8.仲睦まじい夫婦
「……その、チェレスタ。本当に、これを続けるのですか……?」
「ええ、そうですわ、旦那様」
しとやかに微笑んで目いっぱい背伸びをし、ヴォルフの耳元に口を寄せる。そのまま、吐息まじりにささやきかけた。
「ところで、口調を変えるのを忘れておられますわよ」
彼はびくりと身を震わせたけれど、ためらいがちに返事をしてくれた。
「そうだったな。すまない」
いつもと違う口調がとっても新鮮で、にまにまとした笑みをこらえるのが大変だ。
わたくしたちは今、ふたりで廊下を歩いている。彼の腕にそっと自分の腕をからませて、ぴったりと寄り添って、ゆっくりと。
向こうからやってきたメイドが、わたくしたちの姿を見てこぼれんばかりに目を見開いた。山のように洗濯物が入ったかごを手に、立ち尽くしている。
「ふふ、いつもお仕事を頑張ってくれて、ありがとう」
彼女の様子がおかしいことには気づかなかったふりをして、優雅に微笑みかける。
「わたくしたち、お散歩中なの。ここに来てから忙しくて、中々夫婦としての時間も取れなかったから、今日はゆっくりしようと思うのよ」
聞かれてもいないことをぺらぺらと喋るわたくしを、メイドはぽかんとしながら穴が開くほど見つめていた。
「さあ、まいりましょう、旦那様」
ヴォルフの顔を見上げて、ひときわ柔らかく笑いかける。ヴォルフはわたくしと目が合うとびくりと身をこわばらせたけれど、それでも小さくうなずいていた。
「ふふ、旦那様ったら、照れておられますのね」
軽やかに笑って、メイドの横を通り過ぎる。そのまま廊下を歩き続けて、周囲に誰もいないのを確認してから、ひそひそ声でヴォルフにささやいた。
「……これで、多少は安心してもらえるとは思いますわ」
「だと、いいのだが……」
彼は頬を赤くしたまま、困り顔でつぶやいている。
これが、わたくしが思いついた解決策だった。
わたくしとヴォルフがきちんと仲良くしているところを、みんなに見せて回る。具体的には、互いの呼び方や口調をもう少しそれらしく改めて、ふたりで城の中を練り歩く。それだけ。当たり前といえば当たり前の、何の代わり映えもしない方法だ。
ヴォルフと一緒にいると、わたくしは自然と笑顔になれる。わたくしがぴったりとくっついていると、ヴォルフはずっと照れっぱなしだ。今のわたくしたちなら、仲のいい夫婦のふりだってできるはず。
……ふり、ではなくて、正真正銘仲のいい夫婦だと言い切れたらよかったのだけれど、ヴォルフにはまだためらいがあるようだった。焦っても仕方ない、今はこうして寄り添っていられるだけでもよかったと、そう思おう。
開き直って、城の中をうろうろする。メイドや使用人、それに兵士たちと出くわすたびに足を止めて、笑顔で言葉をかわし、またふらふらする。
そんなことを繰り返していたら、ヴォルフが小声で問いかけてきた。
「……気のせいか、とても楽しそうだな」
演技とはいえ、わたくしに敬語抜きで話しかけることが落ち着かないらしく、彼は少しだけわたくしから視線をそらしたままだ。
「ええ。こうしてあなたと一緒にいられるのが、とても嬉しいんですの」
けれど気にせずに、思うままを告げた。触れたままの彼の腕が、こわばっている。
「それに、使用人たちと気軽に口をきけるというのが、新鮮で」
「そうなのか?」
さらに付け加えると、ヴォルフはばっとこちらを見た。驚いたように、目を見張っている。
「……王宮にいたころは、他者と親しくならないように気をつけていましたから。わたくしの事情に誰かを巻き込んでしまったら、申し訳ないですもの」
きゅっと唇を噛んで、ヴォルフをじっと見上げる。
