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「はじめて命令に背いた気分はどうだ?」
とぼとぼとした哀愁の漂うその背中へとヒューが声をかけると、グレンは驚いたように勢いよく振り返った。
「ヒュー様!? 護衛もなく、なぜ外に!」
「その護衛が職務放棄で私情を優先させているから、ひとりで外出するよりほかなかった」
「そんな、職務放棄など……」
「ふっ、冗談だ。休憩中になにをしていようとグレンの自由だ。あの子に接触したのでなければ、だが」
グレンは唇を結んで、それでも命令違反をしたことは事実だと素直に認めて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「なにか得るものはあったか?」
「……ええ」
「……そうか」
ほぼ確定だと思っていたが、話してみて、それが確信に変わったか。
グレンがそう感じたのなら、それが答えだ。ヒューは疑うことなく粛々と事実を受け止めた。
――グレイス。
彼女が、ヒューたちが探していた“あの子”なのだと。
「あちらは気づいたか? おまえが…………実の兄だということに」
グレンは悲しげな表情で首を振る。名乗りたい、だが、名乗れない。それはふたりが負うべき罰であり、あの子に対する贖罪でもあった。
グレンの妹であるグレイスは、魔力を持っていたことが理由で孤児院へと預けられたが、ある日を境に行方知れずとなり、今に至っている。
魔力を持つ幼子の生存に希望はなく、ヒューもグレンも、ずっと胸に後悔を抱えて生きてきた。
ヒューの実家は魔力排他主義の家であり、家族はもちろんのこと、仕える者たちにも魔力を持つ者がいることを認めなかった。
魔力を持たない者たちの中で、グレイスの魔力に気づく者はいなかったのに。ヒューとグレンが無知でなければ、もしくは魔力についての知識さえあれば、軽率な行動を取ることなく、あの子はもう少し大きくなるまで親元で育つことができただろうし、孤児院から突然消息を断つこともなかったかもしれない。
ヒューは片耳のピアスに触れる。
あの子の魔力を暴いたこの魔道具が、彼女を見つけ出す一助となった。なんとも皮肉な話だ。
「協会に探りを入れたが、幸いにもあの子は今、真面目に真っ当に生きているようだ。今さら出て行ったところで煩わせるだけに違いない。あの子が受け取るべき権利を置いたら、帰ろう」
過去など知らないまま、憂なく生きてくれたら、それだけでヒューの心の荷は少しだけ降りる。
グレンの両親はすでに亡くなっているが、グレイスの相続すべき遺産は手つかずであり、これまでグレンが管理してきた。生きているかもわからない妹のために、ずっとだ。
金はいくらあっても困るものではない。人がひとり生きていくのに困らないだけの金額をヒューも用意している。そんな形でしか償いができないのはもどかしいが、このまま他人のまま、別れるのが互いのためだ。
だかやはり、グレンは納得できないようでヒューに切々と訴える。
「そんなっ、待ってください! 私はまだ、このままでは心残りがあって帰れません!」
「なぜだ。おまえも見ただろう。安全な協会で働き、現状生活も困窮しておらず、友人も多いと聞く。困っているようなら手を貸す予定だったが、私たちにできることなど、もうなにもないではないか」
「あるんです! ヒュー様も、あの子に……グレイスにつき纏う男を、ご覧になったではありませんか。あの頭のおかしい男を排除しない限り、帰ることはできません!」
ヒューはこめかみを抑えた。頑ななグレンの様子に、彼自身が納得しない限り意地でも引かないことを悟った。
「グレン……。どうせおまえは、誰が相手でも気に入らないだろう」
気持ちはわからなくもないが、グレイスはすでに成人しているのだ。たとえ家族と言えど、色恋沙汰に口出しするような年齢ではない。
「いいえ、そんなことは。相手が……あなたならば、私だって喜んで祝福しました。だって、本来なら、あなたがグレイスの――」
「グレン」
