3.いちかばちか、ですわ
「ねえ、旦那様」
「……はい」
「いい天気ですわね。馬たちも嬉しそう」
「……そうですね」
わたくしたちは、城の外の草原にいた。
ヴォルフは神妙な面持ちで、前だけを見て馬を走らせている。わたくしは別の馬に乗り、自分で手綱を取って、彼のすぐそばを並走していた。口元に、小さく笑みを浮かべながら。
わたくしが辺境に来た最初の朝、わたくしは気合いを入れてめかしこみ、朝食の席についていた。もちろん、ヴォルフを振り向かせるために。
とはいえ、ヴォルフのもとに嫁ぐにあたって、兄姉たちは嫁入り道具や祝いの品は用意してくれなかった。まあ、当然といえば当然ですけれど。
わたくしの母の実家であるアディン侯爵家からも、特に贈り物のたぐいはなかった。ただそれは、この結婚が気に入らないとかそういった理由ではないはずだ。おそらくは、この結婚の話がまだそちらに届いていないのだろう。
たぶん、兄姉たちがわざと情報を隠しているのだ。あの人たちなら、それくらいはやる。断言できる。
だからわたくしがここに持ってきたのは、それまで王宮で使っていたものばかり。服も持ち物も、全部。
しかも王宮にいる間は、兄姉たちに目をつけられないよう、持ち物を新調することはできるだけ控えていた。
なので、わたくしが持っているドレスやアクセサリーはどちらかというと古めかしい、やや地味なものが多い。それらを組み合わせて、愛らしく着飾るのは骨が折れた。
けれど、努力したかいはあった。ヴォルフはわたくしを見てちょっと目を見張ると、「似合っていますね」と言ってくれたのだ。もっとも、ものすごくか細い声ではあったけれど。
そうして朝食後、城の周辺の見回りに向かう彼を、城門のところまで見送りに出た。
彼はやはりどことなく落ち着かない様子ではあったけれど、ゆっくりと馬を進め、城の周囲に広がる草原へと向かっていった。
馬に乗った彼の姿が遠ざかっていくのを見送ると、その足で自室に駆け込む。
昨夜、彼の思いを少しだけ聞くことができた。今朝、彼にちょっとだけ褒めてもらうことができた。この機を逃すことなく、さらに畳みかけたい。
普通の女性であれば、ただおとなしく待っていることしかできなかっただろう。けれどあいにく、わたくしは普通ではない。兄姉たちにばれないよう、隠してはいたけれど。
「空の上のお祖母様、あなたの教え、活用するときがようやく来ましたわ」
アディン侯爵家で暮らしていたころ、わたくしはお祖母様に様々なことを教わっていた。いずれひとりで王宮に向かわなくてはならないわたくしが、困ることのないようにと。
あのころは、王宮がそこまで恐ろしいところだとは思っていなかった。腹違いとはいえ、一応は血のつながった兄姉たちが結託してわたくしをいじめてくるなんて、思いもしていなかった。
でもたぶん、お祖母様は感づいておられたのでしょうね。だからこそ、わたくしを深窓の令嬢ではなく、自分のことは自分でこなせる立派な女性となるようにしつけてくれたのだ。お祖母様には、感謝しかない。
くすりと笑いながら、誰の手も借りずにぱぱっとドレスを脱ぎ捨てる。乗馬服を引っ張り出して、手早く身につけた。
着替えを手伝おうとしていたメイドたちは、わたくしの手際のよさに感心しつつも、同時に困惑しているようだった。事情を説明してやりたいけれど、今はとにかく急いでいる。
「あの、奥様、私たちは、どうすれば……」
「脱いだ服の片付けだけ、お願いできるかしら?」
メイドたちにそう告げると、勢いよく自室を飛び出した。その足で、城の裏手にある厩に向かう。
「おはようございます、奥様、こんなところまで、どうなさいましたか?」
首をかしげている厩番に会釈して、飼われている馬たちを順に見ていく。素直で足が速そうな子を選び出して、手際よく馬具を身につけさせていった。アディン侯爵家にいたころは、よく遠乗りに出ていたから、これくらい造作もない。
「奥様、あの……何をされるのでしょう?」
わたくしの動きを見守っていた厩番が、おずおずと尋ねてきた。彼もまた、メイドたちと同じく、困惑しきっている。
「少しばかり、遠乗りにね」
「でしたら誰か、供の者を……」
「大丈夫よ、旦那様を追いかけるから」
にっこりと笑い、馬にまたがる。困り果てている彼に小さく頭を下げてから、馬を走らせた。
そのまま馬を走らせ、全速力でヴォルフのあとを追う。幸い、草原の向こうのほうに、彼の姿はまだ見えていた。
わたくしを乗せた若馬は、外を駆けるのが楽しいらしく、跳ねるような足取りで走っている。規則的な揺れと、さわやかな緑の香りをはらんだ風がとっても心地いい。久しぶりに、とっても爽快な気分ですわ。
ヴォルフが背後から迫る音に気づいたらしく、馬を止めてこちらを振り返った。凛々しいその顔に、ばっと驚きの色が広がる。
「チェレスタ様!?」
