第23話 帝都凱旋——変わったのはわたくし
半年ぶりの帝都は、記憶より騒がしかった。
馬車が帝都の大門をくぐると、街路の喧騒が車内にも聞こえてくる。商人の呼び込み、馬の蹄の音、子供たちの笑い声。
ベルフィーネ領の静けさに慣れた耳には、この活気が眩しい。
「帝都は変わりませんわね」
リディア嬢が窓の外を眺めて呟いた。
「変わったのは、わたくし達の方ですわ」
確かにそうだ。半年前、この街を出た時は婚約破棄の修羅場から逃げるようにして旅立った。今は——領地の復興という実績を携えて、胸を張って戻ってきた。
馬車の後ろの荷台には、ヴィクトルが作成した報告書の束が積まれている。数字は雄弁だ。領地の成果を、誰にも否定させない。
「ルーク様、緊張していますか?」
「少しだけ。前世で役員プレゼンの前はいつも胃が痛かったんですが、その感覚に似ています」
「前世の……?」
「あ、昔の話です。気にしないでください」
口が滑る癖は半年経っても治らない。
帝城に到着すると、宰相ボドワンが自ら出迎えてくれた。
「よく戻ったな、リディア、ルーク。それにヴィクトル——顔つきが変わったのう」
「祖父上、ただいま戻りました。左遷ではなかったようです」
ヴィクトルが真顔で言うと、ボドワン宰相は「ほっほっほ」と笑った。
この祖父にしてこの孫あり、か。
宰相の案内で帝城の奥へ進む。
皇帝への報告は翌日の予定だが、まず宰相から近況を聞くことになった。
「この半年で帝都にも色々あってな。まず、ジェレミー皇子の処分が確定した」
「どのような?」
「皇位継承権の剥奪と、一年間の辺境での奉仕活動。本人が自ら望んだのじゃ」
自ら望んだ——つまり、反省しているということか。
「ジェレミー殿下に会えますか?」
俺が訊くと、宰相が少し驚いた顔をした。
「会いたいのか? あ奴はお主を殴りかかった相手じゃぞ」
「だからこそ、です」
リディア嬢が俺を見たが、何も言わなかった。
ジェレミー殿下との面会は、帝城の中庭で行われた。
半年前の華やかな皇子の面影はなかった。
髪は短く切り揃えられ、衣服は質素な修行者のそれだ。顔は日に焼け、手には労働の痕跡がある。
だが——目が変わっていた。あの虚勢と恐怖に満ちた瞳ではない。静かで、どこか寂しげな目だった。
「ルーク・フォン・ベルガー。それに——リディア」
ジェレミー殿下は俺たちの前に立ち、深く頭を下げた。
「謝罪する。あの日のことは——すべて、ぼくの愚かさが招いた結果だ」
その声には虚勢がなかった。心眼を使うまでもない。本物の後悔だ。
「エレミーの嘘を見抜けなかった。シャリエ伯爵に利用されていることに気づけなかった。そしてリディア、君を——ひどく傷つけた」
リディア嬢は黙って聞いていた。碧い瞳に感情の波が見えたが、すぐに凪いだ。
「ジェレミー殿下、顔を上げてください」
リディア嬢の声は穏やかだった。怒りも恨みもない。
「わたくしはもう、あの日のことで殿下を恨んでおりません。あの日があったから——わたくしは今の場所にたどり着けたのですから」
ジェレミー殿下が顔を上げた。
その目が、リディア嬢と俺を交互に見た。俺たちが自然に隣同士に立っていること、リディア嬢の雰囲気が半年前とは全く違うこと——すべてを読み取ったのだろう。
「そうか。君は——幸せそうだな、リディア」
「ええ。おかげさまで」
ジェレミー殿下が僅かに笑った。苦笑いだった。
「ルーク」
「はい」
「リディアを——頼む」
短い言葉だった。だが、その中に込められた感情は複雑だったはずだ。
かつての婚約者を、別の男に託す。十八歳の少年にとって、それは相当な覚悟だっただろう。
「……はい」
俺はそれだけ答えた。
リディア嬢は何も言わなかったが、隣で小さく息を吐いたのが聞こえた。
中庭を去る時、リディア嬢が足を止めた。
「ジェレミー殿下」
「何だ?」
「辺境での奉仕活動、頑張ってくださいまし。きっと殿下にとって、意味のある時間になりますわ」
ジェレミー殿下は一瞬目を見開き——それから、初めて見る穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、リディア」
帝城の回廊を歩きながら、リディア嬢が呟いた。
「不思議なものですわね。半年前は殿下の顔を見るだけで胸が苦しかったのに、今は何も感じませんわ」
「それは——良いことだと思います」
「ええ。わたくし、前を向けていますもの」
リディア嬢がちらりと俺を見て、すぐに前を向いた。
頬が僅かに赤い。
前を向けている理由が俺だとしたら——それは、ちょっと嬉しい。
翌日の皇帝への報告は、完璧に近い出来だった。
ヴィクトルが作成した報告書を基に、俺とリディア嬢が交互にプレゼンを行った。
前世で叩き込まれたプレゼン技術が全開だ。数字は具体的に、成果は視覚的に、課題は正直に。
皇帝陛下は終始穏やかに聞いていたが、ミスリル鉱脈の報告では眉を上げた。
「見事だ。正直、ここまでの成果は期待していなかった」
「恐れ入ります、陛下」
「ルークよ、ベルガー伯爵には余から伝えてあるが——そろそろ爵位の件を正式に決めねばならんな」
ルークの爵位。半年間棚上げにされていた案件だ。
「ボドワン卿、どう思う?」
「もはや実績不足とは申せませんな。むしろ——帝国でも屈指の成果かと」
宰相がにやりと笑った。
「ルーク・フォン・ベルガーに、ベルフィーネ伯爵の爵位を授けることとする。正式な叙爵式は——」
「お待ちください、陛下」
謁見の間の扉が開き、一人の男が入ってきた。
五十代の、銀髪の紳士だった。仕立ての良い衣服をまとい、鷹のように鋭い目をしている。
その背後には数人の貴族が従っていた。
ボドワン宰相の目が、一瞬鋭くなった。
「ダリウス侯爵。今日は招いた覚えがないが」
「おや、宰相閣下。このような慶事に帝国の忠臣が駆けつけるのは当然のことでしょう?」
ダリウス侯爵。
鉱山を襲った残党が口にした名前。シャリエ伯爵の後ろ盾だったと噂される大物貴族。
「初めまして、ルーク殿。噂はかねがね——小さな領主殿が、大きな成果を上げられたそうで」
ダリウス侯爵は紳士的な笑みを浮かべて俺に手を差し出した。
だが、その鷹の目は笑っていない。値踏みしている。計算している。
前世で何人も見てきた。笑顔の裏で人を駒として見ている人間の目だ。
俺はその手を握り返した。
「お会いできて光栄です、ダリウス侯爵」
握手をしながら、俺は確信した。
この男が——ジェレミー殿下の事件の、本当の黒幕だ。
リディア嬢が俺の隣で僅かに身を固くしたのが分かった。
彼女も気づいている。新たな嵐が近づいていることに。
半年間の穏やかな日々は——ここで終わりかもしれない。
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