言葉がすぎるとヒューが見据えると、グレンは申し訳ありませんとうなだれた。こうして見ると、まるで大型犬だ。真面目な護衛なのだが、実直すぎてこうしてたまに周りが見えなくなるところがある。
グレイスはヒューの婚約者だったわけではない。ただグレイスが幼い頃、ヒューに懐いていただけのことだ。おそらくもうひとりの兄だと思っていたのだろうが、グレンは未だ引きずっている。
ヒューはあったかもしれない未来に想いを馳せることはない。過去は取り戻せないから過去なのだ。
「ですが、グレイスはあの男のことを、恋人ではなく恩人と呼んでいました。恩を笠に着てあの子を弄んでいるのなら、許せません」
「証拠はあるのか? 勝手な憶測でものを言うべきではない」
確かにあの聖騎士は、グレイスに執着しているようにも見えたが、悪い男には見えなかった。頭がおかしいかどうかはもう少し話してみなければ判断がつかないが、グレンがここまで言うのだからそれなりのやり取りがあったのだろうとは思っている。
「お願いします、もう少しだけ……せめて、あの男がグレイスに相応しい人間かを見極める時間をください」
グレンの訴えかけるその眼差しに、ヒューはため息をついた。昔から頑固だったが、さすがに今回ばかりはヒューがなにを言っても引く気はなさそうだ。
さてどうしたものか、と考えていたとき、ふと、見覚えのある顔が通り過ぎた。
ヒューはさりげなくグレンの方へと身を寄せ、潜めた声で命令する。
「三時の方向に見覚えのある男がいる。私服だが、おそらく騎士だ。相手に気取られないよう確認しろ」
はっとしたグレンは、食事処を探すかのような自然な仕草であたりを見渡してから、目だけでうなずいた。
人ごみに紛れてその場から離れると、グレンは辺りを警戒しながら告げた。
「あれは確か……第五王子の近衛だったと思います」
「なに? なぜ近衛がこんなところに」
近衛が警護すべき王族のそばを離れていることも普通ではないが、王都を出ているなどもはや異常事態だ。彼らが勝手に行動することなどないので、仕える主人の命令でしかあり得ない。
休暇で訪れたという可能性もあるが、この北ティアドロ地区はそれなりに栄えている街ではあるが、観光都市ではない。長期の休みが取れたのなら、普通は避暑地の多くある南の方へと行くだろう。
「第五王子……。継承権は低いが、過激派思考の要注意人物だったか」
その性質のせいで、他国の王族に婿入りという名目の国外追放をされる予定だった。
主人を見限って故郷に里帰り、もしくは再就職先を探しに来た、というのならわからなくはないが……なんとなく、きな臭さを感じる。
関わり合いにはなりたくないが、どうにも胸騒ぎがする。
「グレン」
「はい」
「おまえの望み通り、もうしばらく滞在期間を延ばそうと思う」
「本当ですか!?」
考え過ぎならいいが、と思いながら、ヒューは今一度、近衛騎士を振り返った。
幸いこちらに気づいた様子はなかった。
**
今どき門限があるとはどういう了見なのか。エミリオはきっちりと閉ざされた門をひらりと飛び越えると、敷地内を巡回中だったシャーリーと鉢合わせて、危うく一触即発の空気となりかけた。
侵入者がエミリオだと気づいたシャーリーは渋々爪と牙を収めたが、不審者を見る目はそのままだ。いい加減シャーリーはエミリオに厳し過ぎる。これが世間で言うところのツンデレというやつなのだろうか。
(かわいいやつめ)
エミリオは頰を緩め、朝から晩まで文句ひとつ言わず働くシャーリーの肩をポンと叩いて労った。
「おまえも少しくらいサボることを覚えたらどうだ? 給料も出ないのに、よくやるよ」
エミリオの気安い態度が気に障ったのか、シャーリーがぐわっと牙を剥き出しにした。それを猫の威嚇程度に考えているお気楽なエミリオは、その眉間にくっきりと刻まれた皺の筋を指でなぞるという、普通の感性を持つ人ならば決してしない触り方をしながら平然と笑っている。
シャーリーは自らを理性的な猫だと思っているらしいので、むやみに人に噛みき、自分の評価を下げるような愚かな行動はしないことをわかった上でエミリオは絡んでいる。確信犯だった。
