどうのこうのは表向きと。
「閣下、ここは神殿です。何も、そんなに心配なさることはない」
前回なかったガルテア直々の呼び掛けがどうも頭に引っかかるが、最初から結果は分かっているのだから怯える必要も無い。
(うん。大丈夫)
回帰前の古い記憶が蘇り、トラウマに翻弄されてしまう心に喝を入れる。
握っていた手を離し、父に向かい美しいカーテシーを披露する。
「お父さま、行ってまいります」
「……気を付けて行っておいで」
心配だと表情で語りながらも最後は微笑みで背を押してくれる父に勇気を貰う。
「はい!」
レティシアは大神官の後に続いた。
「では、侯爵様。控えの間にご案内いたします」
神官の言葉の後すぐに扉が閉まる音が背後でした。
壁には蝋燭が並んでおり、外光から遮断された暗く長い階段を小さな光を頼りに下へ下へと降っていく。
「緊張してますかな?」
「そう見えるならそうなのだと思います」
前を歩く大神官とぽつりぽつりと言葉を交わしていると、突如気温が下がり進む方向から吹く風がヒヤリと肌を撫でる。
《祈りの間》が近い。
人生二度目――今世では初めての祝福の儀式が始まろうとしている。
「だいしんかんさま。なぜ、ガルテアさまは “私だけ” と、わざわざじんぶつのしていをしたのでしょうか」
「お答えして差し上げたいところなのですが、私めにもそこまでは……。さて、着きましたぞ。あの水晶の前で膝をついて、手を翳してみなされ」
マイナスイオンに満ちる拓けた《祈りの間》には、高さ二メートルほどの両手を広げたガルテア像が佇み、手前に透き通った湧き水、その中央の位置する壇上に例の水晶がある。
靴を脱いでそっと湧き水に足を沈めれば、色とりどりなタイルで埋め尽くされた床の美しさに目を奪われる。
(そうだった……こんなだったな)
その前回は進行役は大神官ではなく一介の神官だったし父もいたので状況は少し違うが、実際に来てみるとこんな風景だったと一気に記憶が鮮やかになる。
キラキラと輝くタイルが見えるほど透き通ったそれの水深は膝上ほどで、ドレスも浸かる深さだが特に動き辛さは感じない。
ゆっくり歩を進め登壇する。
水面から上がり視界の端に見えるドレスは濡れた形跡が一切無い。
(二度目だけど、慣れないわね)
逸れた意識を戻して面前にした大きな水晶は濁りのない美しい輝きを放っている。
深呼吸をして膝立ちになり手を翳すと、背後で大神官が祈祷を始めた。
《大地の女神・ガルテア。此度、節目を迎えた新たなる貴女の娘へ、祝福を承りたく存ずる》
前回同様身体が暖かい光で包まれるが、その後何かが起こる訳でもなくただそれだけだった。
(うん、大丈夫)
案外、その事に落胆する自分はいなかった。
心の準備は大事だ。
「――儀式は終了です。こちらにお戻りください」
大神官の声に面前のガルテア像を一瞥し、重い腰をあげる。そうして再び水面に足を浸けようとした時、何故か全身に電気が走る感覚が駆け巡り視界が暗転した。
(……っ?!)
この時、特に手首に激しい痛みを感じたが、直ぐに忘れるほど一瞬のことだった。




