第24話 星空の下で——わたくしの気持ち
叙爵式の前夜、帝城で舞踏会が開かれた。
建前は「ベルフィーネ領の復興を祝う宴」だが、実態は帝国貴族の情報戦の場だ。
誰が誰と話し、誰が誰を無視するか。それだけで政治地図が描けると、リディア嬢は言った。前世の立食パーティーと本質は変わらない。名刺交換が社交ダンスに変わっただけだ。
俺は慣れない正装に身を包んで、会場の隅に立っていた。
正直に言って、居心地が悪い。前世では忘年会の幹事すらまともにできなかった男だ。
「ルーク様、壁の花になっていてはだめですわよ」
リディア嬢が近づいてきた。
息が止まりそうになった。
深い蒼色のドレスに、銀の髪飾り。金色の髪は夜会用に結い上げられ、白いうなじが露出している。碧い瞳が燭台の光を受けてきらきらと輝いている。
半年間、泥だらけの作業着姿を見てきた。凜とした領主の顔も、泣きそうな少女の顔も見てきた。
だが——こんなリディア嬢は初めてだ。
「どうかしましたか、ルーク様?」
「いえ——綺麗だな、と」
言ってから、しまったと思った。
口が滑った。前世では女性にこんなことを言ったことがない。
リディア嬢が一瞬固まり、それから耳まで赤くなった。
「……お世辞はいりませんわ」
「お世辞ではありません」
「……ありがとうございます」
最後の一言が、ほとんど聞こえないくらい小さかった。
舞踏会の途中、ダリウス侯爵が動いた。
周囲の貴族たちを集め、さりげなく——しかし確実に——俺の出自を話題にし始めた。
「伯爵家の三男が領主とは、帝国も人材不足ですな」
「十五歳の少年に伯爵位を与えるのは前例がないのでは?」
「チートとやらの力だけで成り上がった者に、貴族の資格があるのでしょうか」
遠回しだが、俺の爵位を認めるべきではないという空気を作ろうとしている。
前世の社内政治でも見た手口だ。本人は直接攻撃せず、周囲に疑問を植え付けて包囲網を作る。
だが——俺には半年分の数字がある。
「ダリウス侯爵」
俺は侯爵の輪に歩み寄った。
「ベルフィーネ領の半年間の税収報告をご覧になりましたか?」
「ああ、聞いているよ。立派な数字だそうだな」
「ありがとうございます。ちなみに、ダリウス侯爵の領地の昨年度の税収と比較させていただきましたが——」
ヴィクトルが事前に調べてくれたデータを使う。
「人口あたりの税収効率で、ベルフィーネ領はダリウス侯爵の領地の三倍です。荒廃した辺境が半年でこの数字を出せたのは、チートの力ではなく、領民の努力と仲間の才能のおかげです」
周囲の貴族たちがざわめいた。ダリウス侯爵の目が鋭くなる。
「ほう。数字で語るか。だが、領地経営は数字だけではないのだよ、若者」
「ええ、おっしゃる通りです。数字の裏には人がいます。侯爵の領地の住民満足度がどうなっているか、ぼくは存じませんが——ベルフィーネ領では、住民が自発的に領地の改善に参加しています。それは数字以上の価値があると、ぼくは考えます」
ダリウス侯爵の笑みが、僅かに引きつった。
だがすぐに紳士的な笑顔を取り繕う。
「なるほど。大した少年だ。では、実力で証明してもらおうか」
最後の一言に含みがあった。だが、今はこれ以上踏み込む場ではない。
リディア嬢が隣に来て、小声で言った。
「見事でしたわ。でも、あまり敵を作りすぎないでくださいまし」
「前世の上司にも同じことを言われました」
「ルーク様の前世の上司と意見が一致するのは複雑な心境ですわ」
舞踏会が進む中、俺はリディア嬢を誘ってバルコニーに出た。
夜風が頬を撫でる。帝都の夜景が眼下に広がり、空には満天の星が瞬いていた。
ベルフィーネ領の星空の方が綺麗だが、ここにはここの美しさがある。
会場の喧騒が遠くなり、二人きりの静寂が訪れた。
「ルーク様」
「はい」
「ずっと伝えたかったことがあります」
