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天文密奏録 第〇四七号別紙五  作者: 棗田智紘
第一部 気色
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第一章 令和〇八年〇六月三〇日 一四時〇〇分

六月二十四日


 (ほこら)の件が終わった。


 私は伺見(うかみ)である。


 土地や人に、ふつうでない気配が立つことがある。私の勤め先では、それを気色(きしょく)と呼ぶ。伺見の仕事は、その気色を視ることだ。いつ、どこで、何を視たか。それだけを書く。書いたものを密奏(みっそう)という様式にまとめ、封をして、上へ回す。視て、記す。そこで私の手は離れる。あとをどうするかを決めるのは、私ではない。決めない、というのが伺見の職掌(しょくしょう)である。


 勤め先は、職員のあいだでは「(りょう)」で通る。正式には暦象事務局(れきしょうじむきょく)という。暦を調べる役所、ということになっている。なっている、というだけである。


   *


 祠の件は、三月に区画整理で動かされた、小さな祠だった。動かしたあと、その区画の家で、立て続けに三件あった。三件とも軽い。骨も折れていない。それでも三件続けば、人は気づく。気づいて、市役所に言い、市役所が県に言い、県から寮へ回ってきた。


 私が初見(しょけん)を——最初にその気色を視て記録することを、寮では初見という——記したのが、四月の八日である。


 有働(うどう)さんが入ったのが五月で、六月の頭までに三度通った。氏子の名簿が残っていたので、そこから当たった。祠を動かす前、それがどちらを向いていたかを覚えている人が、一人だけいた。八十を超えた女の人だった。


 あとは早かった。向きを戻して、祀り直して、それで済んだ。


 済む、というのは、こういうことだ。相手に言い分があるなら、聞けばいい。祠は、動かされたことに、まだ筋の通った言い分を持っていた。だから、聞けた。聞けるうちは、たいてい済む。


 寮の処置(しょち)は、四つある。(しず)め、(ふう)じ、()ち、そして(しる)す。


 相手に言い分があり、聞いて済むものを、一層(いっそう)という。言い分は通じないが、確かに在って、封じるか断つかできるものを、二層。そのどれも効かないものを、三層という。三層には、手立てがない。だから、ただ記す。視て、書いて、そのままにする。


 門司で、私は三層を記したことがない。祠は、いちばん軽い、一層だった。


   *


 祠の最終の密奏は、筒井(つつい)さんが封をした。封をするのは陰陽属(おんようのさかん)の役で、伺見の私ではない。私は初見を記した人間なので、封の前に一度、回ってきた。


   一、処置   鎮  封  断  記

           鎮


 処置の欄の、鎮に丸が打ってある。


 六年やって、私が回した密奏で、鎮に丸のついたものが、たぶん八割を超える。残りは封だ。断はない。記もない。


 門司は、そういう管区だった。


   *


 午後、廊下で黒木(くろき)さんに会った。


「竹の字」


「はい」


「祠、終わったって」


「はい」


「早いな」


「有働さんが早かったので」


 黒木さんは笑った。二課(にか)の人間は、笑い方が大きい。二課は、寮の外から来る。荒事をやる人たちで、断つのが仕事だ。破落戸(ごろつき)、と正式には言うらしい。誰も言わないが。寮の人間は、あまり笑わない。笑わないというより、笑う速度が遅い。


「俺、今回なんもしとらん」


「はい」


「はい、じゃないだろ」


 はい、と返したのは、そう返しておけば間違いが少ないからである。自分の言葉で受けると、相手の顔がわずかに動くことがある。動いたとき、どこで外したのかが、私には分からない。覚えた返しなら、外さない。


 黒木さんはそう言って、廊下の先へ行った。


 二課が呼ばれない案件が続くのは、いいことだ。呼ばれるというのは、鎮めが効かなかった、ということである。断つしかなくなった、ということである。門司では、あまり呼ばれない。


   *


六月二十七日


 引き継ぎをした。


 といっても、伺見に引き継ぐものは、あまりない。初見は、記した時点で終わっている。私が視たものは、もう密奏になって、上へ行った。手元には残らない。継続している件が二つあったが、どちらも記録は綴じてある。次に来る伺見が読めば、済む。


 午前中に、手帳を出した。


 伺見の手帳は、寮の備品である。現場で視たものを、その場で書きつける。あとで密奏に起こすための、下書きのようなものだ。使い終われば、封をして、書庫に納める。門司で使った分は、門司の書庫に入る。私が持って出るものではない。


