29.新たな平和の形
どこからか流れてくる、聞き覚えのある旋律に、思わず目をまたたく。音の出所を探って、さらに驚いた。
シャルカの民たちが、笛や弦楽器を手に、息の合った演奏を披露していたのだ。しかし奏でているのは、フロージュの舞踏曲だ。それも、貴族たちの間ではよく知られたもの。
「フロージュの華やかな曲を知らないかって聞かれたから、教えたの……わたし、楽器はできないけれど、歌うのは得意だから」
ぽかんとしていたら、マリアンが近づいてきた。はにかみながら、そうささやきかけてくる。
「そうだったんですのね……」
彼女が歌うところを聞いたことはないし、歌が得意だということも知らなかった。わたくしたちは同じ王宮で暮らしてはいたけれど、まともに口をきく機会すらほとんどなかったから。
でも今後は、彼女についてもっと知ることができる。そうしたいと思えるのが、また嬉しくてたまらない。少し前までは、彼女もまた警戒すべき兄姉のひとりでしかなかったのだし。
笑みを浮かべて、音楽に耳を傾ける。
よく知っている曲のはずなのに、まるで違うもののように聞こえる。どこかもの悲しさを感じさせる、神秘的な響きだ。
そうしていたら、マリアンがいたずらっぽくささやきかけてきた。
「ねえチェレスタ、踊ってきたら?」
「え?」
「この曲、舞踏会のときによく演奏されるものだし……辺境伯夫妻であるあなたたちが踊れば、他の人たちも遠慮なく踊れるんじゃないかな、って思うの」
言われて辺りを見回すと、ヘクターたち騎士がちょっぴりうずうずしていることに気がついた。彼らも貴族の家の出の人間だから、この曲にはなじみがあるのだろう。
せっかくだからちょっと踊りたいけれど、主夫妻を差し置いて先に踊るのも……と言わんばかりのまなざしを、ちらちらとこちらに向けてきている。
だったら、期待にこたえましょうか。それにわたくしも、踊ってみたいし。
マリアンに笑顔で目配せして、ヴォルフの腕にそっと触れる。
「ねえ、ヴォルフ様。踊りませんか」
ヴォルフはまだ耳を赤くしたままだったけれど、それでもちらりとこちらを見て、小さくうなずいてくれた。
「ダンスは久しぶりだから、不手際があるかもしれないが……よろしく頼む」
そう言って、彼はうやうやしく手を差し伸べてきた。そっと手を重ねると、彼はわたくしを伴って進み出る。敷物やテーブルから離れた草地に、ふたり向かい合って立った。
手をつなぎ、寄り添って、同時に足を踏み出す。
「あら……」
踊り出してすぐに、驚きの声を上げることになった。ヴォルフはダンスが不得手どころか、とてもリードがうまかったのだ。
子どものころにダンスを教わりはしたものの、王宮に移ってからは一度も踊ったことがない。だから断言はできないのだけれど、ヴォルフはとても巧みに、わたくしを導いてくれているように思える。ただ身を任せているだけで、すいすいと踊れるのだ。
右へ左へ、くるくると優雅に回って。ああ、とっても楽しい。
自然と、小さな笑い声がもれてしまう。わたくしを見つめるヴォルフのまなざしは、とっても温かいものだった。
幸せを噛みしめながら踊り続けているうちに、次々と他の人間も進み出てきた。騎士たちがメイドを誘って、わたくしたちの周囲で踊り始める。
さらに少し経つと、シャルカの民たちも踊りの輪に加わり始めた。見よう見まねではあるものの、かなりうまい。日々体を動かしているだけあって、呑み込みが早いのだろう。
あ、マリアンとザイも踊っていますわね。マリアンがリードしている……いえ、もうザイがこつをつかんだようですわ。あっという間にリードを奪って……マリアンが振り回されているけれど……あれはあれで、楽しそうですわ。
みんなはどんどん相手を代えながら、わいわいと踊っている。いつしか、この宴に参加しているほとんどの人間が、草を踏みしめて軽やかに踊っていた。
「最高の、宴ですわね」
「そうだな。ずっとこうしていたいと思うくらいに、楽しくてたまらない」
「わたくしもです」
そんなことをささやきかわして、見つめ合いながらくるくる回る。とっても晴れやかな、最高の気分だった。
みんなの頑張りのおかげで、平和な日常が戻ってきた。わたくしとヴォルフは、この日常を守るために、すぐに動き出していた。
ふたりで執務室にこもり、現状について把握し、対策を練っていく。
兄姉たちは、しばらくの間はおとなしくしているだろう。けれどいずれ、また何かを仕掛けてくる可能性が高い。だから今のうちに、手を打っておくに越したことはない。
今の辺境は、事実上、フロージュから独立したも同然の立場にある。……というか、どこかできっちりと独立を宣言してしまいたくもある。やろうと思えば、できそうな気もするし。
ひとまず、辺境とフロージュとの境界に警備の兵を置き、王都のほうに目を光らせることにした。
といっても、それはそこまで難しいことでもなかった。
ありがたいことに、辺境とフロージュとの間には、険しい山脈が立ちふさがっている。狩人や地元の民ならともかく、王都の軍勢が通れるのは、谷あいの街道だけ。だからこそ先だっての騒動の中、わたくしたちも彼らの動きを読み、罠を仕掛けることができたのだ。
さらに、わたくしやヴォルフの実家に手紙を書き、いざというときに家族がこちらに逃げ込めるよう手はずを整えた。
幸い、アディン侯爵家も彼の実家も、王都からは遠いところにある。王都よりも、むしろ辺境に近い。普段から王宮の動向を警戒しておけば、なんとかなるだろう。
「これで、守りはどうにかなるとして……将来への備えもしておかないと、ですわね」