「聞いて驚くなよ、シャーリー。とうとうグレイスが食事の誘いに応じてくれたんだ。行ったのは寂れた雰囲気の大衆食堂だったけど、これは間違いなくデートだろう? もう、つき合ってるも同然だよな?」
知るかとばかりそっぽを向く塩対応なシャーリーの逞しい肩に、エミリオは構わず腕を回した。酔っているわけでもないのに、ノリが酔っぱらいのそれだ。シャーリーの毛はさっきから逆立ちっぱなしだが、そんなことを気にするエミリオではない。
もちろんエミリオとて、見ず知らずの虎と遭遇したら一目散に逃げることを選択する。しかしシャーリーに関しては仔猫(仔虎)時代を知っているせいで、エミリオに限らず騎士たちも今さら虎扱いできない部分もあり、なんだかんだで仲間意識の高い組織なので、虎だったからと対応を変える者もいない。
結果として虎に絡むという、はたから見たら異常行動だが、騎士団内においてはよく見られる光景が生まれたわけだ。
「どさくさに紛れてだけど、部屋にも上がったんだぞ? 同棲目前だろう、これは」
「ぐるるる……」
「だよな? 早く結婚して、いちゃいちゃしたい」
シャーリーの唸りを同意と受け取るポジティブなエミリオの妄想は、すでに薔薇色の世界に突入していた。
色々察して諦めの境地で鼻を鳴らしたシャーリーが、ふと、その脚を止めて背後を振り返る。
つられるようにエミリオも後ろへと体を向けた。門の向こうは大通りから続く小道があるだけの、まったく手入れされていない鬱蒼とした雑木林が広がっている。
ぴくぴくと耳を動かすシャーリーはなにかを警戒しているようだが、特に魔物の気配は感じられない。
「また猪でも出たのか?」
「……なぅ」
「違うって? え、じゃあ……幽霊とか?」
シャーリーにじろりと一瞥されて、エミリオは肩をすくめた。
「確かに幽霊を見たことはないけど、見えないだけで、その辺にいるかもしれないだろう」
まったく夢のない虎だ。とはいえ、実体のない幽霊をシャーリーが気に止めるはずもないことも理解している。
「……まぁ、とりあえず魔物じゃないなら、取るに足らない獣とかじゃないか?」
シャーリーに敵う獣などそうそういないだろう。
エミリオがそう言うと、シャーリーも納得したらしい。背後を気にしつつも、また悠然と歩き出した。
「丸焼きはエバンスに不評だったからな……。今度猪が狩れたら、猪鍋にしよう。野菜も食べないとエバンスがうるさいし」
「なぅ」
「だよな? たまに母親かと思うときがある」
シャーリーにとっては親同然だろうが。
エバンスはシャーリーに栄養バランスを考えた食餌やキャットフードを用意しているが、猫ではないという事実から目を背け続けているので、バランスよく栄養を補給できているかは不明だ。
だが賢いシャーリーのことだ、足りない栄養素は自分で補給しているだろう。
しつこく被毛を触るエミリオを頭突きして寮へと押し込んだシャーリーは再び巡回へと戻って行き、その後ろ姿を見送ってから、今度は親友の部屋へと突撃した。
「エバンス!」
帰宅してからも仕事をする仕事人間のエバンスの執務机の上にあった書類を端へとずらして、エミリオは身を乗り出した。
「聞いてくれ。さっき、グレイスとはじめて食事してきた」
「そうか」
淡々と書類を元の位置へと引き戻したエバンスのそっけない対応に、普段ならば冷たいだのなんだのと不満をもらすが、今日は機嫌がいいので特に気にすることなく話しはじめた。
「新居は早めに探しておいた方がいいよな? 家族が増えるかもしれないから広めの部屋がいいだろうし……あ、シャーリーが遊びに来る可能性もあるから、ペット可の家がいいかな?」
「ちょっと待て。お願いだから、落ち着け。もはやどこから突っ込めばいいのかわからない」
エバンスが疲れた顔で眉間の皺を揉んだ。さすが飼い主。さっきのシャーリーとまったく同じ顔をしているのがおかしかった。
エミリオはいそいそと椅子を引きずって来ると、エバンスの正面に向き合うように配置して座った。
「俺は落ち着いてるけど? 酒も飲んでないし」
「精神的に落ち着いているやつは、たった一回食事しただけの相手との新居を探そうと思い立ったりはしない」