 六年分あった。全部で十九冊。日付順に並べて、通し番号を確認して、筒井さんのところへ持っていった。


「十九」


「はい」


 筒井さんは冊数を数えて、表に書き込んだ。それから紐で括って、封をした。


 数える手が、慣れていた。慣れているのだから、これはただの手続きだ、と決めた。そう決めると、筒井さんが冊数を読み上げないのも、丁寧に思えた。


 これで、あれは私のものではなくなる。もともと、私のものではない。


   *


 十九冊のうちに、去年の、十月二十一日の一冊がある。


「あの」


「なに」


「十月二十一日のぶんは」


 筒井さんは、括った束を持ち上げた。


「封したから」


「はい」


 それだけだった。


 封したものは、開けない。開ければ、封ではない。私は六年、それを見てきたので、そのとおりだと思う。思うのだが、少しのあいだ、束を見ていた。


   *


 午後、辞令の写しが来た。


 異動先、第一観測所。着任、七月二日。北海道である。


 事由の欄に、一行あった。


   障りの消失を待つ


 (さわ)り、という。術や、強い気色に近づいた者が、身のうちに負うものを、寮ではそう呼ぶ。私にも、ある。去年の、十月二十一日から。


 障りのある伺見を、障りのない管区へ動かす。消えるまで、そこに置く。辞令は、そう言っている。理屈は、通っている。


 私は筒井さんに聞いた。


「これは、どなたの決裁でしょうか」


「決裁は下りてる」


「はい。どなたの」


 筒井さんは書類を見た。それから、もう一枚めくった。


「下りてる」


「はい」


 筒井さんは、私を見なかった。意地悪ではない。書いていないものは、読めない。読めないものは、言えない。それが、陰陽属の職掌だ。


 辞令には、発令者の欄がある。欄はある。印もある。ただ、名前がない。頭の印である。頭の印を、頭が押すとは限らない。


 誰かが起案し、誰かが回し、誰かが判を押した。三人とも、たぶん、そんなに考えていない。考える必要のある案件ではないからだ。障りのある伺見を、障りのない管区へ動かす。それだけのことである。


 ただ、一つ、書いていないことがあった。


 消えるまで、と辞令は言う。では、消えたと、誰が決めるのか。障りの消失を、判定する。その職掌が、どこにあるのか。それは、書いていなかった。


 書いていないことは、私も書かない。それが、伺見だ。


 だから、書かずに、覚えておくことにした。


   *


六月三十日 一四時〇〇分


 辞令の交付は、一四時ちょうどだった。


 所長室に入って、受け取って、出た。三分もかからない。所長は、体に気をつけるように、と言った。私は、はい、と言った。それだけの部屋だった。


 外に出ると、暑かった。


 六月末の門司は、もう夏である。関門(かんもん)の海が光っていて、海峡の向こうに下関が見えた。六年、この景色を見てきた。明日からは、見ない。


 名残惜しい、というのとは、少し違う。見てきたものを、もう見ない。ただ、それだけのことなのに、しばらく、立っていた。


   *


 荷物は、先に送ってある。段ボールで四つだった。六年住んで四つは、少ないほうだと思う。思うが、比べたことがないので、分からない。


 港の手前で、黒木さんが立っていた。


 立っていた、というより、車に寄りかかって煙草を吸っていた。二課の車である。私を待っていたのかどうかは、分からない。分からないが、通り道ではない。


「竹の字」


「はい」


「北か」


「はい」


 黒木さんは、煙を吐いた。


「向こうは、断が多いぞ」


「聞いています」


「聞いてるだけだろ」


「はい」


 黒木さんは、うなずいた。私が正直に答えたので、それ以上は言わなかった。


 断が多い、というのは、鎮めが効かない土地だ、ということだ。相手に、言い分がない。聞いても、済まない。門司とは違う。黒木さんは、それを知っていて、言った。


 しばらく、黙っていた。海峡を、船が通った。


 それから、黒木さんが言った。


「聞こえるのか」


 私は、黒木さんを見た。この人がなぜそれを訊いたのかを、少し遅れて考える。


 二週間、誰にも訊かれなかったことだった。所長にも、筒井さんにも、有働さんにも。訊く必要のあることではない。障りの有無は、書類に書いてある。書いてあれば、処理は決まる。何が聞こえるかは、処理に関係がない。だから、誰も訊かない。


 黒木さんは、訊いた。二課だからかもしれない。書類の外のことを、この人は訊く。


「はい」


「どんな」


「羽です」


 黒木さんは、少しのあいだ、考える顔をした。


「鳥か」


「分かりません」


「そうか」


 それで、終わりだった。黒木さんは煙草を消して、車に乗った。窓を開けて、片手を上げた。私も、頭を下げた。


 車は、行った。


   *


 その晩、船に乗った。


 飛行機のほうが早い。だが、荷物と自分を一緒に動かす都合で、こうなった。甲板に出ると、門司の灯りが、後ろへ流れていった。


 風があった。


 風の音のなかに、あるかどうかを、私は確かめていた。


 なかった。


 なかったのだが、確かめている自分に気づいて、私は手すりから手を離した。


 風の音を確かめる前に、私は手をこう置いていた。確かめようと思う前に、手のほうが動いていた。


 いつからだろう、と思った。


 去年の十月二十一日から、ではない。あのときは、まだ、聞こえたら書けばいい、と思っていた。聞こえたものを書けば、処理が始まる。処理が始まれば、いつか終わる。そう思っていた。


 いまは、違う。


 聞こえるかどうかを、先に、確かめている。


 私は、待つようになっていた。


 消えるのを、待っている。消えたと、誰が決めるのかは、辞令に、書いていない。


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