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 グレイスの朝は早い。


 出勤してすぐに館内の空気の入れ替えをし、フレディの元へと顔を出してから、本日の業務の確認、それから職員全員で持ち場を清掃を終えた頃、始業の鐘の音が響く。


 聖騎士たちが顔を見せはじめるのは開館から一時間ほど経ってからなので、職員は朝のうちに事務作業を済ませておくことが多い。


 グレイスが備品の整理をしていると同僚たちから受付に客が来ていると呼ばれ、エミリオかと思いながら向かった先にいたのは、意外にもヒューとグレンのふたりだった。


 せっかく警棒を返す機会なのに、ロッカーの中の、さらには鞄の奥底だ。そんな表情が顔に出ていたのか、ちらりと見やったグレンからは、返されても絶対に受け取らないという頑ななオーラが出ていた。


「今日はどうされましたか?」


 グレイスが事務的に尋ねると、ヒューはこともなげに言った。


「寄付をしたい」


 その瞬間、聞こえる範囲にいた職員たちの目の色が変わった。


 基本的に国からの給付金と寄付金ですべてが賄われている献魔協会。寄付目的で訪れた客を逃す手はない。


 グレイス、後は頼んだぞ! という視線があちこちから突き刺さる。これはひとつ対応を間違えたら、間違いなく叱責では済まないやつだ。グレイスはみなの期待を一身に受け、寄付金のために立ち向かった。


「ありがとうございます。ではこちら書類にご記入を」


「いや、できれば施設内を見学したい。それを踏まえて何口寄付をするか考えようと思っている」


 寄付とひと言に言ってもいろいろあり、協会の片隅に置いてある募金箱に気持ちで入れていく者もいれば、税金対策などで一定の金額寄付する場合もある。


 ひと口金貨一枚からになっているのだが、それを何口もということは、だ。


(高額寄付者! しかも個人の!)


 食らいついてでも逃すな。職員たちはみな、支部局長にそう口酸っぱく指導されていた。


「施設内の見学ですね。一般公開が許可されている範囲にはなりますが、ご案内させていただきます」


「案内はきみに頼みたい」


 グレイスは大役を任されて、改めて気を引き締めた。視線を巡らせば、ヒューたちの背後にいた同僚たちが全員、がんばれと拳を握っているのが見えた。


 なぜか聖騎士たちまでもが、固唾を飲んでグレイスたちのやり取りを見守っている。


「まずはこちらの資料館からご案内させていただます」


 グレイスは奮起し、エントランス横にある『〜献魔協会の歴史〜』と題された、普段誰も足を踏み入れないような、ほとんど忘れられた小さな資料館へと彼らを誘った。

 




 資料館からはじまり、実際に献魔を行う部屋へと案内した後、厳重保存されている魔石の実物を見せ、疑問や質問に答えながら先へと進んでいく。


「医療スタッフもいるのか」


「採血やその後の体調経過など、医療的な知識が必要となってくるので、医療の資格を持つ職員は必須です」


 資格を持つ医療関係者を雇うこともあるが、協会から支援を受けて職員が資格を取ることがほとんどで、グレイスのような事務系の資格を取得する者も多い。


「資格取得の支援も協会から?」


「はい。これは支部局長の方針です」


 もし万が一協会になにかあったとき、有り体に言えば潰れたとき、資格があるのとないのとではよそで雇ってもらえる可能性の差が段違いだから、と。


 ヒューもグレンも、なるほど、と感心したようにうなずいている。


「この先は食堂です。一応職員向けなのですが、たまに聖騎士様方や、協会に訪れた一般の方々も利用されます」


 グレイスは小さな食堂へとふたりを案内し、コーヒーを出した。


 背後から頑として動かないグレンを、ヒューが空気を読めと自分の隣へと座らせ、グレイスはふたりと向き合う形で席に着く。


 食堂は中庭に面しており、窓辺の席は柔らかな日差しが注いでいて暖かだ。


「ほかに質問などございますか?」


「そうだな……きみはなぜここの職員に? 待遇か?」


 思いがけずに自分のことを訊かれたグレイスは、なんと言えばいいのか少し悩みながら腕輪を弄っていると、


「その腕輪、魔道具では?」


 グレイスは触れていた腕輪から慌てて手を離し、驚きを隠せず唇を戦慄かせた。


「なぜそれを……」


 ヒューは青いピアスが見えるように髪を耳へとかける。


「これも魔道具だ。言いたくないのなら言わなくても構わないが、魔道具は本来貴重な物とされている。これも我が家の当主が受け継ぐ家宝のようなものだ。同じものはないと聞く」


