18.思いに国境なんてない
「あの、すみません。伝言、預かってきました」
ある日、いつものように国境を越えて特訓に行っていたヘクターが、帰ってくるなりそう言った。
「伝言……シャルカの者からか?」
ヴォルフが尋ねると、ヘクターは力強くうなずいた。その目はきらきらと、いつも以上に輝いている。
「はい! ケイナ様からです!」
シャルカの民たちは、今でもきちんと約束を守ってくれている。だからわざわざ、シャルカの地にやってきていたヘクターに伝言をたくしたのだろう。本当に、彼らは律儀だ。
「なんでも、今度聖地で儀式を執り行うんだそうです。そこに、ヴォルフ様とチェレスタ様を招待したいって、そう言ってました」
「儀式、ですの?」
「ええ。『詳細は、来てから話す』とのことです」
すらすらと説明していたヘクターが、こちらの様子をうかがうような表情になる。
「それで、ですね……僕たち騎士も、参加していいって言ってくれたんです! もちろん、おふたりは行きますよね?」
さすがに、辺境伯夫妻が欠席しているのに騎士だけが参加するわけにもいかない。ヘクターは、とっても行きたそうだ。
「ええ、もちろんよ。いいでしょう、ヴォルフ様?」
「ああ。せっかくの招待を、断る理由などない」
「やったあ!」
わたくしたちの返事を聞いて、ヘクターは飛び上がらんばかりにして喜んでいる。
「それじゃあ、他の騎士たちにもこの話、伝えてきますね!」
そうして彼は、つむじ風のように去っていったのだった。
その数日後の午後、わたくしとヴォルフ、それにヘクターたち騎士は、みんなで聖地を訪れていた。聖地への敬意を表すために、みんな正装に着替えている。
わたくしも、手持ちのドレスの中で一番動きやすいものを着た。ドレスのまま馬に乗るのは初めてだけれど、案外なんとかなった。
聖地にたどり着き、馬から降りて整列するわたくしたちを、ケイナは朗らかな笑顔で出迎えてくれた。彼もまた、大きな羽飾りを身につけ、いつもよりもずっと着飾っていた。
彼の後ろには、壮年の男性たちが五名立っている。みな、彼に負けず劣らずがっしりとしていて、そしてとびきり豪華な身なりだった。
さらに少し距離を置いて、シャルカの民たちがずらりと並んでいた。よく見ると、その中にザイもいる。こちらは老若男女、ばらばらだ。ただ、やはりみんなおしゃれをしているように思える。
ケイナが進み出て、よく通る声で言った。
「今日は、シャルカの全ての枝の長が聖地に集い、先祖の霊と話す日だ。本来なら一年に一度行われていたしきたりなのだが、フロージュの連中のせいでずっと途絶えていた」
その言葉に、小さくうなずく。彼の後ろにいる男たちは、他の枝の長なのだろう。わたくしはルルカの枝の人たちしか知らないから、彼らと顔を合わせるのは初めてだ。
みな、少々とまどってはいるようだったけれど、敵意はない。ケイナたちが、きちんと説明してくれたのだろう。
「とはいえ、悪いのはかつてのフロージュの者たちだ。我らをここへ通してくれたお前たちには、感謝している」
ケイナが上機嫌でそう言うと、他の長たちも同時にうなずいた。そうして、口々に感謝の言葉を述べてくる。くすぐったさを感じながら、それでもにこやかに礼儀正しく言葉を返した。ヴォルフも嬉しそうだ。
挨拶を終えると、やはり着飾ったザイがそばまでやってきた。
「チェレスタ、ヴォルフ。お前たちは、こちらへ来てくれ」
彼に先導されて、わたくしたちもシャルカの民の列に加わる。みんなが列になって、聖地の中央にある丘の周りをぐるぐると歩き始めた。
お祖母様は、シャルカの聖地についてはほとんど教えてくれなかった。だからこれから何が起こるのかについては、わたくしも知らない。
たぶんお祖母様の胸の内には、フロージュの王女として生まれたわたくしに、シャルカの一番の秘密を明かすことについてのためらいがあったのだろう。でもそのおかげで、今とってもわくわくしている。これはこれで、楽しいですわ。
やがて、ケイナが何かを抱え、丘を登り始めた。目を凝らして、首をかしげる。
彼が抱えているのは、細い木の枝をかごのように組んで、その中に葉っぱをぎっしりと詰め込んだもののようだった。大きさは、まるまると実ったカボチャふたつぶんくらい。彼はそれを、丘のてっぺんに慎重に置いた。
「ねえねえザイ、あれって何?」
「見ていれば分かる。いよいよ始まるぞ」
ヘクターとザイが、小声でささやきかわしていた。
「それでは、目印の火を灯そう!」
ケイナの宣言と同時に、シャルカの民のひとりが彼に火種を渡す。ケイナは火種を捧げ持ち、目を閉じて祈り始めた。そして、先ほどのかごにうやうやしく火種を載せた。
