7.ちょっとした問題
互いの事情を打ち明けあったことで、わたくしたちの間にはいつになく打ち解けた空気が漂っていた。ヴォルフの表情も、いつになく和らいでいた。
この機を逃す手はない。今なら、わたくしの思いを伝えられるかもしれない。そう思ったら、勝手に口が動いていた。
「この縁組の真相がどうなっているのか、わたくしたちに確かめるすべはない。そして、いくら悔やんでも、過去は変えられない。そうでしょう?」
彼は真剣な顔で、小さくうなずいている。
「けれどわたくしにとって、この縁組は嫌がらせとはならなかった。そう思いますの」
お祖母様から聞いていた、憧れの地に来ることができた。うっとうしい兄姉たちから、離れることもできた。それに。
「……わたくしの旦那様は、とても素敵な方ですから」
ヴォルフが、目を見開いた。その凛々しい顔が、みるみる赤く染まっていく。
「そう……でしょうか」
「はい、もちろんですわ」
大いにうろたえ、視線をさまよわせているヴォルフに、にっこりと微笑みかけた。
「ですから、どうか……これからも、おそばに置いてはもらえませんか」
さっき彼は、わたくしを王宮に戻したいのだと言っていた。もっとも、わたくしが王宮でどのような扱いを受けていたのかを知った今なら、考えも変わっているかもしれない。
とはいえ、放っておいたら、また彼の気が変わってしまう可能性もある。だから今のうちに、彼を説得しておきたかった。
「状況がはっきりしない以上、へたに動くのは得策ではありませんわ。こうしてともに過ごしながら、今後どうするか、ゆっくり考えていきませんか?」
ここに来て、彼を見ていて、分かったことがある。
彼は思慮深く、情に厚い。相手のためを思って動ける人だ。だからこそ、ヘクターたちにも慕われているのだろう。
わたくしが泣いてすがれば、きっと彼は、わたくしをここに置いてくれる。けれどそうしたら、間違いなく彼を困らせてしまう。情に流されて動いてしまったものの、本当にその決断が正しかったのかと、彼はずっと悩むことになるだろう。
だからあえてそうせずに、冷静に提案することにした。たぶんこのほうが、彼も受け入れやすいだろうと、そう思ったのだ。
「はい。今のところは、そうするのがよさそうですね」
そう言って、彼はほっとしたような笑みを浮かべた。よかった、うまくいったようですわ。
「ありがとうございます!」
受け入れてもらえたことが嬉しくて、ついつい弾んだ声が出てしまう。ヴォルフは少し驚いていたようだったけれど、彼の顔に浮かんだ笑みはそのままだった。
そんな一幕のおかげか、わたくしとヴォルフとの距離は少しだけ近づいていた。
彼の顔にはまだためらいの色があったし、表情は恐ろしくぎこちなかったけれど、時折わたくしに笑いかけてくれるようになっていた。
この調子ならいずれ、彼と夫婦らしい関係を築くこともできるかもしれない。ああ、その日が待ち遠しい。
変わったのは、わたくしたちの関係だけではなく、城の空気もだった。もっともそちらは、ヘクターたちのおかげなのだけれど。
彼らが来るまで、この城にはずっと、どんよりと重苦しい空気が漂っていた。
ここにいるメイドや使用人、それに兵士のほとんどは、辺境の生まれではない。みな、王宮から派遣されてきたのだ。彼らは慣れない地での暮らしを嘆き、国境の向こうの敵におびえ、遠い故郷を懐かしんでいた。
そんなこともあってか、いつしか城のあちこちでため息が聞こえるようになっていたのだ。みんな仕事の手は抜かなかったけれど、気が滅入るのはどうしようもなかったらしい。
わたくしもヴォルフも、そのことがずっと気になってはいた。けれど打つ手が見つからず、ひたすらに歯がゆい思いをしていたのだ。
けれどそんな空気を、ヘクターたち十名の新米騎士は、見事なまでに吹き飛ばしてくれたのだった。
例えば、鍛錬場にて。
「それじゃあ、みんなで素振りいってみよう!」
ヘクターの明るい号令に続いて、他の新米騎士たちが兵士たちに声をかける。
