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エミリオは密かにヒューと名乗る青年の動向を探っていた。
グレイスのこともあるが、それとは別の懸念もあるからだ。
「あの、本当にエバンス隊長に報告しなくていいんですか?」
「うん? 大丈夫大丈夫。エバンスは俺のこと大好きだから問題なし」
部下の問いにエミリオはそう自信満々に答えた。煙に巻こうとしたわけではなく、あくまでエミリオは事実を言ったまで。なぜそんな胡散臭そうな顔をされているのかわからないまま、部下はさっさと仕事に戻って行った。
エバンスに知らせるのは問題が起きてからでいい。貴族が関わる問題に、極力エバンスを巻き込みたくはなかった。
聖騎士の子として当たり前のように聖騎士になったエミリオと違い、エバンスは元々由緒ある家柄の貴族令息だった。
この国の多くの貴族がそうであるように、どれだけ優秀であっても、たとえ嫡男であったとしても、魔力を持った子は爵位を継げない。魔力が多ければ多いほど忌避される。それはいつどこで、魔物に命を奪われるかわからない危うい存在だからだ。
魔力を持つ子がひとりでもいると、共に暮らす家族も魔物に狙われやすくなる。なにより血筋を大切にする貴族にとって、魔力を持つ子は家に不幸を招く忌むべき存在でしかなかった。
魔力とは、魔物が有するものと似て非なる魔の力だ。しかし魔力を持たない人間にその違いなどわかるはずもなく、聖騎士を魔のつく悪しき集団だと糾弾する一派がいるのも事実で。
国民の多くが聖騎士によって街が守られていることを感謝する一方、堅固な結界によって守られた王都に住む者ほど、聖騎士に対する感謝の念が希薄になるのは仕方のないことだった。
エミリオとて、王都と領地を行き来する貴族を魔物から救ったことは何度もある。しかし彼らはそれを当然のこととして感謝もしない。
貴族にとって聖騎士など、単なる替えのきく使い捨ての駒でしかないのだ。
だからこそ貴族の間では魔力を持つ者は特別忌み嫌われ、大抵は幼くして騎士団に預けられる。国のためにという大義名分のもとに。
要は体のいい厄介払いだ。
エバンスもそのひとりだった。実家に縁を切られて捨てられた彼を、聖騎士だったエミリオの父が自分の息子と同じ歳ということもあって、目をかけて訓練をつけた。
だからエミリオにとってエバンスは幼馴染であり、友人であり、ときに兄弟のような、非常に近しい存在だった。だからこうして上司と部下の関係になっても軽口が利けるし、どこまで許されるかの線引きがわかっているからこそ、ぎりぎりで無茶を言ってあまえていられる。
エバンス本人は、すでに家のことも捨てられたことも過去のこととして割り切っており、自分が男でよかっただとか、騎士団に預けられて感謝しているなどと言って笑うが、エミリオが気にするのだ。
エバンスがもし女だったら、捨てられる場所は騎士団ではなく孤児院だったかもしれないし、どこかの路地裏だったかもしれない。家の名を傷つけないために生まれてすぐ殺されて、産婆を買収して死産と偽装されたかもしれない。それに比べたら確かにまだマシとは思うが、やはりエミリオは気に入らない。
エミリオは貴族が嫌いだし、きっとエバンスも心の奥ではそう思っているだろう。
だからこそヒューの目的を知っておきたいのだ。
決して……そう、決して、やつの後ろ暗い思惑を探り、グレイスにバラして幻滅させようという魂胆ではないのだ。
グレイスは相手が貴族だからと靡く女性ではないとわかってはいるが、その逆は大いにあり得る。最愛の人を貴族の愛人になどさせてたまるかと、エミリオは意気込んで調査報告書を読む。
完全なる偏見だが、貴族がお忍びで訪れるなど、なにか裏があるに決まっている。調べておいて損はない。きっとエバンスも認めてくれる。……たぶん、おそらく。
「それにしても……タウンゼン伯爵家かぁ。エバンスのとこの侯爵家と同じ派閥の」
血に魔とつく力が宿ることをことさら厭い、血筋からも一切の魔力を排他し、国を守るために命をかけて戦う聖騎士を下賤な者として見下す、平たく言えば頭ガッチガチの嫌なやつらだ。
エミリオの直感は間違っていなかった。
そして同時に深く安堵もした。
