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4.もう一歩、歩み寄って

 妙に真剣な顔で、ヴォルフが口を開く。


「チェレスタ様はいったい、どこでそのような技術を身につけられたのでしょうか? いえ、少々気になっただけですので、話したくないのであれば……」


 さて、どうしましょうか。


 ひとりで着替える方法に、乗馬の技術。それらをお祖母様から教わったこと自体は、まあ話してもいい。ただそうすると、今度は「なぜお祖母様はそんなにいろんなことができたのか」という質問が飛んでくるかもしれない。


 でも、それについては、話せない。


 そのことについてはできる限り隠すようにと、お祖母様がわたくしに約束させた。もちろん、わたくしのことを思って、お祖母様は口止めしたのだ。


 ヴォルフは信用してもいいように思えるけれど、万が一ということもある。


 少しだけ考えて、口を開く。


「わたくしは王宮に来る前に、母の実家で暮らしていましたの。その間に、いろいろと学びました。わたくしは王女ではありますが、だからといって何もできないお飾りというのも、どうかと思いまして」


 だからちょっぴり、嘘をついた。……さっきヴォルフは、嘘は嫌いだと言っていた。彼はわたくしの嘘に、気づいてしまっただろうか。


「そうだったのですか。素敵な考えですね」


 けれど彼はそう言って、照れくさそうに視線をそらしてしまった。……たぶん、気づかれてはいない。


 そのことは、よかったと思う。けれど、素直に喜ぶこともできない。胸の中に漂うもやもやとした気持ちをごまかすように、ゆったりと優雅な笑みを浮かべて彼を見守っていた。




 ちょっぴりほろ苦い遠乗りの、さらに次の日。わたくしは、さらに次の行動に移っていた。


 少々思うところもあったけれど、それでもヴォルフとの距離が少しだけ縮まったのも事実だ。せっかくだから、もっと彼に近づきたい。


 わたくし、こんなにせっかちなところがありましたのね。王宮で七年も息をひそめて耐えてきたから、その反動が出たのかしら。あるいは、それだけヴォルフのことが気になってしまっているのか。


 ともかく、善は急げ。支度を整えて、いそいそとヴォルフの部屋へと向かった。お茶の支度が乗ったワゴンを、ひとりで押して。


「旦那様、今、お時間よろしいでしょうか?」


 彼の部屋の扉を叩き、明るい声で呼びかけた。そろそろ午後のお茶の時間だし、執務中だとしても休憩くらいは取るはずだ。いや、取ってくれると思いたい。


「ええ、空いています。どうぞ、お入りください」


 すぐに、そんな返事があった。よかった、ひとまず話すことはできそうね。


 ちょっぴり浮かれつつ、部屋に入る。


 彼は机に向かって、熱心に本を読んでいた。……いえ、あれは本というよりも、誰かの日記のようにも見えますわね。ヴォルフのもの……にしては、少々古いような。


「あら、読書ですの?」


「いえ、これは……執務の一環とでも、言えばいいのでしょうか。ところで、私に何か御用でしょうか」


 しかし彼はその本をわたくしに見せることはなく、すぐに机の引き出しにしまい込んでしまった。やはり、よそよそしい。


「そろそろ休憩の時間かと思いまして、お茶の支度をしてきましたの。一緒に、お茶にしましょう」


 彼の態度はひとまず気にしないことにして、ここに来た用事をこなすことにする。ソファのそばまでワゴンを押していき、ソファの前のテーブルに茶器や菓子皿などをてきぱきと並べていく。


「……メイドは、どうしたのでしょう?」


「これくらいなら、わたくしでもできますわ。せっかくあなたとお茶をするのですし、ふたりきりでゆっくり過ごしたくて」


 最後にちらりと、本音を付け加える。彼に近づきたいのはやまやまですけれど、あまりぐいぐい迫っては、困惑させてしまうかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。


「そうでしたか。確かに貴女でしたら、これくらいはたやすいことなのでしょう」


 彼は少し動揺しつつも、納得したようにうなずいていた。


 ただ、わたくしがもらした本音については何も言及してこない。聞こえていないはずはないから、わざと無視しているのか。


 やっぱり、避けられているのかも……いえいえ、この程度で弱気になってどうするの。彼をもっと驚かせて、こちらに興味を抱かせる、そのための策を練ってきたのだから。


「ええ、そうですわ。でも、お茶の道具を運んできただけではないんですのよ」


 澄ました顔で微笑み、菓子皿にかけられた覆いを取った。その下からは、素朴なスコーンがきちんと並べられた皿と、白いクリームが入った小さな器が姿を現した。


 ヴォルフは不思議そうに菓子皿を眺めていたけれど、ふと小首をかしげた。


「道具を運んできただけでは、ない……?」


 わたくしの言葉が引っかかったのか、彼は考え込み始めた。少しして、まさか、という目でこちらを見てくる。ついつい口元に笑みが浮かぶのを感じながら、胸を張る。


「こちらのスコーンとクリームは、わたくしが作りましたの!」


「えっ……?」


 高らかに答えると。彼はぽかんと口を開けて、わたくしの顔をまじまじと見つめた。それから視線を落として、スコーンとクリームを交互に見つめている。ふふっ、思っていた以上の反応ですわ。


