13
エミリオは予定通り、朝早くに出立したらしい。
見送ることはできなかったが、自分も自分の仕事をがんばろうとグレイスは気持ちを新たに職務に邁進することにした。
一度大口の寄付金を取りつけたくらいで浮かれていてはだめだ。
事務仕事に取りかかり、どれくらい経った頃か、事務室にマゼランがひょいと顔を覗かせた。
「おう、グレイス。フレディはお遣いにでも行かせたのか?」
グレイスは意味を図りかねて目を瞬く。
「フレディは勉強中のはずですが……」
同僚たちが持って来てくれた子供向けの教材を使って、部屋で勉強しているはずなのだが。
「え? いや、でも、さっき裏口から出て行った気が……」
マゼランが言い終わる前にお互いはっとして、顔を見合わせる。
「さっきって、いつですか!?」
「ついさっきだ! 子供の足だから急げばすぐ追いつく!」
マゼランに後のことを任せてグレイスは慌てて駆け出した。フレディの行きそうなところにはいくつか心当たりがあるが、ひとりで行ける場所となると、あそこだろう。
グレイスの予想は合っていたのか、道の途中ですぐにフレディの小さな背中を見つけて、安堵の息を吐き出して駆け寄った。
「フレディ!」
名前を呼ぶと、びくっと肩を揺らしたフレディがその場で足を止めておずおずと振り向いた。言いつけを破った自覚はあるのか、叱られることを予想してしょんぼりと肩を落としている。
「黙って出かけたらだめでしょう!」
「シャーリーと遊びたくて……ごめんなさい」
「シャーリーって、騎士団にいたあの白い虎?」
フレディはグレイスを見上げると、不思議そうに小首を傾げながら訂正した。
「猫だよ?」
あれはどう見ても虎なのだが、騎士たちが頑なに猫だと言い張るのでフレディに間違った知識が刷り込まれてしまっている。
「シャーリーに、今度おやつを持って行くって、約束したんだ」
フレディはポケットに隠し持っていた猫缶を見せた。果たして虎に猫缶で合っているのか不明だが、どちらにせよ勝手に食べ物を与えるわけにはいかない。
「そういうのは、騎士のみなさんに確認を取ってからじゃないと。勝手にあげて、お腹を壊したらどうするの?」
「でも、猫缶だよ?」
そもそもが猫ではなく虎なのだ。
おそらく生肉を仕入れて与えているか、もしくはシャーリー自身で狩りをして獲物を獲っているのではないだろうか。
「とにかく、今は戻るわよ。午前中は勉強時間と決めてあったでしょう?」
渋々といった様子でグレイスに手を繋がれて歩くフレディは、名残惜しそうに騎士団へと続く道の先を見つめていた。
「それに今は、エバンス様の部隊は討伐に出ているから、シャーリーも一緒に行っているかもしれないでしょう?」
「シャーリーも魔物を倒す?」
虎と魔物、どちらが強いのかはグレイスにはわからないが、聖騎士たちと一緒に立ち回る虎の方が有利な気もする。
「そうかもね」
「僕もシャーリーと一緒に魔物と戦って、お姉ちゃんのことも守ってあげるね」
「ありがとう。でもそのためには、勉強もがんばらないとね」
「はーい」
聞き分けよく返事をしたフレディに微笑むと、ふと、背後に気配を感じてグレイスは振り返る。そこにはひとりの男性が立っていた。
「すみません、道をお尋ねしたいのですが」
この地区は観光地ではないので、商いに訪れた商人だろうかと対応しかけたとき、目の前の男性の佇まいに妙な違和感を覚えた。人好きする笑みを見せているが、グレイスの知る商人とは、うまく形容できないが、決定的になにかが違う。
(これは、むしろ……)
そう、グレンだ。グレンの佇まいに似ている。そう思ってみれば、彼の立ち姿や雰囲気は、主人を守る騎士のものである。
グレンと接していなければ気づくことすらなかったかもしれない。グレイスの知る騎士とは、魔物と戦う聖騎士と街の治安維持のための騎士であり、主人を守るための騎士というものを知らなかったのだ。
グレンのように近くに主人がいるのだろうかと辺りを見渡すもそれらしい人はおらず、グレイスの胸の奥にじわりとした不安がよぎった。
それを見せないよう、慎重に答える。
「どちらに行かれる予定ですか?」
「献魔協会に」
「献魔協会はあちらです。この道をまっすぐ道なりに進んで行けば着きます。わたしたちは逆方向に行くので、申し訳ありませんが、これで失礼いたします」
丁重に頭を下げて、おかしいと思われない程度に素早くその場から離れる。
聡いフレディはその場ではなにも聞かずに、少しししてからようやく尋ねてきた。
「帰るんじゃなかったの?」
「騎士団に行こう」
エミリオたちはいなくとも、騎士たちに言えばグレイスとフレディをしばらく匿ってくれるはず。
フレディの手を繋ぎ、足早に、来た道とは逆の騎士団へと続く道を進む。狙われているのはきっとフレディだ。あの叔父夫婦が騒いだせいで、フレディに魔力があることは知られてしまっている。騎士団が後見していると公言しているが、だからといって安全なわけではない。
もしかするとエミリオたちが不在なことを知り、その隙を狙われたのかもしれない。
なぜ護衛騎士風の人が、と疑問も浮かんだが、考えている余裕はなかった。
「フレディ、振り向かないで。……急ごう」
グレイスの焦った様子に、フレディは不安げな表情をしながらも、繋いだ手を決して離すことなく、ふたりは無言のまま歩き続ける。
後ろを振り返ることはできないが、気配を感じる。
