10
剣と警棒が交差する。
一触即発な緊迫した空気――。
力が拮抗しているのか、ふたりは睨み合ったまま動かない。
そんな中、どうにか我に返ったグレイスは叫んだ。
「エミリオ様!? なにをしているんですか、やめてください!」
しかしグレイスの声が耳に入らないのか、エミリオは憎悪すら携えた鋭い眼光で、目の前のグレンを見据えたまま唸る。
「グレイスから離れろ」
「断る。突然背後から切りかかってくるようなイカれた男の言うことを聞くとでも?」
「はぁ!? イカれてるのはそっちだろう! 俺のグレイスに無理やり迫りやがって!」
どうもエミリオの中で厄介な誤解が生じているらしいことは理解した。おそらく原因は例の警棒の押しつけ合いだろう。会話が聞こえていなければ、確かに揉めているように見えたのもわからなくはない。
だからといって問答無用で切りかかるのはどうなのかと思うが。
「……あなたの所有物ではないだろう」
グレンが訝しげに眉根を寄せると、警棒でエミリオの剣戟を防いだ体勢のまま、グレイスへと問いかけてきた。
「この男は本当に恋人か?」
その目から、こんな頭のおかしな男が? 本気か? 趣味が悪すぎないか? という心の声が聞こえた気がした。
恋人ではない。だが、正直にそれを言うとまたややこしいことになりかねないことくらいは想像できる。迷ってから、曖昧にごまかしながらも切にお願いした。
「彼はわたしの恩人です。どうか、傷つけないでください」
「……そうか」
納得できないという顔をしていても、グレンはグレイスの話を聞く耳と冷静さを持っており、防御に徹してくれている。なのでエミリオが剣を引かない限りこのままだと気づいたグレイスは、実力行使に出た。
「エミリオ様! 剣を下ろしてください!」
とりあえず引き離そうと、エミリオの脇腹に抱きついた。
「わっ、グレイス!? 危ないよ?」
驚きもそこそこに、エミリオはそのままグレイスを抱き込んでグレンから一定の距離を取った。剣先はひたりとグレンへ向けたまま。
「エミリオ様! 誤解ですから、それはしまってください!」
「そのお願いは聞けない。グレイスに迫る男はみんな切り伏せる」
物騒なその言葉のどこまで本気なのか。しかしこれ以上問題を大きくすると、エバンスでも庇えなくなる。一度深呼吸してから、グレイスは一喝した。
「あなたが切り伏せるべきのは、魔物でしょう! 聖騎士をクビになったら、二度と会いません!」
聖騎士でなくなれば頻繁に献魔協会に来る理由もなくなる。今は特に理由もなく来館するのを大目に見ている部分があるが、聖騎士でなければこれまでのような融通は利かないだろう。
「それは困る!」
エミリオは相変わらずグレンを排除すべき敵として見据えながらも、かなり不本意そうにだが、剣を鞘へと戻してくれた。それでも警戒心を解くことなく、グレイスを抱く力は一層強まる。
「グレイス。大丈夫? 変なことされてない?」
「大丈夫だから、あの、ちょっと離れてください」
「グレイスから抱きついてくれたのに……」
渋々力は緩めてくれたが、腰は抱かれたままだ。
「それで? なぜ俺のグレイスにちょっかいを? 主人の命令ですか?」
「命令ではないが、あなたには関係のないことだ」
グレイスもだんまりを決め込む。彼につけられていたことを話してしまえば、エミリオがまた剣を抜くかもしれないので。沈黙は金だ。
「関係ない? ありまくりだろう! どうせ身分を盾に嫌がるグレイスに関係を迫ったんだろう! 最低なやつめ!」
エミリオの妄想が加速している。侮辱されたグレンは顔を紅潮させて怒気をあらわにした。
「なんて低俗な想像を! 鼻の下を伸ばして見え見えの下心を晒しているのはそちらの方だろう!」
エミリオは反射的に自分の鼻の下に触れたが、伸びていないことを確認するとグレンをキッと睨みつけた。
