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なぜこうなったのだろう。
フレディと兄弟のように仲良く手を繋ぐエミリオに文句も言えるはずなく、グレイスは黙ってふたりの後ろを歩く。
女性だけでなく子供にとってもエミリオは魅力的に見えるのか、フレディは彼の話す魔物退治の話に夢中になって聞き入っている。
思い返してみればエミリオは街の子供たちにも人気者だった。強くて優しくて、なにより気さくで。そんなところも好きだったのだ。
はっとしたグレイスはどうにか感傷を振り切って、フレディのことだけを考える。
この分だと騎士団に入りたいと言うようになるのも時間の問題かもしれない。
それがエミリオの狙いなのだろうが、グレイスとしては複雑な心境だった。
危険さえ伴わなければ、エミリオにフレディを預けることが最善の方法だ。
しかしあの子はまだ子供。十五になるまで戦闘には出ないと聞くが、姉として、危険な場所に身を置いてほしくはないと思ってしまう。
商店街に着くと、フレディの身の回りの品をいくつか購入した。その際エミリオがそつなく荷物を持ってくれた。助かるのだが、これもまた複雑な気持ちのままお礼を言う。
グレイスは未だに親切にしてくれるエミリオの真意がよくわかっていない。
魔力のことは関係ないとは言っていたが、意固地な自分は一般的に見てもかわいげがない方だ。かわいいと言われて額面通りに受け取れるほど素直でもない。
離れていかれたらそれはそれで寂しいと思うほどには、エミリオにつきまとわれるのも慣れてしまいつつある。
ため息をついたとき、フレディがにこにこしながらとんでもないことを言った。
「聖騎士様って、もしかして……お姉ちゃんの恋人?」
固まってしまったグレイスとは反対に、エミリオはにこやかにその質問へと答えた。
「まだ恋人ではないよ。今はまだ、ね」
まるで恋人になることはすでに決まっているとでも言いたげな含みのあるその物言いに、グレイスはますます頑なになる。
「つき合ってとは言わないって自分でおっしゃったのに、舌の根も乾かないうちに子供に嘘を吹き込まないでください」
「うっ……手厳しいな。今はそうだけど、未来はどうなるかわからないだろう? それでも俺は、諦めるつもりはないよ。きみの信頼を得て、必ずもう一度惚れさせてみせる。グレイスの方が根負けすると思うな」
こういうところが、エミリオはずるいと思う。グレイスは思わず赤らみかけた顔をそらした。
まっすぐな眼差しと真摯な言葉に、本気で自分のことが好きなのではないかと、誤解してしまいそうになる。
百歩譲って魔力目当てでないことは信じたとしとも、結局魔力がなければ目に止めてももらえなかったわけで、こうして一緒に出かける機会だって一生なかったはずなのだ。
そう考えると浮上しかけた恋心がまた深く沈んでいくように、心がすっと冷めていく。
そのとき、フレディが繋いでいたその手を振りほどいて走り出した。
「あっ、お兄ちゃん!」
「え? こ、こらっ、待ちなさいフレディ!」
すぐに追いつき捕まえたフレディが、今にも飛びつかんとしていたのは、例のフレディを助けてくれた貴族風の青年だった。
彼は今日も護衛らしい青年を従えていているが、この間と違い、ふたりは面と向かって少し言い合いをしている様子だった。剣呑な雰囲気というより、兄弟喧嘩に近い雰囲気だったので、単なる主従関係よりは案外親しい仲なのかもしれない。
彼らはフレディに気づくとすぐに態度を改めた。護衛風の青年がその立場へと戻る一瞬、鋭い目でグレイスを見た気がし、警戒させてしまったのかと申し訳なさがよぎる。
もし彼が貴族などの上流階級の人間だとすると庶民が軽々しく関わらない方がいいのだが、フレディの恩人だ。どちらにしても失礼な態度は取れない。グレイスはひとまず、フレディが飛びついて粗相をしないように肩に手を置いて引き止めた。
貴族風の青年はまずフレディを見て、元気な様子に少しだけ安堵したように微笑み、それからグレイスへと視線を移したが、すぐにグレイスの後方にいたエミリオへと怪訝そうに目を細めた。
「その子を、騎士団に預けることにしたのか?」
エミリオが制服を着ているせいで誤解したのだろう。
「いえ、そういうわけではありません。彼はただの……」
と言いかけ、グレイスはそこで言い淀んでしまった。なんと説明したらいいのだろう。友人でもないし、かと言って恋人でもない。恩人と言うと説明が必要になりそうだし、知人と言うのはさすがに冷たすぎる。
考えあぐねていると、エミリオは胡散臭いくらいに人好きする笑みを浮かべながら隣へと並び立った。
