曙光(下)
香ばしい匂いにつられ、青年の意識が浮上する。
どうやらベッドに寝かされているらしい。かなり固く、寝心地が良いとは言いづらかった。
見覚えのない天井が目に入る――もっとも、「見覚えのある天井」など今の彼には無いのだが。
窓から入り込む斜光が部屋を照らしている。自分の直感を信じるなら、おそらく今は朝だろう。
「ここは……?」
「私の家だ。あの森からそう遠くない」
青年が体を起こすと、隣に置かれた椅子に壮年の男が座っていた。
薄暗い部屋だが、男の顔ははっきりと認識することが出来た。
ちりちりとした癖のある黒髪、薄く皺の入った顔に鋭くもどこか愛嬌のある目つき――見覚えのある顔だ。
「ふああ……やっと起きたか。いきなり倒れたもんだから心配したぞ」
男も起きたばかりらしい。バキバキと首を鳴らしてから大きく伸びをして、男は眠そうな笑顔を見せる。
徐々に頭が冴えてきて、青年はようやく何があったのかを思い出した。
「何と言って良いやら……本当にありがとうございました」
怪物から助けて貰っただけではない。恐らく意識を失った後、ここまで自分を運んできたのもこの男だろう。
男が椅子で寝ていたという事は、このベッドの持ち主は――推測に過ぎないとはいえ、大体察することが出来る。
今自分の着ている服も、昨日の物ではなかった。
青年が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、男は面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「良いんだよ、洒落臭い。それより腹減ってるだろ? 今カミさんが飯作ってるからな、話は食べながらにしよう」
「えっ? いえ、そこまでお世話になる訳には……」
「おいおい、恩人の誘いを断るとはいい度胸してるじゃないか」
青年は恐縮したが、男は有無を言わさぬ様子だ。
先ほどから漂う匂いも容赦なく空っぽの胃を刺激してくる。
「……いただきます」
「よっし、決まりだな!」
青年が素直に折れると、男は嬉しそうににかっと笑みを浮かべた。
「あら、目が覚めたのね? 昨日グラインさんがあなたを担いで帰ってきた時は驚いたわ……ちょっと待ってて、もうすぐ出来るから」
男と共にダイニングへと向かうと、香草の香りと共に若々しい金髪の女性が出迎えた。
青年が遠慮がちに口を開くその前に、男が女性に声をかける。
「アルマ! ちゃんと4人分、作ってあるだろうな」
「当然! 久しぶりのお客さんだからいつもより気合入れて作っちゃった」
女性がにひひと青年に笑みを向けると、男が思い出したように青年に向き直った。
「自己紹介がまだだったな。私はグライン、傭兵だ。こっちは妻のアルマ。あんたの名前は?」
「えっと…………」
青年は返答に詰まってしまったのを見て、男は一瞬考えてから話題を変えた。
「……訳ありか。まあいい、飯だ飯。そういやグロウはまだ起きてこないのか?」
「今朝はまだ見てないわ」
二人がそんな会話をしている間に、青年はふと背後に気配を感じてちらと振り向く。
部屋の入り口から、こっそりこちらを覗いている小さな影があった。縮れた金髪をしている――グロウというのは恐らく彼で、二人の息子の事なのだろう。
青年と目が合うと、彼は慌てて逃げていってしまった。
「無理に起こすのもかわいそうだな。先に食べ始めるか」
「しばらく食べてないんだろ? 見れば分かる。空きっ腹にいきなり流し込むなよ、ゆっくり味わえ」
器に注がれたのは、出汁の効いた熱い汁に肉や野菜の浸かったシンプルな料理だ。
鼻腔をくすぐる香りに負け、青年は恐る恐る口に運んだ。
「……うまい、です」
「当たり前だ! アルマの料理は世界一美味いからな」
「いっぱいあるから、おかわりしても良いのよ」
一口目が入れば、後は軽いものだ。食欲に任せて次から次へと胃を満たしていく。
「なんだ、結構元気そうじゃないか」
グラインとアルマは、青年の様子を見て満足そうに笑ってから自分達も食べ始めた。
しばらくして心身共に余裕が出来てくると、食べるのを止めて青年は遠慮がちに口を開いた。
「――――実は、昨日、あの怪物に襲われるより前の記憶が全く無いんです」
「記憶が?」
グラインが素っ頓狂な顔をする。
「――ってことは、どこから来たのかも、あんな格好で森にいた理由も分からないと」
「はい……」
「はー……そりゃあご愁傷様だな」
グラインはそう呟いたきり何かを考え込むように黙ってしまった。
「行くあてが無いのなら、しばらく此処にいても構いませんよ」
アルマはそう青年に持ちかけるが、青年はきっぱりと断った。
