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 エミリオは騎士団へと帰還してすぐにグレイスの元へと向かおうとしたが、オレンジ売りの店主とともに駆け込んできたフレディによって、最愛の人が連れ攫われた事実をその場で知らされた。


 即座に騎士たちの部隊編成がさられ、救出へと動き出したが、それをのんびり待てるような性格ではないエミリオは、シャーリーの背にひらりと跨る。


 がうっ! と本気の声音で唸られはしたが、必死に懇願した。


「シャーリー、頼む。前からほしがってた昼寝用の高級絨毯を献上するから、最速でグレイスのところまで連れて行ってくれ」


 牙どころか歯茎まで剥き出しにしていたシャーリーは、それを早く言えとばかりに、ふすん、と鼻を鳴らすと、ザッと地面を蹴った。


 エミリオの願いを聞く形になったのは不服であるが、騎士団の一員として、人命救助はシャーリーにとっても職務である。現時点でシャーリーよりも早く走れる騎士などいないとあらば、シャーリーに否やはなく、それでも決して寝心地抜群の高級絨毯につられたわけではないのだとばかりに念押しで唸られたエミリオは、わかったわかったからと宥めすかしながら、地を踏み締め駆け出したシャーリーに振り落とされないようしがみつく。


「エミリオ! シャーリーも! 勝手に行動するな!」


「説教は後で聞くから!」


「……くそっ、すぐに追う!」


 焦った様子のエバンスに心の中で謝罪しつつ、加速するシャーリーの背でエミリオは感覚を研ぎ澄ませる。あまり期待はせず、薄く広く意識を広げていくと、思いがけずにグレイスの魔力の反応を発見した。あまりにもはっきりとしたその反応にエミリオは思わず顔を顰める。


(……魔封じをしてないのか?)


 悪態をつきかけたが、そのおかげで居場所の特定ができたのだと思い直す。


 しかしだ。事態は一刻を争う。ぎりぎり結界内にいるようだが、場所が悪い。結界に近いほど外の魔物に感知されやすくなるのだ。グレイスの魔力は魔物にとってはご馳走様であり、多少の傷を負っても無理やり結界に穴を開けて侵入しようとする個体がいないとも限らない。このタイミングで魔物に侵入されたら、真っ先に狙われるのはグレイスであり、その生存は絶望的だ。


「シャーリー、頼む、急いでくれ!」


 ぐるる、と唸り、シャーリーはさらに速度を上げた。


 街中を疾走するシャーリーに驚き、みな反射的に道を開ける。逃げ遅れた人の頭上を軽々飛び越えると、建物の外階段の手すりを足場に屋上まで飛び上がり、屋根伝いに駆け抜けた。


 シャーリーの背に乗るエミリオに気づいて、魔物が出たのかと警戒する人もいるが、彼らに詳しい事情を説いて回る時間が惜しい。


 そのときふと、エミリオは別の気配を感じて息を呑んだ。


 この感覚……グレイスのいる位置へと、魔物が近づいている。


(まずい!)


 狙われているのは間違いなくグレイスだ。今まさに襲われている最中かもしれない。


 焦りながらも意識を集中して魔力をたどり、エミリオの指示に従って疾駆するシャーリーがザッと砂埃を立てながら脚を止めた場所ではまさに、魔物が最愛の人へと襲いかかる直前で。


 魔物の前にその身を晒し、すべてを受け入れるかのような表情をするグレイスに、エミリオは考えるより先に体が動いた。ひらりとシャーリーの背から飛び降りると、エミリオはグレイスをこの腕へと取り戻し、身軽になったシャーリーがしなやかに跳躍して魔物の脇腹へと喰らいつく。


 そして――。


「ばかなのか!?」


 助かった実感が薄いのか、どこか呆然とした顔でエミリオを見つめていたグレイスが、エミリオの容赦ない叱責に驚いた様子でびくっと肩を震わせたが、構わず叱りつけた。これが叱らずにいられるだろうか。


「魔物の前に飛び出して行くなんて、ばかだろう!? 死にたいのか!?」


「ご、ごめんなさい……でも」


「でもも、だっても、ない!」


 ふと、視線の端に、砂埃に塗れて蒼白のまま膝ををついている人たちがいることに気がついた。ヒューとグレンだ。おかげでグレイスがなぜこんな無謀な行動を取ったのかは瞬時に理解したが、だからこそ余計に叱らずにはいられなかった。


