10.王女らしからぬ特技
わたくしとヴォルフは、ようやく互いに向き合い、夫婦としてやっていくことを決めた。そのおかげか、わたくしたちの間に漂っていたぎこちなさも薄れてきた。
腹をくくったと宣言したヴォルフは、あの日以降も敬語なしで話しかけてくるようになった。
一方のわたくしは、彼のことを『旦那様』ではなく『ヴォルフ様』と呼んでいる。旦那様、と呼ぶのも楽しいけれど、せっかくなので名前を呼びたかったのだ。彼もそう呼ばれるほうが好きなようなので、自然とこういう形に落ち着いた。
「おふたりがすっかり仲良くなったって、みんな今度はそう噂してますよ。よかったよかったって、ことあるごとにささやき合ってます」
ある日、ヘクターが心底楽しそうに笑いながら、そんなことを報告してきた。鍛錬の休憩時間に、ヴォルフの執務室まで押しかけてきたのだ。
「報告ありがとう、ヘクター。くすぐったいですわね」
処理している途中だった書類の束を手に、ヘクターに微笑みかける。彼もまた、柔らかく笑い返してくれた。
ヴォルフは元騎士団長で、剣術や馬術、戦術や戦略なんかについてはしっかりと学んでいるけれど、当然ながら領地を治めたことはない。
真面目な彼は、辺境伯になることが決まってから、統治について必要なあれこれを懸命に学んではいる。けれど、まだまだ不慣れであることに変わりはない。
だからわたくしが、こうやって執務を手伝っている。一応、実家にいたころに書類仕事を叩き込まれていたから、多少なりとも力にはなれる。
これまでは、出しゃばってしまうのではないか、彼が嫌がるのではないかと思って、手を貸せずにいた。
けれど夫婦として再出発すると決めてから、おそるおそる提案してみたのだ。「わたくしでよければ、書類仕事をお手伝いできますが」と。
ヴォルフは一瞬きょとんとして、すぐに明るく笑った。「それは頼もしい、よろしく頼む」と、彼はほっとしたように答えてきたのだ。わたくしの心配も不安も、あっという間に溶かしてしまうような、春の日差しのような笑顔だった。
そんなこんなを思い出しつつ、ヘクターに晴れ晴れとした笑顔を向ける。しかしヴォルフは珍しくも背中を丸めて、わたくしたちから視線をそらしていた。
「……そ、そうか。みなが安心できたのならいいのだが……しかしできれば、その話はそれくらいにしてもらえないか。ほら、チェレスタもとまどっているだろう」
「とまどってるの、チェレスタ様じゃなくってヴォルフ様のほうですよね。チェレスタ様、とっても嬉しそうですから」
ヘクターはヴォルフの反論をあっさりと叩き潰し、見事な笑顔でわたくしに向き直る。……ヴォルフは元上官で、今は主だというのに、なんというか……遠慮がないですわね。
「堅物のヴォルフ様にいい人ができて、嬉しいなあ。騎士団長ということもあってすっごくもててたのに、今まで浮いた話のひとつもなかったから」
「あら、そうでしたの?」
上機嫌で語るヘクターに相槌を打ちながら、納得と疑問とが同時に浮かぶ。
ヴォルフくらい素敵な人なら、王宮に出入りする令嬢たちは放っておかなかっただろう。彼は元の身分こそ低いけれど、将来有望だし。
でもそれなら、どうして今まで浮いた話がなかったのだろうか。……わたくしとしては、嬉しいですけれど。
わたくしが小首をかしげたことに気づいたのか、ヘクターが笑顔で声をひそめる。
「ここだけの話、ヴォルフ様って奥手なんですよ。女性がか弱すぎて、どう接したらいいのか分からないみたいで」
「こら、ヘクター!」
さすがに見過ごせなかったのか、ヴォルフが声を張り上げた。ただ、顔は真っ赤になっているし、声は思いっきり揺らいでいる。
ヘクターは少しも動じることなく、「だって本当のことですよね」とさらりと返し、またわたくしに笑いかけてくる。
「だから、ヴォルフ様がチェレスタ様と、こんなに早く、こんなにしっかりと打ち解けるとは思ってなかったんです」
彼のあっけらかんとした物言いと、盛大にうろたえているヴォルフの姿に、ついいたずら心がわいてしまう。
肩をすくめ、意味ありげに苦笑してみせながら、ヘクターにささやきかけた。
「でもヴォルフ様は最初、わたくしのことを追い返そうって考えていたんですのよ。そのせいで、どうにもそっけなくて」
わたくしの打ち明け話に、ヘクターがきゅっと眉間にしわを寄せた。
「……もしかして、ヴォルフ様はチェレスタ様を守ろうとしたとか、そんな感じだったり……?」
