第22話 半年の奇跡——あなたとの日々
ベルフィーネ領に赴任して半年が経った。
朝、領主館の窓を開けると、半年前とは別の土地が広がっていた。
南の農地には青々とした麦畑。収穫を迎えた根菜の畑では、住民たちが額に汗して働いている。
鉱山からは採掘の槌音が聞こえ、領都の通りには荷馬車が行き交っている。マリエッタが手配した商隊が、週に二回アンカードとの間を往復するようになった。
そして何より——人が増えた。
「ヴィクトル、最新の数字を教えてくれますか」
朝の定例会議。大広間のテーブルに全員が揃っている。
ヴィクトルが眼鏡の位置を直し、手元の帳簿を開いた。この半年で、彼の目の下の隈は消え、代わりに自信に満ちた表情が宿っている。もう「左遷」とは言わなくなった。
「はい。まず人口ですが、赴任時の三十二名から、現在百四十七名に増加しました」
「四倍以上ですわね」
リディア嬢が頷く。
「税収は——比較対象がないので前年比は出せませんが、現在の月次税収で年間換算すると、旧シャリエ伯爵時代の五倍に達しています。税率を半減しているにもかかわらず、です」
「住民が増えて経済が回り始めた結果ですね」
俺が補足すると、ヴィクトルが頷いた。
「次に治安ですが、鉱山襲撃事件以降、犯罪の報告はゼロです。ギルバート殿が組織した自警団の抑止力が効いています」
「犯罪ゼロは俺の功績じゃねぇ。住民に食い物と仕事があれば、犯罪なんざ起きねぇんだよ」
ギルバートが椅子の背にもたれて言った。乱暴な口調だが、本質を突いている。
前世のビジネス書に書いてあったことと同じだ。治安の基盤は経済的安定にある。どんな世界でも変わらない真理だ。
「ミスリルの採掘も順調です。先月の出荷量は——」
マリエッタが帳簿を広げた。
「インゴット十二本。アンカードの三社を通じて全量売却済み。売上は——申し上げてよろしいですか?」
「どうぞ」
「平民の年収の百二十年分です」
「……半年で?」
ギルバートが椅子から落ちそうになった。
「まだ本格採掘じゃねぇのにか?」
「はい。本格稼働すれば、この十倍は見込めます」
マリエッタが涼しい顔で言う。この少女の計算力は前世の経理部長を超えている。
「教育面の報告もございます」
リディア嬢が手を挙げた。
「先月開設した学校に、子供たちが十八名通っています。読み書きと計算の基礎クラスから始めていますが、大人の住民も夜間クラスに参加し始めました」
「リディア様が教科書を作成されたのが大きいですね」
アンネリーゼ様が付け加えた。聖女様は学校で浄化魔法と薬草学を教えている。子供たちに大人気だ。授業中に居眠りさえしなければ完璧な教師なのだが。
「最後に、浄化の進捗ですが——」
アンネリーゼ様が立ち上がった。
「農地の浄化は全体の七割が完了しました。残り三割も、あと二ヶ月で終わる見込みです。水源の浄化は完了しており、領都の井戸水は帝都の水質基準を上回っています」
全員の報告が終わると、大広間が静かになった。
俺は数字を見渡した。
人口:四倍。税収:五倍。犯罪率:ゼロ。ミスリル収入:想定以上。教育:進行中。浄化:七割完了。
前世で何十本もの事業報告書を書いてきたが、これほど全ての数字が右肩上がりの報告は見たことがない。
「皆さん、素晴らしい仕事です」
俺が言うと、ギルバートが「柄にもねぇこと言うな、坊主」と笑い、フィーネが嬉しそうに頬を染め、ヴィクトルが照れくさそうに眼鏡を押し上げた。
「これだけの成果があれば、帝都への報告も自信を持ってできますわね」
リディア嬢が微笑んだ。
そう——俺たちは帝都に戻らなければならない。
領地の成果を皇帝に報告し、ルークの爵位の件も正式に決める必要がある。半年前に「後回し」にされた案件が、まだ残っているのだ。
「帝都への出発は来週としましょう。ヴィクトル、報告書の準備をお願いできますか?」
「既に八割方できております。残りは数字の最終確認だけです」
仕事が早い。この少年は本当に優秀だ。前世の俺が欲しかった部下ナンバーワンだ。
「留守の間、領地の管理はギルバートさんとフィーネさんにお任せします」
