17.異文化交流の始まり
フロージュの林を静かに行き来するシャルカの民と、それを離れて見守るわたくしたち。つかず離れずのその距離を真っ先に縮めたのは、またしてもヘクターたち新米騎士だった。
「あ、あの……ヴォルフ様、あれって……」
ある日、国境のすぐそばをヴォルフと見回っていたわたくしは、信じられないものを目にした。
国境から少しシャルカ側に入ったところにたくさんの人間が集まっていて、元気よく動き回っていた。しかもその中に、なぜかヘクターたちがまざっていたのだ。
「あ、チェレスタ様とヴォルフ様だ」
ヘクターはわたくしたちに気づくと、ぶんぶんと手を振って軽やかに叫んでいる。
「国境を越えて、何をしているんだ?」
ヴォルフも驚きを隠せない様子で、ヘクターたちのほうに馬を向けている。わたくしも急いで、そのあとに続いた。
「狩りの仕方、教わってたんです」
朗らかに答えたヘクターの隣では、シャルカの少年が弓を手にうなずいていた。彼はザイ、ケイナの孫だ。鷹を思わせる鋭いまなざしは祖父譲りだけれど、体はまだまだ細く、背も低めだ。
ザイは落ち着き払った口調で、わたくしたちに会釈してくる。
「シャルカの民は羊を飼い、草原を駆けて暮らしている。しかし、弓を持って獣を狩ることもある。フロージュの地は林や森が多いから、獲物が多くてやりやすい」
そこに、ヘクターがすかさず言葉を添えた。
「あ、シャルカのみんなは国境を越えてませんよ。僕たちがフロージュの森に突っ込んで、獲物をシャルカ側に追い立ててるんです」
ふたりの隣には、大きな毛皮のかたまり……ではなく、息絶えたシカらしきものが転がっていた。とっさに視線をそらし、見なかったことにする。お祖母様から獣の狩り方なんかも教わってはいるけれど、実物を見るのは初めてなのだ。
しかしわたくしのそんな動きには気づかなかったのか、ザイは腰に下げた短刀を抜いてヘクターに向き直った。
「さあ、次は獲物のさばき方だ」
「うう……それも覚えないと駄目かな?」
ヘクターは、騎士として修業を積んできている。剣術や体術、それに馬術などには熱心に取り組んでいるけれど、獣をさばいたことはないのだろう。彼は明らかにしり込みしていた。その気持ちは分かる。
ザイは顔を引き締め、力強くうなずいている。
「もちろんだ。命を狩った者は、その命を己がものにし、次の命へとつなげていかなくてはならない。それが、シャルカの教えだ」
それを聞いて、ヘクターがぎゅっと眉間にしわを寄せた。少しして、また口を開いている。
「えっと、つまり、狩ったからには責任もってさばいて食べろ……ってことで合ってる?」
「合ってるな」
「……分かった。頑張ってみる」
素直なヘクターと、年の割に大人びたザイ。このふたりは国の違いを超えて、いい関係を築きつつあるようだった。
熱心に獣をさばき始めたふたりからそろそろと離れつつ、小声でつぶやく。
「……わたくしも、ああいったことを覚えたほうがいいのかしら。お祖母様のように」
ケイナから聞いたところによると、シャルカの女性は羊の世話や、家事をしていることが多いらしい。男たちにまざってオオカミを追い払ったり、弓を使ってシカを狩るような女性は、めったにいないのだとか。そしてお祖母様は、その数少ない例外のひとりだった。
わたくしのつぶやきが聞こえたのか、ヴォルフがやはり小声でささやきかけてくる。
「無理に、祖母殿のまねをしなくてもいいと思う。貴女は、貴女なのだから」
「ありがとうございます、ヴォルフ様。あなたにそう言っていただけると、気持ちが軽くなりますわ」
嬉しくて、自然と笑みが浮かぶ。彼はちょっぴり照れつつも、同じように笑い返してくれた。
またある日、国境近くを見回っていたわたくしたちは、またしても思いもかけない光景に出くわすはめになった。
「……チェレスタ、まさかあれは……」
「予想外でしたわ……」
以前、ヘクターたちが狩りの練習をしていたあの場所で、またいくつもの人影が動いていた。めいめい棒のようなものを手にして、元気よく打ち合っているのだ。