「もっとも、結局こうして、あなたを巻き込んでしまいましたけれど……」
「いえ、それは……」
廊下で立ち止まったまま、ふたり見つめあう。ヴォルフは悲しげに眉を下げていたし、たぶんわたくしも同じような表情をしていると思う。
「……あ、いけませんわ。今は、大切な作戦の最中。こんなところで暗い顔をしている場合ではありません」
背筋を伸ばして、凛と言い放つ。
「そうですね……いや、そうだな」
律儀に言い直してくれるのがどうにもかわいらしく思えてしまって、自然と肩から力が抜ける。
「ただ、貴女も少し疲れただろう。一度、部屋に戻って休もうか」
たぶん、休みたいのは彼のほうなのだと思う。さっきから慣れないことをしているからか、その顔には疲れの色が見える。
でも、ここで部屋に戻ってしまったら、たぶん彼はいつもどおりの態度に戻ってしまうだろう。せっかくだからもう少しだけ、彼とこうしていたい。
「休む……でしたら、行ってみたい場所がありますの」
ごめんなさい、と心の中で謝って、彼の腕を引いて歩き出した。
そのまま城を出て、裏手の庭に向かう。ここなら、使用人たちもそうやってこないし、ヴォルフも少しはゆっくりできるだろう。
自然の枝ぶりを活かした生垣の前に、石でできた大きな長椅子が置かれている。そこに、ふたり並んで腰を下ろした。もちろん、腕を組んだまま。
「その、チェレスタ……今は誰もいないのですし、少し離れても……」
ヴォルフが思い切り声をひそめ、いつもどおりの口調でささやきかけてくる。人前ではよそよそしい敬語を止めてくださいね、というわたくしの指示をきちんと守って、他の人に聞かれないようにしてくれているのだろう。
ただそのせいで、わたくしたちの顔がうんと近づいてしまっているのだけれど、彼がそのことに気づいている様子はない。
あえてそのことは指摘せずに、肩を寄せ合ったままにっこりと笑いかける。
「駄目ですわ。いつ誰に見られてもいいように、気をつけておかなければ」
そのまま彼の肩にそっと頭を預けると、彼がびくりと身震いした。けれど、逃げようとはしなかった。ただ緊張したように、肩をこわばらせている。
本当にごめんなさい、ヴォルフ。あれこれと理由をつけてはいるけれど、結局わたくしがあなたに近づきたかっただけ。
……彼に嫌われてはいなかった、だったら少しずつ距離を縮めて仲良くなれないかと考えていたのに、ひとたび近づく口実を得てしまったら、どうにも歯止めが利かなくなってしまった。わたくし、こんなにわがままだったのね。知らなかった。
とはいえ、いつまでも彼を困らせるのもよくない。名残惜しいけれど、そろそろ離れたほうがいいだろう。
そう考えて身じろぎしたとき、上からとまどいがちな声が降ってきた。
「……風が出たな。チェレスタ、寒くはないか」
暦の上ではそろそろ初夏なのに、辺境の風はひんやりと冷たい。ヴォルフはがちこちに緊張しながらも、わたくしのことを気遣ってくれている。
「ええ、大丈夫ですわ。……あなたと一緒にいると温かいですから」
少しだけ考えてから、ひとこと付け加えた。これを言ったらまた彼が緊張してしまうだろうなと確信できていたけれど、せっかくだから伝えたかった。
案の定、彼は黙り込んでしまう。そっと彼の顔を見上げてみたら、彼はまっすぐに前を見つめ、口を引き結んでいた。その顔は、予想どおり真っ赤だ。
ああ、もっとこの姿を見ていたい。でもさすがに、そろそろ解放してあげたほうがよさそうですわ。
そっと彼から体を離そうとしたら、別のほうから声が聞こえてきた。
「おお、本当に旦那様と奥方様が、おふたりで散歩されていた」




