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次に目覚めたとき、俺は一体誰なんだ  作者: 久遠ユウ
第1章 俺は誰になった

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第5話 初めての買い物


 美那に腕を引かれるまま商店街を歩いていると、やがて一軒の店の前で足が止まった。


「まずはここね」


「……ここ?」


 目の前にあるのは、女性用の下着を扱っている店だった。


 ガラス越しに見える店内には、色とりどりの下着が並んでいる。入口付近には女性用のマネキンまで置かれていた。


「そう。下着も買いたいんでしょ?」


「……うん」


「じゃあ入ろ」


 美那は何のためらいもなく店へ入っていく。


 俺は一瞬、その場に立ち止まった。


 いや、待て。


 こういう店に入るのか。


 今まで女性用の下着売り場なんて、まともに入ったことがない。そもそも、自分が客としてここに来る日があるなんて考えたこともなかった。


「明日香?」


 入口から美那が振り返る。


「何してるの?」


「あ、いや……」


「早くおいでよ」


「うん」


 俺は何でもない顔をして店へ入った。


 大丈夫だ。


 今の俺は田中明日香という女子高生だ。こういう店に入ったところで、誰も変には思わない。


 むしろ、入口でいつまでも立ち止まっている方がおかしい。


「いらっしゃいませ」


 女性店員が声をかけてきた。


「あ、こんにちは」


 反射的に頭を下げる。


 それから店内を見回した。


 壁にも棚にも下着が並んでいる。色も形も種類が多く、正直どこを見ればいいのか分からない。


 それに、どうにも視線が落ち着かなかった。


 別に悪いことをしているわけじゃない。それは分かっている。だが、昨日まで男の身体で生活していた俺が、今は堂々と女性用の下着を選ぼうとしている。


 何とも妙な気分だった。


 美那は平然と商品を眺めている。俺も同じようにしていればいいのだろうが、どうしても周囲の目が気になってしまう。


 もっとも、周りの客は誰も俺を気にしていなかった。


 当たり前だ。


 ここにいるのは、どう見ても普通の女子高生なのだから。


 俺はなるべく平静を装いながら、美那の後ろについて歩いた。


「どんなのがいい?」


「……どんなの?」


「色とか、形とか」


「普通のでいいかな」


「普通って?」


「普段使うようなやつ」


「それは分かるけど」


 美那が棚から一つ手に取る。


「こういうのは?」


「……いいんじゃない?」


「じゃあ、こっちは?」


「それもいいと思う」


「明日香、ちゃんと見てる?」


「見てるよ」


「どっちもいいって言ってるじゃん」


「どっちもよさそうだから」


 実際、俺には違いがよく分からなかった。


 色や飾りが違うことくらいは分かる。だが、どれが着やすくて、どれが普段使いに向いているのかなんて知るはずがない。


 今までそんなことを考える必要がなかったのだから。


「じゃあ、サイズは?」


「……サイズ?」


「うん」


 しまった。


 そういえば、下着にはサイズがある。


 服なら大きいか小さいかを見れば何となく判断できるが、こういうものはどうやって選ぶんだ?


「明日香?」


「あ、うん」


「サイズ、分かる?」


「……最近ちょっと変わったかもしれないから」


「え?」


「一回、測ってもらおうかなって」


 何とかそれらしい理由を口にした。


 すると、美那が急に嬉しそうな顔になった。


「じゃあ、あたしが測ってあげる!」


「……え?」


 思わず美那の顔を見た。


 測るって、こいつが?


 いや、待て。


 それはさすがに恥ずかしくないのか?