柔軟な思考を持つ貴族ならばまだしも、魔力に嫌悪感を持つ貴族が、魔力のあるグレイスを求めはしないだろう。
しかしこの地区に訪れた目的の見当がつかない。人を探していると言った割に、見張らせていた部下の報告を聞いた限りでは探している様子がないのだ。
もう見つかったのか、それとも人探し自体嘘だったのか。
「いっそ締め上げるか。だけどそうするとなぁ……」
バレたときに尋常じゃなく怒られそうなのでうんうん唸っていると、突然、頭に衝撃が落ちてきた。
「痛っ……!!」
頭を押さえて涙目で振り返ると、半眼でこちらを見下ろすエバンスが立っていた。その手がしっかりと握られているのを目にして、拳骨を落とされたのだと遅れて理解した。
「うわぁ……隕石でも降って来たのかと思った」
眼裏に星が散るほど頭を殴られたのいつ以来だろう。思い返してみた。害獣として駆除した猪を調子に乗って丸焼きにして部屋中煙まみれにしたとき以来なので、二週間ぶりくらいだろうか。意外と最近で驚いた。
「部下を使って、なにをこそこそ調べているんだ」
「え? なんの話? グレイスの一日の行動記録をつけてるだけだけど?」
とりあえずとぼけてみたら、エバンスが神妙な顔でやや身を引いた。
「誤魔化すなと言いたいところだが……おまえならやりかねないところに妙な信憑性があって、正直判断に困るな」
「いや、そこははっきりと否定してほしかった。いくらなんでもそんな私的なことに部下を使ったりはしないって」
「だったらそんな絶妙にわかりにくい嘘をつくなよ」
「グレイスの行動なんて調べなくても、だいたいいつも同じだから。すでに偶然を装って何度も会いに行ってるし。それにさ、部下とは言えグレイスに男が張りつくなんて……想像しただけで殺意が湧く」
部下たちも多分に漏れずエバンス同様グレイスと親しい。遠ざけたいと思いはしても、近づけたいなど思いもしない。
「おまえな……。そう簡単に殺意を抱くな。誰も横恋慕なんかしようとは思っていないんだから。……それで? 自分の変質さで俺を引かせてうまく話を逸そうとしているが、なにを調べてるんだ?」
やはり簡単に騙されてはくれないかと思いながらも、おくびに出さずに首を振る。
「大したことじゃないよ。それに、俺がおまえに迷惑をかけることをするとでも?」
むしろエバンスの耳に入る前にことを進めたい。真面目な顔をしてそう答えると、エバンスはなぜか愕然とした表情でエミリオを見た。
「……いつものは迷惑に入らないのか……?」
「いつものって?」
きょとんとするとエバンスの顔が苦々しく歪む。
「……いや、いい。もういい。きちんと討伐さえしてくれたら、もうそれだけでいい気がしてきた」
こめかみを押さえて突然疲労感を漂わせたエバンスに、エミリオは小首を傾げながらも、とりあえず形だけうなずいておいた。
エバンスはきっと疲れているのだろう。手のかかる部下たちを束ねているのだから。
もちろんその代表格が自分などと考えもしないエミリオは、友人を労うために、疲労回復効果のある薬草茶を贈ろうと決めた。
シャーリーが呆れたように、ふすん、と鼻を鳴らしてから、エミリオの腰に軽く頭突きした。
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目の前で脅威が去ったことで、フレディの気持ちの整理もついたのか、ここに来たときよりだいぶ元気になった。
グレイスが仕事中でも外に出たがるので大変だ。すっかり騎士のかっこよさに夢中なので、将来のことを考えると騎士の見習いたちの訓練に混ぜてもらうことも検討した方がいいのかもしれない。
あまり危険なことをしてほしくないのでグレイスとしては協会で働いてほしい気持ちもあるが、こればかりは本人が決めることだ。否定的なことを言わないように気をつけなければ。
フレディは今も念のために協会内にある客間に泊まっているが、グレイスが暮らしているのは協会近くのアパートだ。
歩いてすぐかつ明るい大通りにあるのでこれまで一度も不安を感じたことがなかったが、最近ふとした拍子に視線を感じることがあった。
振り返ってみても、誰かがこちらを見ている様子はなく、道の先は相変わらず大衆食堂や居酒屋に出入りする客で賑わっている。
(……まさか、エミリオ様が?)