やけに距離が近い。反射的に一歩引こうとしたら、肩に腕を回してきて、ぐっと引き寄せられた。
「俺たちは、こういう仲なので」
なにがどういう仲なのだろうか。
まったく説明になっていない。勝手に想像しろと言う意味なのだろうか。だとしたら投げやりすぎる。
エミリオは目の前の青年だけを見つめたまま、空気を読まず、グレイスが遠慮して聞かなかった素性を平然と追求しはじめた。
「それで、あなたは? お見受けする限り、一般人ではなさそうですが?」
「……単なる旅行者だ。呼び名が必要というのならば、気安くヒューとでも」
ヒューと名乗った青年は、愛想だけでにこりとして見せた。エミリオもにっこり。ふたりとも笑い合っているのに、暗雲立ち込めそうな不穏な空気が漂っているのはなぜなのか。
「名乗れない理由がおありで?」
疑りを隠すことない率直なエミリオを、グレイスはたしなめるべく小突いた。
「エミリオ様」
エミリオは一瞬だけグレイスへと優しい微笑みを寄越したが、すぐにヒューへと厳しい顔つきで問い詰める。
「この町にはどう言った理由で滞在を?」
「個人的な人探しで」
貴族風の彼がわざわざ自ら出向いて探すとは、よほど大切な相手なのだろう。
エミリオとヒューと名乗った青年がお互いの目から視線を外さず対峙しているうちに、グレイスはそっとエミリオの腕から脱出した。藪を突いて巻き添えなど、勘弁願いたい。
「お兄ちゃんもお買い物?」
そのフレディの無邪気な声に、ひりついた空気が一気に霧散した。子供の力は偉大だ。ヒューの口調もどこか柔らかくなる。
「ああ。しばらくこの辺りに滞在するつもりだから、必要なものを買い出しに来た」
「一緒だね!」
フレディの親しげなその姿を見つめながら、エミリオは面白くなさそうに唇を引き結ぶ。
グレイスがちょっと油断した隙に、フレディは色んな意味で近寄り難い雰囲気を持つヒューに物怖じせずに抱きつく。
護衛の青年が迷いながらも引き離そうと動いたが、ヒューが手で制した。
「大丈夫だ、グレン」
グレンと呼ばれた護衛の青年はあっさり引き下がった。フレディに懐かれるヒューをものめずらしそうに眺めている。
「あ、そうだ! お兄ちゃんも一緒に騎士団の見学に行かない? 聖騎士様が案内してくれるんだって!」
フレディの無邪気なその誘いに、エミリオのこめかみがぴくりと動く。グレイスがそっと目線を下げると、彼の手は痙攣したかのようにわなないていた。よほど相性がよくないらしい。
なのでヒューが先約を理由にその誘いを断ったときは、心底ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
「魅力的な誘いだが、我々の滞在期間が限られている。またの機会に頼む」
「そうなんだ……」
フレディは残念そうにしながらグレイスのそばに戻ってくると、自分から手を繋いできた。思わずにっこりとする。
こうして小さくても温もりのある手を握れているのは、彼が慈悲深くフレディを助けてくれたおかげだ。
グレイスはヒューへと向き直ると、深々とお辞儀をした。
「先日はこの子のことを助けていただき、本当にありがとうございました。献魔協会でもなにかお力になれることがもしあれば、お手伝いしますので。気軽にご相談ください。探している方が見つかることを祈っております」
ヒューはわずかに微笑んだ。
「そのときはよろしく頼む」
だがきっと、頼る気はないのだろう。なにか言いたげなグレンの視線をヒューは気づかない振りで流した。
そして彼らは背を向けて、雑踏へと紛れて行った。
その後ろ姿を見送っていると、エミリオが不満げにぼやく。
「嫌なやつだ」
「どこが嫌なやつなんですか。フレディの恩人です。確かに近寄り難い雰囲気の方ですが、きっと心根の優しい方なんだと思いますけど」
エミリオはますます気に入らないとばかりに鼻を鳴らす。
「ほら、そういうとこがだよ。グレイスの目に映る男みんな嫌なやつだ。……まさか、あの男に好意があるとか、言わないよね?」
「なに言ってるんですか、ありえません」
未だにグレイスの心に、エミリオへの思慕以上の気持ちを抱かせる相手は現れていない。
もしかすると一生現れないかもしれない。
だけど今はそれでいい気もしている。……今のところは。
「よかった、グレイスがあいつのことを好きになったなんて言ったら……」
エミリオは賢明にもそれ以上は口にしなかった。聞かずに済んでグレイスもよかったと思う。
大人たちの話に飽きたフレディに急かされて、騎士団へと赴いた。荷物持ちに徹したままのエミリオに、敷地内を順に案内してもらう。
