11.ひとつだけ、種明かしを
またある日、わたくしはヴォルフとふたりで、遠乗りに出ていた。気晴らしと、辺境の視察を兼ねているのだ。万が一に備えて、ヘクターたちも離れてついてきている。
先日、乗馬の腕を存分に披露したことで、わたくしも同行が許された。とはいえ、敵地に近い場所に丸腰の女性が出てくることについて、彼はやはり渋ってはいたけれど。
城を離れ、国境近くの草原を馬で駆ける。しばらく進んだところでヴォルフに馬を寄せ、小声で話しかけた。
「この辺りの風景は、王都の近くのものとは異なっていますわね」
「ああ。見た目だけではなく、風の香りまで異なっているように感じられるな」
王都の辺りは温暖で、広く薄い葉をつけた木々が多く生えている。秋になるとその葉は色を変え、冬には全て落ちてしまうのだ。雪がちらほら降ることもあるけれど、積もることはない。
春は若緑、夏は深緑、秋は赤や黄色、そして冬は灰色。あの辺りは、そういった色にあふれていた。
けれどここは、まるで違う。目の前の草原は淡い緑で、遠くにある森は細い針のような葉をつけた木々ばかり。見慣れたものよりも緑の色が濃く深く、どことなく重々しい雰囲気の森だ。
さらに遠くに目をやると、万年雪を抱いた鋭い山々がずらりと連なっているのが見える。もうすぐ初夏だとは思えない、不思議な光景だ。
この辺りは、年中白と深緑に覆われているのだと、お祖母様からそう聞いてはいた。けれど、実際に目にするのは初めてだ。
思っていたよりも、ずっと素敵な場所ね。冬場はちょっと寒そうだけれど、慣れてみせましょう。兄姉たちのちくちくした敵意に耐えるより、ずっとまし。
笑顔で風景を見つめていたら、ヴォルフがぽつりと、暗い声でつぶやいた。
「……思えば、遠くに来たものだ」
「ヴォルフ様は、辺境が苦手ですの?」
気になって尋ねたら、彼は勢いよく首を横に振った。
「いや、私は元々田舎の出だから、栄えている王都よりも、緑の豊かなここのほうがむしろ落ち着く」
「奇遇ですわね。わたくしも、ここの景色が好きですの。ここに来られてよかったと、心からそう思っていますわ」
うきうきしながら答えて、ふと違和感を覚える。国境の向こう、シャルカの地のあるほうを眺めている彼の横顔は、ひどく険しく引き締まっていたのだ。
それだけなら、敵襲を警戒しているのだととらえることもできただろう。けれど彼の表情は、むしろ……苦しそうですらあった。葛藤している、と言ってもいいかもしれない。
口を閉ざして、じっと彼の顔を見つめる。わたくしの視線に気づいたのか、彼はためらいがちに言葉を紡ぎ始めた。
「……私は、この辺境を外敵から守れと命じられている。だが私の望みは、少し違うところにあるんだ」
望み。どんなものなのかしら。耳を澄ませて、次の言葉を待った。
彼は何かを言いかけて、また止めて……そんなことを何回か繰り返してから、静かな声で続けた。
「私はこの地を、この地の人々を守りたい。そしてかなうことならば、シャルカの民も守りたい」
彼が口にした言葉に、一瞬ぽかんとしてしまう。
シャルカの民は、わたくしたちフロージュ王国の敵だ。彼らを守りたいだなんて考えていることが王都の連中……特に兄姉たちに知られたら、間違いなくヴォルフはただでは済まない。反逆罪で、処刑されてしまってもおかしくはない。
「あのっ、それ、は……」
きっとわたくしは、青ざめていただろう。しかしヴォルフは、奇妙なまでに落ち着いてしまっていた。
「かつて私は、国内の罪人たちをみだりに斬ることなく、可能な限り捕らえ、話を聞くことにしていた」
以前彼が語ってくれた、彼が騎士団長だったころの話だ。
「……彼らには彼らなりの事情があり、考えがあった。共感できる理由もあり、とうてい納得できない理由もあったが」
はらはらしながら見守るわたくしに、彼はそっと優しいまなざしを向けてくる。
「ならばシャルカの側にも、何か事情があるのかもしれない。どうにかして、その事情を知ることができないかと思うんだ。そうすれば、戦うことなくこの状況を変えられるかもしれない」
ヴォルフの目が、ゆっくりと細められる。苦しげに歯を食いしばって、かすかな声で彼は言った。
「……戦いは、嫌いだ。勝敗にかかわらず、誰かが傷つく。腰抜けと蔑まれようとも、その思いは変わらない」
感極まってしまって、何も言えない。本当にこの人は、どこまでも不器用で、とびきり優しくて、元騎士団長とはとても思えない。けれどそんなところが、愛おしくてたまらない。
「ヴォルフ様……わたくし、あなたが夫で、本当によかったと思っていますわ」
どうにかこうにか、そんな言葉を絞り出した。
「今の話は、わたくしたちふたりだけの秘密にしましょう」
馬に乗っていなかったら、きっと彼に思いきり抱きついてしまっていただろう。その代わりに、とびきりの笑顔を彼に向けた。
「わたくし、お手伝いいたします。あなたのその優しい理想がかなうように」
「ありがとう。だが、その気持ちだけ受け取っておく。私のせいで、貴女を危険にさらしたくはない」
彼はくすぐったそうに、切なげに笑うと、わたくしから目をそらした。周囲の草原を見つめ、静かにつぶやいている。