みるみるうちに、かごが燃えていく。あの葉っぱは香草だったのだろう、すっと心が落ち着くような、すがすがしい香りの煙が辺りに漂っていく。
シャルカの民たちが、声を合わせて静かに歌い始めた。さざ波のように、草原を渡る風のように、声が幾重にも重なって響いていった。
「これは……荘厳だな」
ヴォルフが呆然と、しかし感心したようにつぶやいている。わたくしも目を見張ったまま、小さくうなずいた。
いつもの聖地は、穏やかな日差しが降り注ぐ、のんびりとした雰囲気の場所だった。けれど今は、まるで別の場所のように感じられる。厳粛で、清廉で……。
確かにここは、聖地なのだ。今さらながらに、そのことを実感した。
「チェレスタ。驚いたか?」
ぽかんと丘を見つめているわたくしたちのところに、ケイナが歩み寄ってきた。いつになく、楽しそうな笑みを浮かべている。
「歌に耳を澄ませ、煙の香りを楽しみ、心を体の外へ広げていく。そうすると煙の中に、先祖の姿が見えるのだ」
歌声を邪魔しないようにだろう、彼は声を思い切りひそめていた。けれどその声音には、誇らしさと切なさがはっきりとにじんでいた。
「先祖に限らず、亡き友人などに会えることもある。みな、今年は誰に会えるのだろうかと、期待に胸を高鳴らせながらこの日を待つ」
ケイナは言葉を切ると、わたくしをまっすぐに見つめてきた。
「……ありがとう、シャルティン。お前のおかげで、我らはこうして亡き仲間に会える」
きゅっと眉根を寄せ、彼は小声で告げてくる。けれどすぐに、いつもの堂々たる表情に戻っていた。
「さて、きっと今日はライエの霊も来ているだろう。立派になったお前を、見せてやるといい」
「どうすれば、会えるんですの?」
「ただ、会いたいと願えばいい。あちらもそのつもりであれば、お前の前に姿を現してくれる」
手短に説明して、ケイナは立ち去ってしまった。ヴォルフと顔を見合わせ、首をかしげる。
本当に、そんなことで会えるのだろうか。ケイナは自信たっぷりだったけれど、いまいち信じきれなかった。
そうしている間も、どんどん煙が濃くなっていく。すぐ隣にいるヴォルフの姿すら、ぼんやりとしか見えなくなっていた。
「あら……?」
ふと、煙の中、丘の上のほうに、ぼんやりと人影が見えた。さっきまで、そこには誰もいなかったのに。
目を凝らしていたら、その誰かの姿がはっきりと見えてきた。優しい雰囲気の老婦人だ。それが誰なのかに気づいて、心臓がことりと跳ねる。
「お祖母様……!」
震える声で、それだけをつぶやく。うっかり動いてしまったら、お祖母様が消えてしまいそうな、そんな気がしたのだ。
立ち尽くすわたくしを見て、お祖母様がにっこりと笑う。晴れ晴れとした、心底嬉しそうな笑顔だった。
生前のお祖母様は、いつもわたくしのことを心配していた。いずれひとりで王宮に向かうことになるわたくしの将来を、案じてくれていた。だからなのか、よく悲しげな顔をしていた。お祖母様がこんなふうに笑うのを見たのは、いつぶりだろう。
今のわたくしは、ひとりではない。大切な夫に、信頼できる仲間たちがいる。シャルカの民たちとも、交流を持つことができた。だからこそお祖母様も、ようやく安心できたのだろう。
「ありがとう、お祖母様……わたくし、これからも頑張りますから、どうか見ていてくださいましね」
涙ににじむ視界の中、お祖母様はやはり温かくわたくしを見守ってくれていた。
やがて、煙が薄れてきた。丘を囲むみんなの姿が、はっきりと見えてくる。ヴォルフが声をひそめて、ささやきかけてきた。
「チェレスタ、泣いているようだが……もしかして、誰かに会えたのか」
「はい、お祖母様に……とても、嬉しそうでしたわ」
「そうか」
彼はわたくしの言葉を少しも疑うことなく、ふっと目を細めている。その様子に、ぴんときた。
「ヴォルフ様も、どなたかと会えたんですのね」
「……ああ。亡き父に。父は、ほっとしたように微笑んでいた」
彼の目も、かすかに潤んでいるように思えた。けれど指摘はせずに、お互い無言で微笑み合う。
見ればヘクターたちも、感じ入ったような顔でたたずんでいた。どうやらみんな、大切な誰かと会えたらしい。
じんと胸が熱くなるのを感じていたら、ケイナがまた歩み寄ってきた。その顔には、ひときわ大きな笑みを浮かんでいる。
「よかったな」
「ありがとうございます、わたくしたちをここに呼んでくださって……」
「大切な誰かに会いたいという思いに、国など関係ないのだ、新しき友たちよ。これからも、こうしてともに歩める日々が続くことを祈っている」
「ええ、わたくしもそう思いますわ!」
ケイナの言葉に、元気よく答える。
わたくしの胸の中には、明るい気持ちだけが満ちていた。この幸せな日々は、ずっと続くのだと、そう信じていた。
……このときは、まだ。




