第36話 尾の世界
さて、ここは尾の世界だ。
あの後はエルフと会うこともなく、この世界に来れた。
この世界は砂漠の世界。
一面砂漠にオアシスが点在する土地――のはずが、遥か向こう側が紅に染まっている。
あれは、スライムか?
圧倒される、遠くはなれているとはいえアレだけの物量を前にしては。
先に派遣しておいた『愚者の翼』は近くにはいないようだ。
情報収集しか命じていないから生きていると思うが――報告対象がアレでは、な。
それに、尾の世界では緑の世界と違って大きな集落を作らない。
獣人同士の争いこそほとんど起きていないはずだが、長老に話を通せばよいという簡単な話ではすまなくなる。
そもそも長は長老ではなく族長と呼ばれていたはずだ。
私の知っている限りでは、腕自慢の馬鹿ばかり。
愚者の翼の安否を心配する必要はないとはいえ、厄介なことになっていないとよいのだが。
とりあえず、連絡を取ってみよう。
貴重品の送声符を取り出す。
『送声』
「聞こえるか?」
「肯定」
愚者の翼に連絡する。
これは二言三言しかもたないから、連絡は簡素に。
「門の前だ。合流しろ」
「了解」
ここで切れた。
不便だな、携帯が存在しないというのも。
「で、アレが何か分かるか? ルシフェよ」
「ああ、あの増え方から見るにウイルスの亜種だ。それと、アレに接している空間――」
それも性質はコンピュータウイルスに近い。
放っておけば、自分だけで増殖を繰り返せる。
例え宇宙空間の中でも。
まあ、宇宙空間なんぞ見たことも聞いたこともないがな。
地球と言ったか? 変なものがある世界だ。
「いやいや、何km先じゃと思っとるんじゃ。そんな遠いもんマレフィには見えぬ。高位魔物の瞳を持つルシフェでは別であろうがな」
「そうか。言ってもわからないだろうが、あのスライムもどきは空間を歪ませている。その上で空間情報そのものを消去しているようだ。つまり、どんな攻撃だろうが届かない。そして、どんな防御であろうと無効化できる」
世界を超えられる攻撃なら通るが。
もし出来ても、実行できんがな。
アレにダメージを与えられるほど大きな穴を開けたら世界が危ない。
しかし、攻撃も防御も無敵とはどこかで聞いたような話ではある。
「で、どうやってアレを倒すんじゃ?」
「倒せることが前提か?」
そこまで信頼してくれると嬉しくなるね。
無限に増殖する、触れば死ぬ物体を倒せると思ってくれてるなんて。
「そんな顔をしておるからの」
「そうか。それがどのような顔かは知らんが、対処は可能だ」
鏡があれば、どのような顔か見れるのだが。
まあ、いいさ。
自分の表情などを見るのは、機会があるときで十分だ。
「今からやるのかの?」
「いや、無理だ。協力者を募る必要がある。この世界のために犠牲になってくれる人柱が」
ま、必要ない方法もあるが危険すぎる。
悪い方に転べば、”死滅堕衰の門”を開いたのと同じ結果になる。
すなわち現世が冥世へ。
生贄を募るのは、その事態を防ぐためだ。
「で、どうやって集めに行くんじゃ? 集落が点在する尾の世界で一つ一つ回っていくか?」
「その暇はない。『ルルイエの呼び声』を使う」
さすがにそんな手間はかけられない。
この世界にどれだけの集落があるかは知らんが、ざっと100は行くだろう。
「な!? それは邪神教団の秘宝じゃぞ!? どれだけの被害が出るか」
「マレフィが思うほどの被害は出ないさ。呼び声の本質はその呪文にこそある。だから呼びかけられたくらいで狂うようなら、この先決して生き残れはしない。そんな弱者のために立ち止まるわけにはいかない」
”ルルイエの呼び声”は呪文を世界に伝播するための秘法。
今回は単なる通信手段として使う。
ただ、本来の用途として使われた場合にはゾンビが蔓延する程度の災害は起こるだろう。