 エミリオはさらに眦を上げる。


「誰かのために犠牲になろうとか、そんなものは勇敢でもなんでもない! ただのひとりよがりな自己満足だ! 少しは庇われる方の身になって考えろッ!!」


 エミリオの本気の叱責に、グレイスははっとしてヒューとグレンを見た。エミリオから見てもふたりとも顔色が悪いままだが、グレイスが無事であることに心底安堵し、しゃがみ込んだグレンの背をヒューが労るようにさすっている。


 自分がどれほど愚かなことをしたのかと後悔が押し寄せてきたのだろう、グレイスが唇を震わせた。


「あ……ごめん、なさい……」


「……もう、本っ当に、心臓止まるかと思った……」


 彼女がここにいることを確かめるようにぎゅっと抱きしめると、おずおずと背に腕が回ったが、そこにいつもの腕輪はない。


「グレイス、腕輪は?」


「さっき奪われて……」


「とりあえず、これ、握ってて」


 エミリオは少しだけ体を離すとポケットを探り、取り出した魔物の核をグレイスの手に握らせた。グレイスは常に腕輪を嵌めていただけあって、加工していないのにそれがなにかわかったらしい。


「これって、まさか……」


「うん。グレイスのために取って来た」


 腕輪をなくす事態になると予知していたわけではなく、単なる嫉妬の産物ではあったが、先見の明があるのではと思うほどタイミングがよかったとエミリオは思った。


 間近で見つめ合ったグレイスの瞳は恐怖と安堵の乱高下で潤んでおり、吊り橋効果でエミリオの株もぐぐっと上がった。頰に手を添えて、そっと顔を近づけても逃げるそぶりもなく、さあこれから――というところで、魔物とやり合っていたシャーリーが、さっさと留めを刺せとばかりに、がうっ! と吠えた。


「……くっ! 今いいところなのに! ――グレイス。ちょっと仕事してくるから、待ってて!」


「は、はい」


 保護対象者はひとまとめにしておいた方が守りやすい。グレイスを渋々ヒューとグレンに預けて、エミリオは剣を抜くと魔物へと向かって駆け出した。



**



 グレイスは魔物の核を両手で握りしめながら、魔物と戦闘を繰り広げるエミリオを、少し離れた位置からハラハラしながら見守った。


 彼が来てくれなかったら、グレイスは今頃魔物の腹の中だ。


 あのときは、自分を犠牲にするしかないと思っていた。


 しかしエミリオに言われてはじめて気がついた。


 もし今グレイスが死んでいたのなら、ヒューもグレンも、きっとこの先一生、後悔し続けたことだろう。グレイスを孤児院へと行かせてしまった後悔をずっと抱えていた人たちだ、グレイスが自ら決めたことだとしても割り切れなかったに違いない。


 グレイスの隣に立ったヒューが、険しい顔つきのまま言った。


「きみに守られて生きながらえても、私は少しも嬉しくはない」


「……はい」


 反対側に立ったグレンが、感情を抑えるように真顔で言う。


「怒鳴ってやりたいところだが、すでに叱られて反省しているようだから、我慢しておく」


「……はい」


 ふたりとも腹の底でかなり憤っているのがわかるのでいたたまれない。


「本当に……無事でよかった」


「わたしも、そう思います……」


 こうして無事に話ができていることが奇跡のようだ。


 しばらくするとエバンスたちも合流し、苦戦することなくあっさりと魔物の討伐を終えた。


 魔力を有効に使って戦える聖騎士を、やっぱり少しだけ羨ましく思う。


 事後処理の間、仲間に散々呆れられながら木陰で休んでいたエミリオの前にグレイスは立った。


「……グレイスも座る?」


 隣を叩くエミリオに首を振り、彼と目線を合わせるように、その場に膝をついた。


「あのときも、今も、エミリオ様はいつもわたしを助けてくれました。それなのに、わたしは意地を張って素直に気持ちを伝えられませんでした」


 死んでしまったら終わりなのに。


 もし死んでいたら、一生この言葉を伝えられないままだった。


 当たり前のように明日があると思えるようになったのは、彼に救われてからだ。エミリオがいなければグレイスはずっとあの村で、明日死ぬかもしれないと思いながらも、ぼんやりと人生を諦めながら無益に生きていた。