「伸びていないじゃないか! だいたい下心があってなにが悪い? 好意を隠して好きな人を口説けるとでも? それにグレイスの周りをこそこそ嗅ぎ回っているのはそっちだろう! ストーカーめ!」
「なっ、人聞きの悪いことを!!」
「ストップ! ストッープ!!」
グレイスはいがみ合うふたりの間に割って入った。
(ソリが合わないのはわかった、よーくわかった)
このままヒートアップしたらまた元の木阿弥だ。武力行使になりかねない。
「だけどグレイス」
「だけど、じゃありません。エミリオ様、まず、わたしは無理やり関係を迫られたわけではありませんから、変な誤解はしないでください」
「彼女の言う通りだ。だから変な勘ぐりはやめろ。俺はただ……若い女性のひとり歩きに丸腰では不用心だから、これを渡そうとしただけだ」
グレンが警棒を突き出すと、エミリオはしばらくそれを凝視してから、は? と言った。
グレイスは静かに瞑目する。気持ちはわからなくもない。だが、残念ながらそれが偽りのない真実なのだ。
「……は? そんな物騒で色気のないプレゼントを?」
グレンがひどく嫌そうに顔を歪めた。いくら無骨な人でも、さすがに想う女性に武器を贈ったりしないだろう。プレゼントではなく純粋な善意であり、本当にグレイスのことをそういう目で見ていない証拠だった。
「……悪いが、女性へのプレゼントで武器を贈るほど情緒は死んでいない」
さすがにエミリオも色々と察したのか、なんとも言えない沈黙が続く。
とりあえず、彼が武器を贈るような朴念仁でなくてよかった。色々な意味で。
「……エミリオ様の誤解だと、理解していただけましたか?」
「いや、でも……だったらなんでグレイスを探って?」
色恋が原因でなければ魔力目的なのではとエミリオがグレイスを守るように抱き込む。グレンは一瞬だけ言葉に詰まった。
「それは……言うつもりはない。だが、危害を加えるつもりはないことだけは誓って確かだ」
「例の人探しとやらに関係しているのでは?」
グレンはなにも答えなかったが、その沈黙は雄弁な肯定だった。そしてなにを思ったのか、エミリオに警棒を強引に押しつけると、そのまま踵を返してその場から立ち去ってしまった。
「……いや、これ、どうしろと?」
困惑するエミリオに答えが返ってくることはなく、仕方なくグレイスはそれを一旦預かることに決めた。
「今度お会いしたらわたしから返しておきます」
「今度? 会うつもり? まさか、ふたりきりで? それはだめだ、俺も一緒に行く」
「個人的にお会いするのではなく、偶然会ったら、の話です」
「偶然でも、会ってほしくない。口説き目的じゃないとしても、グレイスの周囲を探っていることを否定しなかった。なにかを隠しているあの様子を見ただろう?」
エミリオはちらりとグレイスの手首へと視線をやる。魔力目当てでは、という無言の問いかけに、グレイスはゆっくりと首を振った。
エミリオはまだぴりぴりとしているが、グレイスとしては、ヒューもグレンも悪い人ではないないように思えるのだ。彼らにはなんの得もないのにフレディのことを助けてくれ、さっきも誤解はあれど少々暴走したエミリオからグレイスのことを守ろうとしてくれた。
魔力目当てだとしても、グレイスは今魔封じをしている。仮にこの腕輪が魔封じとバレていたとしたら、確信を得るために無理にでも外させようとするはずだ。
「わたしの周りを探っても、なにも出てこないと思うのですが」
「協会の機密情報とかは?」
「それこそ、わたしのような下っ端に開示される情報なんて、たかが知れています」
グレイスが知っていて機密と言えるのは協会に訪れる人の個人情報くらいだ。しかしそれならば職員なら誰でも知っているので、グレイスである必要はない。
