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 ひと月ほどエミリオが姿を見せなくなった。どうやら討伐に出ているらしく、他部隊の聖騎士からそのことを聞かされたグレイスは、彼らが無事帰還することを毎晩祈った。


 過酷な討伐で命を落とす聖騎士もいる。毎回どの部隊が出陣するにしても、グレイスは気が気でない。


 聖騎士の人たちはみないい人たちばかりだ。誰にも傷ついてほしくない。


 特別視しているわけではないが、エミリオの顔ばかりが浮かんで、グレイスは表情を曇らせた。


 前回の戦闘の際、グレイスの魔力を受け渡す前と後で、エミリオの動きの差は歴然だった。


 相性があるようだが、グレイスの魔力と彼の魔力の相性は悪くなさそうだったので、こうして無事を願うだけでなく、この討伐の前に自分の魔力を込めた魔石を持たせるくらいの貢献はすべきだったのだ。


 それなのに彼はなにも言わずに討伐へと向かってしまった。真っ先にグレイスのところへと訪れると思っていたのに、気づいたらすでに出発していた。


 お気をつけて、と言葉をかけることも叶わず。


 グレイスは彼に振られてから、魔石への魔力供給をぱたりとやめてしまっていたことを少し後悔した。


 グレイスは魔石を作り出さない代わりに、街を囲う結界の核へと定期的に魔力を注いではいる。結界の維持にも多大な魔力を必要とするのだが、そちらも善意ある魔力持ちの人々の手によって維持されており、となるとどうしても都市部のような人の多い街に比べ脆弱な結界となってしまうのが難点だった。


 何度目かのため息をついたとき、同僚のマリエラが黄色い声を上げながら駆け込んできた。


「第三部隊、帰って来たらしいわよ!」


 グレイスは窓を拭いていた雑巾を落として、慌てて彼女へと駆け寄った。


「それ本当!? みなさん、無事だった?」


「ええ! みんな無事ですって。もちろん、グレイスの王子様もね!」


 マリエラは瞳にいたずらな色を含ませてウインクする。同期の彼女は、グレイスの恋のはじまりから終わりまで、すべてあますことなく知っている。


 エミリオを見かけると目で追いかけ続けていたので、グレイスの気持ちは誰から見てもわかりやすいものだっただろう。早いうちにすべて白状させられていた。


「あの人は王子様じゃなくて、聖騎士様よ。わたしの王子様は、しょせん、わたしが勝手に美化しすぎた幻想だったんだから」


「だけど、エミリオ様があなたを王子様みたいに助けてくれたのは事実じゃない」


「それは……そうだけど」


「見に行って来たら? 今は街の人……というか、女の子たちに囲まれてどうせ会えないと思うけど、遠くから無事な姿を見たらひとまず安心できるでしょう?」


 このひと月グレイスがエミリオを心配し続けていたことを知っている彼女に背を押されて、様子を見に行く決心がついた。


「マリエラも一緒に来てくれる?」


「ええ! わたしもエバンス様のお姿を見たいもの〜」


 マリエラが染まった頬に両手を当てて見をよじる。彼女はエバンスのファンなのだ。協会職員でエバンスのファンじゃない人なんていないのだが、マリエラはその筆頭といえるだろう。


 グレイスはちらりとマリエラを見やる。彼女は誰から見てもかわいいと言われる容姿をしている。ふわふわの茶髪にくりくりした丸い瞳。女性らしい体型をしていて、同じ制服なのになぜか彼女が着るとお人形さんの衣装のようになる。


 それに比べてグレイスは融通の効かない生真面目な性格を表すかのように、初対面の人にはどうしても固い印象を与えがちだ。しかも成長課程に難があり、あまり背が伸びず小柄なせいで、普段は踵の高い靴を履いてどうにか平均身長まで底上げしているが、全体的に女性らしさからはほど遠い。


 マリエラのような容姿であれば、エミリオも告白したときに顔くらいは覚えていてくれたのではないかという、考えてもせんのないことを何度思ったことか。


 ふたりで昼休憩を利用して外出すると、すでに街は全体が盛り上がりを見せていた。


 なんでも魔物の巣を見つけ、一匹残らず殲滅して来たという話だ。その事実にもびっくりだったが、それをひと月で成し得てしまったことに驚きを禁じ得ない。


 エミリオもエバンスも、案の定街の人たちに囲まれてもてはやされている。商家の娘など、それなりの身分があり若く美しい娘たちが彼らへと花束を手渡すのを眺めていると、ほんの数十メートル先にいても、違う世界にいるように感じた。


