13.過去と現在の事情
ヴォルフたちと別れたわたくしは、シャルカの騎馬に囲まれて、どんどん草原の奥のほうに連れていかれた。
怖くないと言ったら、嘘になる。でも今は、彼らを信じるしかない。これが最善の道だったのだと、そう信じるしかない。
考えていたら、どんどん気分が重くなってしまう。負けじと胸を張ってまっすぐ前を見つめていたら、さっきの男性が自分の馬をわたくしの馬の隣につけてきた。そうして、ためらいがちに声をかけてくる。
「私はルルカの枝を束ねる者、名はケイナ。お前の祖母ライエは、私にとって姉のような存在だった」
シャルカには、王は存在しない。
民たちは血のつながりに基づくいくつかの集団に分かれていて、その集団の長たちにより、国が緩くまとめられているのだ。
その集団のことを『枝』と表す。ちょうど、フロージュでいうところの家名と似たようなものだ。
この男性、ケイナは、お祖母様と同じルルカの枝だ。つまり彼は、お祖母様の遠縁ということになる。たまたま攻めてきていたのがルルカの枝の人々だったなんて……ありがたいような、複雑な気分だ。
「お前が本当にライエの孫だというのなら、彼女について話せることがあるだろう。包み隠さず話せ」
どことなく気がせいているような口調で、ケイナは問い詰めてくる。彼はまだ、わたくしのことを信用していないらしい。
「はい、分かりました」
「やけに、素直だな?」
「大切なものを守るためには、あなたたちの信頼を得なくてはならない。そういうことですわ」
こうなったからには、洗いざらい話すつもりだった。もとよりわたくしの胸の内には、フロージュへの忠誠心はないに等しい。王宮で過ごした七年の間に、すっかりこの国に愛想をつかしていたから。
「ただ、わたくしがあなた方の遠縁であるということは、フロージュの人間には内緒にしていただきたいのです。……こちらにも、いろいろと事情があるので」
お祖父様や両親は、わたくしの行動を支持してくれるだろう。みんな、兄姉たちのやり口に憤っていたから。それにヴォルフたちには、あとで事情を説明すればいい。きっと、分かってくれる。
けれどそれ以外の人間にこのことを知られたら、大変なことになってしまう。王女がシャルカとの混血で、しかもシャルカと通じたとあっては……処刑、待ったなしだ。
だから今は、このことは伏せておくに限る。今は、まだ。
ケイナが無言でうなずいたのを見届けて、ゆっくりと話し始めた。
「あれは四十九年前のことだったと、そう聞いています。当時、十八歳だったお祖母様は、手負いの鹿を追いかけて、フロージュのほうへと踏み込んでしまいました」
崖崩れに巻き込まれ、川に落ち、命からがら川原に這い上がったお祖母様を助けたのが、当時アディン侯爵家の次男だったお祖父様だった。跡継ぎではないということもあって気楽に過ごしていたお祖父様は、見聞を広めるためだと言って、辺境の近くを旅していたのだ。
ふたりはすぐに恋に落ち、結婚した。お祖母様はもちろん貴族ではないけれど、いざとなったらふたりで平民として暮らしていけばいいと、ふたりはそこまで考えていたのだとか。
しかしある日、事情が大きく変わってしまった。アディン家の跡継ぎであった長男、お祖父様の兄が急死してしまい、お祖父様が家を継ぐことになったのだ。
あのときの騒ぎはひどいものだったと、お祖母様が一度だけ話してくれた。
折悪しく、フロージュとシャルカの関係が悪化し始めていたということもあって、「シャルカの娘など侯爵家にはふさわしくない、さっさと別れろ」と、親戚たちは一丸となってお祖父様を説得しにかかったらしい。
しかしお祖父様は、「妻と別れるくらいならこの家を出ていく」とごねにごねて、結局お祖母様を一度親戚の養子にすることで、無理やり体裁を整えたのだとか。
お祖母様は親からもらったライエという名を捨て、フロージュ風の『ライア』という名を名乗ることになった。そして侯爵家の妻として様々なことを学び、お祖父様と添い遂げることを選んだ。
けれどお祖母様は、王宮で立場の弱いわたくしの身を案じてくれて、何かの役に立てばとシャルカの知恵をありったけ、わたくしに授けてくれたのだ。
……まさか本当に、役に立つ日がくるなんて思いもしなかったけれど。
「お祖母様は、八年前に亡くなりました。家族に囲まれた、幸せな最期でした。……今は、アディン侯爵家の領地にある、広い草原に眠っています」
わたくしの説明を聞き終えたケイナは、ううむとうなって考え込んでしまった。両手を手綱から離して、腕組みをしている。それでも落馬しないのは、さすが馬術に長けたシャルカの民だけのことはある。
「……ライエは、ルルカの枝の中でもとびきり勇ましい女性だった。男も女も、みな彼女に憧れずにはいられないほどに。私も、例外ではなかった」
ふと、彼はぽつりとつぶやいた。その横顔は、ひどく寂しげだった。
「彼女の行方が知れなくなって、長い時が経った。我らは、彼女はとっくの昔に死んでしまったのだろうと思っていた。だが彼女は生き延び、血を残していたのか……」
彼はそのままの表情で、ゆっくりとわたくしを見つめる。感慨深げに、彼は言葉を続けた。
「……よく見れば、かすかに面影がある」
しかしすぐに、その顔がおかしそうに大きくゆがむ。
「まさかライエの孫がこんなところに来ていて、こんな思い切ったことをしでかすとは……めぐりあわせとは、不思議なものだ」
「わたくしもそう思いますわ。このような形ですけれど……あなたに会えてよかったと、そう思います」