「サイズでしょ?」


「いや、店員さんにお願いしようと思ってるんだけど」


「何で?」


「何でって……」


「前にもあたしが見てあげたじゃん」


「……前にも?」


「うん。忘れたの?」


 美那が当然のように頷く。


 そうなのか。


 女子高生の親友同士というのは、そんなことまでするものなのだろうか。


 正直、少し抵抗があった。


 だが、女同士なら男とは感覚が違うのかもしれない。


 俺にはさっぱり分からない。


 それに、美那は以前にも手伝ったと言っている。だったら、本物の明日香にとっては普通のことだったのだろうか。


 確かめようにも、俺にはその記憶がない。


「ほら、こっち来て」


 美那が俺の手を取る。


「ちょっと待って」


「何?」


「ここ、お店だし」


「だから?」


「店員さんに聞いてみようよ」


「えー」


 美那が少し不満そうな顔をする。


 何がそんなに残念なのか分からない。


「すみません」


 ちょうど近くにいた店員へ声をかけた。


「はい、いかがなさいましたか?」


「あの、サイズがよく分からなくて。測っていただくことってできますか?」


「はい、もちろんです。お洋服の上から確認できますよ」


「お願いします」


 店員はにこやかに頷き、採寸する場所へ案内してくれた。


 よかった。


 少なくとも、これで変なことを言わずに済む。


 そう思ったのも束の間だった。


「明日香、あたしも一緒に行く」


「え?」


「いいでしょ?」


「いや、でも……」


 美那は俺の腕にぴったりくっついてくる。


「前も手伝ったんだから」


「……そうだったね」


 何だか断りにくい。


 どうやら、こういうことにも慣れなければいけないらしい。


 もっとも、今の俺には女性同士の普通の距離感なんて分からない。ここで嫌がって、明日香らしくないと思われるのも困る。


 結局、採寸そのものは店員に任せ、美那には近くで待っていてもらうことになった。


 店員は慣れた様子で手早く確認を済ませ、サイズの目安を教えてくれた。


「こちらのサイズから試していただくとよろしいかと思います」


「ありがとうございます」


 ようやく一つ問題が解決した。


 だが、サイズが分かったからといって、買い物が終わるわけではなかった。


◆


「これ、可愛くない?」


 美那が楽しそうに商品を手に取る。


「うん」


「こっちもいいなあ」


「そうだね」


「明日香はどっちが好き?」


「……こっちかな」


「えー、そっち?」


「駄目なの?」


「駄目じゃないけど、あたしはこっちの方が好き」


「じゃあ、そっちでもいいよ」


「本当?」


「うん」


「やった!」


 美那が嬉しそうに笑う。


 ……何でこいつが喜ぶんだ?