呼び声を使う以上、偶然でも呪文を口にすることは許されない。
言葉は慎重すぎるほどに選ばなければならない。
...そもそも私が知らない呪文は数多くあるので運次第でもある。
私の運を信じるしかない。
「そう、かの。まあ、ルシフェが言うならそうなんじゃろうな」
「さて、始めるぞ」
注意は必要だが、必要以上に恐れると逆効果だ。
さっさと始めてしまおう。
「さて、聞こえるかな? 諸君」
これは物理的な声ではなく、精神に直接響くもの。
だから、洗脳効果は半端ではなく高い。
「諸君らもわかっているように尾の世界には危機が迫っている。地を覆いつくさんばかりの流体物質が地上の全てを、いや地下も含め世界の全てを飲み込まんとする勢いだ」
「流体物質の除去が不可能なのは諸君らが一番わかっているだろう。何をしようが一切の効果が見られなかったのだろう? 君たちは理解したはずだ。理解させらたはずだ。倒すこと叶わぬと言うことが」
「しかし私ならできる。この『最強』ルシフェレス・ファフニル・イラになら」
「ただし、私だけでは無理なのだよ。私の力は際限なくこの世界を終わらせ尽くしてしまうだろう。私も尾の世界が”生を育む灼熱の世界”から”死を流行らす荒涼の世界”へと成り果てた姿は見たくないのだよ」
「だから、諸君らに協力をお願いする。この世界を守護する勇気のある者よ。同胞を守るために死ぬ勇気を持つ偉大なる者よ。『門』の前に来い。そこで私は待っている」
「諸君らの有志を期待する」
「さて、こんなところか」
「ふむ、格好良かったぞ。ルシフェ」
嬉しいことを言ってくれる。
まあ、私としては先程の放送でどれだけの被害が出たか気がかりなのだが。
精神を揺さぶられたことで不安定になった者もいるだろう。
自殺しようとしても周囲が止めてくれるだろうが。
犠牲者を知る術がない以上、この世界を救うことで報いよう。
ああ、この世界に住む住人の話をするのが遅れたか。
住んでいるのは獣人だ。
とはいっても、コスプレにしか見えない程度の違いでしかないが。
獣耳をつけ、手足が多少獣っぽいだけだ。
ただし、身体能力は桁違い。
低レベルのときでさえ恐るべき身体能力を誇る。
しかし彼らは魔法を扱うのが苦手なので、遠距離魔法で完封できる。
......そもそも人間が獣人と戦うことなど普通はありえることではけど。
さて、そんな彼らだが何人来てくれるかな?
彼らもまた仲間思いで、同胞のためなら怪我も恐れぬ人間も多いだろう。
中でも私にすがれる者は、自らの命すら惜しまないだろう。
私は何処でも恐れられているから、此処に来るにはそれくらいの覚悟は必要だ。
同胞を救うために邪神に身を捧げられる獣人の顔を夢想してみる。
......あまり想像できなかった。
「む? 1人目――と思いたかったが、どうやら違うようじゃな」
「そうだな、この気配は愚者の翼だ。あいつにまともな情報収集が出来るとは思えないが」
なんせ、しゃべる言葉は単語だけだ。
まともな意思疎通すらできまい。
「ま、聞くだけ聞いてみることにしようかの。どうせ此処を離れられんのだから」
「そうだな」
そういえば、獣人を待つ時間を決めていなかった。
待ち時間は3日でいいか。
何日も時間を与えられてなした決意など、脆いものだ。
「ご苦労、愚者の翼。報告は?」
「敵、倒せない」
どうやら不安は当たったようだ。
そんなことは分かり切っている。
まあ、想定済みだ。問題ない。
「そうか。適当に休んでいろ」
こいつでは話し相手にもならない。
基本的に単語しか返さず、思想も持たない一匹狼と話してもつまらない。
いじめがいがない。
暇をもてあましていた私だが、ニヤリと口を歪める。
子供だ。
栄えある生贄第一号は子供というわけだ。
大人たちは何をしているのだろうな?
