26.便乗して憂さ晴らし
わたくしの落ち着き払った言葉に、イネスがまなじりをつり上げる。不意を突かれて捕らわれたあげく、気に入らない末妹がしゃしゃり出てきたことで、彼の怒りにいよいよ火がついたようだった。
「俺の立場だと!? 何を分かり切ったことを聞いてくるんだ。俺は王宮の代表として、逆賊たる貴様たちを討ちにきたのだ!」
予想通りの答えが返ってきたことに内心ほくそ笑みつつ、澄ました顔で言い返す。
「逆賊……つまり、わたくしたちはお兄様の敵ですのね?」
「当たり前だろう!」
「でしたら、今のお兄様は、この辺境にとって敵ですわ」
だからどうした、と言わんばかりの顔で、イネスはわたくしをにらんでいた。
「わたくしは辺境伯の妻として、辺境にあだなす者を排除する義務がありますのよ」
「排除? はっ、やれるものならやってみろ」
「あら、そうですの? では、遠慮なく」
わたくしがそう言い切ったのと同時に、心得たとばかりにヘクターが弓矢を渡してきた。彼は懸命に真顔を貫こうとしているけれど、にやにや笑いが隠せていない。
わたくしが弓矢を受け取ったのと同時に、騎士たちがイネスを板ごと運び、城壁に立てかけるようにしてまっすぐに立てる。
その場にいたみんながさあっと左右に分かれ、イネスから離れた。
さすがの彼も、これから何が起こるのかうっすらと理解したらしい。その顔が、やや青ざめている。
「おい、チェレスタ、お前、どうするつもりだ!? まさか俺を、的代わりにするとか……」
「そのまさかですわよ」
ことさらにゆっくりと、弓に矢をつがえる。
「おい、止めろ!」
血相を変えて、イネスが叫び始めた。王子としての誇りも気高さも何もないそのさまに、王宮の兵たちの間に動揺が走っている。
あわてず騒がず、矢を放つ。まっすぐにイネスに向かって飛んでいった矢は、彼がくくりつけられている板に勢いよく刺さった。肩のところの服を、引っかけるようにして。
「ぎゃああああ!!」
当たっていない。矢は間違いなく、イネスの体には当たっていない。それなのに、彼は裏返った、まるで殺されるかのような悲鳴を上げた。あ、漏らしてますわね。嫌ですわ、汚いったら。
手にした弓を見つめ、静かに微笑む。
お祖母様はわたくしに、たくさんのことを教えてくれた。乗馬に生活の知恵、草原の知識。でも、それだけではなかった。
狩りが得意だったお祖母様は、女でありながら弓の名手だった。わたくしはお祖母様に、みっちりと弓の手ほどきを受けながら育ったのだ。
とはいえ、王女として過ごすにあたって、弓が必要になることはない。だからずっと、このことは伏せていた。辺境に来てからも、ずっと。
けれど今回、イネスを追い払うにあたって、みんなが力を合わせることになった。だからわたくしも、隠していたこの特技をもって、力になることを決めたのだ。
ここ数日、わたくしは鍛錬場に通い、せっせと弓を射ていた。なにぶん弓を手にするのは七年ぶりなので、大急ぎで勘を取り戻す必要があったのだ。
勘が戻らないようなら、この案はなしにするつもりだったけれど、ありがたいことにすぐに昔の感覚を思い出すことができたのだ。
「安心してくださいまし。当てませんから」
そう声をかけつつ、次の矢を弓につがえる。イネスの声にならない叫びを無視して、ひゅんと矢を放った。
次の矢は、彼のひざのすぐ外に刺さった。ぎりぎりのところで、彼のズボンを板に縫い留めている。我ながら、いい感じですわ。
ちょっぴり楽しくなってしまって、さらに次々と矢を射かける。矢は全て、彼の服や髪を引っかけつつ、でも決して彼自身を傷つけない位置に刺さっていく。
イネスは恐怖で頭が真っ白になったのか、もう叫んではいない。魂が抜けたようにぽかんと口を開けて、うつろに宙を見つめていた。
ふと、静まり返った広場に、ぱちぱちという拍手の音がした。どこからかわいてきたその音は、さらに数を増していく。
「チェレスタ、見事な腕だ。これだけ矢を放ちつつ、血の一滴も流していないとは」
大きな手のひらを豪快に打ち合わせるようにして、ケイナが笑っていた。辺境のみんなとシャルカのみんなが、面白そうに微笑んでわたくしを見ていた。
「ふふっ、お褒めいただき光栄ですわ。わたくしたちの大切なこの地を、愚かな兄の血で汚したくはありませんから」
「ふむ、よい心がけだ」
「お、おい、チェレスタ……これは、どういうことだ……」
ケイナとのんびり話していたら、震える声が邪魔をしてきた。ようやく我に返ったらしいイネスが青ざめながら、それでもふてぶてしく声をかけてきたのだ。まだ口がきけたなんて、意外としぶといですわ。
「実はわたくし、弓がとおっても得意なんですの。その気になれば、心の臓を射止めることもできましてよ」
さらりと答えつつ、次の矢を手に取った。それを見たイネスが、がたがたと震え出す。
「ヴォルフ! 貴様、こいつの夫だろう! こいつを止めろ!」
イネスはわたくしを無視して、ヴォルフに叫んでいる。どうやら、わたくしを説得するのは無理だと判断したらしい。
しかしヴォルフは落ち着き払った様子で、はきはきと答えていた。
「見てのとおり、妻は少々勇ましいところがありますので。こうと決めたら、そう簡単には止められません」