そう思いもしたが、すぐに却下する。エミリオがグレイスを見つけたのなら、遠くから眺めているだけで済ませるわけがない。どこであっても、それこそ仕事中でも、笑顔で声をかけてくるのだ。ここぞとばかりに家まで送ると言い出すだろう。
エミリオの行動は読みやすい。あれほどわかりやすい性格で大丈夫か少し心配になるくらいに。
エミリオのことはさて置き、これまでの人生、誰かに言い寄られたことも、ましてやつきまとわれたりしたこともないグレイスだ。
別段美人ではなく人の興味を引くような話術もないので当然だと思っているが、マリエラに言わせてみれば、グレイスにはつけ入る隙がないらしい。平たく言えば、お堅く見えるということだ。
なので、視線を感じると言っても、つき纏いの類ではないはず。
となると考えられるのはひとつ。
グレイスは確かめるように赤い腕輪にそっと触れた。大丈夫、間違いなくここにあると、ひとまず安心する。
少しでも外れると魔力が漏れてしまうので、はじめの頃は何度も触れて確かめながら生活していた。そうしなければ不安で、誰のことを信用すればよいのかさえわからなかったから。
気のせいならいい。
そう思いながら、少し早足で角を曲がる。そして壁に身を潜め、そして急ぎ足で追いかけて来た人物の前へと自ら躍り出た。
「うわっ」
驚きの声を上げたその相手は、グレイスと鉢合わせるとそのままのけぞった。見知らぬ誰かならばこの流れで大声で助けを呼んだのだが、そこにいたのは意外なことに、ヒューについていたあの護衛の青年で。名前は確か、グレン、だったか。
叫ぶために大きく開けていた口が、困惑でゆっくりと閉じていく。
周囲に視線を巡らせたが、どこにもヒューの姿はなく、どうやら彼ひとりのようだ。
知人ではあるが、顔を知っているだけの相手。グレイスは警戒しながらも平静を装って尋ねた。
「なにかご用でしょうか?」
「いや……その」
彼はバツの悪そうな顔をしながら口籠もる。この調子だと、グレイスに用があり、話しかけるタイミングをうかがっていたというわけでもなさそうだ。
だったらなぜ人の後をつけて来るのか。怪しすぎる。
グレイスが警戒心あらわに鞄を胸に抱え盾にし、じりじりと後退すると、彼は少し慌てた様子で否定した。
「待て! やましい気持ちも危害を加えるつもりもない!」
そう言われてその言葉を信用できるかと問われたら、微妙だ。顔見知り程度で相手のことを信頼できるような楽観的な性格ではない。
「……でしたらなぜ、わたしの後を?」
「……それは」
しばらく逡巡していた彼は、観念したように一度きつく瞑目してから、観念したように小さく吐き出した。
「……ヒュー様に接触するなと命じられたから、こうするよりほかなかった」
「……それは……どういう……?」
ヒューがグレイスと話すなと彼に命じる意味もわからないし、近づくなと命令されたからといって人の後をつけるという行動に出た彼もどうかと思う。
彼はヒューの命令がよぎったのか、ためらってから、それでも目の前のグレイスの不信感を払うことを優先したのか諦めたように告げた。
「確かめたいことが、あった」
その表情に嘘はなさそうに見える。
「確かめたいこと……。ちなみにそれはどんなことですか? わたしで答えられることなら答えますが……」
もしかして魔力持ちだとバレたのだろうかと、反射的に腕輪を触る。彼の視線が一瞬グレイスの腕輪に逸れて緊張が走ったが、彼はそのままゆるゆると力なく首を振った。
「いや……いい。気にしないでくれ」
気にしないでくれと言われても気になるが、魔力が狙われているのでなければ問題ない。
