第28話 帝都防衛戦——あなたの隣で
帝都の城壁が見えた時、戦いは既に始まっていた。
南西の平原を埋め尽くす魔物の群れ。アンカードの時とは比較にならない規模だ。地平線の端から端まで、黒い波が押し寄せている。
帝国軍が城壁の上に展開し、弓矢と魔法で応戦しているが、数が違いすぎる。城壁の一部には既に亀裂が走っていた。
「間に合ったか——ギリギリだな」
城門で俺たちを出迎えたのは、ボドワン宰相だった。いつもの飄々とした表情は消え、戦場の指揮官の顔になっている。
「宰相閣下、状況は?」
「帝国軍一万が城壁に展開。魔物は推定三万。城壁の南西部が危険じゃ。突破されれば市街地に雪崩れ込む」
三万対一万。圧倒的な不利だ。
「ルーク、お主の力が必要じゃ。頼めるか」
「はい。——ただし、一つお願いがあります」
俺は宰相の目を真っ直ぐに見た。
「ぼくが倒れた後のことを、宰相閣下にお任せします」
「倒れる前提で話すな、坊主」
宰相が苦笑した。だが、その目は真剣だった。
「承知した。何があっても、帝都は守る。——行け」
城壁の上に立った。
眼下に広がる魔物の大群。地鳴りのような足音と、数万の獣の咆哮が空気を震わせている。
俺は目を閉じて、身体の奥に意識を沈めた。
女神の祝福が、心臓の鼓動に合わせて脈動している。
これまでは3%の力しか引き出せなかった。この身体が耐えられる限界が、それだった。
だが今は——リミッターを外す。
「身体適合率——第一段階解放」
声に出した瞬間、身体の奥で何かが弾けた。
全身に電流が走ったような衝撃。視界が一瞬白くなり、次の瞬間——世界が変わった。
色が鮮やかになった。音が鮮明になった。城壁の石の一つ一つ、空気の流れ、魔物の一匹一匹の位置が、手に取るように分かる。
身体適合率:10%。
たった7%の上昇だが、体感では世界が別物になった。
「——天使召喚。三体同時」
かつてない規模の魔力が身体から放出された。
三筋の光の柱が天を貫き、その中から三体の大天使が降臨した。
氷結の天使。炎の天使。そして——風の天使。
三体の天使が空中に展開し、城壁の前面をカバーする。
衛兵たちから悲鳴のような歓声が上がった。
「「「天使だ! 天使が三体も!」」」
だが、俺の身体は既に悲鳴を上げていた。
全身の血管が焼けるように熱い。鼻から血が流れ落ちる。視界の端が暗くなっていく。
10%でも——三体同時召喚は限界を超えていた。
「ルーク!」
リディアの声が聞こえた。
彼女が俺の隣に立ち、両手を前に構えた。
「氷結の壁!」
リディアの魔法が城壁の前面に巨大な氷の壁を形成した。魔物の第一波がぶつかり、砕ける。
制御された魔法だ。アンカードの時のような暴走ではない。正確に、必要な場所に、必要な規模で。
「アンネリーゼ様!」
「はい!」
聖女の手が俺の背中に触れ、金色の浄化の光が身体を包んだ。
焼けるような痛みが和らいでいく。鼻血が止まる。視界が戻る。
「ルーク様、今のわたしの浄化で身体の負荷を三割ほど軽減できています。でも——長くは持ちません」
「十分です。この戦いを——短期決戦で終わらせます」
三体の天使が一斉に攻撃を開始した。
氷結の天使が魔物の群れを凍結させ、炎の天使が凍った魔物を焼き尽くし、風の天使が暴風で残骸を吹き飛ばす。
三位一体の殲滅。一度の攻撃で数百の魔物が消滅する。
だが、三万という数は途方もない。倒しても倒しても、次の波が押し寄せてくる。
「ルーク! 南西の城壁が危ない!」
帝国軍の将軍が叫んだ。
見ると、城壁の亀裂から魔物が侵入しようとしていた。
その時——予想外の方向から援軍が現れた。
「この恩知らずの魔物どもめ! 帝都は渡さん!」
