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次に目覚めたとき、俺は一体誰なんだ  作者: 久遠ユウ
第1章 俺は誰になった

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第6話 やっと食事


「いらっしゃいませ」


 喫茶店へ入ると、見慣れた店員が声をかけてきた。


 いつもなら俺を見て、軽く挨拶してくれる相手だ。だが、今日は初めて見る客に対する普通の接客だった。


 まあ、当然だろう。


 今の俺は田中亮ではない。


「二名様ですか?」


「はい」


「お好きなお席へどうぞ」


「ありがとうございます」


 俺たちは窓際の席に座った。


 ここは俺がよく座っていた席だった。店の中は何も変わっていないのに、自分だけが別人になっている。


 何とも妙な気分だった。


「明日香、何食べる?」


 美那がメニューを開く。


「……何にしようかな」


 いつもなら、ほとんど迷わない。


 この店で何度も食べてきたものがあるし、店員だって俺の好みを知っていた。


 だが、今は「いつもの」と言ったところで通じるはずがない。


 俺はメニューを開き直し、少し考えた。


「オムライスにしようかな」


「いいね。あたしも何か食べよ」


「好きなの頼んで」


「え?」


「今日は……あたしが払うから」


 美那が顔を上げた。


「いいの?」


「うん。買い物付き合ってもらったし」


「でも、いっぱいお金使ったでしょ?」


「それくらいは大丈夫」


「ほんと?」


「うん」


 美那が嬉しそうに笑った。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」


「どうぞ」


 美那はメニューを見ながら、楽しそうに料理を選び始めた。


 俺も改めて店内を見回す。


 いつもの席に、いつもの店員。それに、厨房から漂ってくる料理の匂いまで、何も変わっていない。


 全部知っている。


 なのに、向こうは誰も俺を知らない。


「明日香?」


「ん?」


「何見てるの?」


「別に。落ち着く店だなって」


「そう?」


「うん」


「確かにいい感じだね」


 美那はにこにこしながら頷いた。


 やがて注文した料理が運ばれてきた。


 目の前に置かれたオムライスから、温かそうな湯気が上がっている。


 そういえば、朝から何も食べていなかったんだった。


「いただきます」


 俺はさっそくスプーンを手に取った。


 一口食べる。


「……うまい」


 思わず声が漏れた。


 美那が顔を上げる。


「あ」


 しまった。


 また普段の喋り方が出た。


「……美味しい」


 慌てて言い直すと、美那が吹き出した。


「もう、いいよ。今のくらい」


「……いいの?」


「うん。今日ずっと頑張ってたし」


「……そっか」


「それに、今日はみんなの知らない明日香を色々見られたし」


「……え?」


「一人でラーメン屋に行ったり、急に素直になったり。あたしの知らないことばっかりだったもん」


 美那が楽しそうに笑う。


 そう言われると、少し困る。


 こっちは本物の明日香じゃないんだから、知らないことばかりなのは当然だ。


 だが、美那はそれを面白がっているらしい。


「……変だった?」


「ううん。今日の明日香も好きだよ」


「……そう」


 美那は満足そうに頷いた。


 何だ。


 そんなに気にしなくてもよかったのか。


 いや、美那の方が俺の妙な喋り方に慣れてしまっただけかもしれない。


 俺はもう一口食べた。


 やっぱり、この店の料理はうまい。


 腹が減っていたせいもあるのだろう。気がつけば、さっきまでの疲れも少し和らいでいた。


 美那も楽しそうに食事をしている。


「ねえ、明日香」


「何?」


「今日、楽しかったね」


「……そうだね」


「また一緒に出かけようよ」


「うん。いいよ」


「ほんと?」


「うん」


 美那がぱっと顔を明るくした。


「約束だからね!」


「……分かったよ」


 そんなに念を押さなくてもいいと思うのだが。


 まあ、今日一日付き合ってもらったのは俺の方だ。あいつが楽しかったのなら、それでいいだろう。


 それから美那は、学校での出来事を色々と話してくれた。


 知らない先生。知らない同級生。知らない授業。


 どれも本物の田中明日香にとっては、当たり前の日常なのだろう。


「それで先生がさ、急に怒り出したの!」


「……へえ」


「もう、みんなびっくりしちゃって」


「そうなんだ」


「明日香もあの先生、知ってるでしょ?」


「……うん。まあ」


 知るわけがない。


 先生の名前を聞いたところで、顔も思い浮かばない。


 だが、ここで知らないと言うわけにもいかない。俺は適当に相槌を打ちながら、美那の話を聞いていた。


 こうして話を聞いていると、田中明日香という人間には、俺の知らない日常が山ほどあることを思い知らされる。


 学校にも、家にも、きっと俺の知らない人間が大勢いるのだろう。


 美那だけなら何とかごまかせているが、ほかの連中にも同じようにできるのだろうか。


「明日香?」


「ん?」


「ちゃんと聞いてる?」


「聞いてるよ」


「ほんと?」


「うん。……その先生、面白いね」


「でしょ!」


 美那がまた笑った。


 どうやら、今のところは何とかなっているらしい。


 そして食事を終える頃には、腹も十分満たされていた。


「ごちそうさま!」


「うん」


「美味しかったね」


「でしょ?」


「また来たいな」


「……そうだね」


 今度来る時も、俺は田中明日香なのだろうか。


 そんなことを少し考えたが、口には出さなかった。


 会計は約束どおり、俺が二人分払った。


「今日はありがとう、明日香」


「こっちこそ。買い物、助かったよ」


「えへへ」


 美那は照れくさそうに笑った。


◆


 喫茶店を出たところで、美那が立ち止まった。


「じゃあ、あたしこっちだから」


「あ、そうなんだ」


「うん。明日香は?」


「反対かな」


「そっか」


 美那は少し残念そうな顔をした。


「じゃあ、またね」


「うん。また」


 美那は一度離れかけたが、すぐに戻ってきた。


「明日香」


「何?」


「今日は元気になってよかった」


「……え?」


「朝、ほんとに心配だったから」


 そう言って、美那はにこっと笑った。


「今度はもっとゆっくり遊ぼうね」


「……今日も結構長かったと思うけど」


「まだまだ足りないよ!」


 美那が笑う。


 元気な奴だ。


 こっちはもう十分疲れたというのに、まだ遊び足りないらしい。


「じゃあね!」


 今度こそ手を振って歩いていく。


 俺も手を振り返した。


「……またな」


 小さく呟く。


 美那の姿が人混みに消えるまで見送ってから、俺は歩き始めた。


 そういえば、美那は朝の明日香が元気をなくしていたと言っていた。


 何があったのかは知らないが、あいつは本気で心配していたらしい。


 今日一日、色々と助けてもらった。


 正直、美那が付き合ってくれなければ、帰っても着られる服がないままだったかもしれない。下着だって何を買えばいいのか分からなかったし、靴のことまで気が回らなかった。


 少し強引なところはあるが、悪い奴ではなさそうだ。


 それに、田中明日香についても少し分かった。


 裕福な家の娘で、私立の女子校に通っている。そして、高沢美那という親友がいる。


 少なくとも、美那はそう言っていた。


 時々、距離が近すぎるような気もする。だが、俺には本物の明日香との付き合い方なんて分からない。


 今は信じておくしかないだろう。


「……さて」


 両手の買い物袋を持ち直す。


「……帰ったら、酒でも飲むか」


 少なくとも、それくらいは今まで通りできるだろう。


 ――その時は、そう思っていた。



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