グレイスとしても興味深く敷地内を見て回ったが、白い虎が悠然と歩いていたことには心臓が飛び出そうなほど驚いた。シャーリーという名のその白虎は、団員の肩書きを持っていて、訓練以外で人を襲うことはないと聞いてひとまずほっとしたが、フレディが無邪気に虎と戯れる様子にはらはらとさせられる。
そして建物内の案内を終えた後は、訓練の様子を見学する場が整えられた。
フレディは訓練中の聖騎士たちを目を輝かせながら食い入るように観察している。
彼らは彼らで見られていることを意識するかように、やたらと派手な大技を繰り出したり、無駄な決め台詞を乱発しているように感じるのは、きっとグレイスの気のせいではないのだろう。そんな彼らに白虎が冷めた目を向けていたのが印象的だった。
グレイスも普段の彼らをよく知っているだけに、ひたすら苦笑いの連続だったのは言うまでもない。
聖騎士はそれほどまでに人手不足なのだろうか。グレイスはわずかに、この地区の行く末を憂いたりもした。
騎士たちの水面下の努力は通じたのか、フレディの反応は上々だ。色々と気疲れしたグレイスとは反対に、フレディはご機嫌で剣をふるう真似をしている。
グレイスが小さくため息をもらすと、
「疲れた?」
そう訊いてきたエミリオの笑みもやや引き攣っている。聖騎士ひとり獲得するために、同僚たちがまさかあそこまでするとは思っていなかったのだろう。
「いえ。ちょっと演技過剰なところもありましたが、みなさんが必死なのはとてもよく伝わってきました。特にエバンス隊長は純粋に素晴らしい方だと改めて尊敬の念を抱いたくらいで」
途中から参戦したエバンスはすごかった。力量が圧倒的なこともあるが、子供心を掴むトーク術にも優れていて、グレイス相手にはわかりやすく聖騎士となる利点や、マイナス面までも包み隠さず説明してくれた。
元々、マリエラを筆頭に協会職員のほとんどが、エバンスを尊敬している。
なぜ独身なのか不思議なくらいだ。
「……へぇ。エバンスが、ね……?」
その不穏な響きにぎょっと振り返ると、エミリオが半歩後ろで不気味な笑みを浮かべていた。
わかっているだろうが、念のため言っておく。
「人として、ですから」
「俺は人として最低のところにいるのに。……自業自得だけど」
グレイスは目をぱちくりとさせてから、きゅっと眉根を寄せた。
「なにを言ってるんですか? エミリオ様はみんなのために危険をとして戦ってくださっているのに、人として最低なわけがないじゃないですか」
「じゃあ、男としては?」
グレイスは賢明にもそれには答えず、先走っていたフレディを呼び寄せて手を繋いだ。
隣につけたエミリオがぶつぶつとぼやく。
「人としての信頼を得られただけで、今は満足しないと……か。エバンスは許さないにしても」
できれば無駄な揉め事はやめてほしいところだが、きっとグレイスよりも長年エミリオと接していたエバンスの方が彼の扱い方をよく心得ているだろう。憂うだけ損だ。
「では、ここで。今日は有意義な時間をありがとうございました。それと送っていただき、ありがとうございます」
協会の前でエミリオへとお礼を言うと、フレディもグレイスにならってぺこりと頭を下げた。
「どうせなら家まで送って行くのに」
「すぐそこなので大丈夫です」
「……うん、ガードが固いのは、いいことだ。うん」
エミリオがひとり納得してくれたので助かった。
じゃあ、と手を挙げたエミリオに、逡巡しながら同じように手を持ち上げかけグレイスだったが、急に横からフレディがしがみついてきたことによって、腕は中途半端なままで止まってしまう。
「フレディ? どうしたの……?」
フレディはグレイスに抱きついたまま、背中に隠れるように顔を埋めている。その小さな体は、さっきまでと違い、がたがたと小刻みに震えていた。
一体なにが、と混乱しながら顔を上げる。間髪をいれず、エミリオがグレイスたちを庇うように前に出て立ち塞がった。
「マルコ!? おまえ、マルコだろ!」
フレディが、ひっ、と悲鳴を上げて大きく震えた。
グレイスは反射的にフレディをきつく抱きしめて、エミリオ越しにそちらへと目を向ける。
そこにいたのは中年の夫婦らしき人たちだった。
それが誰か、考えるまでもない。フレディのこの尋常じゃない怯え方が答えだ。
エミリオがいるからと、安易にフレディを連れ歩くべきではなかったのだ。
しかし後悔してももう遅い。
とうとう恐れていた自体に直面してしまったのだと、グレイスは遅まきながら悟ったのだった。
ヒュー(24)
人探しをする訳あり青年貴族
グレン(24)
堅物な護衛騎士