 グレイスが今、こうして自分の人生を真っ当に、そして楽しく生きていられるのは、いつもいつもエミリオが救いの手を伸ばしてくれたからだ。


「エミリオ様、ずっとあなたのことをお慕いしておりました」


 エミリオが驚きに目を見開く。


 ずっと言いたかった言葉を、どうしても今、伝えたかった。


「わたしを――みんなを、助けてくれてありがとうございます……!」


 頭を下げると、感情ともに涙が溢れ出た。ぼたぼたと地面に涙が染み込んでいき、慌てて目元を拭いながら、なにも言わないエミリオをおそるおそる見やると、彼はなぜか驚愕の表情をしたまま固まっていた。


「あの、エミリオ様……?」


「……え、嘘だ……もしかして俺、また振られた……?」


「え?」


「だって、慕っていたって……過去形」


 両手で顔を覆ってずーんと沈むエミリオに、グレイスは自分の言葉を反芻し、そして確かに過去形であったことに気がついた。


「これは感謝と憧れでいっぱいだった過去のわたしが言いたかったことなので過去形ですが、今は――」


「何度振られても諦めないよ、絶対。グレイスがどう思おうと、俺はグレイスが好きだ」


「わたしもです」


「えっ?」


「わたしも、エミリオ様のことが好きです」


 素直に気持ちを伝えたのに、エミリオの反応は芳しくない。


「俺の好きは、ずっと一緒にいたくて、独り占めしたくて……つまり、下心込みの好きだよ?」


「それは、もうきちんとわかっています」


 魔力は関係なく、今の彼はきちんとグレイスを見てくれている。もうそこは疑っていない。疑って、すれ違って、なにも伝えられずに終わるくらいなら、きちんと気持ちを伝えたいと思った。


「わたしも、エミリオ様とずっと一緒にいられたら嬉しいです」


「本当に?」


 おずおずと伸ばされた腕の中に閉じ込められたグレイスは、どきどきする胸の鼓動が伝わっていないことを願いながらその背に手を回す。


「……告白、覚えていなくてごめんね……?」


 告白を覚えてくれていなかった悲しみがないと言えば嘘になる。だけど何度もかっこよくグレイスを助けてくれたエミリオの、その情けないその声を聞いていたら、完璧な人間はいないのだと思えてしまい、ようやく諦めがついた。


「代わりに、今の告白を覚えていてください」


「じゃあ、忘れないように、もう一回言ってくれる?」


 冗談めかしてそう言うエミリオに、グレイスは思い切ってその唇に軽く自分の唇を触れさせた。


「……えっ、えっ!?」


 自分からしておいて恥ずかしくなったグレイスは、赤くなった顔を隠すように俯きながら言い訳をする。


「血の味がしないキスをしてほしいって、言ったじゃないですか……」


「え、ちょっと待って! 一瞬過ぎてよくわからなかったから、もう一回!」


「一回だけです!」


 調子に乗るエミリオの腕をぱしりと強めに叩いて、真っ赤になったグレイスはその場から脱兎のごとく逃げ出した。






 グレイスとヒューとグレンは念のため病院で検査を受けることになったが全員軽症であり、その日のうちに帰宅することができた。


 ちなみに例の誘拐犯たちは騎士たちに発見され、それなりに怪我はしていたらしいがきちんと意識もあり、今は取り調べのために騎士団に移送されている。


 結局今回の件での一番の重傷者は、ほかでもないエミリオだった。


 討伐での負傷を治療しないまま今回魔物と戦ったらしく、エバンスから長いお説教を喰らう羽目となったと、怪我よりもそちらの方を深く嘆いている様子だったが、それでも翌日にはケロッとした顔で訓練に参加していたと聞くので、魔力持ちということを差し引いても、普段の鍛え方が違うのだろう。


 そして現在。


 グレイスとエミリオ、それにヒューとグレンは、献魔協会でテーブルを挟み向き合っていた。


 場の空気は和やかで……と言いたいところだが、残念ながら非常に重たい沈黙によって支配されている。


 今回の誘拐事件、主導した黒幕が王族ということもあり、地方騎士団から訴えたくらいでは握りつぶされる可能性があるとのことで、伯爵であるヒューが正式に調査し追及することを請け負ってくれた。囚われている聖騎士見習いたちの保護もすでに進められているという。実行犯たちが負傷し使えなくなったこともあり、都合よく動く手足を失った首謀者の脅威はもうないだろうとのことだ。


