6.彼が隠していたこと
「腰抜け……? まさか、そんな……ヴォルフ様は、とてもそのような人物には見えませんわ」
ヴォルフが口にした言葉が衝撃的過ぎて、ついうっかり彼の話をさえぎってしまう。
すると、彼はふっと柔らかい苦笑をこちらに向けてきた。そのまなざしに、こんな状況だというのにどきりとしてしまう。
「ところが、掛け値のない事実なのです」
目を伏せて、彼はさらに話し続けた。
「貴女もご存じのとおり、我がフロージュ王国と敵対関係にあるのは、この辺境と接する隣国シャルカのみ」
シャルカ。その名に、胸がちりりと痛む。いずれわたくしたちは、シャルカと戦うことになるのだろう。
「辺境を守るため、騎士の一部は辺境に派遣されます。戦いが激しくなれば、騎士団長が辺境に向かうこともあるのです」
ひざの上でぎゅっとこぶしを握って、ヴォルフの声に耳を傾ける。
「ですがこのところ大きな戦がなかったということもあって、私は国内に時折現れる賊の討伐や、王侯貴族の警護といった任務のみをこなしていました」
それらの任務は、騎士団長の任務としては少々地味というか、退屈なものなのかもしれない。けれどヴォルフの声音からは、うんざりしたような響きは感じ取れなかった。
雑用のような任務を進んでこなしていたから、彼が腰抜けと呼ばれることになった……ということなのかしら。やはり、信じられないけれど。
「私は他の騎士たちに、可能な限り血を流すなと命じていました。罪人を切って捨てるのは簡単ですが、彼らにも裁きを受け、罪を悔い、罪を償いながら生きる権利はあると考えていたからです」
と、話が思わぬ方向に転がっていった。思わず目を丸くして、彼をまじまじと見てしまう。
「そういったやり方を、一部の騎士たちは不満に思っていました。……平民の罪人に情けをかけるなど、誇り高き騎士の行いではない。騎士団長はろくに戦うこともできない腰抜けだと、そんな不満が漏れ聞こえるようになったのです」
騎士たちは家を継ぐことこそないが、みな貴族の家の出だ。だから多かれ少なかれ、平民を下に見ているのだろう。
「けれど私は、やり方を変えることはできなかった。その結果、騎士団は事実上ふたつに分かれてしまったのです」
ただヴォルフは、平民であるメイドや使用人たちに対しても分け隔てなく接していた。その態度を好ましく思うと同時に、少し不思議でもあった。どうして彼は、誰に対しても優しく公平なのだろう、と。
ようやく、その謎が解けた気がする。彼はずっと前から、貴族らしからぬ信念を貫いていたのだ。
「片方は、ヘクターたちのように、私の考えに共感してくれた多くの者たち。そうしてもう片方は、私のやり方に異を唱える一部の者たち。後者をまとめていたのは、当時副騎士団長だったアルフレッドでした」
ついさっき、ヘクターも同じ名前を口にしていた。なんとなく、嫌な予感がする。
「アルフレッドは侯爵家の出で、王子の乳兄弟です。自らの出自に誇りを抱いている彼は、遥かに下の家の出である私が彼を差し置いて騎士団長となったことが許せなかったのでしょう。ことあるごとに、彼は私に反発していました」
ヴォルフの声に、自分を責めているような響きが混ざり込む。それを聞いてしまったら、もう黙っていることはできなかった。
「けれどあなたは、剣の腕に優れ、人望も厚く……それに、優しく寛大な方ですわ。あなたは騎士団長としてふさわしい人物だと、そう思います」
ついつい力いっぱい、ヴォルフのことを褒めちぎってしまった。思いかけず熱がこもってしまって、自分でも驚いてしまう。
驚いたのはヴォルフも同じだったらしく、彼は目を丸くしてわたくしを見つめてきた。しかしすぐに、寂しげに微笑む。
「ありがとうございます。ですが、私のせいで騎士団に不協和音が生じていたのも、また事実なのです」
「確かに、あなたのやり方は、従来の騎士のそれとは違うのかもしれませんけれど……でもわたくしは、そういう考え方が好きですわ」
言ってしまってから、あわてて口を押さえる。
さすがに、いきなり「好き」というのは、はしたなくはなかったかしら。いえ、わたくしたちは夫婦なのですし、これくらい構わないとは思うのですけれど。
ヴォルフはすっと視線をそらすと、小さく咳払いをした。その頬が、かすかに赤く染まっていた。
「そう、ですか。……ともかく、アルフレッドはことあるごとにささいな嫌がらせを仕掛けてきていたのです。おそらく、私が辺境伯となったことも、そのひとつなのでしょう」
辺境伯となったことが、嫌がらせ。彼はどうして、そう考えているのか。不思議に思いつつ、黙って話の続きを待った。
「……辺境へと旅立つ日、彼は言いました。自分の後ろには偉い方がついている、その方のおかげでようやく、欲しいものを手に入れたのだ……と」
彼の声が、どんどん小さくなっていく。苦しげに歯を食いしばりながら、彼はさらに続けた。
「そもそも、私に辺境伯の位が与えられたこと自体、おかしいのです。私は騎士団長として精いっぱい働いてはきましたが、爵位をいただくに値するほどの功績を立てたことはありません」
わたくしのほうを見ないまま一息に言い切って、彼はさらに声をひそめた。
「ここからは、あくまでも推測でしかないのですが」
思わず身を乗り出して、小さくうなずく。
「アルフレッドは乳兄弟である殿下にかけあい、私を騎士団長の座から追い払ったのでしょう。騎士団長の座を、己がものにするために」
