19.変事を告げるもの
聖地での儀式に招かれてから、半月ほどが経った。
わたくしたちは、大いに困惑していた。辺境の城に、思いもかけない客が訪ねてきたのだ。
「久しぶりね、チェレスタ……」
城の応接間のソファに腰かけ、弱々しくうつむいていたのは、すぐ上の姉、第十王女マリアンだった。
彼女は何の連絡もよこさずに、唐突にやってきたのだ。それも、連れているのはメイドと御者のふたりだけ。
しかも彼女は、やけに落ち着かない様子でそわそわと視線を動かしていた。あからさまに怪しい。何かあったに違いない。
警戒しつつも、そろそろと声をかけてみる。このままでは、らちが明かない。
「マリアン姉様、こんなところにいらっしゃるなんて、どうされたんですの?」
「チェレスタ……その、ね……」
マリアンは困り果てたような上目遣いで、わたくしを見つめてきた。
わたくしよりひとつ年上の姉マリアンは、恐ろしいほど控えめで、兄姉たちの中で最も影が薄い。
彼女は第七王妃の娘で、同腹の兄弟はいない。ちょうど、わたくしと似たような立場だ。だからなのか、わたくしが王宮に来るまでは、兄姉たちの嫌がらせは彼女に集中していたらしい。
そしてわたくしが来てからは、彼女はひたすら気配を消して、息をひそめていたのだった。
彼女は直接わたくしをいびってはこなかったけれど、かばってくれることもなかった。とはいえ、彼女の立場も分かっていたから、特に気にしてはいなかった。
それにしても、こうして彼女ときちんと顔を合わせるのは、何年振りかしらね。考え込みながら、様子をうかがう。
彼女はうつむいたまま唇を噛みしめていたけれど、やがて蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「……わたし、もう限界なの。もう、王宮にいたくない」
そのままさめざめと、泣き出してしまう。同席していたヴォルフが、助けを求めるような目でわたくしを見た。
「あ、あの、お姉様? その、落ち着いてくださいまし。ここは王宮ではありませんわ」
わたくしも大いに動揺しながら、どうにかこうにかマリアンをなだめる。しばらく泣いたあと、彼女はくすんと鼻を鳴らした。
「あなたがいなくなってから、辛くてたまらないの……」
何がどう辛いのかは、聞かなくてもなんとなく分かった。おそらくわたくしが王宮を去ったあと、兄姉たちはマリアンへの嫌がらせを再開させたに違いない。
「チェレスタ、あなたがどれだけ強かったのか、思い知らされたわ……」
お褒めいただきありがとうございます、とは口にせずに、言葉の続きを待つ。
「それで、あなたがここで幸せに暮らしているらしいって、風の噂でそう聞いて……」
マリアンの視線が、向かいのソファに並んで座るわたくしとヴォルフにちらりと向けられる。
「……たまらなくなって、こっそり王宮を飛び出してきてしまったの」
驚いた。わたくしの知る限り、マリアンは思い切った行動に出られるような性格の人間ではなかったから。
「やっぱり、驚くわよね、チェレスタ。わたしも、自分で驚いているところだから……」
ため息をついて、彼女は出されたお茶に口をつけた。とたん、その表情がぱっと明るくなる。
「……変わってるけど、おいしいお茶ね。今までに飲んだことのない味だわ」
「ええ、辺境でしか採れない薬草を使っていますの」
正確には、国境の向こう、シャルカの草原で採れる薬草だ。でもそのことは、もちろん内緒にしておく。ヴォルフのほうをちらりと見ると、彼は顔を引き締めて、精いっぱい何事もないふりをしていた。
「それで、ここまでやってきた理由が……その、逃げたかったのもあるけれど……もうひとつ、ね」
ようやく人心地ついたのか、マリアンがまっすぐにわたくしたちを見つめてきた。
「……あなたに、知らせておこうと思って。これまでの、罪滅ぼしに」
罪滅ぼし。思いもかけない言葉に、ヴォルフと顔を見合わせる。マリアンは目を伏せて、照れたような口調でもごもごと続けた。
「あなたの暮らしぶりが、わたしの耳に入った。ということは、兄様たちもあなたの現状を知っているはず。いずれ、何かちょっかいをかけてくるわ。……気をつけてね」
たいへん複雑な思いで、その言葉を噛みしめる。
わたくしたちは辺境を治める身でありながら、勝手に国境の向こうの敵たちと対話し、のみならず交流を持つようになった。
普通であれば、これは功績のうちに入るだろう。けれどわたくしもヴォルフも、ある意味この地に追放されたようなものだ。
兄姉たちと、それにヴォルフを嫌っていたという現騎士団長アルフレッドは、わたくしたちがここでうんと苦労して、敵との戦いで消耗していくことを望んでいたはず。
だからいつかそのうち、王宮のほうから横やりが入るだろうと覚悟はしていた。けれどありがたくないことに、それはそう遠くない日のことになりそうだ。
「……そうですの。貴重な情報をありがとうございます、お姉様」
これは、気合いを入れ直さなくては。マリアンに感謝しつつ、さっきからずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「ところでお姉様は、これからどうされるんですの?」
