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ふ、と意識を取り戻したグレイスは、すぐに気を失う前の状況を思い出して慌てて逃げようとしたが、両腕両足を縄で縛られていて身動きが取れないことに気づいて、焦りながらあたりへと視線を巡らせた。
横たわるグレイスの周囲には木箱がいくつも置かれている。そのどれもが、ガタガタと音を立てて小刻みに揺れていた。
(地面が、揺れて……)
そこでようやく、グレイス自身も木箱と同じように揺れていることに気づく。
おそらくだが、馬車の荷台に乗せられてどこかへ移動させられているのではないだろうか。
フレディではなくグレイスを攫ったのは、どこかでグレイスが魔力持ちだという情報が漏れていたためだろう。前に一度腕輪を外しているので、あのときあの場にいた人なら察していてもおかしくはない。
どれくらい時間が経ったのか……。わからないが、行動するなら早い方がいい。どうにか腕だけでも自由にならないかと暴れてもがくが、非力なグレイスがきつく縛られた縄を解けるはずもなく、木箱の間を転がり回ることしかできない。体勢を立て直そうとするが、馬車が大きな石でも引っかけたのか車体が大きく上下に跳ね、体を床に強かに打ちつけたグレイスは、うっ、と呻きを漏らす。人の扱いではないところにかつての記憶がわずがに蘇ったが、あのときは貴重な金のなる木として乱暴にだけは扱われなかった。それがグレイスの不安を煽る。
「んー!」
助けを呼ぼうにも布を猿轡代わり噛まされ、大した声も出せない。落胆して目を落とすと、荷台の床にシミのような黒ずんだ跡があることに気づき、一気に血の気が引いた。
(まさか……血痕?)
魔力持ちを誘拐する理由など、金のためでしかない。生きていてこそ価値があるため、最低限死なせないために丁重に扱われるものだと思っていたが、もしかすると、魔力目的の誘拐ではなかったのだろうか。
荷馬車の揺れで体がまた木箱にぶつかる。その度に鈍い痛みに呻きながら、馬車が止まるまでの間、グレイスは必死に耐え続けた。
停車と同時に外へと引き摺り出されたが、足を縛られているのですぐに地面へと倒れ込んだ。さすがに自力で歩けないと不便だと思われたのか、足の縄だけ外してもらえたが、腕の戒めはそのまま少し歩かされ、共犯者らしき男たちと合流した。
単独犯でないことはなんとなく察してはいたが、これでますます逃げる余地がなくなった。
グレイスは男たちに悟られないよう、そっと周囲を窺う。感覚的に街を覆う結界の外ではなさそうで、その点にだけ、そっと胸を撫で下ろした。
絶望的な状況に変わりはないが、魔物に襲われ即死となるよりは、わずかでも猶予がある。
「子供じゃなくて、女か?」
共犯者たちは、連れて来られたのがフレディではなかったことを不思議に思ったらしい。これにグレイスを引き摺って来た男が得意げに答えた。
「この女も魔力持ちだ。この魔封じの腕輪、見たことがある」
抵抗する間もなく、手首から強引に腕輪を引き抜かれた。この数年、ずっとともにあった腕輪だ。体の一部が欠けたかのような心許なさを感じる。
「これが、魔封じ? ただの骨董品にしか見えないが」
興味深そうに腕輪を見る男たち。このまま結界の外へと出てしまえば、ものの数秒でグレイスは魔物の餌食となるだろう。まだ結界内にいてもハラハラとするほどだ。
「試してみれば早い」
そう言ったひとりが、グレイスが手の甲にできた傷口に布を押し当てる。ほんのわずかな血がついたそれで石を包み、数メートル先へと放り投げた。
そして――それが地面へと落ちる直前。
上空から飛来した魔物が急降下し、一瞬のうちにそれを持ち去って行った。