......まあ、勇者――大馬鹿者と言い換えてもいいが、彼らは返り討ちにでもあったのだろうさ。
あの子の目的は敵討ちといったところだろう。
さて、遠くから眺めているのもアレだ。
つまらん。
彼の覚悟を確かめに行こうか。
私は差別主義者ではないが、何も知らされずに犠牲にされる子供というのは好かん。
実行者が私ということであれば特に。
確固とした信念がない場合には、威嚇して追い払うことにする。
「こんにちは。君が一人目の勇士だ。名前を聞かせてもらえるかな?」
「ひ!」
怖がられた?
顔を見た限り、私に会う覚悟はできていたはずだが...
いや、私がいきなり現れたように見えたのか。
スピードを落としておくべきだったか。
化け物に会う覚悟ができていたとしても、いきなり目の前に立たれていたら恐怖もする。
私の気遣いが足りなかった。
「大丈夫かな? 私に君を殺すつもりはない。まだ何もしてないことからもわかるだろう? 私がその気だったら君の頭はすでに消えている。まずは落ち着いてもらえないかな?」
「あ...ぐ。ひ...」
軽く呻き声を上げている。
回復にはもう少し時間が必要だな。
そこで私は彼を少し観察してみることにする。
先程から、彼、彼、と言っていたがやはり男のようだ。性別が不明のときはよく彼と言うがこれは差別なのだろうか?
男装が異様に似合うということが無ければ男の子である。
まあ男の子という扱いでいいだろう。
彼の容姿に特筆すべきところはない。
荒れた灰色の髪も日焼けした肌も、砂漠で普通に見られるものだ。
観察していると、キッと睨み付けられた。
威勢が良くていい。
どうやら混乱からは抜け出せたようだ。
「さて、繰り返しになるが名前は?」
「シープ・サクリファイスだ。奴を倒せるという話は本当か? ...ですか」
最後だけ申し訳に敬語をつけてきたか。
まあ、教養の期待できない小汚いガキだ。
とやかくは言わん。
「そうだ。私はお前を含む4人を生贄にあの流動物質を倒す。奈落の果てに叩き落して、全ての意義を、存在の証明を剥奪してやる。しかし、君も”そう”成り果ててしまうのだよ。覚悟はあるかな? シープ・サクリファイス」
「奴を倒せるのなら、どんなことでもやってやる。たとえ死んだとしても、父さんの――いや、オレたち家族の仇を討てるのなら......!」
頼もしいね。
実を言えば生贄にするのは灯火のような強い意志さえ持っていれば誰でもいい。
その感情は流動物質に対するものでなくとも――私に対するものですら構わない。
数が多い分には問題ないのだから、最低である4人という数にこだわる必要すらない。
効率よくやるだけであれば、十数人程度見繕って生贄にしてやればよいのだ。それが最も簡単で手軽な方法であるのだから。
けれど、私は一人でも多くの人間に幸せになって欲しい。
そう、仇を倒して、もしくは同胞を守って死ぬ。
それは、とても幸せなことだと思う。
同時に全てを剥奪されるのは不幸なことでもある。
「そうか。なら、きみに一つだけ贈り物をあげよう」
「え?」
ポカン、とした顔をされる。
施しを与えられないような殺伐とした人物に見えるかな? 私は。
これでも常により多くの人が幸せになることを願っているのに―
――ああ、ここで全人類が、と願えない程度には現実的な人間が正義の味方であるはずがないな。
とはいえ、私でも、どんな悪人でも義理や人情は持っているさ。
「あの流動物質の名前を君に教えてあげよう。仇の名前を知らなくては、望みを果たした実感が得られないだろう? 『アポカリス=デライト』、それがアレの名前だ」
「『アポカリス=デライト』」
私も罪な人間だ。
この世界にこの言葉を持ち込むつもりなどなかったのに、情につられてしまった。
これで完全に アポカリス=デライトの存在が世界に認証された。
私がアレの名前を発した時点で、アレは完全なる存在と化した。
この子の前では伏せたが、私がしようとしていることは封印だ。
もっとも封印はついででアポカリス=デライトを誰の手にも届かない冥府へ落とすのが私の目的なのだが。
封印を怠ると、もしくは失敗するとこの世界ごと冥府へ送ってしまう。
...私だけは帰れるが。
さすがにそれはあまりにも無責任すぎる。
さて、封印を完全にするために少しお話をしようか?