「でも、いい物件は早めに押さえておかないと困るって聞いたことが……」
「社宅の申請をすればいい。お願いだから、新居から離れてくれ。これ以上俺の頭痛の種を増やしてくれるな」
なるほど、社宅。その制度をすっかり失念していた。
新居問題が一気にクリアとなり、エミリオは知らず知らずのうちに焦っていたらしい心に落ち着きを取り戻した。
そしてエバンスの言葉にわずかな引っかかりを感じて、小首を傾げた。
「これ以上って……すでになにか頭が痛くなることでも?」
「……詳しい情報はまだ降りて来ていないが、どうやら他地区の聖騎士が、何人か行方不明になっているらしい」
エミリオはすっと表情を切り替えた。
「……魔物に?」
「普通はそう判断するだろうが、討伐時のことではなく、どうやらいなくなったのは新人や見習いらしい」
「ああ、逃げた可能性もあるってことか」
聖騎士は死と隣り合わせの危険な仕事だ。脱走してそのまま帰って来ない者もたまに出る。無理に引き戻そうとはしないので、できれば辞意を表明してから去ってほしいが、前触れもなく唐突に逃げ出したくなる気持ちもわからなくはないのだ。
エミリオですら、新人の頃は魔物を相手にする度に死を恐れて何度も逃げ出したくなったものだ。
今ではそんな臆病風に吹かれることはほとんどないが。
この北ティアドロ地区の周辺に死を覚悟するような魔物はそうそう出ないが、魔物の生態がまだよくわかっていない以上、討伐で気を緩めることはない。
「まぁ、魔物に襲われたにせよ、逃げ出したにせよ……とりあえず生きていてくれたらいいな」
生きてさえいれば、なんとかなる。聖騎士でなくとも、別の道に進んでもいいのだ。自分の人生なのだから。
「……そうだな。幸い、うちから消えた聖騎士はいないが、もう少し団員のメンタルケアをすべきかと考えていたところだったんだよ」
「そんなの仕事中に考えればいいのに」
シャーリーといい、エバンスといい、働き過ぎだ。このままだと団員たちより先に体を壊しかねない。
エバンスは額を押さえてため息をついた。よほど疲れているのだろう。やはりここはエミリオが力になるべき場面かもしれない。
「つまり癒しが必要、ということだろう? シャーリーにもふもふさせてもらったら万事解決じゃないか」
毛艶のいい虎なので背中を撫でるだけでも上質な毛感触であり、胸毛のあたりなどふかふかで特に触り心地がいい。たまに唸って牙を剥き出しにするが、それさえ見なければちょうどいいセラピーアニマルだ。
「シャーリーは人にベタベタされるのはあまり好きじゃない。特にエミリオ、おまえに触られた後の毛繕いの時間は、やたら長いことを知ってるか?」
「綺麗好きだからじゃないのか?」
シャーリーがストレスになったら元も子もないので、セラピーアニマル計画はすぐに引き下げた。
「たまにおまえの性格が羨ましく思えるときがあるよ」
「俺はグレイスと仲のいいおまえが羨ましい」
「別にグレイスとだけ親しいわけではないが……ああ、そういえば。例の児童虐待で捕まった叔父夫婦だが、妙なことを口走っていたらしい」
「妙なこと?」
「こんなことになるなら、さっさとお貴族様に売っておけばよかった……とかなんとか」
エミリオは顔をしかめた。フレディの後見人は、捕まってもまったく反省していないらしい。
シャーリーの餌にすべきではないだろうか。
提案したところで、人の味を覚えたら困ると真面目に却下されるので口にはしないが。
「というか……貴族って、他国の? あの夫婦にそんな伝手があるのか?」
「妙だろう? この国の貴族が、金を払って魔力持ちの子供をほしがるとは思えない。だが国内ならまだしも、他国に伝手があるとも思えない」
確かに妙だ。
なにか水面下で起きているような不穏な気配がする。
せっかくグレイスといい雰囲気になりかけたのにと、エミリオは八つ当たり気味に例の叔父夫婦を締め上げることを密かに決意した。
エミリオの理想のマイホームは庭つき一戸建て
グレイスの肩を抱き寄せながら、庭でシャーリーと遊ぶ子供たちを見守る妄想が捗りすぎて、だんだん現実と区別できなくなりつつある