「少々!? どうしようもないはねっ返りではないか!」
「はねっ返り? そうでしょうか。辺境をともに守る、とても頼もしい伴侶です」
「このような小娘を頼るだと、元騎士団長の名が泣くな!」
「私はどう思われようと構いません。何と言われようと、彼女がかけがえのない存在であることに変わりはありませんから」
ぎゃんぎゃん噛みつくイネスを、ヴォルフは平然といなしている。
「ヴォルフ様、嬉しいですわ!」
そしてわたくしは、感極まってヴォルフに駆け寄ってしまっていた。だって、人前でこんなに褒めてもらった、というかのろけてもらったのって、初めてなんですもの。
「チェレスタ。その……みなが見ている」
ヴォルフは照れ臭そうにしつつも、そっとわたくしの肩を抱き寄せてくれた。周囲から、おお、という歓声が上がる。ふふ、照れくさいですわ。嬉しいですわ。
混乱しきったイネスに、ヴォルフが静かに告げた。
「イネス様。このまま辺境を私たちに任せていただければ、フロージュの平和は保証いたします。今後、シャルカによりフロージュが脅かされることはありません」
自信に満ちた堂々たる声に、イネスは圧倒されていた。
「ですが、私たちを排除するというのであれば……辺境の者のみならず、シャルカの者たちも黙っていないでしょう」
そうして、ヴォルフは口を閉ざす。しんと静まり返った広場に、今度は別の声が響いた。
「我らと彼らは、絆で結ばれている」
ケイナがイネスを見つめ、ゆったりと述べていた。シャルカの民たちが顔を引き締め、背筋を伸ばしている。
「我らは彼らを信頼する。だが、お前たちは信頼に値しない。そういうことだ」
イネスはただ、口をわななかせている。鈍い彼だけれど、ようやく自分が明らかに不利な状況に置かれていることだけは分かったらしい。
「そういうわけですから、とっととお帰りくださいませ」
ぱんぱんと手を叩いて、王宮の兵たちに笑いかける。それから、イネスにびしりと指を突きつけた。
「みなさま、これ、このまま持って帰っていただけます? そのほうが、みなさまも言い訳がしやすいと思いますの」
「おい、チェレスタ! 実の兄をこれ呼ばわりするな!」
わたくしの物言いが気に入らなかったらしく、またイネスが吠えた。
「あら、ごめんあそばせ。でも、お兄様が普通に王都に帰還したら……ねえ」
そこで言葉を切って、ぶるりと身震いしてみせる。
「お兄様が手を抜いたのではないか、わたくしたちとひそかに通じたのではないかと、そんな疑いをかけられるかもしれませんわよ?」
マリアンが無言のまま、首がもげそうなくらいに勢いよくうなずいていた。
「そうなったら、王宮でのお兄様の立場がどうなるか……ああ、考えただけで恐ろしいですわ」
マリアンのうなずく勢いがさらに激しくなった。彼女のただならぬ様子に、シャルカの民たちが少しとまどっている。
なんの落ち度もないわたくしをずっといびってきた兄姉たちのことだ、イネスがここまで派手にしくじったとなると、これ幸いと彼を蹴落とす……どころではなく、そのまま彼を消してしまう可能性だってある。実際、それくらいやってのけそうな人物もいるし。
イネスもその可能性に思い当たったのだろう、顔をこわばらせると重々しく言い放った。
「そそ、そうだな。よし、俺はこの板ごと帰還する。みな、丁重に運べ!」
縄を解かれた兵たちが、困惑しつつイネスのところに集まる。それを眺めていたら、ヘクターののんびりとした声がした。
「ヴォルフ様、チェレスタ様。あのー、アルフレッド様を忘れてますよ」
「あら、いけない。みなさま、引き渡してさしあげて」
そういえばそうだった。彼はいったん静かになったものの、ことあるごとにぐちぐちと恨み節をつぶやいてうるさいことこのうえなかったので、ぐるぐる巻きにして城の一室に放り込んでいたのをすっかり忘れていた。
大急ぎでアルフレッドを引っ張り出し、イネスたちと一緒に追い返す。しばらくばたばたしたのち、ようやく元の静けさが戻ってくる。
「ひとまず、片付いたようだな」
ケイナが太い腕を組んで、苦笑している。
「二度とあんな連中がこちらに来ないよう、俺たちも辺境の警備に手を貸すべきか」
ザイが眉間にしわを寄せ、小声でうなっている。牙をむいた猟犬のようでもある。
「あ、それ、いいね! みんなで力を合わせれば怖いものなんてないって、実感できたし」
ヘクターが嬉しそうに、ザイに笑いかけている。人懐っこい笑みに、ザイも肩の力を抜いていた。
「……ほっとしたら、急に血の気が……」
マリアンがふらりとよろめいて、シャルカのみんなに支えられていた。
「辺境のみなと、シャルカの民。その両方を守るためとはいえ、これでよかったのか……」
ヴォルフはひとり、浮かない顔だ。彼の腕にそっと手をかけて、笑いかける。
「わたくしは、最善を尽くせたと思っていますわ。今は、勝利を喜びましょう」
それからみんなを見回して、軽やかに笑ってみせる。
「ああ、すっきりしましたわ!」
わたくしの言葉に、みんながくすりと笑った。その笑いは少しずつ大きくなって、やがて広場中が明るい笑い声に満ちていった。
イネスを無事に追い返してから、一か月ほど経ったころ。
「書状、届きました!」
マリアンが震える声で叫びながら、城に駆け込んできた。