「今はまず、辺境について知らなくてはならない。私にとってこの辺境は、知らないことばかりの地だから」
どうやら、彼は話を変えようとしているらしい。
「先代の辺境伯と直接話せなかったのが痛いが、ひとつだけ手掛かりがあった。彼は、日記を城に残していったんだ」
「もしかして、以前あなたの部屋を訪ねたとき、あなたが読んでいたものですの?」
わたくしがお茶のワゴンを運んでいったとき、彼は古い日記のようなものを読んでいた。あれは、先代の辺境伯のものだったのか。
「ああ。ほとんどは、日々の他愛無いことばかりがつづられているが、この辺境の地についての情報も、ところどころに残っている。その情報を寄せ集め、参考にできないかと考えているんだ」
しかし彼は、浮かない顔をしている。どうやらその作業は、かなり難航しているのだろう。
彼の横顔を見ながら、少しだけためらう。けれど背筋を伸ばして、思い切って口を開いた。
「そういうことでしたら、わたくし……あなたのお力になれる、かもしれません」
「貴女が?」
「実はわたくし、この辺りの気候や地形、それに動植物などについて、ある程度知っているんですの」
そういったことも、やはりお祖母様から教わった。けれどお祖母様は、これらの知識について口外しないよう、幼いわたくしにそれはきつく念を押してきたのだった。
『遠いあの地についての知識は、いつか、どこかでお前の役に立つかもしれない。けれどこのことを知っているせいで、お前が苦境に立たされるかもしれない。だから、誰にも話してはいけないよ、可愛いチェレスタ』
いつになく強い口調で必死に言い聞かせてくるお祖母様の声も、顔も、まだはっきりと思い出せる。
王宮でさんざんな目にあってきた今のわたくしには、お祖母様が何を心配していたのか理解できた。だって、わたくしのこの知識は……。
……お祖母様、ごめんなさい。わたくし、言いつけを破ります。わたくしを信頼して胸の内を打ち明けてくれたヴォルフの力になりたいんですの。
それに、シャルカのことまで考えてくれる彼になら、明かしても大丈夫だと思える。
「あの、ヴォルフ様。これから話すことについて、他の方には秘密にすると、そう約束してもらえないでしょうか……」
「ああ、もちろんだ」
そろそろと尋ねると、すぐに、力強い答えが返ってくる。そのことに励まされながら、ひとつ深呼吸して言葉を続けた。
「以前、わたくしの過去について話したのを、覚えておられるでしょうか。実家にいたころ、様々なことを叩き込まれたのだと」
緊張で、手が震えそうになる。お腹にぐっと力を入れて、できるだけはきはきと話し続けた。
「わたくしに知識や技術を教えてくれたのは、今は亡き祖母、ライアでした。祖母は……この近くで、生まれ育ったのです。幼いころから馬を手足のように操り、自らの手で家事をこなす、そんな暮らしをしていたのだそうです」
ヴォルフは驚きに目を見張りつつも、納得したように小さくうなずいている。
「このことを知っているのは、わたくしを除けば、祖父と両親だけです。けれど、祖母から受け継いだ知識は、きっとあなたの役に立つはずですから……」
「そうか。感謝する」
わたくしが懸命に言葉を濁しているのを悟ったのだろう、ヴォルフはそれ以上追及することなく、力強くこたえてくれた。
今の話は、嘘ではない。けれど、全ての事情を打ち明けたわけでもない。……いつか、本当のことを、全部話せる日がくるのだろうか。
「それより、さっそくわたくしの知っていることをお教えいたしますわね!」
胸の中に浮かんできた暗い雲を追い払うように、ことさらに明るく声を張り上げた。
ヘクターたちがやってきて、あっという間に一か月が経っていた。
朝起きて、動きやすい服装に着替える。重たく苦しいドレスではなく、軽やかなワンピースだ。
ヴォルフと一緒に朝食をとったら、今度は乗馬服に着替える。ヴォルフと一緒になって、ヘクターたちに馬術を教える。わたくしたちの教えがいいのか、そもそも素質があるのか、みんなみるみる上達していった。
昼食後は、ふたりで執務をこなす。先代の辺境伯はそもそもろくに仕事をしておらず、しかも逃げるようにして出ていったものだから、やることは山積みになっていた。
夕食のあとは、ヴォルフとふたりきりでゆっくり過ごす。日々のちょっとしたことを話して笑いあう時間は、わたくしたちにとってかけがえのないものになっていた。
ひとしきり喋ってから、おやすみの挨拶をして自室に戻る。
相変わらず寝所は別だけれど、焦ることはない。わたくしたちはわたくしたちの速さで、歩み寄っていけばいいのだから。
毎日同じような、忙しいけれど充実した日々。
ああ、平和だ。王宮で兄姉たちの顔色をうかがいながら息をひそめていたころとは大違い。
やっぱりこの結婚は、嫌がらせにはならなかった。こういうとき、どう言うのが適切なのだろうか。……ああ、そうだ。ざまあみろ、かしらね。
けれど、そんな平穏はあっさりと打ち砕かれた。
「ヴォルフ様、シャルカの連中が攻めてきました!」
見張りに立っていた新米騎士の一人が、顔色を変えて駆け込んできたのだった。