 事件の顛末を聞き終えて、ここからが本題。


「……兄妹?」


 エミリオがグレイスとグレンの顔を交互に見やる。執拗なくらいに、何度も見やる。そうしつこく見比べられても、今さら顔立ちが変わったりはしないのだが。


「……似ているだろう」


 不躾な視線を受けて不快そうに顔を顰めているグレン。


 そんな彼に、エミリオがテーブルを叩きながら猛反発した。


「いや、どこが!? 確かに髪とか目とかの色合いとかは似てるかもしれないけど……ちょっと雰囲気も似てる気もするけど……似てない!」


 それはほとんど似ていると認めているようなものではないだろうか。


 複雑な心境のままグレイスは現実を見つめる。


 ずっと孤児だと思って育っただけに、未だ血の繋がった兄という存在にどう接していいのか、その距離感がわからない。あまえられるほど子供でもなく、冷静に受け止められるほど大人でもないのだ。


「なにか聞きたいことがあれば、すべて正直に話すつもりだ」


 グレンの代わりにヒューが口を開くと、すかさずエミリオが噛みついた。


「いや、待って? 百歩譲ってこっちは実の兄だとしても、こっちは赤の他人だろう。なんでいきなり兄気取り?」


「貴様! ヒュー様によくもそのような口を!」


「グレン、いい。兄気取りが嫌なら、許婚気取りにするか?」


「い、許婚!?」


 揶揄われているだけだろうに、エミリオは真に受けて動揺している。


「昔、そういう話も出ていただけだが」


「だ、だめだだめだ! 兄でいい!」


 なぜエミリオがそれを決める立場にいるのかと疑問に思いつつ、グレイスは改めてふたりと対峙した。


 生き別れることになった経緯は聞いており、すでに両親が亡くなっていることも知らされている。


 実の兄がいて、グレイスのことを探してくれていたということは素直にありがたく思ったが、だからといって今から普通の家族になれるかと問われると、やはり難しいところがある。彼のことが嫌いなわけはなく、家族ができたことをむしろ嬉しいのだが、あまりに年月が経ちすぎていることもあり、話すだけでも妙なぎこちなさが残るのだ。


「なんとお呼びすれば……」


「好きなように」


 さすがにお兄様と呼ぶ勇気はないので、名前で呼ぶことになりそうだが、いつになれば様をつけずに呼べるようになるかわからない。それならまだ、はじめからお兄様と呼んでおいた方が無難な気もする。だけど……と、堂々巡りのグレイスにグレンは苦笑した。


「無理して家族のように振る舞おとしなくてもいい。たんなる遠い親戚くらいに思ってくれれば、それで。ただ、きみの幸せを願っている人間がいることだけは知っておいてほしい」


「……はい」


 今のままでいいと、グレイスの気持ちを尊重してくれたことに安堵していると、やり取りを静観していたエミリオが渋々というようにつぶやいた。


「兄ということなら……仕方ないか。結婚式には呼んでやらないこともない」


 その発言に一番驚いたのは、ヒューでもグレンでもなく、もちろんグレイスだった。


「え? 結婚するとは言っていませんが?」


「えっ!? 想いを伝え合ったじゃないか!」


「それは、そうですが……」


 というか、プロポーズされただろうか、と疑問に思って記憶をたぐり……思い出した。そもそもはじまりがプロポーズだったのだと。


「でもエミリオ様、前に、まずはお友達から、と言ったじゃないですか」


「お、お、お友達!?」


 自分が口にしたことなのに、なにをそれほど驚くことがあるのだろうか。


「もう忘れたんですか? まずはお友達からはじめませんか、と言ったのはエミリオ様です。こういうのは普通、お友達からはじめるものでしょう?」


 それからおつき合いに発展して、うまくいけば結婚という流れになるのではないだろうか。少なくともグレイスの周りの子たちはそうだった。


 そもそもグレイスがはじめに告白したときも、最後まで言わせてもらえなかったが、わたしとお友達になってくれませんか、と告げるつもりだったのだ。


「そういうものだな」


「そういうものだ」


 ヒューとグレンが深々と同意する。三対一でエミリオが押し負けた。


「結婚への道のりが果てしなく遠い……!!」


 テーブルに突っ伏して嘆くエミリオにグレイスは苦笑した。


 まだ早いとは思っているが、結婚しないとは言っていない。


 遠からず承諾するつもりがあることは、今はそっと胸へと秘めておいた。




グレイスの思う、遠からず、は年単位

お友達期間二年、交際期間三年くらいが理想


↓そしてその後のエミリオとシャーリーのやり取り


「なぅん♪(高級絨毯♪)」

「……」


高級絨毯の寝そべり心地にご機嫌のシャーリー

高級絨毯の値段を舐めていたエミリオ

(シャーリーサイズの高級絨毯=聖騎士の給料三ヶ月分)


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