剣を振るって魔物に斬りかかる人影。
質素な修行者の衣を着た——ジェレミー殿下だった。
「ジェレミー殿下!?」
辺境で奉仕活動をしていたはずの元皇子が、剣を手に城壁の隙間を守っている。
その剣技は——お世辞にも上手いとは言えない。だが、死に物狂いだった。
「ぼくにだって——守りたいものくらいある!」
ジェレミー殿下が叫んだ。
半年前、謁見の間で虚勢と恐怖に満ちていた目が——今は、覚悟の炎を宿していた。
操り人形ではない。自分の意志で、ここに立っている。
「……殿下、ありがとうございます」
俺は小さく呟いて、天使たちに指示を集中した。
戦闘は二時間に及んだ。
俺の身体は限界を超えていた。
アンネリーゼ様の浄化魔法が何度も俺を引き戻してくれたが、それも限界が近い。聖女様自身の消耗も激しい。
リディアの氷結魔法は城壁の防衛線を支え続けていたが、彼女の魔力もそろそろ底が見え始めている。
だが——魔物の勢いが明らかに弱まってきていた。
三体の天使と帝国軍の連携で、魔物の数は半分以下に減っている。統率を失った魔物たちの動きが散漫になり始めている。
あと少し——あと少しだ。
そう思った瞬間、身体が崩れた。
膝が折れる。視界が暗転する。天使たちの光が薄れていく。
「ルーク!」
リディアの声。
倒れる俺を、誰かが支えた。
左側にリディア。右側にアンネリーゼ様。
二人に支えられて、俺は城壁の上に座り込んだ。
「もう無理です。身体が——」
「いいのです」
リディアの声が、穏やかだった。
「あなたは十分戦いました。あとは——わたくし達に任せてくださいまし」
リディアが立ち上がり、城壁の端に立った。
金色の髪が戦場の風になびく。碧い瞳が、残る魔物の群れを見据えている。
「アンネリーゼ様」
「はい」
「わたくしの魔法に、あなたの浄化を重ねてもらえますか?」
「……やってみます」
二人が並んで立った。
リディアが両手を構え、アンネリーゼ様がその背に手を添える。
蒼と金——二つの光が重なり合った瞬間、城壁の上に凄まじい魔力の渦が生まれた。
「——氷結浄化」
リディアとアンネリーゼ様の合体魔法。
氷結と浄化が融合した光の波が、城壁の前面に広がっていく。
触れた魔物が次々と凍結し、その内部の魔力が浄化されて光の粒に変わっていく。殺すのではなく、浄化する。魔物を構成する汚染された魔力そのものを清めて無に帰す。
帝国軍の兵士たちが呆然と見守る中、光の波は平原を駆け抜けた。
残っていた魔物の群れが——消えていく。
やがて、平原は静寂に包まれた。
魔物は一匹も残っていなかった。
「「「うおおおおおっ!!!」」」
城壁の上から、帝都の全軍が歓声を上げた。
俺は城壁の床に座り込んだまま、二人の背中を見上げていた。
リディアとアンネリーゼ様が、肩で息をしながら振り返った。
二人とも疲労で顔色は悪いが——笑っていた。
「ルーク、見ていましたか?」
リディアが俺の前にしゃがんで、汗だくの顔で笑った。
「……見てました。すごかった」
「あなたを守るのは、今度はわたくし達の番だと——言ったでしょう?」
俺は何も言えなかった。
ただ——目が熱くなった。
前世では、誰かに守られたことなどなかった。
いつも一人で戦って、一人で倒れた。
今は——守ってくれる人がいる。
「ありがとう」
それだけ言うのが精一杯だった。
リディアが俺の手を取った。アンネリーゼ様が反対側の手を握った。
二人の手の温もりが——身体中に沁み渡っていくようだった。
帝都の空に、朝日が昇っていた。
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