01 歪み。
「お、お前は生徒で、私は先生よ! そして、今は目付け役! 黙って、私に従順な愚図でいればいいのよ! お前の意見なんて聞いていないわ! 口答えなんてする身分じゃ――」
「そっくりそのままお返し致します。リアパウンド伯爵令嬢、ルイーズ・ファルメリア」
身分だなんて聞いて呆れる。
自分たちの関係がいくら家庭教師と生徒でも、結婚もせず夫人でもないルイーズは身分を剥がせばただの伯爵令嬢だ。
侯爵令嬢のレティシアに対して、目付け役の権利を行使出来るのは生徒が倫理から外れた行動をとった場合に限る。
「――ッ!」
ただのおバカな子と思っていた幼女から向けられた冷やか視線にルイーズが驚きに目を見開く。
彼女が最後に会ったレティシアは回帰前の――つまり洗脳済みのレティシアだ。
「あ、あんた――」
巻き戻った今のレティシアは彼女のマインドコントロールから解き放たれて弁が立つ。
「先程も同じような事を申し上げましたが、お解りいただけていないようなのでもう一度。身分を履き違えないでくださいな」
この会場からも自分の人生からも退場願おう。
――ルイーズ。貴女は要らない。
◆◆◇◆◆
季皇歴七〇八年、チャールズ・ジスタリア即位。
全ての生命の始まりとされる春、新王の戴冠式が行われた。
同時刻、王都の中心街広場の時計台から祝福の鐘が鳴り響いた。
「憂鬱すぎる……」
兄アシェルのエスコートで馬車から降り立ったレティシアは舞踏会場となる迎賓館へ続く長い階段を前にため息を吐いた。
早朝より正装の準備にウン時間、戴冠式でウン時間の拘束から、そのままお開きとはならず、夜は続けて舞踏会ときた。
(そもそも、話が長すぎるのよ)
戴冠式での要人たち一人一人の話が実に長かった。
「あんなのもっと短くていい……」
しかし、せめて。
「舞踏会は別日でいいでしょ……」
「お嬢、参ってるね~」
お調子者の護衛騎士が主人に軽口を叩く。
自分は参加しないからといい気な青年をレティシアは軽く睨める。
「帰りたい……」
時刻は二十一時。
自身の手首に結ばれた彼から贈られた栞紐にレティシアは視線を落とした。いつもなら長椅子に腰かけて、甘え上手な側仕えのルキウスの髪を梳かしているはずの時間である。
濡羽色のあの美しい髪に癒されたい。
「お前たちは袖で待機していること」
妹の訴えをフル無視したアシェルは指示を待つ三人の騎士へ毅然と声をかける。
「中への同行は」
「必要ない」
アシェルの護衛騎士であるオーリが佇まいを正した。
「かしこまりました」
他二名がオーリに倣う。
「はぁ……」
レティシアは二度目のため息をつきながら、エスコート役のアシェルをチラリと見上げた。
残念ながら、無口な兄からは全く反応が返ってこない。
妹の自分にさえ無愛想な兄なので、社交界でもその態度に変わりはない。これがデフォルトなのだ。
「気を確かに」
「お嬢ファイト」
他二名、改めてトーリとノーランがそっと気遣うようにレティシアへ小さく声をかける。
レティシアを見る二人の目は、まるで同士を戦場へ送り出す者のようだ。
「レティシア、手を」
「はい、兄様」
アシェルの性別を超越した美しさを放つ顔立ちと一つに束ねたサラッサラストレートな深紅の髪と滅多に表情筋が働かない唇。
滲み出るクールさが良いとご令嬢たちは “氷薔薇の貴公子” と密かに呼び、アシェルの婚約者の座を賭けたデスゲームを繰り広げているらしい。
(早く身を固めて欲しいんだけどね)
本人にその気がないのかなんなのか、侯爵になった現在も見合い話のひとつも無いので、今日も今日とて相手はレティシアだった。
「プリマヴェール侯爵家ご当主アシェル・ロザート様、並びに、レティシア様ご到着です」
豪華絢爛な舞踏会場へと仰々しい紹介と共に足を踏み入れる。ヴァルディア王国の貴族はもちろん、他国からの来賓も続々と入場しており、迎賓館は既に賑わっていた。