「魔道具は……魔物の核によって作られますから。魔物は基本的には核を破壊することでしか倒すことができません。だから魔物の核自体、とても貴重な物です」


 核を破壊せず倒すことなど不可能に近い。だが、不可能ではない。


 そうして取り出された魔物の核は、その魔物の性質を受け継ぐ力を有している。


 グレイスの魔封じの腕輪は、自分の魔力を他者に感じさせない能力を持った魔物の核から作られたということだ。


 ヒューのものとは違い、魔封じの腕輪は、この世にひとつきりの貴重な魔道具というわけではないが、貴重な物であることに変わりはない。


 すでにヒューたちには、この腕輪が魔封じだと知られているのだろう。協会職員が持つ魔道具という時点で、その結論にたどり着くことは難しくない。


 献魔協会は、魔力持ちの人間の救いの場だ。


 隠しても仕方ないし、調べればすぐに出てくることだ。魔力があることはあまり公言しない方がいいことはわかっている。それでも、なぜだろう、彼らには知ってもらいたいという気持ちが勝った。


「わたしは魔力持ちです。幼い頃に誘拐され、ほんの数年前まで、心ない人たちに魔力を奪われ続けて、死にかけていたところを聖騎士様に助けられました」


 ヒューと、そしてグレンの顔色が変わった。


 グレイスは村人たちに対して、今はもうなにも思っていない。すべて終わったことだと思うことで前に進んでいる。


 憐憫を向けられて態度を変えられてしまうのが嫌で、普段よりも早口で話を続けた。


「性別もありますが、年齢的にも体格的にも、わたしは聖騎士には向いていませんでした。だから、助けられてからの日々を支えてくれた協会で働こうと思いました。ここはわたしの家みたいなもので大切な場所なのです」


 グレイスは家というものがよくわからない。


 だけどきっと、この協会みたいな温かい場所が家なのだと思っている。


 ここはグレイス自身が選んだ自分の居場所だ。


 だからこそ、家を維持するための寄付金がほしい。だが、さすがに自分の過去を切り売りしてまで寄付金を集めたいわけでもない。


 しかし目の前の青年ふたりは感受性が強いたちだったのか、今なら望めばいくらでも出してくれそうな鎮痛な面持ちで俯いていた。


 グレンの方など、片手で目元を覆ってしまっている。その肩が小刻みに震えていることに気づいてグレイスは驚愕した。


(え、まさか……泣いてる?)


 大変だったね、と同情されることはよくあったが、男性に泣かれたのははじめてだ。


 これはグレイスの言い方が悪かったのかもしれない。


 確かに村で搾取され続けていたが、衣食住は保証されていたし、暴力を振るわれていたわけでもない。それに死ぬ前に聖騎士たちに助けられたのだ。


 そしてエミリオに恋をした。


 むしろここ数年は初恋の悩みの方が大きく、今さらそんな反応をされると申し訳なさが募る。


「昔の話ですし、魔力持ちの人間ならよくあることですから」


「こんなことがよくあることだと?」


 間髪をいれず返されて、気圧されながらグレイスは曖昧にうなずいた。


「魔物に襲われていたら即死だったので、わたしはまだましな境遇だったとは思っていますが……」


 グレイスは魔力が多い。もし普段から搾取されていなければ、結界の脆い村でなど、本来生きていけなかった。それこそ魔物に襲われたら終わりだった。グレイスなど一秒と持たなかったことだろう。


 視界の端でグレンがテーブルに突っ伏した。恐ろしく涙もろい人だ。女性のひとり歩きが危険だと警棒を押しつけて来るような生真面目で心配性の彼には、耐えられない話だったらしい。