地図や書類、それに手紙の返事などが雑多に積みあがった執務机を眺めて、きゅっと眉間にしわを寄せる。
「そちらについては、シャルカの方々の協力を仰がないとな。改めて、あちらに出向く必要がある」
ヴォルフも疲れた様子で、窓の外に目を向けていた。彼も最近ではすっかり事務仕事に慣れてはいたけれど、大急ぎで片付けなければならない仕事がとにかく多すぎて、わたくしたちふたりがかりでもてこずっていたのだ。
そのせいで、ここ数日はろくに執務室から出ることすらできなかった。気持ちよく晴れた窓の外を見ながら、ため息をつくのがこのところのわたくしたちのお決まりになっていた。
でも、さすがに書類仕事ばかりというのもうんざりしていた。こんなにいい天気なのだし、ちょっとくらいここを離れてもいいと思うんですの。わたくしたち、こんなに頑張っているのですから。
気分転換に散歩にでも行きませんかと提案しようとして、口を開きかける。
けれどわたくしが声を出すより先に、扉がこんこんと叩かれた。
「ヴォルフ様、チェレスタ様、お茶をお持ちしました」
「そろそろ休憩はいかがです? ずうっと、根を詰めていますしね」
明るい声とともに、ふたりの女性が連れだって入ってくる。ひとりはこの城のメイドで、もうひとりはシャルカの中年女性だ。ふたりともにこにこしていて、親密な空気を漂わせている。
兄姉たちの目を気にする必要がなくなったことで、辺境の人間とシャルカの民は、堂々と交流するようになった。
今では、城の中をシャルカの民がふらふらしているのが当たり前の光景になっているし、辺境の人間が馬車でシャルカの草原に出かけているのもしょっちゅう見られる。
中でもこのシャルカの中年女性は、料理が得意ということもあって、先日の宴のときに城の料理人と意気投合していた。それ以来、彼女はちょくちょく城にやってきては、料理人と情報交換をし、料理をふるまってくれるようになっていた。
ふたりに誘われて、隣の部屋に移動する。ソファと低いテーブルが置かれた、執務の合間にくつろぐための部屋だ。
わたくしたちがソファに腰を下ろすと、シャルカの女性が大きな皿をテーブルに置いた。その上には、ちょうどわたくしの小指くらいの大きさの、白い塊がたくさん載っている。
「このお菓子、前の宴のときにおふたりが気に入っていたでしょう? だから、たくさんこしらえてきたんですよ」
強い酸味とほのかな甘みが特徴の、シャルカのお菓子。宴で出されたそれは、わたくしたちにとってはあまりに食べなれない味だった。
最初は驚いたものの、おそるおそるつまんでいるうちに、次第にくせになってきた。しまいには、ヴォルフとふたりしてせっせと食べたものだ。……あのさまを覚えていたんですのね。ちょっぴり恥ずかしい。
「滋養がありますし、これを食べて英気を養ってくださいねえ」
気まずさに視線をそらしているわたくしたちに、女性はやはり朗らかに呼びかけてきた。さらに、メイドが言葉を添えてくる。
「それと、ケイナ様から伝言です。『お前たちのために、とびきりの獲物を狩ってくる。フロージュの森には、よく肥えた獣がいるからな』だそうです」
「男たち、狩りは弓のいい練習になるって、張り切っちゃってるんですよ。あたしたちも、羊以外の獣を調理できる機会が増えて、楽しんでますよ」
交流を深めていたのは、男性たちもだった。ヘクターたち騎士は国境を越えて、広々としたシャルカの草原を馬で駆けているし、ザイたちシャルカの人間は、嬉々としてフロージュの森で狩りをしている。
もちろん、騎士たちが遠乗りするときにはシャルカの民が、シャルカの民が狩りをするときには騎士たちが付き添って、互いの知識を教え合い、助け合っている。
「本当に、仲良くなりましたわね……」
シャルカの草原で採れた薬草をたっぷりとまぜこんだお茶を飲み、菓子をかりりとかじりながら、しみじみとつぶやく。
「ああ。こんな形での平和が訪れるなど、思ってもみなかった」
こたえるヴォルフも、とても幸せそうだ。
「貴女の祖母殿の縁で、ルルカの枝の方々と絆を結ぶことができた。それだけでも奇跡のようなものだというのに、その絆が、さらに広がっていって……」
あの騒動をきっかけに、ルルカの枝以外の人たちもこちらに顔を出すようになっていた。おかげで毎日、とってもにぎやかだ。
さらに、城の者たちからシャルカの民たちのことを聞いた周辺の村の者たちも、おそるおそる城に近づき、少しずつシャルカの民と交流を持つようになっていた。
今ではもう、辺境とシャルカは、ふたつでひとつの国のようになっていた。辺境伯ヴォルフと、それぞれの枝の長たち。彼らみんなで、この広い広い地をまとめていた。
「休憩したら、もう少し頑張ろう。この平和を守るために」
嬉しそうに微笑むヴォルフに、はい、と答える。控えていたメイドと女性が、温かい目でわたくしたちを見守っていた。
さらに、数日後。
「ああ、いい天気……」
「そうだな。風が、心地いい……」
わたくしはヴォルフと一緒に、城の裏庭でくつろいでいた。以前、ふたりで座っていたのと同じあの長椅子に、また並んで座りながら。
ふたりでひたすらに頑張ったおかげで、ようやく作業も一段落ついた。たださすがに、すっかり疲れ果ててしまったので、ひとまず外の空気を吸いながらのんびりすることにしたのだ。
心地のいい秋の日差し、隣にはヴォルフ。昔のようなぎこちない空気は、もうどこにもない。ああ、幸せ。
そうしていたら、ふとある思いがぷかりと浮かんできた。
「あの、ヴォルフ様……」