 買うのは俺なんだが。


 結局、店員にも相談しながら、普段使いしやすいものを選んだ。


 試着も勧められたので、サイズに問題がないか確認することにした。


 案内された試着室へ入ると、ようやく一人になれた。


「……ふう」


 思わず息が漏れる。


 緊張した。


 手に持った下着を見る。


 まさか自分がこれを身につけることになるとは思わなかった。


 いや、今の身体なら必要なのは分かる。


 分かるんだが……。


「……何やってんだろ、俺」


 誰もいない試着室で、小さく呟いた。


 別に何か悪いことをしているわけじゃない。


 今の身体で生活するなら、下着だって必要になる。そんなことは分かっている。


 だが、分かっているからといって、簡単に慣れるものでもない。


 つい昨日まで、俺は男の身体で生活していた。


 それが今は、女子高生の姿で女性用の下着を買っている。


 鏡を見ると、そこには当然のように田中明日香がいた。


 この姿なら、何もおかしくはない。


 そう思う一方で、頭の中ではまだ昨日までの自分が普通に暮らしている。


 昨日の今頃、まさかこんなことで悩む日が来るなんて、想像もしなかった。


「……何でこうなったんだよ」


 小さく呟いた。


「明日香ー?」


 外から美那の声がした。


「……何?」


「大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「分かんないことあったら言ってね」


「うん」


「前みたいに手伝ってあげようか?」


「大丈夫!」


 思わず大きな声が出た。


「そんなに大きな声出さなくてもいいじゃん」


「……ごめん」


 危ない。


 変に慌てていたら、美那に怪しまれる。


 だが、いくら親友だと言われても、まだそこまで平気にはなれなかった。


 女同士なら普通なのかもしれないが、少なくとも俺にとっては普通じゃない。


 俺は一度気持ちを落ち着け、それから必要なものを確認した。


 しばらくして試着室を出ると、美那が待ち構えていた。


「どうだった?」


「大丈夫そう」


「よかったね」


「うん」


「じゃあ、これも買おうよ」


 美那が別の商品を差し出してきた。


「……まだ買うの?」


「だって一つじゃ足りないでしょ」


「それはそうだけど」


「洗い替えも必要だし」


 言われてみれば、そのとおりだった。


 男だった頃だって、下着を一枚だけ持って生活していたわけではない。


「じゃあ、何セットか買おうかな」


「そうしよ!」


 美那はまた楽しそうに棚へ向かった。


 こいつ、さっきからずっと上機嫌だな。


 俺はその後を追った。


 最終的に、上下お揃いの下着を三セットと、普段使いのものを何枚か追加で購入した。


 会計を済ませ、店の外へ出る。


「……終わった」


「何、その言い方」


「いや、結構時間かかったなって」


「そう?」


「うん」


「でも、いいの買えたじゃん」


「そうだね」


 美那が満足そうに頷く。


 俺も買い物袋を見下ろした。


 とりあえず、これで一つ問題は片づいた。


 だが、まだ終わりではない。


「次は服だね」


「……やっぱり?」


「当たり前じゃん。そのジャージでずっと過ごすつもり?」


「いや」


「じゃあ行こ!」


 美那がまた俺の腕を取った。


 元気な奴だ。


 俺は買い物袋を持ち直し、その後についていった。


◆


 次に入ったのは、女性用の服を扱っている店だった。


 下着屋ほどではないが、ここも俺にとっては馴染みのない場所だ。


 色々な服が並んでいる。


 シャツにブラウス、カーディガン。スカートやズボンにも種類があり、何をどう組み合わせるのが正解なのか分からない。


「明日香、どんなの欲しい?」


「とりあえず、普段着られるやつ」


「普段着?」


「うん。何着か欲しいんだ」


「そんなに?」


「今、着られる服があんまりなくて」


 嘘ではない。


 というより、このぶかぶかのジャージ以外、まともに着られる服が一着もない。


 昨日まで使っていた服は全部男物だ。今の身体ではサイズが合わない。


「じゃあ、色々見よっか」


「うん」


 美那はさっそく服を選び始めた。


「これとかどう?」


 差し出されたのは、淡い色のブラウスだった。


「……いいと思う」


「着てみて」


「今?」


「うん」


 試着室へ向かう。


 さっきの下着屋とは違い、普通の服ならそれほど抵抗はなかった。


 少なくとも、普段から服を着替えること自体には慣れている。


 俺はブラウスを着て、試着室のカーテンを開けた。


「どう?」


 美那が俺を見る。


 そして、ぱっと顔を明るくした。


「可愛い!」


「……そう?」


「うん! やっぱり似合う!」


 鏡を見る。


 そこには、見慣れない服を着た田中明日香がいた。


 確かに、服そのものは似合っているように思う。


 だが、鏡の中の少女が自分だという感覚には、まだ慣れなかった。


「こっちのスカートも合わせてみて!」


「スカート?」