「それでもだ。やつらの目的が不明瞭な以上、警戒は怠らない方がいい。なにより、グレイスの周りに自分以外の男がうろついているのが気に入らないし……俺だってグレイスと待ち合わせて一緒に帰ったり、食事したりしたい」
不貞腐れた顔で不満をもらすエミリオを見上げ、グレイスは迷ってから冷静に切り返した。
「それは……物理的に無理なのでは?」
エミリオは騎士団の寮暮らしのはずで、その寮は騎士団の敷地内にある。家と職場の往復が敷地内で終わってしまうのだ。グレイスが相手でなくとも、それは叶わぬ夢ではないだろうか。
申し訳ないと思いながらもそう告げると、エミリオがぽかんとした顔をしているので、グレイスは意を図りかねて首を傾げた。
「あ、いや……その。てっきり、真っ先に拒絶の言葉が出て来ると思っていたから」
ためらいがちにそう言われて、気づく。少し前の自分なら魔力目当てだと決めつけて彼のことを冷たく突き放していたかもしれない。
彼への態度が軟化したのは、彼と接することで、その言葉が嘘ではないと信じられるくらいには親しくなってきたからだ。
それでも一歩踏み切れないのは、エミリオが悪いのではなく、グレイスの問題で。
魔力がなければ彼の目に映らなかった。そのことがずっとグレイスの中で引っかかり続けている。
そこでふと、先ほどのグレンの言葉を思い出した。
(見え見えの下心……)
魔力目的でない下心。そんなもの、本当に存在するのだろうか。なにせ告白しても記憶にすら残らなかったのに。
エミリオは見目よく気さくなので、これまで数多の美人に告白されてきたが、一切靡くことなくすっぱりと断っていた。ストイックなのか、淡白な人なのかと思っていたが。
となるとグレイスの思う下心とエミリオの思う下心には、乖離があるかもしれない。
「エミリオ様の言う下心とは、どのようなものですか?」
「えっ? それを真面目な顔で訊く?」
そう切り返されて少し恥ずかしくなった。しかし一度口にしてしまった以上なかったことにはできない。
「ちなみに、グレイスの思う下心って?」
「え。わ、たし……ですか? たとえば……手を繋ぎたいとか、キ、キスしたいとか、ですかね……?」
目を泳がせながらもちゃんと答えたのに、エミリオから向けられたのは幼子を見守るような生温い眼差しだった。なぜ。
「うん、そうだと思った」
「そう、とは?」
「あれ以上ガツガツ行かなくて正解だった、ってこと。……それで、なんだっけ? 俺の下心? 聞きたい?」
「え、と……参考までに」
「口頭で説明するのは大変だから、実践でもいい? とりあえず、グレイスの部屋の鍵を貸して」
なぜ鍵が必要なのかと思ったが、早くと催促されたので深く考える余裕なく手渡した。自分が寄越せと言ったくせに不機嫌そうに鍵を一度宙に投げてキャッチしてから、グレイスの腰を引き寄せ、一気に横抱きにした。
「ちょっ!」
急に宙に浮いた体に驚きとっさに足をばたつかせる。
「暴れると落とすよ」
落とされても死にはしないがお尻が痛いことになるのは確実だ。エミリオはおとなしくなったグレイスをさらにそこから俵担ぎする。
グレイスの悲鳴も無視してさっさとアパートの階段を登って部屋の鍵を開けて中に入った。
「ちょっと、困ります!」
「俺の下心って、こういうことだから」
エミリオは小さな寝台にグレイスを転がすと、その上に跨った。
顔の横に手をついて、近い位置から自分を見下ろす碧い瞳に顔が紅潮する。それが自分でも怒りなのか羞恥のかわからなかった。
だけど知りたいと言ったのはグレイスなのだ。彼はただ、わかりやすく態度で示しただけ。こんな機会、二度と訪れないかもしれない。グレイスは羞恥を堪え、思い切って訊いてみた。
「わたしで、その……興奮しますか? 卑下しているわけではないですが、背も低いし、全体的に発育不足で……」
「悪いけど、めちゃくちゃ興奮してる。心臓、触ってみる?」