 グレイスは孤児だ。苗字もない。教養もなければ、特別容姿が美しいわけでもない。あるのは持てあますほどの魔力のみ。


 グレイスはここではない、とある村で育った。今ではその名すら残っていない、山奥の村。


 そこでは定期的に魔力を持つ子供が連れて来られて、大人たちの手によって日々魔力を搾取され続けていた。


 死なないように最低限の生活は保証されていたが、子供たちはいつも魔力切れでぐったりとしていた。


 グレイスもその中のひとりだった。羽振りよく健康そうな大人たちに疑問を持たなかったわけではないが、放り出されたら魔獣に襲われて死ぬことがわかっていたので、そういうものなのだと自分をごまかしながらすべてを諦めて生きていた。


 その生活に終わりが訪れたのは、今からたった五年前、ある寒い冬の日のことだった。


 その年は干ばつがひどく、さらには例年にないほどの積雪量で、それに加えて魔物の出現率が極めて高く、あちこちの村で多くの人が命を落としていた。


 その村に聖騎士たちが訪れたのは、本当に偶然のことだった。


 討伐の帰りに道が雪でふさがり、吹雪の中たどり着いたのが、グレイスのいた村だったのだ。


 大人たちは聖騎士たちを歓待していたが、上部だけだろう。子供たちは彼らの目に触れないように、村はずれの納屋にこぞって押し込められていた。


 グレイスもほかの子たちも、魔力を取られたばかりで、意識は朦朧とした状態だった。


 それでも寒さはじわじわと体を蝕む。納屋は隙間風がひどく、身を寄せ合っていても、体中を突き刺すような寒さが吹き込んで来る。グレイスは眠ってしまいそうな子を次々起こして回ったが、自分もいつ気を失ってもおかしくない状態だった。


 震えて今にも凍りついてしまいそうな子供たちのために、グレイスはなにか暖を取れるようなものがないかと、ひとり納屋を出た。


 このままだとみんな死んでしまう。


 魔力を持つ者はほかの人よりも丈夫と言われているが、不死なわけではないのだ。


 それにグレイスたちは常に、魔力の少ない状態が続いている。


 薄汚れた靴は底がすり減り、一歩進むごとに溶けた雪が染み込む。足の感覚が次第になくなっていく。まっすぐにひた歩いたが、雪で視界が悪く、今どこを歩いているかさえわからなくなってきた。


 毛布ひとつ見つからない。


 マッチ一本落ちていない。


 魔力が底をつきかけていたせいか、寒さのせいなのか、すぐに限界が訪れて膝をついてしまった。


(痛い……)


 痛みを伴う寒さなど、これまで経験したことがなかった。グレイスたちは日々魔力を奪われるだけで、雪害に対抗する術をなにひとつ教えてもらっていなかった。生きる上で必要な知識など、なにも。


 体の機能は確実に低下しているのをひしひしと感じながらも、とさりとその場に横たわる。もう立ち上がることすらできそうになかった。


 まだ下の子たちが震えているというのに。


 グレイスはあまりにちっぽけで、無力だった。


(魔力なんて、なんの役にも立たない……)


 寒さを凌ぐことも、人を温めることもできやしない。


 なんのために魔力なんてあるのだろうか。


(こんな力、いらなかった……)