戦っているのではない。あれは手合わせだ。元気な掛け声は聞こえるけれど、殺気がまるで感じられない。
「ここで腰を落として、胴のひねりを使って剣を振るんだ」
「なるほど、やはり馬上での戦い方とは違うな」
嬉しそうに手本を見せているヘクターと、真剣な顔でうなずいているザイ。こないだと、ちょうど逆だ。
ふたりはわたくしたちに気がつくと、汗をぬぐいながら声をかけてきた。
「フロージュの戦い方を学んでいた。もしもの時に役に立つかと思ったんだが、案外、興味深いな」
ヘクターから借りたらしい木剣を手に、ザイが顔をほころばせている。ヘクターはヘクターで、神妙な顔をしていた。
「シャルカの人たちって、馬に乗り慣れてるからか、足腰がすっごくしっかりしてるんですよね……僕たちも負けないように、頑張らないと」
「あとで、馬の乗り方も教えてやろうか」
「あ、頼む! 僕、チェレスタ様みたいに馬を乗りこなせるようになりたいなって、そう思ってたから」
わたくしの名前が出たとたん、ザイがにっと笑ってうなずいた。
「チェレスタの馬さばきは、見事なものだ。本当にフロージュで生まれ育ったのかと疑いたくなる」
「うん、それが、間違いなく王女様なんだよね……」
「不思議なこともあるものだ。いや、それだけライエが偉大だったのだろうな」
かしこまった顔を突き合わせているふたりを見ながら、ヴォルフがこっそりと笑いをこらえていた。
そうやって若者たちが親睦を深めていくうちに、さらに変化が起こっていた。
シャルカの民たちは、律義に約束を守ってくれていた。聖地とそこに至る道以外、フロージュの地を踏むことはなかった。
ただそれでも、気配までは消しきれるものではない。じきに聖地の近くにある村々では、誰かがしきりに林を行き来しているようだと、そんな噂が立ってしまった。
何か手を打ったほうがいいだろうと悩んでいたら、村の住人たちのうち、好奇心旺盛……というより向こう見ずな若者たちが、怖いもの見たさで聖地に近づいてしまったのだ。
彼らは、最初腰を抜かしていたと、ケイナからそう報告を受けた。けれどシャルカの民たちが何もせずに悠然と立ち去っていったからか、彼らが感じた恐怖は、またしても興味へと変わっていってしまったらしい。
やがていくつもの視線が、聖地の周囲の林の中から、遠巻きにシャルカの民を見つめるようになっていた。しかしシャルカの民たちは、特に気を悪くした様子もなかった。
害を加えてくるつもりもないようだから、そっとしておくに限る。ケイナは苦笑しながら、そう言っていた。
そうこうしているうちに、シャルカの民のほうにも変化が現れた。なんと彼らは注目されることを面白がってしまい、わざわざ晴れ着で聖地にやってくるようになってしまったのだ。フロージュの民の驚きと称賛の視線が、心地いいのだとか。
これまでの報告を思い返しながら、ヴォルフとふたり、笑顔を見かわす。
「思ったより、すんなりと打ち解けつつあるようですわね」
「そもそも、フロージュの民もシャルカの民たちも、どちらも同じ人間だ。少々、不幸な行き違いがありはしたが」
彼の視線の先には、木々を挟んで見つめあうフロージュの民とシャルカの民の姿があった。
「まるで違う世界に生きる者同士であっても、分かりあうことはできると、私はそう思う。貴女の祖母殿が、祖父殿と恋に落ちたように」
「ええ、そうですわ。……こんなに素敵な光景が見られるなんて、辺境に来たばかりのころは思ってもみませんでした」
「貴女の奮闘あってこそだ、チェレスタ」
「あなたのためだから、頑張れたんです」
そんなことを話している間も、ふたつの民は無言で交流を試みていた。時折片方がぎこちなく笑いかけると、もう片方も慎重に笑みを返している。
さすがにヘクターとザイのようにはいかないけれど、このぶんだと民たちが打ち解けるのも、そう遠くはなさそうだ。
やがて、シャルカの民は案外怖くないらしいという噂が、辺境にひっそりと流れるようになった。ただ、それを聞いたケイナたちは、「争わずに済むのはいいことだが、甘く見られるのも少々複雑だ……」とつぶやいていた。




