◇55 過去の未来 その十一。
――季皇歴七一三年。
「もう、少し」
「アシェル様! もうよせ! 無茶だッ」
「ぅぐっ……」
アシェルが祝福酷使に陥った。
祝福を使う上で、生命線とも言える身体を駆け巡る回路が焼き切れてしまったのだ。
「もう少しなんだ……」
イルヴェントに応援要請をしようにも量産していたスクロールは領民の避難に大多数を使用したため、現在有るもの以上の製造が厳しい状況だった。
「アシェル様!」
豊かな自然と美しい街並みが火の海へと変貌するのはあっという間だった。
唯一不幸中の幸いと言えるのは、領民やエストレラのオルデニアへの避難が済んでいたことか。
アシェルの未来視のために守りを固めていた本邸も、ローザ騎士団と派遣されていたイルヴェントの騎士で持ち堪えていたが、ほぼ全壊にまで追い込まれていた。
「だぁもうまじでどっから湧いてんだよ! この人数!」
オーリは悪態を着きながらも鼻と口から血を流した末に意識を失った主人を背に庇い、押し寄せる敵を鮮やかに斬りながら吐き捨てる。
ルキウスはその隣で同じく敵を薙ぎ払いながら、冷静に状況を整理していた。
(味方の気配は近くに感じられない……)
エストレラとその他大勢の方へ兵を割いたことで、勢力が二分したタイミングを突かれてしまったのは、痛手だった。
アシェルの祝福と、自分の能力を過信しすぎこちら側の人員を削いだ結果がこれだ。
その驕りが仇となった。
しかし反省しても仕方がない。
今することではないと思い改める。
「おい、オーリ」
アシェルの私室に追い詰められたルキウスたちは切羽詰まっていた。この最悪の状況を打開するには、まず【お荷物】をどうにかせねばならない。
(この場合の最善策は――)
いくら腕の経つ、自分たちであっても、気を失った人間を庇いながらでは、要らぬ気力を遣う。
この場には、ルキウスとオーリ、気を失ったアシェルだけだ。
「なん、だっ!」
「スクロールがひとつ残ってる。これでアシェルを連れてオルデニアに――」
「却下! お前を置いていけってか!?」
視線は向かってくる敵に固定されたまま、硬い声でオーリが怒鳴る。
「馬鹿か! それで正義の味方でも気取ったつもりか!?」
敵の波が落ち着いた隙に、部屋の扉を閉め防波堤のようにソファやら棚やらと大きな家具を二人で積み上げて行く。
これでいくらか時間稼ぎになるだろう。
「寝言なら寝て言え! 馬鹿が!」
ルキウスの手にはスクロールが握られていた。だが、オーリがそれに応じる気配はない。
「だったら俺が残る!」
緊急時用に服の内側に忍ばせていたスクロールは一つだけ。
携帯用に自分で改良した簡易版のそれのキャパシティは大人の男では二人が限度だった。
「オーリ、お前は自分の主人から離れるのか? そんな無責任なやつだとは思わなかった」
「なっ!」
「僕はアシェルの護衛じゃない」
一生涯、死んでも仕えるのは――僕が真心を尽くすのはレティシア・ロザートただ一人だけだ。
「生意気なヤツめ……!」
両者一歩も引かない不毛な睨み合いが勃発した。
しかし、お互いにそんなことをしている暇はないことはわかっている。
「クソ、わかった……」
睨み合いに負けたのはオーリだった。
「いいか。あまり無茶はするなよ」
廊下にはまたも複数の足音が響き始めている。
行き先をオルデニアへ合わせたスクロールを受け取ったオーリがルキウスに念を押した。
「善処するよ」
「お前の顔に傷なんか付いたら、レティシア様発狂するぞ」
そう言われて頭をよぎるのは、絶望に顔を染める愛しい人の顔。
敢えて攻撃を受けて華奢で真っ白なあの手に頬を包まれるのも悪くないな、なんて思ったりしてみる。
「……それはそれでアリかも」
「おい」
「冗談だよ。――ほら、早く破って」
家具を積み上げたなけなしのバリケードは今にも突破されそうだ。
どう見ても、長くは持たない。
「オルデニアで待ってる」
その言葉を最後にオーリたちがスクロールの眩い光に飲み込まれる。
「ここだああああああっ! やっちまえぇぇ!!!!」
アシェルとオーリを覆った光が鎮まったのと、アウトリアンの騎士らがバリケードを突破したのはまさに同時だった。
プリマヴェールの最後のひとりを追ってこの場へたどり着いたであろう騎士たちは、目的の人物がおらず代わりにその場にいたルキウスを視認した途端たじろいだ。
「お、おい……。《黒狼》がいるなんて聞いてねーぞ――」
「どうなってるんだ……。事前に仕入れた情報と違うぞ!?」
レティシアの従者として大人しく活動していただけなのだが、黒髪というだけで守られた環境ですくすく育ったお坊ちゃんやお嬢ちゃんには畏怖でしかない存在だったようで。
そのうち、周囲の人間らが呼び始めた名が《黒狼》だったわけだ。
(そんな事もあったな)
久しく耳にすることがなかった言葉にルキウスが懐かしんでいると、扉前で渋滞を起こしている男たちのうち一人が叫んだ。
「お前ら何怯んでるんだ! あっちはたったの一人だ、やっちまえッ――」
多勢に無勢と言いたいのだろうが。
その安っぽい在り来たりな言葉を合図に部屋へ侵入者たちがなだれ込んでくる。
その場限りの虚勢ほど面白いものはない。
「うおおおおぉおおおぉおッ!」
侵入者たちが威嚇には程遠い雄叫びをあげて向かってくる。
ルキウスはそんな状況でも落ち着いていた。
ソードにべっとりついた血液を振り落し、目を閉じて深呼吸を一度。
再びゆっくりと目を開ければ、映る敵の動きは超が付くほどにゆっくりなものに変貌した。
周囲に流れる時間と自分に流れる時間に差異が生じるこれは、レティシアを失ってから目覚めた特殊能力。
ルキウスの事情を知る由もない相手の目には、まるで姿が消えているかのように見えていることだろう。
そんな自分を相手にするなんて。
(運がない奴らだ)
ルキウスは憐憫を笑みを浮かべた。