「あ、もしかして鍛錬は久しぶり? じゃあ、俺たちと一緒に頑張ろうぜ!」
「私たちはこの地を守る仲間ですから、助け合うのは当然ですよ」
危険な辺境に連れてこられ、いつ起こるとも知れない戦いにおびえていた兵士たちは、ヘクターたちの励ましのおかげで落ち着きを取り戻した。
また、廊下では。
「いつもおいしい料理、ありがとうございます!」
「部屋もぴかぴかに保ってくれて、本当に助かってます!」
「俺たちが汚してくる服、洗わせちゃってなんかすみません……でもおかげで、新品みたいにきれいになりました!」
新米騎士たちは通りがかったメイドたちを捕まえては、あふれんばかりの感謝を伝えていた。その明るい笑顔に、彼女たちもつられて笑みを浮かべていた。
そして、城の外では。
「荷物持ち手伝いますよ! 体を鍛えるのにちょうどいいですから!」
「馬の世話の仕方、教えてください! 一応学んではいるんですけど、王宮にいたころは馬に触らせてもらえなくて」
「俺たち、毎日体を鍛えてるのに……腕力では全然かなわないや……みなさん、すごいですね!」
使用人たちに人懐っこく声をかけては、興味津々といった様子で彼らの仕事を手伝っていた。騎士とは思えないきらきらしたまなざしを向けられた使用人たちは、まんざらではなさそうな顔をしていた。
そうやってヘクターたちは、あっという間に城のみんなと仲良くなってしまったのだった。
午後のひととき、ヴォルフの部屋に上がり込み、一緒にお茶にする。ふたりきりのこの時間も、すっかり習慣になっていた。
「ヘクターたち、すっかりここになじんでいますわね」
「彼らは王都にいたころから、多くの人に好かれていました。まっすぐで純粋なところが、好ましく映るようです」
「分かりますわ、その気持ち」
和やかに話していたわたくしとヴォルフが、同時に笑顔を引きつらせる。
「……けれどまさか、城のみなの本音まで聞き出してくるなんて、思いもしませんでしたわ……」
「城主としてはありがたいことなのですが、内容が少々……」
そうして、ふたりそろって頭を抱える。
城のみんなは、予想外の悩みを抱えていた。ヘクターたちはそれを知って、わたくしたちにそっと教えてくれたのだ。
『ヴォルフ様とチェレスタ様が、どうにもよそよそしいように感じられてならない』
『辺境伯夫妻が離縁などということになったら、この城はどうなるのだろう』
『先代の辺境伯のように、また主がいなくなってしまうのだろうか。主のいないときに敵が攻めてきたらと思うと、恐ろしくてたまらない』
みなの悩みをざっくりとまとめると、こんな感じだった。ヘクターたちが「大丈夫だと思いますよ」と励ましたものの、それでもみなの顔は晴れなかったのだとか。
「つまり、わたくしたちが夫婦らしくなくて、いつばらばらになってしまうか、ここからいなくなってしまうか分からないせいで、みなが不安になっている、ということですのね……」
これでもわたくしたちは、仲良くなったほうなのだ。こうして一日に一回は、ふたりきりで話しているし。
ただ……やはり寝所は別々のままだし、彼の部屋以外の場所では礼儀正しく距離を取っている。人前でうっかり近づきすぎると、ヴォルフが照れてうろたえるからだ。
「……ヴォルフ様、これは即急に解決すべき問題のように思いますわ……」
「……そうですね。ただ、どうしたものか……」
彼の顔は、厳しく引き締められている。どうやら、自分のせいでみなが困っているという事態が許せないらしい。
本当に、真面目ですこと。そういったところも好ましいのですけれど、いかんせん不器用なせいで、何を考えているのかが周囲に理解されづらいのかもしれない。
わたくしだって、ぐいぐいと強引に迫らなければ、彼のこんな一面を知ることはなかっただろうし。
ん? ……強引に、迫る……。
「あの、ヴォルフ様。少し、思いついたことがあるのですが。聞いていただけますか?」
そう告げると、彼は素直にわたくしの話に耳を傾け始めた。