後先考えずに、彼女は王宮を飛び出してきた。もしこのまま王宮に戻ったら、今度はどんな目にあうか分かったものではない。彼女がここに来ていたことがばれでもしたら、さらに大変なことになりそうな気もする。
「実は、考えていないの。どうにかして、兄様たちの目の届かないところに隠れたいのだけれど……頼れる親戚もいないし、もう修道院に逃げ込むしか……」
そう答えて、彼女は背中を丸めてうつむいた。しおれきったその様子に、ヴォルフが無言でおろおろしている。
さて、どうしましょうか。彼女にはさほど恨みもないし、さすがに少々哀れでもある。ともかく今の彼女は、ちょっぴり冷静さを欠いているようだ。こんな状態で考えても、いい案は出ないだろう。
小さくうなずいて、立ち上がった。
「ねえ、お姉様。せっかくですから、少し辺境を見ていかれません?」
気晴らしにでもなればと、マリアンを連れて屋敷の周辺を歩く。王宮のある辺りとはまるで違う風景は、彼女の不安も和らげてくれたようだった。
「……本当に、素敵なところなのね……」
国境沿いの明るい森、その中に走る道を三人で歩いていたら、向こうから誰かがやってきた。あら、あれは。
「チェレスタ。その女は、誰だ?」
やってきたのは、ザイだった。不思議そうに小首をかしげながら、わたくしたちとマリアンを交互に見ている。
「えっ!?」
マリアンが、悲鳴のような声を上げた。
明らかにフロージュのものではないいでたちの少年が、とても気軽に、そしてなれなれしく辺境伯夫妻に声をかけてきたのだから、彼女の反応も当然ではある。
さて、どうごまかそうか。この道はあまり人が通らないし、シャルカの民に出くわすこともないだろうとたかをくくっていたのだけれど。
立ち尽くしたまま考え込んでいると、ザイの後ろから軽やかな声が近づいてきた。
「おーい、ザイ! 先に行くなよ!」
「ああ、すまないヘクター。遠くに知らない顔を見かけたので、挨拶しにいこうと思ったんだ」
「相変わらず目がいいな、きみって。うらやましいよ」
「お前も訓練すれば、もっと遠くが見えるようになる」
とても親しげにしているふたりを見て、マリアンの目が真ん丸になる。ぎこちなく首を回して、助けを求めるような顔でわたくしたちをじっと見つめてきた。
「……これはもう、隠すのも無理がありそうですわね」
「……ああ。私も、そう思う」
マリアンはもう王宮に戻るつもりはなさそうだし、それならいっそ、きちんと説明してこちら側に引き込んでしまうのもありかもしれない。
「そのですね、お姉様……」
マリアンの耳元に顔を寄せて、これまでのいきさつを大まかに説明する。マリアンはえっ、とか嘘、とかつぶやいていたけれど、ひと通り聞き終えて深々と息を吐いた。
「そんなことが、あったのね……」
ちょっぴり青ざめながらも、マリアンはまっすぐにわたくしを見すえてくる。悲壮なまでの決意が、その目に宿っていた。
「ねえ、チェレスタ。シャルカの民は、わたしのことも受け入れてくれるかしら……? 国境を越えてしまえば、お兄様たちの目も届かないはず」
「ちょっ、お姉様、さすがにそれは」
無理がありますわ、と言いかけたところで、ザイが割って入る。
「そいつは、お前の姉か。顔はどことなく似ているのに、態度がまるで違うな。困っているようだが、俺たちのところでよければ受け入れるぞ」
「ザイ!? その、勝手に決めてしまっていいんですの!?」
「お前は、俺たちの友だ。ならばお前の姉もまた、俺たちの友だ。友が困っているときに手を差し伸べるのは、当然のことだろう。ケイナたちも、必ずそう言う」
「ありがとうございます!」
平然と断言したザイに、マリアンが拝まんばかりの勢いで頭を下げている。あわててマリアンの袖を引き、ささやきかけた。
「あの、お姉様。シャルカの民の暮らしは、フロージュのものとはかなり違いますから、とまどうことも多いと思いますわ」
「わたしの母は、田舎の出でした。きっと、なんとかなりますわ。いえ、なんとかしてみせます。……王宮で震えて暮らすより、ずっとましですもの」
どうやらマリアンは、すっかり覚悟を決めてしまっているようだった。ここまで思い切りのいい人だなんて、意外だった。
「どうしましょう、ヴォルフ様?」
「……今は、見守るしかなさそうだな」
「へえ、この方って、チェレスタ様のお姉様なんですね! ということは、やっぱり王女様……? また、すごいことになったなあ」
困惑しているわたくしとヴォルフをよそに、ヘクターはひとり面白がっていた。
なんだかんだで、マリアンはザイたちと一緒に、シャルカのほうで暮らし始めてしまった。予想以上になじんでしまい、少しずつ家事を覚え始めているらしい。
ひとまず、こちらは大丈夫そうだ。そう思っていたある日、王宮から一通の書状が届いた。
『お前たちには反逆者としての疑いがかかっている。倒すべき敵、シャルカの者どもと通じたという罪だ』
そこにはたいそう流麗な文字で、この上なく物騒な文言がつづられていた。
「本当に、お姉様の言ったとおりになったわね……」
ため息を押し殺しつつ、続きに目を通していく。
『こちらの軍を、そちらに向かわせる。その軍が着く前に、敵を打ち滅ぼせ。さもなくば、お前たちをフロージュの敵とみなす』