 もう少しオブラートに包んで話せばよかった。


 だがこれでもかなり割愛して話したのだが。


 グレンががばっと身を起こす。しかしなにかを言おうと口を開くも、言葉が出てこないのか顔を歪めて、最終的にはしおしおとうなだれた。


 その様子をため息混じりに見つめていたヒューがグレイスに問いかけた。


「今は、幸せか?」


 グレイスは微笑み、はい、と。


 そのひと言に今の気持ちを余すことなく乗せて伝えると、ヒューがふっと笑んだ。


「それならば、いい」


 今が幸せならそれでいい。


 グレイス自身もそう思っている。


「寄付は毎年持ってくる形でもいいか?」


「「えっ?」」


 グレイスとグレンの声が重なった。


「毎年……そうだな、この時期に。そしてそのとき、また同じ質問をさせてもらう」


 今は幸せか、と。


 職員が幸せを感じられないような場所に寄付はしない、ということなのだろう。きっと。


 だけど何度だって言えるだろう。


 グレイスは今が一番幸せだ、と。




 ヒューから寄付された金貨は驚くような枚数で、グレイスと職員一同、感謝とともに彼らを見送った。


 まだしばらく滞在するらしいので、彼らは顔を合わせる度に拝まれることになりそうだ。






 毎年一定額の寄付金の約束を取り付つけたグレイスは、職員としての評価が上がった。ほんの少しだけ給金が増えるらしい。嬉しい。


 そんなグレイスが普段よりも上機嫌なことに当然エミリオも気づいており、はじめこそにこにこしながら和やかに食事をしていたのだが、理由を告げたらその笑みがぴきりと凍りついた。


「へぇ……? 寄付金、ねぇ……?」


「こんなに大口の寄付を受けたのははじめてで、ちょっとどきどきしました」


「どきどき……ね」


 場所は庶民向けの食事処。周りがガヤガヤとうるさいのだが、エミリオのつぶやきは異様に重く、不思議とよく聞こえた。


「金額に対してのどきどきで、人物に対してのどきどきではありませんよ」


「大金を積まれたら驚く気持ちもわからなくはないけど、それがやつの作戦かと思うと、イラっとする」


 やはりどうあってもそりが合わないらしい。相変わらずエミリオはヒューたちを目の敵にしている。


「グレイスはもう少し警戒した方がいいと思う。金をちらつかせるやつは一番タチが悪い」


「わたしはお金でつられるような人間ではありません」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


 言っていることはそういうことだ。


 黙々と食事を進めるグレイスを見て、エミリオはひとり言を漏らしながら狼狽している。


「明日は討伐で街を離れないといけないのに、このままグレイスを置いて行きたくない気持ちも……いや、でも、連れて行くのはもっと無理だし……」


「えっ、明日ですか?」


 急な話に驚いて顔を上げると、エミリオは思いがけずグレイスの興味を引けたことにほっとしたような笑みを見せた。食べ終わったら解散なので、少しでも時間を引き延ばしたいという気持ちが透けて見えるが、それよりも内容が気になった。


「そう、明日。ちょっと狙っていた魔物の目撃情報が上がってきたから、頼み込んでうちの隊で行かせてもらうことになってね」


(ちょっと狙っていた魔物……?)


 意味を図りかねて首を捻るグレイスに、エミリオはにこりとする。


「めずらしい個体だから、どうしても参加したくて」


 経験を積みたいということなのだろう。その心がけは本当に尊敬に値する。


「どうか、お気をつけて」


 平静を保ってそう告げたつもりのグレイスだったが、不安を隠しきれずに声が揺れる。


 もちろんエミリオの実力は折り紙つきだ。無事に帰って来てくれると信じてはいる。でもだからといって不安がなくなるわけでもない。無力なグレイスには祈ることしかできないのだ。