「うん」


「……ズボンじゃ駄目?」


「駄目じゃないけど、こっちも可愛いと思う」


 美那がスカートを差し出してくる。


 俺はしばらくそれを見た。


 今まで、自分がスカートを履くなんて考えたこともなかった。


 だが、今は女子高生の身体だ。


 制服だってスカートのはずだし、これから必要になることもあるかもしれない。


「……じゃあ、一回着てみる」


「うん!」


 美那が嬉しそうに笑う。


 試着室へ戻り、言われたとおりに着替えた。


 カーテンを開ける。


「どう?」


「いい!」


 即答された。


「本当?」


「うん。すごく似合ってる」


 鏡を見る。


 確かにおかしくはない。


 むしろ、見た目だけなら普通の女子高生だった。


 問題は中身の方だ。


「……変じゃない?」


「全然」


「そっか」


「明日香、何でそんな心配してるの?」


「いや、普段あんまり履かないから」


「そんなことないでしょ」


「……そうだった?」


「明日香、スカートだって普通に履くじゃん」


 そう言われてしまうと、返す言葉がない。


 本物の明日香なら、そうなのだろう。


「じゃあ、これも買おうかな」


「うん!」


 美那が満足そうに頷いた。


 そのあとも、服選びは続いた。


 ブラウスを何枚か、カットソー、カーディガン。それからスカートと、動きやすそうなワイドパンツ。


 美那が選んだものだけでなく、俺自身も着やすそうな服を探した。


「これ、よくない?」


 俺が手に取ったのは、ゆったりしたズボンだった。


「ワイドパンツ?」


「そういう名前なの?」


「うん」


「動きやすそうだし、これも欲しい」


「いいと思うよ」


「じゃあ、これ」


「明日香、そういうの好きだったっけ?」


「……最近好きになったの」


「ふうん」


 美那は少し不思議そうにしたが、それ以上は聞いてこなかった。


 どうやら、全部を美那に任せる必要はないらしい。


 少しずつ、自分でも選べるようになってきた。


 それから部屋で着る服も買い足した。


 これだけあれば、しばらくは何とかなるだろう。


 そう思っていたところで、美那が俺の足元を見た。


「ねえ、靴は?」


「靴?」


「それ、大きくない?」


 言われて足元を見る。


 昨日まで履いていたスニーカーだった。


 確かに今の足には大きい。朝から歩きにくいとは思っていたが、服のことばかり考えていて忘れていた。


「……そういえば」


「やっぱり大きいんだ」


「ちょっとね」


「じゃあ靴も買おうよ」


「……まだ買うの?」


「だって、それじゃ歩きにくいでしょ」


 正論だった。


 結局、靴屋にも寄ることになった。


◆


「……結構買ったな」


 買い物が終わった頃には、両手にいくつもの袋を持っていた。


 下着に服に靴。


 必要なものを一通り揃えたら、思っていた以上の荷物になってしまった。


「でも、これでしばらく困らないでしょ?」


「そうだね」


 美那は満足そうだった。


 俺も財布の中身を確認する。


 それなりに金を持ってきたつもりだったが、予想以上に減っていた。


「……結構使ったなあ」


「え?」


「何でもない」


「でも、いっぱい買えてよかったじゃん」


「うん。助かったよ」


 これは本心だった。


 美那がいなければ、何をどこで買えばいいのか分からなかっただろう。


 特に下着屋なんて、一人で入っていたらどうなっていたか分からない。


「ありがと、みーちゃん」


「……え?」


 美那がこちらを見る。


「何?」


「今、何て?」


「ありがとって」


「そのあと」


「みーちゃん」


 美那が嬉しそうに笑った。


「もう一回」


「……何で?」


「いいから」


「みーちゃん」


「うん!」


 満足そうに頷く。


 こいつ、そんなにその呼び方が好きなのか。


「じゃあ、そろそろ帰ろっか」


「そうだね」


 美那が頷く。


 その時だった。


 ぐう、と腹が鳴った。


「……」


 美那が俺を見る。


「明日香?」


「……何?」


「今の、お腹?」


「そうだけど」


「あ、そういえば明日香、まだご飯食べてなかったんだよね!」


「……そうなんだよ」


「ごめん! 買い物に夢中になっちゃった!」


「別にいいよ」


 腹はずっと減っていた。


 だが、買い物が始まってしまったので、食事をする機会がなかっただけだ。


「もうお腹ぺこぺこじゃん!」


「そうなんだよ」


「何か食べてく?」


「うん。そうしたい」


「じゃあ、どこ行こっか」


 少し考える。


 さっきから美那には世話になりっぱなしだ。


 せっかくだから、何かお礼をしたい。


「喫茶店行かない?」


「さっき言ってたところ?」


「うん」


「いいね!」


「じゃあ、そこにしよう」


 俺たちは買い物袋を持って、いつもの喫茶店へ向かった。



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