29 裁き。
血走った目をしたルイーズのやけに遅く見える手を前に、来たる衝撃へ備えて目を瞑る。
――パァンッ!
乾いた音が響く。
歯を食いしばり覚悟していたはずの頬の痛みは、待てど暮らせどやって来なかった。
(――あれ?)
ゆっくり開いた瞼の向こうにあったのは、予想だにしない人物の姿。
「きゃあっ!!!」
現在進行形で領地の演習場にて鬼の鍛錬に励んでいるはずの少年がレティシアの盾になるようにルイーズに立ち塞がっていた。
受け止めたルイーズの手を受け止めた腕を反転させると、手首を掴み、返し、捻り上げる。
「怪我は?」
「ないわ……」
「間に合った?」
「それはもう、ばっちりと」
レティシアの返答に満足そうに笑うと、ルイーズの拘束した腕を一層に捻りあげる。
「良かった」
みしりとなんだか人体からしてはいけないような音が聞こえた。が、可哀想とは思わない。痛そうだとは思うが。
(それ以上に――)
レティシアは視界いっぱいを占めるその人物に自分の目を疑った。
(何故いるの?)
この場に居るはずもない少年が現れたことに、ただただ呆然としていた。
「ルキウス……」
回帰前の最後の日にそうあって欲しかった――渇望した光景が目の前で再現されたようだった。
まさにこの会場で、貴族らの面前で、力ずくにも膝をつかされる面恥がフラッシュバックする。
しかし呆けていた意識を戻されるのもすぐだった。
「離しなさいよ! い、痛いっ! 痛いってば! レティシア! あんたもコイツに何とか言いなさいよっ!」
レティシアは痛みからの解放を渇望するルイーズに冷ややかな目な視線と含み笑いを贈る。
(誰に言っているのだか)
手をあげようとした相手に助けを求めるなどお門違いである。
「助けを求める相手が間違っていますよ」
レティシアは髪を振り乱して助けを求めるルイーズを容赦なく突き放した。
「きゃああああっ」
甲高い悲鳴。
それはレティシアでもルイーズのものでもなかった。
別の場所から聞こえてくる、明らかにこちらに向けられた女性の声が耳に届いた。
そして、明らかに周りが騒がしいことから気が付いた事があった。
(切れてる……)
ルイーズの祝福は対象エリアの外部への音漏れを防ぐだけでなく、外部エリアから対象エリアへの音の侵入についても遮断する効果がある。
それが解除されていた。
ルキウスに腕を捻りあげられているあまりの痛みに意識が逸れたのかもしれない。
「レティシア!」
無音から一転、戻ってきた喧騒の中で一際大きく届いた声があった。
父の声だ。
間もなくして、血相を変えた両親が見えた。その後ろには慌てて父を呼びに行った男もいる。
道が開き遮る者が居なくなった先に広がる光景に、駆け付けた王を初めとした貴族らは吃驚の表情を見せることになった。
(怒られる)
そう思った。
《サイレント》が展開されて音がシャットアウトされていたため、レティシアたちがなぜ揉めていたか知る者はひとりとしていない上に、腕を捻りあげ膝を付かされている女性は常日頃から評判が頗る良い淑女だ。
(私が打たれていたらまた違ったけれど――)
過程がどうであれ、現在の状況がこちらに非が大きく見えてもおかしくないことは確かだ。
「レティシア。怪我は」
だが予想とは反して、ルキウスの背後に護られるように居る自分の傍に膝を着く父の反応とはレティシアが思っていたものからは程遠いものだった。
「あ、ありません」
「そうか」
父はそう言いながらもレティシアの身体を隈無く確認する。
「あぁ……レティ。レティシア」
目に涙を貯めた母に抱き締められると、もう大丈夫なのだと安心感に包まれた。
「ごめんね。ごめんなさい――私の可愛いレティシア、怪我がなくて良かった……」
母の少し早い心音がレティシアをどれほど心配していたのかを物語っていた。
ほっとしたのもつかの間、その場の重力がズシッと重くなる錯覚を覚えるような声が場を制す。
「――ルイーズ・ファルメリア。敢えて問おう、私の娘に何をした?」
