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 グレイスは普段、廊下を走る人たちを注意する側なのだが、今日ばかりは規則を無視してその部屋へと駆け込んだ。


 マリエラがそばについて見てくれていたようで、グレイスと入れ替わるように一歩下がる。


 フレディはさっきまでと変わらず横たわったままだったが、その目は開いていて、今はぼんやりと天井を見ていた。ドアの開閉の音に気づいたのかこちらへと視線を向け、グレイスを見つけると、その黄緑色の瞳にみるみる涙の膜が張る。別れたときはまだ小さかったのに、きちんとグレイスのことを覚えていてくれたらしい。


「グレイスお姉ちゃん……」


 身を起こそうとするのを慌てて止めた。

 

「起きなくていいから、横になってて」


 急に体を動かさない方がいい。グレイスは簡易椅子をそばに持って行って座ると、フレディの手を握った。


「気分はどう?」


「ちょっと、頭が痛い。でももう……大丈夫」


 ひとまず命の危機は去ったことに安堵したが、魔力が回復しても心身はすぐには元には戻らない。特に心の方は。


「……なにがあったの?」


 今訊くべきかどうか逡巡したが、聞かなければこの後の対応が遅れてしまう。グレイスが問いかけると、フレディは天井をにらみながらどうにかこらえていた涙が、決壊して枕へと染み込んだ。


「お母さんが病気で、死んじゃって……。伯父さんの家に引き取られたら……また、前みたいに……」


 グレイスはフレディを抱きしめた。それ以上は言わずともわかる。やはり家族が訪ねて来ても追い払うことで話をまとめておいてよかった。


「つらかったね。ここなら大丈夫だから。安全だから、ね?」


「……うん」


 しばらくなだめるようにフレディの背中を撫でていると、マリエラがためらいがちに声をかけてきた。


「あのね、グレイス。局長とも話してたんだけど、そういうことならやっぱり病院にも知らせず、懇意にしているお医者様を呼んで、診てもらいながら、ここで静養するのがいいと思うの」


「え?」


「病院だと、ほら……」


 マリエラがちらちらとフレディを見やる。歯切れの悪いその物言いでなんとなく察した。


 病院だとフレディの身を守ることに限界がある。いくら本人が希望しなくても、玄関を突破されてしまったら医師らでは抑えきれない。ましてや相手は身内。逆に病院が訴えられるかもしれない。


 その点、協会は魔石の管理などがあるので建物の作りも警備も厳重であり、一般フロアは常に聖騎士たちが出入りしている。素人が侵入するのは容易ではない。グレイスはマリエラの意見に全面的に賛同した。


「じゃあ、局長に許可もらって、お医者様呼んでくるね?」


「うん。ありがとう、マリエラ」


 お礼を言ってマリエラを見送ると、フレディがグレイスの袖を引いた。


「えっ、お医者様? 僕、注射は嫌だよ……?」


「だけどフレディが元気になるためだから」


 そう言うとフレディが驚いたようにちょっと目を丸くしてから、グレイスの袖を握ったまま顔を枕にうずめて丸くなった。


 グレイスは遅まきながら失言に気づいて謝った。


「ごめんね、名前、違ったね」


「……ううん。お母さんもね、本当の名前じゃなくて、フレディって呼んでくれてたんだ……。本当の名前はね、マルコって言うんだって」


「そう……いいお母さんだったんだね」


 その母親のことを考えると、やるせなくなる。せっかく会えたのに、数年しか一緒にいられなかったなんて。


 フレディはグレイスと再会できたことにほっとしたのか、そのまま眠ってしまい、その間にマリエラが呼んできた医師に注射を打たれて、いくつか薬を処方してもらった。


 フレディは平均的な十歳の子供よりも小さくて細い。日常的に魔力が奪われて、食事も充分に与えられていなかったのだろう。栄養失調で肌や髪に張りがない。体も薄く骨が浮いている。虐待のひとつひとつを目の当たりにする度に、深い後悔がグレイスの胸を苛んだ。


 もう今日は仕事を休んでもいいと言われたが、フレディはしばらく起きないだろう。夢うつつ状態が続くはず。グレイスにも覚えがある。


 その段になってようやくフレディを連れてきてくれた青年のことを思い出し、お礼を言うべく慌てて協会内を探し回ったが、どこにもいない。支部局長からすでに帰ってしまったことを聞いて、肩を落とした。支部局長からお礼は伝えてあるとはいえ、フレディの姉であるグレイスがなんのお礼もしないなんて、さぞ失礼な女だと思ったことだろう。