魔力にしろ貞操にしろ、狙われていたのならこんな会話をする間もなく、すでに彼の手中にあっただろう。
グレイスは改めてグレンという青年の姿を眺め見た。ヒューの後ろに立っているときは厳しい顔つきをしていたが、やはり職務中とそれ以外では雰囲気が変わるらしい。凛とした立ち姿はそのままだが、いかにも貴族な空気を隠しきれていないヒューと比べたら、彼の方がまだ親しみを持てる。どことなく融通の利かなそうな堅物っぽいその雰囲気には共感すら覚えた。
しかし、貴族の護衛もまた、貴族なのだろうか。だとするとグレイスの対応は不敬なのではなかっただろうかと、少し不安が押し寄せて来た。
用も済んだことだし、では、とそそくさと立ち去ろうとすると、彼がすぐ後ろをついてきて思わず真顔で振り向いた。
「なぜ後を?」
「人通りが多いとは言え、若い女性のひとり歩きは感心しない。家まで警護する」
(警護って……)
グレイスはヒューのようなお忍びの貴族ではない。ゆえに、警護される謂れはない。
善意の申し出なのは生真面目そうなその顔でわかるのだが、こんなところを誰かに見られたら、明日には街中の噂になっているに違いない。
「いえ、大丈夫です。いつも通っている道なので、お構いなく」
「いつも大丈夫だから今日も大丈夫、というのは慢心を招く。……剣を振るったことは?」
固辞しても拒否してもうまく伝わらず、すっかり仕事中の顔つきになったグレンと一緒に歩き出すことになってしまった。解せない。
エミリオならばグレイスの気持ちを推測って引いてくれるのだが、相手が貴族かもしれないと思うとグレイスも強く出られない。
下心が皆無なのは会話の中身で充分察せる。普通の人は、女性に剣を振ったことがあるかなんて口説き方はしない。
「いえ、触ったこともないですが」
「……ああ、そう……だよな。普通、そうか……」
落胆したようにつぶやかれたが、そんなに落ち込ませる返答だっただろうか。大多数の女性は生涯剣を握ることはないのではないだろうか。
しかしふと思いもする。もしグレイスがもっと早く、フレディくらいの歳に保護されていたのなら、聖騎士を目指す未来もあったのかもしれない。まったく想像はつかないが。
ちらりと彼の腰に履いた剣へと目を落とす。グレイスがよく見る聖騎士たちのものとは違い、細くて刀身も短めだ。鞘に控えめな装飾もある。相手にするのが魔物ではなく、対人用だからだろうか。剣の良し悪しなどわからないが、大事に、そしてよく使い込まれていることだけは見て取れた。
盗み見していた視線を感じたのか、彼はおもむろに自分の腰に手をかける。
「身を守る武器のひとつくらい、持っておいた方がいい」
ベルトのホルダーに収納されていた警棒を引き抜くと、そのままそれをグレイスへと押しつけてきた。
「え?」
「これなら女性でも扱いやすい」
ぽかんとしたが、ひんやりとした金属の重みに我に返り、慌てて押し返す。こんなものもらっても扱いに困る。
「結構です! こんな高価なものをもらえません!」
警棒の相場など知らないが、武器というだけで高いのではないだろうか。
「別に値段は高くない。高いのは殺傷力だけだ」
なにも安心できない。そっちの方がよほど怖い。
「使い方は簡単だ。たとえばこのように――」
彼は警棒を掴むと、勢いよく背後へと振りかぶった。
カン! と金属がぶつかったような甲高い音がして、グレイスは思わず目を見開く。
いつからそこにいたのか、殺意を纏ったエミリオが振り下ろしたその剣を、グレンの警棒がしっかりと防いでいた。
グレンの警棒は特注品
エミリオの剣も特注品
どちらも殺傷力&お値段高め