「任せろ。半年もここにいりゃ、勝手は分かってる」
「はい、お任せください!」
ギルバートとフィーネが請け負った。
マリエッタは商談のためにアンカードに戻ると言う。ヴィクトルは報告書を携えて俺たちと帝都に向かう。アンネリーゼ様も同行だ。
会議が終わった後、俺は領主館の屋上に出た。
ここからは領地の全景が見渡せる。半年前は灰色一色だった大地が、今は緑と茶色のパッチワークに変わっている。
「ここにいると思いましたわ」
リディア嬢が階段を登ってきた。もう驚かない。この子は俺の居場所を正確に把握している。
「ルーク様、少しよろしいですか?」
「もちろん」
二人で手すりに寄りかかり、領地を見下ろした。
「半年、あっという間でしたわね」
「ええ。体感では三年くらい経った気がしますが」
「わたくしもです。毎日が忙しくて、でも——楽しかったですわ」
リディア嬢が風に髪をなびかせながら微笑んだ。
半年前の、あの謁見の間で震えていた少女とは別人だ。日に焼けた肌、自信に満ちた目、凜とした佇まい。公爵令嬢であり、領主であり、そして——
「ルーク様、わたくし達、まるで夫婦みたいですわね」
唐突な発言に、俺の思考が停止した。
「毎朝会議をして、昼は別々に仕事をして、夜は一緒に計画を練って。休みの日には領地を視察して回って——」
「あの、リディア様——」
「あっ」
リディア嬢が自分の発言に気づいたらしい。
耳の先まで真っ赤になった。
「い、今のは言葉の綾ですわ! 深い意味はありませんの!」
「はあ」
「何ですかその生返事は!」
「いえ、深い意味がないならいいんですが」
「ないです! 断じてないです!」
顔が赤いまま、リディア嬢は手すりをばんばん叩いている。手すりに霜が降りた。無意識の魔力漏出だ。感情が高ぶると制御が甘くなるらしい。
——可愛いな。
その感想を口にしたら氷漬けにされるので、心の中だけに留めておく。
「あの、ルーク様」
「はい」
「帝都に行ったら、きっと色々なことが起きますわ。ジェレミー殿下のこと、爵位のこと、それに——わたくし達の関係についても、周囲から何か言われるかもしれません」
リディア嬢の声が、少し真面目になった。
「どんなことを言われても、ルーク様はルーク様でいてくださいね」
「どういう意味ですか?」
「英雄とか使徒とか領主とか、色々な肩書きがつくと思いますけれど——わたくしにとってのルーク様は、あの日、謁見の間で『その願い、承りました』と言ってくれた人ですわ」
碧い瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。
「それだけは、変わらないでほしいのです」
半年間、ずっと隣にいた人の言葉だ。
毎日一緒に朝食を食べ、会議をし、悩み、笑い、時には喧嘩をし——前世の三十二年間より、この半年の方がずっと濃い。
「変わりませんよ。約束します」
「約束を破る方は——」
「嫌いなんですよね。知ってます」
リディア嬢が吹き出した。
「先に言わないでくださいまし」
「もう何回も聞いたので、覚えました」
二人で笑った。
荒廃した大地に緑が戻り、人々の笑い声が聞こえるこの場所で——俺たちは笑っていた。
前世では、仕事で笑った記憶がない。
この世界では——毎日がこんなにも温かい。
「さて、帝都への準備をしましょうか」
「ですわね。荷造りが大変ですわ。半年分の書類をどうやって運ぶか……」
「ヴィクトルに相談しましょう。あの子なら三分で解決策を出してくれます」
「頼もしい部下ですわね」
「部下というより、参謀ですね。ぼくより頭がいいかもしれない」
リディア嬢と並んで階段を降りながら、俺は不思議な幸福感に包まれていた。
帝都では何が待っているか分からない。
だが——この半年で俺たちが築いたものは、誰にも壊せないはずだ。
領地の復興という実績。
七人の仲間。
そして——隣にいるこの人との、名前のつかない、温かいもの。
名前はまだつけていない。
でも——もうすぐ、つける時が来る気がしている。
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