「行くぞ」
「はい、兄様」
入場して早々向かうのは、新国王の御前だ。
そうして、歩を進める事にレティシアの耳へ漏れ聞こえてくるのは自分たち兄妹の話である。
――ヨハネス様とアルフレド様のこともありましたのに
――さすがプリマヴェール侯爵家のご子息とご令嬢だ
――前侯爵らもきっと
顔は動かさず視界に映る範囲で意識をまんべんなく向ける。
後の舞踏会を平穏に乗り切るべく、見知った顔をぶれ探すためだ。
壁の花になるのが一番理想なのだが、生憎侯爵令嬢という身分がそれを許さない。
(ファーストダンスはお兄様でしょ、次はグレイが無難かしら)
三人目以降は我が家門の派閥の子息何人かと踊れば行けるだろう。後継者を連れた家門がいくつか見受けられる。その後は何かと理由をつけて断る算段だ。
(昨日から体調が悪いことにしよう)
数段高い王座にはチャールズが泰然と座っている。
「プリマヴェール侯爵アシェル・ロザート」
「同じく、レティシア・ロザートが国王陛下にご挨拶申し上げます」
幼少期から彼を知っているが、当時の傍若無人さがなりを潜めて新国王として相応しい堂々たる姿勢が目についた。
(全国王陛下の崩御で思うことでもあったのかしら)
レティシアそう頭の片隅で考えながら兄妹阿吽の呼吸で臣下の礼を取ろうとした時、玉座への段を誰かが駆け上がった。
「チャーリー!」
アウトリアン侯爵令嬢バネッサ・マローネだ。
彼女はさも当たり前のようにチャールズの隣に侍りると、勝ち誇った笑みでこちらを見下げた。
「国王陛下。アウトリアン侯爵令嬢の所在は其方でよろしいのでしょうか?」
レティシアは「何してんだ?」という本音を込めて問うた。
チャールズには妃候補が二人いる。
彼女バネッサ嬢。そして、もう一人がレティシアなのだ。
「あら、レティシア様。それは嫉妬?」
妃になるつもりが微塵もないので嫉妬も何も無いが、この状況は良ろしくないよねという話である。
(体裁ってもんがあるでしょーよ)
正式にどちらかが妃に決まるまで王子には明確な行動が禁止されている。
貴族なら子供でもわかることだ。
(このふたりは阿呆なのか)
抗議したいのは山々だが、ここで声を荒らげれば醜聞は免れない。貴族社会とはそういう場所。
「貴女とは話していません」
「な、何よ。そんな言い方酷いわ!」
「バネッサ様、王の隣にいるのは妃出なくてはなりません。私たちはあくまでも候補です」
「レティシア嬢。これは、君が気にすることじゃないよ」
「……失礼致しました」
見直しかけたが訂正する。
尊大な態度で家臣の忠告を足らい、王の名に胡座をかいた姿は統治者の風上にも置けない。
「四季の王にガルテア神の最大の祝福があらんことを」
(この脳足りんが)
心の中で淑女らしからぬ毒を吐きながら、レティシアは兄の言葉に合わせて膝を折る。
兄妹の洗練されたカーテシーに誰もが息を飲んだ。
しかし、それも束の間。
「捕らえろ」
優美な演奏が反響するホールで下卑た声が響いた。それと同時に両肩へ、続いて膝へ衝撃が走った。
「痛ッ」
気づけば、ホール壁際で等間隔に警備の任についていた兵に両脇から腕を押さえられ膝をつかされていた。
「国王、一体どういうおつもりか」
レティシアと同じく膝をつかされたアシェルが唸るような声色でチャールズ王に異を唱える。
「どうも何も、国の尊き御方の命を奪った者らを捕えて何が悪い」
「……は?」
「いや、奪った者の血族と言うべきか? みな聴いてくれ。――我が国の太陽であった父が建国祭を前に崩御したのは、記憶にまだ新しいことだろう」
突如始まった王の演説に混迷が波紋のように広がる。
ホールを見渡したチャールズが侯爵家兄妹に視線を戻し、目を眇めた。
彼のその視線に覚えがあったレティシアは嫌な予感がした。
「父が召されて半年、此度その尊き命を奪った罪深き者が判明したのだ」