 絶望感に打ちひしがれていたときだった。降りしきる雪に埋もれていくグレイスは美しい幻を見た。


 まるで絵本から飛び出して来たような王子様がそこにいたのだ。


 真っ白な雪が霞んでしまいそうなほど美しい青年は、漆黒のコートに身を包んでいた。


 吹雪に靡く髪にはうっすらと雪が積もっている。


 雪のカーテン越しに見えたその綺麗な碧い目には、確かに、グレイスの姿が映っていた。


 なぜなら彼が、こちらに足を向けたからだ。


 訝るような一歩。二歩目はもっと大股で。三歩目には地面を蹴るようにして、こちらへと走って来る。


「……た、すけ、て……」


 届いていればいい。そう思いながら、その言葉を最後に、グレイスは意識を失った。


 次にグレイスが目を覚ましたとき、すべてが終わっていた。


 雪はすっかりやんでいて、なぜか村もすっかりとなくなっていた。


 比喩ではなく、言葉通りに。


 グレイスを含めた子供たちはみな、村に唯一あった診療所で、見慣れない制服を着た人たちの手厚い看護を受けていた。


 彼らは聖騎士と名乗った。魔物と戦う職業の人だという。


 村の大人たちはどうしたのか尋ねたが、はぐらかされて答えは返って来なかった。


 グレイスは諦めて、あの人を探した。グレイスに気づいて、助けてくれた恩人。


 同じ制服を着ていても、彼だけはすぐに見つけることができた。彼はきらきらと輝いていて、グレイスの目には眩しいくらいで。


 彼は視線を感じたのか振り返り、横たわったままのグレイスと目が合うと、ほっとしたように微笑んでくれた。


 明るいところで見ると、まだ年若い青年だった。


 彼はゆっくりと歩いて来て、優しい手つきでグレイスの頭を撫でると微笑んだ。


「まだ眠っているといいよ。大丈夫、もう怖いことは過ぎ去ったからね。もう二度と、誰も、きみの自由を奪うことはないから。……おやすみ、勇敢なお嬢さん」


 彼はどうやらグレイスを過大評価しているようだったが、その声があまりに穏やかで、また眠りの世界へと誘われて――……。


 はっ、と。グレイスは白昼夢のような過去の幻影から我に返った。


 久しぶりにあの日のことを思い出してしまい、苦笑いする。


 こうして考えると、今も昔も、遠い人だ。


 はじめて会った日から、一目見た瞬間から、グレイスは彼に惹かれてやまなかった。


 自分たちを助けてくれたと知って、その気持ちが芽吹いて初恋となった。


 自分たちだけではなく、聖騎士として多くの人を助けていると知り、ますます叶わぬ想いが募った。


 振られたその日まで、いや、今なお、彼はグレイスの恩人であり、初恋の人だ。


 求められたら応えていた。


 ただひとつ。魔力があるからという、理由でさえなければ……。


 グレイスが傲慢なのだろうか。


 いくら自分を見てほしいと仕事で精一杯努力しても、結局彼の目に映ることはなかった。それなのに、魔力を見せてはじめて彼の目に自分が映ったのだ。


 彼が微笑みながら花束を受け取るのを見届けて、グレイスは踵を返した。


「グレイスー?」


「ごめん、もう行くね」


 マリエラを置いて、グレイスは足早に協会へと帰り着いた。


 受付にはいつものようにマゼランがいて、しかしグレイスの顔を見ると目を見張り、急にうろたえはじめる。


「お、おい……泣いてるのか? グレイス?」


 泣いてはいない。ただ目から水分が溢れているだけで。大きく首を横に振るが、彼はまだおろおろしながらも、ためらいがちに両手を広げた。


「よくわからんが……ほーら、お父さんの腕に飛び込んでおいで〜」


 年端のいかない子供にするような猫撫で声だったが、泣きそうなグレイスを必死にあやそうとしてくれているのが伝わって、胸が熱くなった。


 父親がいたらこんな感じなのだろうか。両親の顔すら覚えていないグレイスには、親子の愛とはよくわからない感情だった。


 だが、たぶん、今の感情に似たようなものなのだろう。


 暖かくて、優しい。


 その言葉にあまえて抱きつくと、よーしよし、と言いながら頭を撫でてくれた。


「あー……ほら、グレイスはうちの親父に孫みたいにかわいがられているだろう? ということはだ、グレイスは俺の娘みたいなもの……ということになるよな? な?」


 通りかかった同僚が苦笑しながら、そうですね、と答えて通り過ぎていく。


 勢いでパパと呼んでしまおうかなと思ったとき、マゼランの手がぴたりと硬直した。が、すぐにまたグレイスの髪をよしよしと撫ではじめた。


「娘を悪い虫から守るのも父親の仕事、だよな〜? ふっふっふっ」


 なぜか悪い笑みをしていそうな彼を訝りながらも、グレイスは顔を上げはしなかった。


 だからその様子をエミリオが絶句しながら見ていたことには、もちろん気づけるはずがなかった。




マリエラ(18)

ミーハーな献魔協会職員(献魔協会北ディアドロ支部所属)


マゼラン(45)

気のいい受付のおじさん(献魔協会北ディアドロ支部所属・受付業務主任)

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