「帰って来たら、また食事に誘ってもいい?」


「それは構いませんが、せめてわたしの魔石を……」


「大丈夫。予備は十分持って行くから。グレイスはそんなことは気にせず、帰って来たらなにを奢らせようか、とか考えながら待っていればいいよ」


 さすがに命を賭けるような仕事をして帰って来た人相手に、ご飯を奢らせようとは思わない。


「そこはわたしが奢るか、割り勘で」


「それ、グレイスっぽいな。すぐに戻るから、あのふたりにはくれぐれも気をつけて、絶対に隙を見せないように」


「そんな人たちじゃないですよ。全部エミリオ様の誤解です」


「いいや、現に寄付金でグレイスを懐柔しようとしてるだろう。卑怯なやつらだ」


 エミリオは悔しげに水を飲み干す。視野狭窄になっているので、その件に関しては今はなにを言っても無駄かもしれない。


「もし、お嫌でなければ……」


 グレイスは躊躇いながらも、勢いのまま言った。


「なにか作って、待っています」


「え、それって……」


「あまり得意ではないので、期待はしないでほしいですが……」


「いや、なんでも嬉しいよ!? 焦げてても、生煮えでも、グレイスの手料理ならなんでも!」


 さすがにそこまで料理下手ではないのだが。


 じとりとにらむも、失言にすら気づかず、幸せそうに口元を緩ませているエミリオを見たらもうなにも言えなくなってしまった。


 こういうところがずるいし、憎めない。


 諦めたはずの初恋が、形を変えて確かにこの胸に宿りつつある。


 それを嫌だとは思わない。むしろ溢れ出してしまいそうで、抑え込むのに苦心するほどだ。


 だけど今さら、どの口が言えるだろうか。


 勇気を振り絞って告白したあの日より、想いを伝えるのがこんなにも難しい。


 あれは確かに初恋だった。


 だけどグレイスが見ていたのは、憧れに美化されていたエミリオで。


 本当の彼は、ちょっとはた迷惑で、親しみ深くて、一緒にいると不思議と心地いい。


 初恋に浮かれていたあの頃の、完璧な王子様のようなエミリオよりも、今のありのままの彼の方が好ましいと思ってしまうのだ。


 食事を終えて、自宅まで送ってもらい、別れ際。


「お土産、期待しててね」


 討伐に行ってなにをお土産にする気なのかは不明だったが、やる気になっているエミリオに水を差すこともない。


「無事のお帰りをお待ちしております」


「うん。ちょっと硬いけど、それでも嬉しい」


「茶化さないでください。本当に、怪我はしないようにしてくださいね?」


「……なんか、こういうやり取り、いいな。新婚みたいじゃない?」


「新婚って……恋人同士でもないのに」


「それでも。怪我せず帰って来て、って思ってくれる人がいるのって、幸せなことだろう?」


 その気持ちは家族のいなかったグレイスでもよくわかった。帰って来たときに「おかえり」と言ってくれる人がいるだけで幸せだと、周りを見ていつも思っていた。自分にはないものだから、余計に。


「グレイスを補給していい?」


 魔力の補給かと、腕輪を外そうとしたその手を取られて引き寄せられた。


「……っ、エ、エミリオ様!?」


 ぎゅっと抱きしめられて慌てるグレイスの頭に、エミリオの頰が擦り寄せられた。


「今補給中だから。魔力よりあったかくて、柔らかくて、いい匂いで、ずっといい」


 魔力目当てではないとこうして伝えてくれているのはわかっているのだが、できれば匂いは嗅がないでほしかった。


「……魔力目当てだとは、もう思っていませんよ」


「というか、ただぎゅっとしたかっただけ」


「そ、そう、ですか」


「あわよくば、血の味のしないキスをしたいかなー、なんて?」


 耳元に囁かれ、羞恥心を誤魔化すようにエミリオの胸を軽く叩いて押しやった。


「調子に乗り過ぎです!」


 ぺしぺし胸を叩くグレイスに、エミリオは楽しそうに笑っている。


「あはは、ごめんごめん! お土産、期待してて!」


 とん、と軽いステップで離れたエミリオは、笑顔で手を振り、そのまま走り去って行った。


 遅れてグレイスの頰に熱が集る。


 あんなことを言うから、想像してしまったではないか。


 エミリオの背はもうずっと遠くにある。


 グレイスはその場にしゃがみ込んだ。


 見られなくてよかった。


 きっとグレイスが思う以上に、真っ赤だろうから。



(((こ、高額寄付、ありがとうございま〜す!!)))


キビキビと仕事をしながらも、ちらっと見た金貨の多さにすでに脳内がお祭り騒ぎになっていた職員たち

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