あまりの早さに誰もが言葉を失っている。
グレイスの魔力の証明になったようだが、その目の色が明らかに変わったことが恐ろしい。
だが、それよりもだ。
グレイスを恐れ慄かせたのは、結界がすぐそこにあるという事実の方で。
それがなにより、一番の恐怖だった。
「……これなら、ほかのやつらは必要なかったかもしれないな」
「聖騎士と言っても、全部が全部魔力過多なわけではないだろう。隊長クラスならまだしも、見習いではな」
会話の内容はわからないが、グレイスのように聖騎士の見習いで捕まった人がいるのかもしれない。
聖騎士で敵わないのならグレイスに敵う可能性はないに等しい。現時点で殺される様子はないので、おとなしくしていればすぐに殺されるということはなさそうだが……。
(……ああ。もう、本当に……)
いつもいつも、魔力のせいでひどい目に遭ってきた。
魔力がある限り、グレイスに平穏は訪れないのかもしれない。
感情とともに自然と目線が地面へと落ちたときだ。
ひゅっ、となにかが風を切る音が聞こえ、グレイスは反射的に顔を上げた。
なにが起きたかわからないまま、いきなり捨てるように突き放され、バランスを崩し倒れかけたところを誰かの腕によって支えられる。
はっと視線を上げ、自分を腕に抱く相手の顔を映すとグレイスは瞠目した。
「なんで、おまえがここに……」
さっきまでグレイスを拘束していた男のそのつぶやきは、そのままグレイスの心の声でもあった。
グレイスを受け止めたのはヒューだった。そしてグレイスたちを庇うように素早い動きでグレンが立つと、剣を構えて敵と対峙する。
「大丈夫か?」
ヒューに猿轡代わりの布と腕の縄を外してもらい、グレイスは慌ててはいと返事をしたものの、なぜふたりがここにいるのかがわからない。
「どうしてここが……?」
「偶然だ。彼らの動向を探っていたところに、きみが連れて来られた」
グレイスを捕らえられたことを知って助けに来てくれたわけではなく、ここで合流した共犯者のうちの誰かの行動を訝り、後を追って来たらグレイスが捕まっていた、ということらしい。拘束されたグレイスを見て、ふたりともさぞ驚いたことだろう。
「グレンの勘を信じて尾行しておいて正解だったな」
「事前に止められたらもっとよかったのですが……」
そこにはグレイスが誘拐される前に気づけたらという後悔が滲んでいたが、今こうして助け出してくれただけでも十分すぎるほどに感謝している。
誘拐犯たちは見知った相手なのか、グレンは鋭い声で厳しく問うた。
「仮にも近衛だろう! こんな誘拐まがいのことをして、無事で済むと思っているのか!?」
(近衛……?)
王族を守る騎士のことだ。そんな人たちが、なぜ。
彼らは皮肉げに頰を歪ませると、隠すことなく言った。
「殿下がお望みだからだ。魔力を持った生贄をな」
「生贄、だと……?」
「ああ。わかるだろう? 殿下は彼の国の王族に婿入りするということになってはいるが、あんなもの、体のいい追放だ。それをあの方もわかっておられる。だからこそ、あちらで変わらず発言権を持ち続けるためには、手土産が必要だった。庶民のひとりふたり、いなくなったところで貴殿らにはなんら関係のないことだろう」
それに間髪をいれずヒューが、短く、だがはっきりとした口調で断じた。
「関係はある」
そしてグレンが、ざりっと踵を鳴らして剣を構え直すと、激昂のままに叫んだ。
「ふざけるな! あるに決まっているだろうッ!? この子は……グレイスはっ、グレイスは俺の妹だーーっ!!」
(……え?)
聞き間違いだろうか。猿轡はもうないはずなのに、驚きすぎて声も出せないまま、グレイスはグレンの怒れるその背を凝視した。
(もしかして、そういう作戦……?)