お祖母様は、最期までたくさんの家族に愛されていた。けれどやはり、お祖母様の心の中には故郷への思いが残っていたに違いない。その故郷の人へ、お祖母様の消息を知らせることができた。そのことが、嬉しかった。
そうやって話しているうちに、彼らの野営地にやってきた。馬を預け、天幕のひとつに案内される。中に入ったとたん、歓声を上げてしまう。
「わあ、祖母から聞いたとおりの……『色とりどりに染め分けられた羊毛を使った天幕は、とても美しいんだよ』って……きれいですわ、素敵ですわ……」
敵地にいることをすっかり忘れて、天幕に見とれてしまう。
ふと気づくと、シャルカの民たちが苦笑まじりの視線をわたくしに向けていた。彼らは、すっかりくつろいだ雰囲気を漂わせている。その態度からは、敵意は少しも感じない。わたくしが、お祖母様の話をしたからかしら。
よかった、と笑いかけたとき、ふとあることに気がついた。
「そういえば、わたくしをあなたがたの家に連れてきてしまってよかったんですの?」
すぐに、ケイナが答えてくれた。
「チェレスタ、我らは羊とともに草原を移動する民だ。ここに定住しているわけではない」
「ええ、存じておりますわ。でも、放牧地のひとつを教えてしまうことになるでしょう?」
さらに問いかけると、彼はふっと笑った。物事を知らない幼子の言葉を面白がっているような表情だ。
「お前は、この草原を知らないのだったな」
「はい、話には聞いていますが、こうして実際に足を踏み入れるのは初めてですわ」
「この草原は、とても広い。我らシャルカの民全てを受け入れてなお、余りあるほどに。この場所が使えなくなっても、何も困りはしない。他にいくらでも、暮らすのに適した場所はあるからな」
彼の言葉を聞きながら、思いをはせる。辺境の城にある地図では、国境より向こうは空白になっていた。そこにひとこと、『一面の草原』とだけ書かれていた。
きっと、ケイナの言うとおり、シャルカの民は雄大な草原に抱かれ、守られているのだろうな。お祖母様は草原について話すとき、とても幸せそうな目をしていた。
そこまで考えたところで、また引っかかるものを感じた。
「ひとつ、立ち入ったことをうかがってもいいでしょうか」
なんだ、とケイナが表情を変えずに答える。
「あなたがたは、どうしてフロージュ側に攻め入ってくるのでしょうか。見たところ、この地は寒冷ではあるものの、とても豊かな場所のように思えますし……わざわざ、血を流す必要なんて……」
すると、天幕の中が静まり返った。さっきまで肩の力を抜いていた男たちが、ぴたりと口を閉ざしてわたくしを見つめている。空気がぴりりと、肌を刺してきた。
「我らは、シャルカの聖地を取り戻したいだけだ。かつてお前たちは、我らの先祖が眠る聖なる地を奪ったのだ」
朗々と、ケイナの声が響く。淡々としているようなその声には、しかし確かに憤りがにじんでいた。
「もしかしてそれは、五十年ほど前の……」
お祖母様がお祖父様と出会った直後、フロージュがシャルカに攻め入り、国境が少しだけ動いた。それ以降、シャルカが積極的にフロージュを攻めてくるようになったのだと聞いている。
「そうだ。そもそもの始まりは、お前たちフロージュ側にある」
ようやく、納得がいった。でもそういうことなら、手の打ちようがあるかもしれない。
「さしつかえなければ、聖地の場所を教えてもらえないでしょうか」
「聞いてどうする気だ」
「もし可能であれば、その地をお返しできないかと思いましたの。そうすれば、もうわたくしたちが争う理由がなくなるでしょう?」
すると、ケイナは目を真ん丸にしてしまった。どうやら、わたくしの返答が完全に予想外だったらしい。
「本当に、思い切ったことを言ってのけるな……そんなところもライエに似たのか」
「かもしれませんわね。わたくしは、フロージュの民を守りたい。そしてできることなら、シャルカの民とも友好な関係を築いていきたい」
ヴォルフの言葉を思い出しながら、にっこりと微笑む。ケイナの顔に、ゆっくりと苦笑が浮かんだ。
「ふむ、お前もシャルカの血を引くのであれば、その言葉に嘘はないと誓えるな?」
「もちろんですわ。わたくしの祖母ライエの、誇りにかけて」
自信たっぷりに、胸を張って答えた。とはいえ、こんなことを誓ってしまっては、のちのち面倒なことになるかもしれないなと、そんな考えが頭の隅をかすめる。
聖地を返すことについて、ヴォルフはきっと賛成してくれるだろうし、おそらくヘクターたちも分かってくれる。
辺境の民たちは、シャルカの民たちを恐れているけれど、それでも根気強く説得すれば、シャルカの民との共存もかなうはずだ。
……問題になるのは、王宮のほう。敵であるシャルカと和平を結ぶ、それ自体は喜ばしいことではある。しかしその立役者が、嫌われ者のわたくしとヴォルフとなれば、話は変わってくる。
きっと王宮にいる兄姉たちは、わたくしたちを全力で妨害しにかかるだろう。そのさまを想像したら、ちょっと頭が痛くなってきた。
でも、平和が勝ち取れるのなら、多少の苦労なんてどうということはない。まずは、目の前の問題から片付けよう。
気合いを入れていたら、ケイナが難しい顔をした。
「しかし、聖地は我ら以外には見分けがつかない。口で言ったところで、場所は分からないだろう」
でしたら案内を頼めませんか、と言おうとするより先に、彼はかすかに笑った。
「……明日、お前を聖地に案内しよう。ライエも、きっとそれを望むだろうから」