言っただろう? 封印には灯火のような燃え盛る意思が必要だと。
「さて、君の動機を聞いてもいいかな? 悲惨な経験を聞かせてくれ」
「ああ、わかった」
ふてくされて言う。
生意気なクソガキだ。
異様に暗く輝いている目だけが、狂気を灯す。
「オレの親父は狩人だったんだ」
ふむ、珍しくはない。
砂漠だろうと大型の動物は居る。
ただし見つけるのは迷彩色のおかげで難しいだろうが。
農業はというと、おまけ程度でしかない。
一年中熱い常夏の気候であろうと、砂漠では食料を得るのにも一苦労だろう。
「強いって有名だったんだぜ。レベルだって抜きん出てた。強い魔物が出てきたら助っ人を頼まれるほどだったんだ」
へぇ、狩人がそこまで......
まあ、狩人だろうが見回りだろうが一定以上のレベルがあれば十分。
獣は魔物ほどに強くないが、集落に攻めてくる魔物だって、そこまで強くはない。
高いレベルを求められるのは、緊急事態の時くらいのものだ。
そのときは集落全体で協力して乗り切るから職業にレベルの関係はないということか。
「だから、あの時もカウリーさんたちと行ったんだ」
話の流れと顔から察するに、カウリーとは集落のリーダー的存在だろう。
そのカウリーとやらが率いるアポカリス=デライト討伐隊に父親が加わった、と。
後のことも簡単に想像できるな。
「でも、帰ってこなかった。”父さんはちょっとあのデカブツを倒しに行って来る。お前は母さんと妹を守ってやれ。お前は強い男の子だから大丈夫だ”って頭をなでてくれたのに! 何時までたっても親父は戻ってこなかった!」
当然だ。
たかが集落の力自慢程度ではアポカリス=デライトを傷つけることすらできまい。
そもそも当時は世界の奥深くを陣取っていたはず。
たどり着くだけでも多大な苦労を要しただろう。
深くまで進めば進むほどに魔物のレベルが上がる。
集落の寄せ集めでは110レベルの深度まで行ければ良い方だ。
......もちろん、私は彼らがどこまで行ったのかは知らない。
「それから皆の目の色も変わった。オレたちを厄介者みたいな目で見やがって......! オレは役立たずなんかじゃない......! 母さんはオレたちの食べ物を得るために働いて倒れた。ミルシアも、死んだ。助けてくれようとした人もいたけど、ダメだった。それもこれも全部アポカリス=デライトのせいだ!」
厄介者、か。
男手がごっそりと消えた状況ではそれも仕方ないだろう。
被害妄想の可能性もあるが、それは重要ではない。
結局、父と母と妹を失った復讐をしたいわけか。
後は惨めな思いをした八つ当たりも含まれているのかな?
「それからは助けてくれたリーテの言うがままに働いてた。そこにアンタの声が聞こえてきたんだ。オレでも奴を倒せるんだって。オレは奴を、アポカリス=デライトを殺してやりたい!」
何か都合の良い解釈をされたような気がする。
まあ、それも良い。
「君の想いは良く分かった。共にアポカリス=デライトを倒そう。シープ・サクリファイス」
私は彼に手を差し出し。
「ああ!」
彼は私の手をとった。