「本当に、ですか……?」


「はい! メイドの手を借りずに、いちから全て、自分の手で!」


 それでもまだ、ヴォルフは信じられないといった顔をしている。なので、もう少し丁寧に説明してみることにした。


「スコーンはごくありふれたレシピのものですけれど、クリームのほうは工夫しましたわ」


 彼の目が、なめらかなクリームに吸い寄せられた。器を掲げて、歌うように話す。


「新鮮な乳が手に入りましたから、熱を加えながら根気強く混ぜて煮詰め、お砂糖を加えてよく練りましたのよ」


「……貴女はとても器用な方だと、そう思ってはいましたが、まさかここまでとは……」


「お褒めいただき光栄ですわ。味にも自信がありますの。さあ、めしあがれ」


 笑顔で勧めると、彼はとても慎重にクリームをスコーンに塗りつけた。真剣な面持ちで、スコーンを口に運び……。


「バターとも、生クリームとも違う……とても濃厚なのに、しつこくなくて……いくらでも食べられそうです」


 彼の顔が、ぱあっとほころぶ。まるで子どものような無邪気な表情に、ほっと胸をなでおろした。よかった、口に合ったみたい。


「旦那様に喜んでもらえて、嬉しいですわ。また、作りますね」


「……チェレスタ様」


 けれど彼は、すぐに顔を引き締めてしまった。


「その『旦那様』というのは、ひとまず止めていただけるでしょうか」


 しかも、唐突にそんなことを言い出した。さっきまでいい雰囲気だったと思っていたのに、どうしたのだろう。わたくし、何か失敗してしまったのかしら……。


 わたくしの顔色が変わったことに気づいたのか、ヴォルフがあわてたように目を丸くする。


「いえ、先日も申し上げましたが、貴女を疎んじるとか、そういった意図はないのです。これはあくまでも、私の問題であって」


 そうして、かすかに首を横に振った。いつになく、動揺しているような。


「……貴女にそう呼ばれると、どうしていいか分からなくなってしまうのです。我ながら、情けないとは思うのですが」


 小声でつぶやく彼は……まぎれもなく、恥じらっていた。


 嫌われたのかと思って一瞬どきりとしたけれど、そうでもなさそうだ。むしろ彼は、わたくしのことを多少なりとも意識してくれているようにも思えるし。


「それでは、……ヴォルフ様」


 上品に微笑んで、彼の名前を呼ぶ。なぜか、ちょっぴり照れくさい。


「……はい。助かります」


 けれど彼はほっとした様子で、かすかに笑みを浮かべた。呼び方ひとつで、こんなに態度が変わるなんて、面白いですわ。


 笑いをこらえつつ、今度はこちらから切り出してみる。ずっと気になっていたことを、この機会に解決できないかな、と思ったのだ。


「あの、わたくしからも、ひとつお願いしてもいいでしょうか」


「何でしょう?」


「この際ですから、チェレスタ『様』というのは、止めていただけると嬉しいのですけれど」


 ヴォルフが、ひゅっと息を吸う音が聞こえた。明らかに動揺している。


「ただ、チェレスタとだけ呼んでいただきたいのです。あなたに対する呼び方を改めたところですし、この際ですから、わたくしに対する呼び方も変えていただければ、と……」


 もじもじしながら言葉を濁し、ヴォルフの様子をうかがう。彼はまだぽかんとしていたけれど、やがて我に返ったように身震いした。


「しかし、王女であらせられる貴女を呼び捨てにするなど、おそれ多く」


 そして、深刻そのものの口調で反論してくる。予想はしていたけれど、やはり手ごわい。


 ここで、「あなたはわたくしの夫なのですから」と口にしようものなら、きっと彼はさらにかたくなになってしまうだろう。彼と過ごした時間はとても短いけれど、断言できる。


 だったら、どう説得してみましょうか……。


「気持ちは分かりますわ。ただ、いずれどなたかが、辺境の様子を見にくるはずです」


 見にくるはず、ではなく、間違いなく見にくる。辺境に飛ばされたわたくしがどれほどきゅうくつでみじめな暮らしをしているか、兄姉たちは知りたがるはずだから。本人たちは来ないだろうけれど、たぶん手下をよこしてくる。


「そのときに、わたくしたちがあまりにも他人行儀な呼び方をしていたら、きっとそのどなたかは、わたくしたちの関係がよくないのだと、そう思うでしょう」


 静かにつぶやいて、目を伏せる。もしそうなってしまったら、寂しいだろうなとは思う。ただそれ以上に、腹立たしさも感じてしまった。きっと兄姉たちは、報告を聞いてほくそ笑むだろうから。


 複雑な感情のあれこれを押し込めて、そろそろとヴォルフに呼びかける。


「ですから、そういった事態に出くわした際、少しの間だけでも取り繕っておきたいところですが……ヴォルフ様は、とっさにわたくしのことを呼び捨てにできるでしょうか?」


 できないだろう。できそうにない。できないに決まっている。


 案の定、ヴォルフは難しい顔をして考え込み、絞り出すようにうめいた。


「それは……そうですね」


 ほら、やっぱりですわ。読みが当たったことにほっとしつつ、さらに追い打ちをかけてみた。


「ですので、今のうちに練習しておいたほうがいいと思いますの」


 これで、押し通せるかしら。不安を顔に出さないように気をつけながら、彼の様子をひたすらにうかがった。


 彼は石像にでもなったかのように、黙ったまま動かない。しばらくして、かすかな声が彼の唇からもれた。


「………………分かりました、その…………チェレスタ」


 あら、どうしたのでしょう。急に頬が熱く……。


「チェレスタ、……大丈夫ですか? どことなく様子がおかしいような……」


 きょとんとしながら頬を押さえたわたくしの顔をのぞきこむようにして、ヴォルフが心配そうに尋ねてくる。


「いえ、気のせいですわ!」


 ぱっと明るく笑いかけ、とっさにお茶のカップを手にする。少し冷めたお茶は、砂糖を入れていないというのにほんのりと甘く感じられた。

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