(もしまた会うことがあったら、今度こそ感謝を伝えないと)


 すでに職員たちに情報が共有されているのか、マゼランが何度も気遣わしげにグレイスを見てきた。


「わたしは大丈夫ですから。……あ、そうだ。フレディが起きたら、遊んであげてください」


「おう、任せとけ。こう見えても子供には結構好かれるたちでな〜」


 いかに子供に好かれるかをマゼランに熱弁されて、グレイスは苦笑いしながら相槌を打った。


 実際彼は子供に人気だ。それはマゼランの精神年齢が低めなのが理由ではないかと誰もが思っているが、指摘する無粋な人はここにはいない。


 同僚たちもフレディのことを気にかけてくれている。だからこうして安心して仕事に没頭していられる。


 だけど確実に訪れるだろう嵐を前に逃げることもできず、グレイスは曇った顔を俯けたのだった。



**



「なんで勧誘して来ないんだ」


 エミリオの話を聞いたエバンスは、真顔でそう言ってのけた。


 聖騎士は万年人手不足。危険と隣り合わせな上、それなりに魔力がなければならないので、なり手が少ない。


 若手を育成しようにも、騎士団の門を叩く者の多くが一般の騎士志望であり、聖騎士志望の者がいても訓練が厳しく、いざ実践で魔物を前にし怖じ気づく者も多いので、全員が全員聖騎士になるとは限らない世知辛い世の中だ。


 なので聖騎士としては、ひとりでも多くの若手、できれば将来有望な子供がほしい。それこそ、喉から手が出るほどに。


 それは騎士団側の意見だが、これは魔力持ちの者にとっても悪い話ではなかった。


 騎士団は仲間意識の強い組織だ。エミリオが団内で嫌われていることはさて置き、仲間を害する者は誰であろうと例外なく排除する結束力の固さがある。そうでなくとも騎士に手を出そうという命知らずはそうそういないだろう。


 と、そこまで騎士団員的思考に逸れたエミリオだったが、そもそもそんな話をしに来たわけではないのだ。


「聖騎士がひとりでも増えてほしいことはわかる。よくわかる。だけど今俺が伝えたかったのは、そこじゃない」


「どこだ?」


「グレイスに変な男が張りついていたってことだ!」


 グレイスを呼びに来たあの若い男。どう見ても協会職員じゃなく、確証はないが貴族階級の人間のようだった。ちらりと見えたもうひとりの男は護衛騎士かなにかだろう。さすがに同業者ならば雰囲気でわかる。


 そんなやつがなぜ。


 協会に寄付にでも来たのだろうか。


 金に物を言わせてグレイスに近づくとは。なんてやつなんだ。


「変な男……ね」


 怒りに震えるエミリオを、エバンスがもの言いたげに見ている。


「……なんだ?」


「いいや、別に? 自分のことは見えないものなんだな、と」


「?」


「いや、いい」


 疲れた様子で手を振るエバンスに小首を傾げつつも、エミリオは邪魔者を追い払うための助力を願った。


「シャーリーを貸してくれ」


「断る。シャーリーになにをさせる気なんだ、まったく……。そんなことより、なんで勧誘してこなかったかって話へ戻してもいいか?」


「そんなことよりもって……」


 しかしエミリオとて、快く貸してもらえるとははじめから思っていない。たしかに魔力を持つ子供の将来は重要な案件だ。しかもグレイスの弟。エバンスの言う通り、そちらの方が最優先課題かもしれない。


「……今は勧誘できる状況じゃなかった。それは追い追いということで」


「わかった。追い追い、な」


 そう言いつつも、その目は絶対に勧誘に連れてこいと告げていた。気持ちはよくわかる。エミリオは腕組みをした。しかしその思考はまた別次元へと飛んでいた。


「……やっぱり、聖騎士になってくれると助かるよな?」


「そりゃあな」


「だよな? どうにかしてその子を懐柔できたら……」


 弟経由でグレイスの情報を得られるし、なによりエミリオがいかに彼女を想っているのかをグレイスに直接吹き込んでもらえる。弟に気に入られれば、エミリオの暴落した株も少しは上がるはず。