ほら、と促されて触れた彼の逞しい胸板の奥で、グレイスと同じくらいか、それ以上の速さで鼓動が脈打っている。彼がこの状況にどきどきしているのは間違いなかった。
ますます顔が赤くなる。恥ずかしくて、もう目が見れなかった。
「グレイスは容姿を気にしてるみたいだけど、俺は好きになった人が好みのタイプの男だから。グレイスが俺のために綺麗にしていてくれるのなら嬉しいし、たとえ寝癖をつけたりして抜けているところを見せてくれてもかわいいと思う。グレイスがグレイスであるのなら、どんな姿でも愛おしい。ほら、恋は盲目って言うだろう?」
「恋……? でも、魔力がなければわたしのことなんか」
「だーかーら! 前から言っているように、俺はきみの魔力を求めているわけじゃない。きっかけは確かに魔力だったのは……認める。だけどそれは……きみは否定すると思うけど、魔力は間違いなくきみの一部なんだ」
魔力が、自分の一部。そんなことをこれまで考えたこともなかったグレイスは戸惑った。
「魔力は血液に宿っているだろう?」
「……はい」
「医療の先進国では、そのひと滴に、あらゆる情報が含まれていると提言されているらしい。血液型はもちろんのこと、血縁関係から性別とか健康状態までいろいろと」
エミリオはグレイスよりも博識だった。押し倒された状態でなければもっと純粋に内容に興味を持てたのだが、本人もそのことに気づいたのだろう、ごまかすように咳払いをした。
「つまり、魔力からきみという人物の個人情報が少なからず得られる、ということ」
「それは、本当ですか? わたしは人の魔力の有無や容量はわかりますが、そのほかは全然わかりません」
訓練しないと無理だとエミリオは言い切った。
おそらくだが、相性のいい魔石を選び取れる隊長クラスの聖騎士でなければわからないのではないか。
魔力の相性がいいとはつまり、その人たちの相性いいのだと、エミリオはそう言いたいのかもしれない。
しかしグレイスにそれを確かめる術はない。
だが彼が嘘を言っているとは思わなかった。
「きみの心と体がほしいんだ。俺は男だから、体だけなら力ずくで手に入れられるし、逃げられないように囲うこともできる。だけどそんなことをしたらきっと、一生きみの心が手に入ることはない。そうだろう?」
いくら相手がエミリオでも、無理矢理貞操を奪われた後も好きでいられるとは思えなかったので、こくりとうなずく。
「だから我慢してる。今、ものすごく我慢してる」
そう言ってエミリオはグレイスの上から退いて寝台の下で膝をそろえて座った。かしこまった姿勢で頭を下げる。
「いきなり部屋に乱入して、ごめん。頰、殴る?」
やり方に問題はあったが、本気でグレイスを襲おうと思ったわけではないのはわかっている。
「殴りませんよ。その謝罪、受け入れます。元々わたしが変なことを聞いたから悪いので」
「でも相手が俺じゃなかったら、きみは今頃大変なことになってたよ」
「さすがに急かされたからと言って、信用できない人相手に部屋の鍵を渡したりはしません」
グレイスが苦笑しながらそう言うと、エミリオはばっと顔を上げた。
「それって……」
「一緒に帰るのは無理ですが、食事くらいなら……いいですよ」
わだかまりは確かにまだあるし、魔力の相性が個々の相性に繋がるものなのかは知りようがない。
だけど……少しだけ。
ほんの少しだけ、歩み寄ってみてもいいかなと思うくらいには、彼は誠実だった。
↓ちょっと冷静になってからのふたりの心の声
(シンプルな内装で綺麗に整頓されてて……グレイスの部屋っぽい!)
(普段は気にならなかったけど……もしかして、わたしの部屋って、狭い……?)
好きな人の部屋に入ってテンションが上がっているエミリオ
背の高い人を部屋に上げてはじめて知る自分の部屋の狭さに慄くグレイス