「いえ、流石にそこまで迷惑をかける訳にはいきません。身支度をしたらすぐに出ていこうと思います」
「どこへだ」
そう言ったのはグラインだ。
「金が無い、あてもない、そんな状態で外へ出ても野垂れ死ぬのがオチだ」
「でも」
「そこで、だ。1つ提案がある」
そこまで言って、グラインは真剣な顔になった。
「あんたがもし記憶を取り戻したいと思うなら、だが……『傭兵』になる、ってのはどうだ」
遥か昔に滅んだ文明、それらが作ったとされる古代兵器――その優れた技術を研究し、現代に蘇らせたのが戦争会社『ディバイン・トラスト』。
それによってこのフレースヴェルグ帝国は戦争方面に急激に成長した。昨日倒したあの鉄巨人も古代兵器の一種らしい。
今やこの国に兵士はいない。そのトラストカンパニーの雇用する『傭兵』が主な戦力だからだ。
そして、昨日青年が使った剣は携帯型の古代兵器の一種であり、戦闘訓練を受けた傭兵にしか扱えない物なのだという。
つまり、記憶を失う前の青年は傭兵だったのではないか――というのがグラインの持ちかけた話だった。
「傭兵は命懸けの仕事だ。すぐに決めなくても良い……だが、昨日見せたあの身のこなし。間違いなく君は腕利きの戦士だったはずだ。私の目に狂いはない」
青年にとってこれは、記憶を取り戻す手がかりと一先ずの仕事を得る絶好のチャンスだった。断る理由は無い。
「……なりますよ。俺は何か重大な事を忘れている……そんな気がするんです。それを取り戻せる可能性があるなら」
青年は大きく頷いて言った。
「よし……私は今日中に首都に戻らなきゃいけない。一緒に行くとしよう」
先ほど寝ていた部屋――予想通りグラインの寝室だった――に戻ると、青年は出発の身支度を整え始めた。
傭兵になるならば、まずは首都に向かわねばならない。ここからはかなり離れており、相応の身支度が必要だった。
必要最低限の荷物を小さな鞄にしまっていく。結局、一家に更なる施しを受けることになってしまった。というより、アルマに無理やり持たされたと行った方が正しくはあるのだが。
(……いつか借りを返さないとな)
そう思いながら準備をしていた矢先、背後に妙な気配を感じて青年は素早く身をかわす。
「やーっ!」
遅れて飛んできた攻撃の主を見て、青年は驚いた。
「君は……」
縮れた金髪の少年が、小さな木の枝を剣のように持って斬りかかってきたのだ。グライン達の一人息子、グロウだった。
「兄ちゃん、父さんを連れて行くんでしょ? ここで僕が倒してやる……!」
そういって、グロウは青年に再度斬りかかった。父譲りの精悍な顔立ちだが、その攻撃はか弱く、避けるのは容易い。
先ほど、グラインが遠征続きで中々家に帰って来れないとぼやいていたのを思い出す。普段は寂しい思いをしているのだろう。
体格差は天と地ほどもある。決して勝てない事は分かっているだろうに、勇敢な子だ。
枝を振り回す隙を見て青年はグロウの懐に潜り込むと、そのまま彼の頭を撫でた。
「…………ごめんな」
かける言葉が見つからずに、そう一言呟く。
両親というのがどういうものなのか、今の青年には上辺にしか分からなかったが、グロウ少年の気持ちはなんとなく分かる気がした。
グロウは枝を取り落として泣き出してしまった。
「おう、準備できたか……っと、ありゃ」
グラインが部屋に入ってきて、泣いている息子をなだめる青年を見て、状況が読み込めずに首を傾げる。
青年が枝で斬りかかってきた辺りの話を抜いて状況を説明すると、グラインは少し寂しそうな表情をしてグロウを抱きしめた。
「ごめんな、父さんちょっと忙しくてな……絶対また帰ってくるから、母さんといい子で待っててくれるか?」
「うん……その時は、ちゃんと剣の稽古してね」
グロウは涙を流しながら、何度も頷いていた。
「この度は、本当にありがとうございました」
青年はアルマに向かって深々と頭を下げる。
「良いのよ、また来てちょうだいね」
アルマの足元からグロウが覗いているのに気付いて、青年は小さく手を振る。
グロウは何も言わずにそっぽを向いてしまい、青年は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そろそろ行くぞ」
操縦型機工兵に乗ったグラインが催促して、青年は慌てて荷台に乗り込む。
「……じゃあな、アルマ、グロウ。最近は前線が物騒でな、いつになるかはまだ分からないが……必ず帰ってくる。待っていてくれ」
グラインが起動すると、前後に車輪の付いたその機械は轟々と音を鳴らし始めた。
「かなり速いからな、振り落とされるなよ!」
ハンドルに付いたレバーを押し込むのと同時に、猛スピードで二人は発進した。