彼の前まで一気に駆け寄ると、優雅に微笑みかけた。
「せっかくですから、わたくしもおともしたくて」
けれどまだ、彼はぽかんとしていた。ここにわたくしがいることが信じられないといった表情だ。とまどいもあらわに、言葉を返してくる。
「おとも、ですか……どうして、そのような……いえ、そもそも、どうしてこんなに早く、私に追いついてこられたのでしょう? しかも、ひとりで馬を操って……」
「わたくしも辺境伯の妻なのですし、領地を見ておくべきですもの。あと、身支度については……」
声をひそめて、彼を見送ってからのいきさつを説明した。彼の目が、さらに大きく見開かれていく。
昨夜、ヴォルフと別れてから、自室でひとり考えた。
彼はわたくしを嫌ってはいない。けれど、わたくしを素直に受け入れるつもりもなさそうだった。何か事情があるように見えるけれど、おそらくそれを聞き出すのは難しいだろう。
でもわたくしは、彼と仲良くなりたい。だって、せっかく夫婦になったのだもの。これも何かの縁というものですわ。
だから、ありとあらゆる手を尽くして、彼に近づいてみることにした。
ただ、正攻法だけではうまくいかないような気もしていた。
昨晩、礼儀正しく彼を寝室に誘ったとき、彼は取りつく島もなかった。けれどわたくしが声を張り上げて、毅然と言葉を返したら、彼は内心を少しだけ明かしてくれた。
だったら、わたくしの本当の姿を見せてしまうのもありかもしれないと、そう判断したのだ。それで駄目だったら、縁がなかったものとあきらめよう。
そう覚悟を決めて、こうして彼のあとを追いかけてはきたのだけれど……やっぱり、緊張する。彼はいったい、どんな反応を見せるのだろうか。
どきどきする胸をそっと押さえて、ヴォルフの様子をうかがう。彼はまだぽかんとしたままわたくしを見つめていたけれど、やがてふうと息を吐いた。
「……貴女に、そんな一面があったとは……驚きました」
そうつぶやく彼の目に、嫌悪の色はなかった。そのことに大いにほっとしつつ、急いで付け加える。
「あとで、メイドたちと厩番には謝罪しておきますわ。驚かせてしまって申し訳ありません、って」
「ええ、それがいいと思います。きっと彼女たちも、とても驚いたでしょうから」
それきり、彼は黙り込んでしまった。わたくしも彼に合わせて、口をつぐむ。
どうやらヴォルフは、心の広い人物のようだ。わたくしのめちゃくちゃな行いを、大目に見てくれた。それに、使用人たちのことを思いやる優しい心もある。
ああ、どうしましょう。わたくし、さらに彼のことが気になってきましたわ。
そわそわしつつも、彼の隣で馬を走らせる。時折、他愛のないことを話しかけつつ。
本当は、もっといろいろ話してみたかったのだけれど、焦りは禁物だ。ヴォルフが話したいと思ってくれるまで、我慢。
草原をしばらく進んだところで、ヴォルフがためらいがちに声をかけてきた。
「チェレスタ様。その……」
「はい、なんでしょう?」
やった、やっとヴォルフから話を振ってくれましたわ。内心期待しつつ、澄ました顔で言葉を返す。
「この辺境は、隣国シャルカに接しています。いつ彼らが国境を越えてくるか、いつ戦いになるか分かりません。できればそろそろ、城に戻られては……」
シャルカ。それはこのフロージュ王国のすぐ北に位置する、草原の国だ。
五十年ほど前、フロージュとシャルカとの間で、国境をめぐる争いが起こった。それ以来、ふたつの国は犬猿の仲となっている。
時折国境を越えて攻めてくるシャルカの人間たちから王国を守ることが、辺境伯たるヴォルフの一番の使命なのだ。
「わたくしの身を案じてくださいますのね。嬉しいですわ。ですが、大丈夫です。何かあったら、全力で城に駆け込みますから」
「……そうですね、貴女なら、それも可能でしょう」
ふと、彼が優しく目を細めた。凛々しい顔に浮かんだ柔らかな笑みから、目が離せない。
「若馬に乗り、遠くから駆け寄る貴女の姿はとても美しく……こほん、ではなく、貴女はとても見事に、馬を操っておられました」
「あら、本当ですの?」
思いもかけない褒め言葉に、どきりとしてしまった。ヴォルフは顔を引き締めると、力強くうなずいた。
「はい。私は、嘘は嫌いです」
馬術には自信があったのですけれど、まさかそこまで褒めてもらえるなんて。嬉しいですわ。
胸がくすぐったくてたまらない。ふふ、わたくしの本性を見せてみることにしたのは、正解でしたわね。
……もしかして彼は、夫婦という関係にとまどっているだけで、もっと当たり障りのない話題であれば、きちんと相手をしてくれるのかもしれない。
よし、だったらもっと、いろいろ仕掛けてみましょうか。
がぜんやる気になっていると、ヴォルフがまた声をかけてきた。
「チェレスタ様。少し、尋ねたいことがあるのですが……」
しかしその表情は、やけにこわばっていた。