「正解ですわ。辺境は危険だから、どうにかして王宮に戻らせようとしていたみたいで……でもその気遣いが、ちょっぴり的外れでしたの」
「ヴォルフ様なら、そういうのやりそうだなあ……でもそこから、どうやってヴォルフ様を説得したんですか?」
ヘクターは興味もあらわに、身を乗り出している。ヴォルフは耳まで真っ赤にしながら、ちらちらとこちらに視線を送ってきた。先日の、裏庭での会話については話してくれるな。そう言いたげな表情だ。
わたくしとしても、あの会話についてはふたりだけの秘密にしておきたい。ちょっぴり照れ臭いし。
少しだけ考えて、ごまかすことにした。
「わたくしが王女とは思えないくらいにたくましくて、ここに残っていても大丈夫なのだということを示してみせましたのよ」
「チェレスタ様が、たくましい!? あのっ、例えば、どんな? 俺、気になります!」
どうやらヘクターは、わたくしの言葉を少しも疑っていないようだった。彼の食いつきっぷりがおかしくて、くすりと笑ってしまう。
「そうですわね。どうせなら、実際に見てもらったほうが早いかもしれませんわ」
乗馬服に着替え、馬に乗って城のすぐ外の草原に出る。隣にはヴォルフ、後ろにはヘクターたち新米騎士が並んでいる。みな、わたくしと同じように馬に乗っていた。
「王女様がここまで乗馬がお得意だなんて、確かにたくましい……じゃなくって、素敵ですね!」
わたくしの手綱さばきを見たヘクターが顔を輝かせ、他の新米騎士たちもうんうんとうなずいている。
ただ、ヴォルフはひとり、難しい顔をしていた。わたくしたちが打ち解けるきっかけとなったあの会話を隠すためとはいえ、わたくしがまた騎乗して草原に出てきた。そのことが、心配なのだろう。
とはいえ、その心配も、すぐに消えるはずですわ。
馬に乗ったままぐるりと辺りを見渡して、地面の状態を確かめる。一面に丈の低い草が生えていて、岩や石は見当たらない。ここなら、ちょうどよさそうだ。
「それでは、少し協力お願いできるかしら?」
腕を伸ばして、そっと馬の首に触れる。馬は軽く鼻を鳴らして、わたくしの言葉にこたえてくれた。どうやら、機嫌もよさそうですわね。
手綱をしっかりと持ち直し、まっすぐに馬を走らせた。みんなから十分に距離を取って、叫ぶ。
「さあ、とくとご覧あれ!」
片側のあぶみに重心を移し、馬の背の片側に大きく身を乗り出す。ヘクターたちのものらしい悲鳴が、背後から次々と聞こえてきた。
あわてず騒がず、ぐっと足を踏ん張って体を起こし、また鞍の上に座り直す。手綱を絞って、馬と息を合わせて……大きく馬が跳ねた。
わたくしの合図に合わせて、馬は軽やかに跳ね回っている。こんなふうにのびのびと馬を走らせたのは、本当に久しぶり。ああ、楽しい。
「曲乗り……か? まさか、そこまで……」
「チェレスタ様、すごい!」
悲鳴はいつしか歓声に変わり、ヴォルフの呆然とした声と、ヘクターのはしゃいだ声がその合間に聞こえてくる。
存分に走り回り、またみんなの前まで戻ってくる。弾む息を整えながら、にっこりと微笑んだ。
「と、こんな感じですのよ」
返ってきたのは、たくさんの拍手。新米騎士たちはみんな、称賛……というより、崇拝に近い目でわたくしを見ていた。
「僕たちよりうまいですね! でもどうして、そこまで上達されたんですか?」
「ふふ、内緒ですわ」
興奮冷めやらぬ顔で尋ねてくるヘクターに、悠然とした態度で答える。すると、ヴォルフが馬に乗ったまますぐそばまでやってきた。
「チェレスタ、貴女が馬術の名手だということは、よく分かった。だが……」
彼はわたくしをまっすぐに見つめ、どことなく切なげにため息をついた。
「……あまり、無茶をするな。さすがに、肝が冷えた」
「心配してくださるの?」
「妻の身を案じるのは、当然のことだろう」
恥じらいつつも、彼はきっぱりと告げてくる。そのさまを見たとたん、胸がきゅうんとするのを感じた。とってもくすぐったくて、そわそわするのに心地いい、奇妙な感覚だ。
「まあ、嬉しいですわ、旦那様!」
「馬上で暴れるな、チェレスタ!」
ふわふわする思いに突き動かされるように、馬に乗ったままヴォルフのほうに身を乗り出す。ヴォルフはあわてた顔で、わたくしのほうに手を差し伸べた。
「あら、この程度では落ちませんわよ。分かっておられるでしょう?」
そうやって騒ぐわたくしたちを見て、ヘクターたちはやはり目を丸くしたまま、楽しげに笑っていた。