 エミリオの表情からあますとこなく思考を読んだエバンスが、心底呆れた声を出す。


「おまえには下心しかないのか」


「下心がなかったら、男に生まれてきた意味がない」


「いや、そんなキリッとした顔をされても困る」


 エバンスが困ろうがエミリオには関係ない。


 優先順位の一番上は、グレイスの弟に好かれること、その次に、聖騎士という仕事の魅力を伝えることを並べて置いた。


 そうと決まれば、さっそく作戦を練らねば。


 グレイスを誰かにかすめ取られる前に、外堀を埋めなくてはならない。


 そんなエミリオに、エバンスはもうなにも言わずに、ただ静かに首を振った。





 数日して、グレイスが協会内で十歳くらいの男の子といるところを偶然(あくまで偶然)見かけたエミリオは、さっと身だしなみを整えてから、ここぞとばかりに輝く笑みを浮かべて一歩踏み出した。


「やあ、グレイス!」


 グレイスは怪訝そうに、それでも礼儀として「……こんにちは」と返す。


 エミリオは懐柔すべき対象であるグレイスの弟へと同じように声をかけた。やあ、と気さくな感じで。


 グレイスの弟は、さっ、とグレイスの後ろへと隠れる。しかし好奇心からか、彼女の後ろからちょっとだけ顔を出していた。


 やはり血が繋がっていないので顔こそ似ていないが、その雰囲気は家族特有の近しいものだ。グレイスのことを姉として慕っているのが見て取れた。


「フレディ。きちんとあいさつしないと。みんなの安全のために戦ってくださる、聖騎士様よ」


「こんにちは……聖騎士様」


「こんにちは、フレディ」


 エミリオは身をかがめると、おずおずと差し出された小さな手と握手した。


 フレディはおっかなびっくりだったが、その目線はエミリオの腰に履いた剣を興味深そうに注がれているので、掴みは悪くないと内心ほくそ笑む。騎士団的にも、エミリオ個人としても。


「それで、今日はどんなご用で?」


 グレイスがフレディの頭を撫でながらエミリオへと尋ねる。その声に険こそないが、どう見ても職員の対応だ。彼女の心の壁はまだまだ高く厚い。落胆する気持ちはひとまず置いておく。


「今日は……彼に」フレディを見やって、にやりとする。「聖騎士の素晴らしさを売り込みに来た感じかな」


「ですが……まだこの子は聖騎士になるとは」


「単なる職業紹介みたいなものだから。こんな仕事もあるよ、っていう。強制するつもりはないし、聞かれればメリットだけでなくデメリットもきちんと説明する」


 エバンスが。


「だとしても、まだ時期尚早です。わたしはこれからこの子の日用品を買いに行かないといけないし……」


 まったく乗り気ではないグレイスの言葉に、フレディは拗ねた様子で訴えた。


「僕もお買い物に行きたい。連れてってよ!」


「だめよ」


 グレイスはにべもなく一刀両断し、フレディが今にも泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。


 それでもグレイスは意見を翻することはない。その頑固さにエミリオは苦笑する。


 彼女は彼のためを思ってそう言っているのだが、フレディにだってフレディの気持ちがある。ようやく体が回復したのだから、毎日閉じこもるように生活するのはこの年頃の子供にとっては思った以上につらいことだろう。


 グレイスが気にしているのはフレディの身の安全だ。


 しかしその点に関してならば、エミリオが協力できる。


「じゃあ、俺も一緒に行こうか?」


 途端に難しい顔になったグレイスの腕を、フレディがぐいと引いて期待のこもった目で問いかけてくる。


「聖騎士様と一緒なら、外に出てもいいの!?」


 グレイスが答える前に、エミリオはすかさず請け負った。


「そうだよ。みんなの安全を守ることが俺たちの仕事だからね」


 エミリオがウィンクすると、フレディはようやく笑顔を見せてくれた。


「だけどエミリオ様、お仕事は」


「これも仕事の一環だから」


 グレイスにそう言ってエミリオはフレディを向く。


「そうだ、フレディ。買い物帰りに騎士団の中も案内しようか? 興味ある?」


 フレディは困ったようにグレイスを見上げたが、一般人が普段は入れない騎士団の内部を見て回れるかもしれないということへの好奇心が、遠慮をわずかに上回ったのか素直にうなずく。


「よし、決まりだ」


 意見を翻す暇もを与えずエミリオはさっさとフレディと手を繋ぎ、歩き出す。


 グレイスの顔は見えなかったが、だいたいの予想はついた。きっと呆れ顔をしているのだろう。



フレディ(10)

本来は好奇心旺盛な男の子(献魔協会北ディアドロ支部、特別保護対象)

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