グレンの妹ということにしておけば、少なくとも無関係の他人よりかは、あちらも攻撃し難いだろう……という。
「そうでなくとも人の命は平等に重いものだ! 貴族だから、庶民だから、魔力がある、ない、そんなもの関係なく――重いッ!!」
どこまでも実直なグレンに、わけがわからないまま混乱するグレイスとは違い、対峙した男たちはわずかにたじろぐ気配があった。
ヒューが追い打ちをかけるように言葉を重ねる。
「我がタウンゼン伯爵家に騎士として代々仕える忠臣の娘だ。伯爵家を敵に回すということになるが……おまえたちの主人はそれを望んでいるのか?」
貴族だろうとは思っていたが、やはりそうだったらしい。混乱して情報をうまく処理できないが、彼らを動揺させるだけの力をヒューは持っているようだ。
このままグレイスのことを見逃してくれそうな気配を感じた――次の瞬間、横薙ぎの突風が吹きつけた。
グレンが咄嗟にグレイスとヒューに覆い被さり、地面へと三人倒れ込む。砂埃が巻き上がって、空へと立ち昇って緩やかに消えると、ようやく瞑っていた目をこじ開けることができた。
(なにが……)
こほっ、と咳をしながらヒューとグレンの手を借りて身を起こすと、さっきまでそこにいたはずの男たちの姿が、忽然と消え失せていた。
……いや、違う。上空から魔物の鳴き声がして、反射的に空を見上げてようとしたグレイスの視界を、ヒューが素早く片手で塞いだ。
「見るな」
それでわかってしまった。あの男たちは魔物に攫われたのだと。
さっきグレイスの血のついたハンカチを持って行ったあの魔物。近くに極上の獲物がいると知っていて、諦めるはずがなかった。あの鋭い鉤爪を思い出して震えが来る。
彼らがどうなったのかわからないが、近衛騎士とはいえ、聖騎士でない人が敵うような相手ではない。ただ、狙いはグレイスなので、食い殺されはしないだろう。
人を道具のように使おうと考えていた彼らに対して同情はないが、助かってももう近衛としては働けないだろうと思うとあまりにも後味は悪い。
その場から移動するように手を引かれるが足がもつれ、すぐに担いだ方が早いと判断されてグレンによって肩へと担ぎ上げられた。
「なぜ魔物が!? ふざけるなっ、ここはまだ結界内だろう!」
「王都のっ、強固な結界とっ、同じだとっ、思わないでくださいっ!」
腹立ち紛れに吐き捨てるグレンの肩の上で跳ねながら叫ぶと、並行して走っていたヒューがグレイスの手首に鋭く目を走らせ問う。
「腕輪はどうした」
「あの人たちに、取られたままで……」
魔封じがないのでグレイスの魔力は漏れ出てしまっている。結界に近過ぎたのが悪かった。そのせいで結界内に侵入してまで魔物が寄って来たのだ。このままではさっきの男たち同様、ヒューたちも道連れにしてしまう。
そのうちには異変を察知した聖騎士たちが駆けつけてくれるだろうが、それまで持つかがわからない。
「あのっ、わたしを置いて――」
「「行けるわけないだろう!!」」
ふたりに怒濤のごとく叱られてグレイスは身をすくめた。
上空を旋回する魔物を避けるように鬱蒼と茂る木々の下を選んで進み、人の隠れられそうな窪みに身を潜める。ようやくグレンの肩から下ろしてもらえたグレイスの、両肩をヒューが強く掴んだ。
「いいか。見捨てるくらいならば、一緒に死ぬ。私も、グレンも。わかったな?」
その真剣な眼差しで、彼が本心からそう言っているのが伝わる。
もしかすると、さっきのグレイスがグレンの妹だというあの話は、その場凌ぎの嘘ではなく本当のことだったのだろうか。
これまでまったく想像もしなかったが、よくよく見れば髪や瞳の色も近く、どことなく顔立ちや雰囲気も似ている。むしろなぜ気づかなかったのかと不思議に思うくらいだが、やはり男女の差は大きく、なにより身長や体格があまりにも違いすぎたので言われなければ考えもしなかっただろう。
こんな状況ではあるが、だからこそ、グレイスはきちんと訊いておきたいと思った。
「わたしが、あなたの妹というのは……本当ですか?」
グレンからの反応はない。無言のままだ。代わりにヒューが仕方なさそうに嘆息する。