リディア嬢がバルコニーの手すりに寄りかかり、俺に向き直った。
蒼いドレスが夜風に揺れ、金色の髪から銀の髪飾りがきらりと光る。
「あの夜——ベルフィーネ領の屋上で、ルーク様が言いかけた言葉がありましたわね」
「……ええ」
フィーネの緊急報告で中断された、月夜の会話。「今は理由がある」と言いかけて、止まった言葉。
「あの時の続きを、先にわたくしから言わせてくださいまし」
リディア嬢の碧い瞳が、星明かりの下で揺れていた。
「わたくし、あなたのことが好きです」
夜風が止んだ。
世界が、一瞬だけ静止したように感じた。
「領主として、パートナーとして——それだけではなく。一人の女として、あなたが好きです」
声は震えていた。だが、視線は逸れなかった。
「あの日、謁見の間で『その願い、承りました』と言ってくれた時から。いいえ——もっと前から。あなたが隣で『冷静になってください』と囁いてくれた時から、たぶん——」
リディア嬢が一歩、近づいた。
「わたくしは、あなたを好きになっていたのだと思います」
俺は黙っていた。
黙っていたのは、言葉が出なかったからではない。
この瞬間を、ちゃんと受け止めたかったからだ。
「リディア様。ぼくにも、話さなければならないことがあります」
「……前世のこと、ですか?」
リディア嬢は知っていた。ずっと前から気づいていた。
「はい。ぼくは——この世界の人間ではありません」
星空の下で、俺は初めて真実を語った。
前世のこと。日本という国で三十二年間生きたこと。ブラック企業で働き続けて、過労で命を落としたこと。女神に転生させられて、この身体で目を覚ましたこと。
「だから——中身は三十二歳のおっさんです。十六歳のリディア様に恋をする資格があるのか、ずっと迷っていました」
リディア嬢は黙って聞いていた。
驚きもしなかった。半年間の些細な言動から、彼女なりに推測していたのだろう。
「ルーク様」
リディア嬢が口を開いた。
「——いいえ。ルーク、と呼ばせてくださいまし」
敬称なし。初めてだった。
「わたくしが好きになったのは、目の前にいるあなたです。三十二歳でも、十五歳でも、異世界から来た人でも——関係ありませんわ」
リディア嬢の目に涙が浮かんでいた。だが、笑っていた。泣き笑い。この顔を見るのは、もう何度目だろう。何度見ても、胸が痛い。
「あなたが過労で倒れた夜、きっと誰もそばにいなかったのでしょう?」
——その通りだった。深夜のオフィスで一人、意識を失った。
「もうそんな思いはさせませんわ。わたくしが、あなたの隣にいます。何があっても」
前世の三十二年間と、この世界の半年間。
その全ての時間の中で——この言葉が、一番温かかった。
「……ぼくもです」
声が震えた。
中身三十二歳の分別も、年齢差の自制も、全部吹き飛んだ。
「ぼくもあなたが好きです、リディア」
初めて——敬称なしで、名前を呼んだ。
リディアの碧い瞳から、涙がこぼれた。
「やっと——名前で呼んでくれましたわね」
その声は、星空の下でだけ聞こえる、小さな小さな声だった。
俺はリディアの手を取った。
細い指が、俺の指に絡まった。
それだけだった。
キスもしなかった。抱きしめもしなかった。
ただ、手を繋いで、星空を見上げた。
それだけで——十分だった。
前世で失ったものの全てが、この手の温もりの中にあった。
「ルーク」
「うん」
「……呼んでみただけですの」
リディアが笑った。
あの日——謁見の間の後、回廊で言った台詞と同じだ。だが、響きが全く違う。
「ルーク」
「何ですか?」
「もう一回。——呼んでみたかっただけですの」
俺も笑った。
星空の下、二人で笑った。
それだけの夜だった。
だが、俺の人生で——前世も今世も合わせて——一番幸せな夜だった。
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