(たぶん、つけて来ている……)
声をかけてきたあの男性だろう。この街のことはグレイスの方がよく知っている。抜け道や近道、そういう土地勘がある分、グレイスが有利だ。
だが相手に仲間がいないとも限らない。角を曲がり、人の多い市場へと出る。まずはフレディを隠さなくては。
人混みに紛れて歩きながら、グレイスはフレディへと囁いた。
「わたしが合図したら、あそこのオレンジが売っている店の台の下に隠れられる?」
大量のオレンジの入った木箱が並べれた台の下は、地面まで布が張られており、子供ひとり隠れるくらいのスペースがありそうだ。
なにより、オレンジ売りの店主が、子供が台の下に潜り込んで怒るような人でないことを知っている。
追跡者はおそらく、人にうもれる背丈のフレディではなく、グレイスの方を目印に追ってきているはずだ。それならフレディが消えてもすぐには気づかないはず。
「わたしが引きつけるから、その間にオレンジ売りのおじさんに話して、騎士団に連れて行ってもらうのよ」
「でも、お姉ちゃんが……」
「大丈夫。わたしはこのまま直接騎士団に向かうから。いい? ――今よ!」
大柄な青年たちの陰にうまく入り込んで、フレディが追跡者の視界から完全に消えたであろう隙を見計らい、オレンジ売りの台の下へと押し込んだ。
フレディは張られていた布の陰で息を殺し、グレイスはなに食わぬ顔で市場を抜ける。
まだ追われているかはわからない。だが市場で騒ぎが起こっていないので、フレディは見つかっていないだろう。オレンジ売りのおじさんが保護してくれるはず。
ほっとしながら角を曲がったそのとき、背後から布のようなものを押し当てられて口を塞がれた。
(えっ)
動揺して大きく息を吸い込み、はっとする。
(この匂い……麻酔薬!?)
これ以上吸ってしまわないよう反射的に暴れるのはやめて息を止めたが、それでもいつまでも止めていられるものではない。
次第に体の力が抜け、立っていられず、崩れ落ちたグレイスの意識はそこで暗転した。
**
「おいおい、嘘だろ……」
「化け物かよ……」
ドン引きしている仲間たちのひそひそ声などものともせず、息も絶え絶えのエミリオは、三時間かけてなんとか魔物に留めを刺した。
全身傷だらけでこんなに満身創痍になったのは久しぶりだが、やり遂げた。ひとりで魔物を屠ったのだ。
ころん、とその場に転がった魔物の核。それを手に取り、はは、と笑う。
だがその瞬間、膝から崩れて、それでもその場に大の字で寝転がりながら傷ひとつない赤い核を空に透かして笑っていると、ものすごい苦い顔をしたエバンスが上から覗き込んできた。
「おまえ、ばかだろう」
「ばかって言う方がばかだ」
「討伐に行きたいとごねたときは、やる気があるのはいいことだと深く考えずうなずいたが……ひとりでやらせてくれとか、無謀すぎるだろう。しかも核を破壊せずにとか、死にたいのか?」
「死んだらグレイスと結婚できないだろう? だいたい、その無謀な願いをこうして最後まで聞き届けてくれたのは、どこの誰だ?」
エバンスは苦虫を噛み潰したような顔で唸る。
エバンスはエミリオにたいがいあまい。それでも無理だとわかっていたら決して折れなかったはずなので、つまるところ、エバンスはエミリオの実力を信じていた、ということにほかならない。
エミリオが危なくなればすぐに手を貸しただろうこともわかっている。なにせエバンスは、エミリオのことが大好きなのだから。
「これ、もらっていいんだよな?」
「ひとりで仕留めたんだから、好きにしろ。魔物の残骸に関しては職務規定で特に言及されてもいないから、懐に入れても特に問題ないだろう」
魔物は核を破壊することで消滅するので、本来核は残らないのが普通だ。
核を壊さないよう魔物を屠るには、核を傷つけないよう少しずつ魔物の力を削いでいく必要があり、時間と疲労が普段とは桁違いなので、よほどのことでもなければそのような無駄な闘い方はしない。
個人の問題に仲間を巻き込むわけにはいかないため、エミリオは手出し無用とエバンスたちを牽制し、ひとり魔物へと挑んだのだ。
この魔物の核を無傷で手に入れるためだけに。
グレイスの腕輪と同質の効果を宿したこの核が、エミリオはどうしてもほしかった。自分だけの力で手に入れたかった。
好きな女性の腕に、ほかの男からもらった腕輪が嵌められているのだ。その男が年配の支部長であるだとか、グレイスのためだとか、そんなことは重々承知していても、ちょっと気に入らなかった。
しかしもうそんな不満ともおさらばだ。
「結婚指輪の代わりにしよっと」
「まずは恋人になるところからだろう」
親友からの冷静な指摘はさらっと聞き流した。
今はまだ恋人未満で友人未満ですらあるかもしれないが、グレイスの心はだいぶ揺らいでいる……はずだ。
備えあれは憂いなし。いつそのときが来てもいいように、準備だけはしておかなくては。
エミリオは起き上がろうしたが、すぐにぴたりと動きを止めた、
「エバンス」
「なんだ?」
「……ちょっと、肩貸してくれない?」
致命傷はないが全身傷だらけで、なにより疲れた。もう自分の足で歩きたくないくらいに。できればエバンスの背負われて帰りたい。子供の頃のように。
エバンスは呆れたように、はあ、と大きなため息をついた。
「おとなしく担架で運ばれろ、ばか」
そう言いつつも、いつも背中を貸してくれるお兄ちゃんなエバンス