「グレンは、きみの実の兄だ」
「兄……」
グレンは目を合わさない。
彼らは、きっとこういう場面でなければ、素性を話す気はなかったのだろう。
そう思うとなんとなく彼らのこれまでの不可解な行動の意味も読めてくる。グレイスのことを探っていたのもグレンの妹だという確証を得るためであり、尾行していたのもやり方に問題はあるが、彼なりに見守っていたつもりだったのだろう。
協会への寄付金も、もしかするとグレイスのためだったのかもしれない。
「……覚えていないだろうが、二歳頃まで私とグレンと一緒に暮らしていた」
覚えていない。グレイスにある一番古い記憶は孤児院なのだ。
だが、自分が孤児院に預けられた理由はだいたい察せた。
魔力があったからだ。
ヒューは貴族で、グレンは臣下。ならばグレイスの両親もそうであっただろう。
貴族ですら魔力のある実子を捨てるのだ。グレイスを手放すのは必然だった。
「わたし……やっぱり、捨てられたんですね」
わかっていたが、改めて突きつけられると胸が苦しい。
「違う」
「違う……?」
「きみの両親はきみのことを隠そうとしていた。私が無知ゆえに口を滑らせた。……すまない」
「違います、ヒュー様! 俺が悪かったんです! 魔道具を見てみたいなどと言ったから……! すまない、グレイス……」
その声に滲む深い悔恨の色は濃い。このふたりがこれまでずっと後悔してきたのがわかってしまった。
子供が軽率な発言をすることなどよくあることだ。それを恨んだりはしない。できない。
「ふたりとも、あまり気に病まないでください」
ふたりのせいだとは思わない。
単に時期が早まっただけで、いつかは孤児院に預けられた。それはグレイスが魔力を持っている限り、避けられない運命だった。
ふと、ヒューとグレンの背中の向こう側で、魔物が急降下してこちらへと迫って来ているのが目に入った。
結局、グレイスに魔力がある限り、どこに身を隠しても無駄なのだ。一度目をつけられたら最後、執拗に追って来る。それが魔物の特性だ。
いつだって魔物が狙うのは魔力のある人間。
グレイスは一度瞑目して、ぱちりと開く。ほんの一秒にも満たない間に覚悟が決まった。
グレイスは自分を守るように立つふたりの隙をついて、脇へと駆け出す。
「「グレイス……!?」」
魔物は直前で急旋回してグレイスへと狙いを定めて向かって来る。
ヒューとグレンが血相を変えてこちらへと駆け寄ろうとしたが、魔物が邪魔するなとばかりに翼で巻き起こした旋風によって、彼らは近づくことができずにその場から身動きが取れなくなっている。
グレイスを覆い尽くすように、魔物の巨大な影が落ちる。見上げた先にあるのは鋭い鉤爪。あの鉤爪でひと思いに貫かれたら、きっと助からないだろう。
だが、目的であるグレイスを捕らえたら、ほかの魔力を持たないふたりにはきっと見向きもしない。
ひとりが犠牲になるか、ふたりを巻き添えにして三人犠牲になるか。
考えるまでもない。
魔物が眼前へと迫り来る。
グレイスが最期のときに思ったのは、ひとつだけ。
(ありがとうって、まだ言っていなかったのに……)
意地を張らずに素直に伝えておけばよかった。
あのとき助けてくれてありがとう、と。
エミリオに。
魔物の爪先がグレイスに狙いを定めて掴みかかる。
痛みを想像して堪えるようにぐっと目を閉じた瞬間、グレイスの体は貫かれ――ることなく、強い力でなにかに抱き寄せられていた。
驚きに開いた目に映ったのは、魔物の脇腹へと、牙を剥き出しにした白い獣が唸り声を上げながら喰らいつく姿。
それは見覚えのある白い虎で。
(まさか……シャーリー!?)
怯んだ魔物が一旦身を引くように飛翔し、シャーリーが魔物の鱗をペッと吐き捨ててから、猫っぽく鳴いた。
「なぅっ」
シャーリーがここにいるということは。
呆然としながらも、グレイスは自分をきつく抱きしめる相手の顔を見上げる。
そこにいたのは、いつもいつも、グレイスの危機に颯爽と駆けつけて助けてくれる――エミリオだった。
「なぅっ(まずっ)」