「栄転に見せかけた、追放……ということですの?」
「はい。そして私が辺境伯の位を辞退できないように、貴女との縁組を用意したのだと思います」
王女との縁組を断るなんて、普通ではまずありえない。強引に断ろうものなら、相手に手ひどく恥をかかせてしまう。優しいヴォルフは、この話を受けるほかなかったのだろう。
「私とアルフレッドとの因縁に、貴女を巻き込んでしまった。そのことが、ずっと心苦しかった」
組んだ両手に額を当ててうつむくと、疲れたように息を吐いた。
「……これが、私が貴女を遠ざけようとしていた理由です」
そのままの姿勢で、彼はぼそぼそとつぶやいている。消え入るような、弱々しい声だった。
「どうにかして貴女を王宮に返せないかと、ずっとそう考えていました。これ以上、私のせいで貴女が不幸になるのは、忍びなくて」
彼が何を考えているのか、ようやく分かった。それで、彼は不思議なくらいによそよそしかったのか。わたくしのことを嫌っていないと言いつつも、距離を取ろうと頑張っていたのか。
納得すると同時に、胸がぎゅうっと苦しくなった。面倒な事情を抱えていたというのに、彼はわたくしを気遣ってくれていた。そう、実感してしまったから。
「いいえ、ヴォルフ様!」
声を張り上げて、彼の言葉を否定する。
「あなたは、勘違いしておられますわ」
わたくしが大きな声を出したことに驚いたのか、ヴォルフがばっと顔を上げた。
「勘違い……ですか?」
「はい。……恥を忍んで打ち明けますけれど、わたくしは兄姉たちに疎まれていました」
正直、このことをはっきりと口にするのは嫌だった。だって、そんなことを認めてしまったら、この上なくみじめな気分になるから。
だから王宮にいる間、わたくしはいつも胸を張って、堂々と生きてきた。これくらいどうということはないのよと、自分にも、周囲にもそう見せつけてきた。
でも今は、ヴォルフの誤解を解かなくては。そのためなら、多少の辛さなんて無視できる。
彼は、自分のせいでわたくしが巻き込まれたのだと考え、自分を責めている。けれど真実は、きっと逆だ。
「兄も姉もわたくしを目の敵にして、日々細々とした嫌がらせを仕掛けていたのです。しまいには、わたくしの縁談を片っ端からつぶして回っていました」
彼はまばたきもせずに、わたくしを見つめていた。食い入るような視線にたじろぎつつ、優雅に肩をすくめてみせる。
「もっともわたくしは一生独身で過ごすつもりでしたから、まったく気にしてはいなかったのですけれど」
ヴォルフが心配しないように、気に病まないように、ことさらに明るい声を出す。
「ところがある日、兄姉たちは突然あなたとの縁談を持ってきたんですの。しかも口々に、こんないい話はない、って言っていましたわ」
あのときの兄姉たちのうすら寒い笑顔、今でもはっきりと覚えている。……思い出したら、腹が立ってきた。そのおかげか、いつもの強気な自分が戻ってくるのを感じた。
「兄姉たちが、わたくしにわざわざいい話を持ってくるはずがない。つまりこの縁談は、わたくしに対する嫌がらせなのです」
信じられないといった顔をしているヴォルフに向かって、まっすぐに言葉を投げかける。
「つまり、あなたがわたくしを巻き込んだのではなく、わたくしがあなたを巻き込んでしまった。それが、この縁組の真実ですの」
腰に手を当てて、胸を張って、きっぱりと断言する。反論は許さないぞと、そう表情で示しつつ。
「ですから、謝らなくてはならないのはわたくしのほうですわ。こんなことになる前に、さっさと王宮から逃げ出しておけばよかった……そうすれば、あなたに迷惑をかけることもなかったのに……」
するとヴォルフが、ばっと弾かれたように身震いした。
「王宮から逃げ出すのは、さすがに無理がありはしませんか……」
「ところが、そうでもないんですの。ヴォルフ様も、薄々お気づきでしょう?」
わたくしはその気になれば、王宮を飛び出してどこか遠い地で生きていくことだってできた。そのために必要なあれこれは、子どものころにお祖母様から習っているし。
これまでわたくしが王宮でおとなしくしていたのは、実家で静養しているお母様にこれ以上心労をかけたくなかったのと、あの兄姉たち相手に負けを認めるのは嫌だったからだ。
「いえ、それを言うなら、私のほうこそ……こんなことになる前に、何か手を打っていればよかったのです。自分が辺境伯にふさわしくないのだと示して破談にするなり、騎士団を乱した責任を取って騎士団長の座を降りるなり……」
「そんなことをしたら最後、あなたは人生を棒に振ることになっていましたわ。わたくし、それは絶対に嫌ですわよ」
「いえ、あなたが王宮を出ていくことを思えば、これくらい」
「わたくしは元々、不遇の王女でしたもの。王宮に未練などありません」
「私こそ、この国を守っていくことができれば、身分などどうでもよかったのです。もし騎士の位を失ったとしても、兵士として働くこともできるのですから」
そこまで言い合ったところで、お互い我に返る。目をぱちぱちさせながら彼の顔を見つめると、彼もぽかんとした顔でわたくしを見つめ返してきた。
「ふふっ、わたくしたち、同じようなことを主張していますわね」
「そうですね」
そして同時に、苦笑した。互いの事情をぶつけあったからか、不思議なくらいに気分が軽くなっているのを感じた。
「ねえ、ヴォルフ様」
先ほどまでとはまるで違う柔らかな声で、呼びかけた。