この国で一番の高貴なお方で、且つこのパーティーの主催者である国王陛下を差し置いて声を上げたのは父だった。
「…………」
しかしルイーズは黙秘を決め込んだ。
自分のした事に後ろめたさを感じているようにも見える。
埒が明かぬ状況にひとつため息をついた父は、質問の対象者をレティシアに変えた。
「レティシア。何があった」
「お父さ――」
「アル様!!! お願いです! 早くこの無礼者を私から遠ざけて……腕をッ外させてくださいまし!」
レティシアの言葉に被せるように即座に口を挟んだのはもちろんルイーズだった。
唇は青く染まり恐怖からくる震えか歯がカチカチと鳴るほどに怯えが見える。
行動は時に言葉よりも雄弁である。これでは、もはや疚しいことがあったと言っているようなものだ。
「――ルキウス、外せ」
無情にもルイーズを映す父の目は冷ややかだった。
「えっ?」
ガコッという音が確かに響いた。
「ゔあ ぁ ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ッ!!!!!」
ルイーズがその場で床に崩れ落ちることで、一足遅れて彼女の腕が外れたのだと理解した。
「い゛、だい゛ぃぃいぃぃぃい!」
これはある意味トラウマになる。人生一周目――正真正銘七歳児のレティシアなら耐えられなかっただろう。
そして、それをいとも簡単にやってのけるルキウスに思わず引いた。
騎士団の訓練のには骨の外し方まで組み込まれているのか。
(い、いやいや、まさか……。もしそうならすごいわね……)
若干の恐怖を感じた瞬間だった。
目撃したことは無かったが、回帰前のルキウスもきっとできたのだろうな、なんて思う。
「ぅあああああぁあぁあぁああぁぁッ――」
痛みにのたうち回るルイーズに手を差し伸べる者は現れなかった。みな一様に白い目で彼女を見下ろしており、そこに救いは無かった。
彼ら彼女らの思惑はそれぞれだった。
例を挙げるなら、ある者はプリマヴェール侯爵からの報復を恐れたから、ある者はルイーズ――伯爵令嬢が侯爵令嬢に手を上げた一部始終を目撃した為に彼女に幻滅したから、だろうか。他にももちろんあるだろう。
「我が娘に手を上げたな?」
「う、あぁ、あぁああ……」
「上げたな?」
「ぁ、ぁぅァ――」
動物のような呻き声をあげるルイーズからは当たり前だが返事は期待できなかった。
「プリマヴェール、一度正してやれ」
深いため息と共に父へ声をかけたのは、今の今まで静観していた王だった。
しかし、静かに怒るる父が応答する気配はない。
「…………」
極寒零度で一帯に殺気を放つ父だが、国を統べる王がそれに怯むはずもなく。
「アルフレド・ロザート」
王の言葉に折れた父が絞り出した声色からは、かの日のルキウスに向けた殺気等とは非にならぬ位のものを感じた。
「次は無い」
「――直せ」
「っう、ぁ」
あの時も相当だと思ったが、それを超えることがあるとは思わなんだ。
「連れて行け」
「「はっ」」
王より命を承けた騎士らは、いつの間にか用意されていた担架にルイーズを乗せる。彼女へのまたは周囲への配慮か、頭からつま先までを覆うように薄手の大きな布を被せ会場を後にした。
担架に乗せられた一瞬だけ見えたルイーズの顔には涙や鼻水が、口からは消え入りそうな細い声と共に涎が流れていた。
普段の姿とは乖離した酷い有様だった。
(まぁ、そうなるわよね)
彼女は貴族のご令嬢。腕が外れるなんて経験はこれまでしたことがないわけで。
痛いのだろうなと思った。
だが、やはりそれだけだった。
(私って酷い奴なのかしら……)
ルイーズの嘆き苦しむ表情を見ても罪悪感を感じる所か寧ろ清々しい気分に満たされている。
「さて――」
当事者ひとりが退場したことにより、より一層の視線がレティシアたちに降り注ぐ。
そして、混沌と化した場を収めるために、そう申し出たのはやはり王だった。
「此度の関係者は一度場所を移して、じっくり話しをする必要がありそうだな」
??:Q. 過剰ではありませんか!?
??:A. いいえまさか。こんなものじゃ終わらせません。




