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第25話 侯爵の罠——引き裂かれる二人

 叙爵式の翌日、問題は早速やってきた。


 帝国議会で、ダリウス侯爵がベルフィーネ領の「査察」を提案したのだ。


「査察?」


 宰相ボドワンから知らせを受けた俺は、帝城の一室でリディアと向かい合っていた。

 昨夜の告白から一夜明けて、二人の間の空気は微妙に変わっている。目が合うとリディアが僅かに頬を染め、俺もつい視線を逸らしてしまう。

 中身三十二歳のくせに、初恋の中学生のような振る舞いだ。いや、前世でも初恋はなかったのだが。


「正式な手続きとしては正当ですわ」


 リディアが表情を引き締めた。恋人モードから領主モードへの切り替えが一瞬だ。さすがだ。


「新たに爵位を得た領主に対して、帝国議会が査察を行うこと自体は前例があります。ただ——このタイミングは明らかに作為的ですわね」

「ダリウス侯爵の狙いは?」

「査察団の中に息のかかった人間を送り込み、不正の証拠を捏造する——といったところでしょう」


 リディアの読みは俺と一致していた。

 前世でも似た手口を見たことがある。監査法人に圧力をかけて、問題のない決算書に「疑義あり」の注釈をつけさせるという手だ。正当な手続きの外見を装いながら、内側で工作する。


「ヴィクトル」


 俺は隣の部屋で書類整理をしていたヴィクトルを呼んだ。


「査察団の編成は誰が決めますか?」

「帝国議会の承認を経て、通常は宰相府が人選を行います。ただし、提案者が人選に意見を述べることは慣例として認められています」

「つまり、ダリウス侯爵が査察団に自分の手下を入れる口実がある」

「はい。合法的に、です」


 ヴィクトルの目が鋭い。この少年は政治の仕組みをよく理解している。宰相の孫は伊達ではない。


「対策は?」


 リディアが訊いた。


「二つあります」


 俺はテーブルの上に紙を広げた。前世の経営企画の頭が回り始める。


「一つ目。査察を受け入れた上で、完璧な成果を見せつける。これは既にできています。半年分の数字と、住民の声が俺たちの武器です」

「ですが、証拠を捏造されたら——」

「それが二つ目です。鑑定スキルで、査察団の中の工作員を事前に特定します。偽造書類を持ち込もうとした瞬間に暴露すれば、逆にダリウス侯爵の陰謀の証拠になる」


 リディアの碧い瞳が光った。


「罠と分かっているなら、逆に利用する——ということですわね」

「ええ。前世の上司の口癖でした。『敵の攻撃は最大の情報源だ』と」

「ルークの前世の上司は、名言が多いですわね」

「パワハラも多かったですけどね」


 リディアがくすりと笑った。

 こんな緊迫した状況でも、二人で笑える。それが——今の俺たちの強さだ。


「もう一つ、やるべきことがあります」


 俺は真剣な顔に戻った。


「ダリウス侯爵の領地の情報を集めます。攻められるだけでは不利だ。こちらからも攻め手を用意しておく必要がある」

「それはわたくしの得意分野ですわ。帝都の社交界に顔が利く方々に、それとなく——」

「お願いします。ぼくは宰相閣下にも協力を仰ぎます」


 二人で役割を分担する。

 謁見の間の時からずっとそうだった。俺が戦略を立て、リディアが政治を動かす。

 前世では一人で全部やろうとして潰れた。この世界では——隣にパートナーがいる。


「ルーク」


 リディアが立ち上がりながら、俺を呼んだ。

 昨夜から、敬称なしの名前呼びだ。まだ少し照れくさい。


「はい」

「何があっても——わたくし達の領地は渡しませんわよ」


 碧い瞳に炎が宿っていた。

 半年前、謁見の間で婚約破棄を告げられて震えていた少女は、もうどこにもいない。

 今ここにいるのは、自分の領地と住民を守る覚悟を持った領主だ。


「もちろんです。ぼくたちが作ったものは、誰にも壊させません」



 リディアが社交界での情報収集に出かけた後、俺はボドワン宰相を訪ねた。


「ダリウス侯爵の件、ご存知ですか」

「無論じゃ。あ奴の動きは把握しておる」


 宰相は茶を啜りながら、飄々とした顔で答えた。


「ルークよ、一つ教えてやろう。ダリウス侯爵がお前たちの領地を狙うのは、ミスリルだけが理由ではない」

「他に何が?」

「お前たちの存在そのものじゃ。荒廃した辺境を半年で復興させた若い領主。民に慕われ、商人に信頼され、冒険者にも一目置かれる。そのような人物が帝国の中で力を持つことを、ダリウスは恐れておるのじゃ」


 つまり、ミスリルの利権だけではなく、政治的な脅威として俺たちを潰したいということか。


「宰相閣下、ぼくに何ができますか」

「お主はお主のやるべきことをやればよい。査察を堂々と受け、ダリウスの小細工を暴け。——こちらでも動いておる」


 宰相がにやりと笑った。

 この狸親父は、常に何手先かを読んでいる。心強いが、全てを任せるわけにはいかない。


「ルークよ、もう一つ」

「はい」

「リディア嬢を大切にせよ。あのような女性は、帝国広しと言えどそうはおらん」


 唐突な助言だった。だが宰相の目は真剣だった。


「……はい。誰よりも」

「ほっほっほ。若いのう」


 笑われた。だが、悪い気はしなかった。



 夕刻、リディアが帝城に戻ってきた。


「情報が取れましたわ」


 リディアの表情は引き締まっているが、目には手応えの光がある。


「ダリウス侯爵の領地では、住民への重税が問題になっています。表向きの数字は綺麗ですが、実態は税の取り立てが苛烈で、逃散する住民が後を絶たないそうです」

「その情報のソースは?」

「侯爵家から離れた元家臣の令嬢と、本日お茶をしてまいりました。女性同士のお茶会は、最も確実な情報源ですわ」


 お茶会が諜報活動になるのが、貴族社会の恐ろしいところだ。前世の企業秘密は会議室から漏れるが、この世界の秘密はお茶会から漏れる。


「これで攻め手ができましたね」

「ええ。査察で守りつつ、侯爵の領地の問題を突く。攻守同時にいきますわ」


 リディアが微笑んだ。

 公爵令嬢の笑顔の裏に、策士の顔が透けている。この子は味方でよかった。敵に回したら、ダリウス侯爵より怖いかもしれない。


「ルーク」

「うん?」

「帝都にいる間、あまり二人きりになれませんわね。人目がありますから」

「そうですね。昨夜のことは——まだ公にしない方がいいでしょう」

「ええ。ダリウス侯爵に利用されかねませんもの」


 恋人同士であることが知れれば、「私情で領地を運営している」という攻撃材料にされる可能性がある。政略結婚が当たり前のこの世界では、恋愛結婚は弱点にもなり得るのだ。


「でも——」


 リディアが俺の手にそっと触れた。

 指先だけの、ほんの一瞬の接触。


「心の中では、いつもあなたの隣にいますわ」


 その言葉だけで——十分だった。


「ぼくもです」


 明日から、査察という名の戦いが始まる。

 だが、怖くはない。


 隣に——この人がいるから。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

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