89話 私だって怖かったんだよ?(百地視点)
「ちょ……待って。マジで……マジで待ってよ?」
蓮司の発したセリフが脳内で何度も反響し続けていた。
――『ずっと好きだった幼馴染に本当の想いを隠し、そしてその恋心を忘れるために別の女性と交際した。それが百地に対して俺がついた嘘なんだよ』
理解が……追い付かない。いや、追い付けないと言った方が正しいのか?
蓮司は私のことが好きだった? えっ、じゃあどうして他の女の子と交際なんてしたの? 私だって蓮司のことが好きだったんだよ?
脳裏に次々と反響するセリフを私は声に出して表現する事ができず、まるで酸欠状態の金魚の様に口をパクパクと間抜けに開閉し続ける。
思考がフリーズしかかっている私などお構いなしに、蓮司は更に言葉を続けた。
「俺にとって百地はずっと妹のような感覚で過ごせる幼馴染だった。でも、ある日を境に気付いてしまったんだ。俺は百地に対して特別な感情を持っているんだって」
未だに脳内で処理しきれていない私に蓮司はなおも言葉を詰め込んで来る。
「だけどさ、この恋を俺は無理やり忘れようとした。その直後に茂江……山中との距離が縮まって交際を始め……ぶえっ!?」
気が付けば私は蓮司のことをぶっ飛ばしていた。平手打ちでなく、思いっきり握った拳で……。
「なに、それ……今更何でそんな事を言ったりするの!?」
もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。
脳内に詰め込まれたものが整理できず、こんがらがった感情のまま蓮司へと怒声をぶつけていた。
「どうして、どうしてなのよ!? 別の女の人と交際までしておきながら、実は私のことが好きだった? こんな遅れてそんなカミングアウトされて私にどうしろっていうのよ!!」
「それは……」
「私だって蓮司のことが好きだったんだよ? それなのに、それなのに……」
「………」
「好き…だった……。私だって告白しようと思っていたのに……。でも蓮司にはもう素敵な相手が居ると知ったから諦めようと思ったのに……」
蓮司が私に対して幼馴染以上の感情を抱いていた。その真実を知っても私の中では喜びなど湧かず、むしろ悲しみの波がどんどんと溢れ零れる。
どうして私が好きだったのに他の女の子と交際したの?
どうして一度でも私に向けて『好きだ』って言ってくれなかったの?
いくつもの〝どうして〟が積み重なりとうとう声にすらならなくなる。もはや制御すらままならない感情は涙に変換されて垂れ流れていく。
「ごめん……ごめんな……」
「あやまら……ないでよ……」
本当に申し訳なさそうに沈痛な表情で謝られる。
だけど私が今一番聞きたいのはそんな謝罪なんかじゃない。
「私が好きだったっていうならさ、どうして『好き』だって言ってくれなかったの?」
これこそが私の最も知りたいことなのだ。
今の話を纏めると、私たちは両想いだった事になる。もしも蓮司が私にたった一言『好き』だって言ってくれたなら、私が告白する前に他の女性と交際なんてしていなければ……。
「答えてよ。ここまで来たならちゃんと、私でなくあの山中先輩を選んだ理由を答えてよ」
「……怖かったんだ。もしも俺の気持ちが百地に届かなかった未来を考えると……」
「それは……どういう意味よ……」
「もしも百地が幼馴染じゃなかったら気負う事なく告白できたんだと思う。でも……俺にとって百地はずっと仲良くしていた妹同然の存在なんだ。だから……失恋するだけならまだいい。でも……もしも失恋後、今までのような仲睦まじい関係まで壊れたら。長年の幼馴染としての繋がりまで切れたらと思うと……怖かったんだ」
「それが理由なの?」
「ああ、そうだ。もしも俺がこの想いを胸の内に隠し続ければ、恋仲にはなれずとも、幼馴染としては百地と繋がり続けられる。そんな考えがよぎってしまったんだ」
彼の言い分を聞き終わった後、私は全身が脱力する感覚に陥る。
確かに蓮司の言いたいことは多少なりとも理解できる部分は、あるのかもしれない。
告白の失敗を機にぎくしゃくするかもしれない。その不安は多少なりとも理解はできる。
でも……理解はできても共感する事は断じてできなかった。
「私だって蓮司に告白する時に同じ不安を抱えたよ。もしも私の想いが受け入れられなかったらどうしようってね。でもね、それを理由に告白を諦めようとは思わなかった」
「………」
「だけど蓮司はその恐怖に負けて他の女性を選んだんだね」
「ごめん……」
「謝らなくてもいいよ。でも……もう遅いよ」
目の前で俯いている蓮司がとても小さく見えた。
いつだって頼りがいのある兄貴のような存在。そんな彼が今はとても見る影もなかった。
「今日はもう帰るね。お互い……考える時間が必要だと思うから……」
そう言い終わる前に背を向けて私は立ち去る。
振り向き際に蓮司と一瞬目が合った。まるで置いていかないでと言わんばかりの情けない瞳だった。
そんな弱々しい幼馴染の眼を見ても、私は今だけは寄り添ってあげたいと思えず立ち去る事を選んだ。




