第6話
北の森は、街から少し歩いた場所にあった。
背の高い木々が並び、葉の隙間から差し込む光が揺れている。
森の入口に立った瞬間、私は思わず息を呑んだ。
「ここが……森」
「初心者向けだから安心していいぞ!危険な魔物は出ないって言ってたし!」
ソウマは胸を張って言った。
その明るさに少しだけ勇気をもらいながら、私は森の中へ足を踏み入れた。
受付嬢から聞いた特徴――三枚に分かれた葉、縁の白さ、根元の赤み。
その条件に合う薬草を探しながら、私は慎重に森の地面を見て歩いた。
「ノエル、これじゃないか?」
ソウマが指差した草を見て、私は首を振った。
「葉の縁が白くない……これは違うよ」
「そっか……似てるの多いなぁ」
「うん。でも、ちゃんと見れば分かるよ」
私はしゃがみ込み、根元の赤みを確認する。条件にぴったりの薬草を見つけると、胸の奥が少しだけ嬉しくなった。
「これだね。……一束目」
「よし、どんどん採ろう!」
二人で協力しながら薬草を集めていく。
慎重に見分ける私と、広い範囲を探すソウマ。
その組み合わせは思った以上に効率が良く、作業は順調に進んだ。
気づけば、袋の中には八十束ほどの薬草が入っていた。
「すげぇ……こんなに採れるもんなんだな!」
「うん……ソウマが広い範囲を探してくれたからだよ」
「いやいや、ノエルが見分けてくれなかったら全部間違えてたって!」
ソウマは笑いながら言った。
その笑顔は、森の光よりも明るく見えた。
薬草を束ねながら、ソウマがふと空を見上げた。
「……俺さ、家は農家なんだ」
「農家……?」
「うん。両親と、四歳上の兄貴がいる。家の畑は兄貴が継ぐことになっててさ。俺は……家を出るしかなかったんだ」
その声はいつもの明るさとは違い、少しだけ寂しさが混ざっていた。
「……家族と仲悪いの?」
「いや、全然!むしろ仲いいよ!兄貴も親も、俺のこと応援してくれてるし」
ソウマは笑った。
でも、その笑顔の奥にある“独り立ちしなきゃいけない現実”が、少しだけ胸に刺さった。
「だからさ……俺、強くなりたいんだ。自分の力で生きていけるように。誰かを助けられるように」
その言葉は、まっすぐで、嘘がなくて――ソウマという人の“根っこ”が見えた気がした。
明るさも、優しさも、勢いも。全部、誰かを助けたいという気持ちから生まれているんだ。
「……ソウマは、すごいね」
「えっ!?なんで急に!?」
「だって……自分の道をちゃんと選んでるから」
ソウマは照れたように頭をかいた。
「ノエルにそう言われると……なんか嬉しいな」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
でも同時に、別の感情が静かに顔を出す。
――私は、どうなるんだろう。
森の風が頬を撫でる。
薬草の束を抱えた腕が少し震えた。
ソウマは自分の道を選んで、前に進んでいる。
家族に背中を押されて、夢を持って、未来を見ている。
でも私は――逃げてきただけだ。
孤児院から。
あの暗い部屋から。
売られる未来から。
逃げて、逃げて、たどり着いたこの街で、
たまたまソウマに出会って、
たまたま冒険者になった。
「……私、これからどうなるんだろう」
気づけば、言葉が口から漏れていた。
ソウマが驚いたように振り返る。
「ノエル?」
「ソウマは……自分の道を選んでる。でも私は……逃げてきただけで……冒険者になったのも、たまたまで……」
言いながら、胸が少し痛くなった。
「私……ちゃんと前に進めるのかな。この先……ちゃんと生きていけるのかな」
ソウマはしばらく黙って私を見つめていた。その目は、いつもの明るさとは違い、真剣だった。
「ノエル」
「……うん」
「たまたまでもいいじゃん。逃げてきたっていいじゃん。今こうして一緒にいるんだから、それで十分だろ」
その言葉は、森の静けさよりも優しく胸に落ちた。
「前に進むのに理由なんていらないよ。ノエルが進みたいって思ったら、それでいいんだ」
ソウマは照れたように笑った。
「それにさ……ノエルはもう進んでるよ。俺と一緒に冒険者になって、こうして薬草採って……ちゃんと自分の力で生きようとしてる」
胸の奥がじんわりと温かくなった。
――私は、進めているのかな。
――少しだけでも、前に進めているのかな。
ソウマの言葉が、ゆっくりと心の奥に染み込んでいった。
胸の奥が少しだけ熱くなった。
薬草採取も終盤に差し掛かった頃だった。
森の奥から、何かが動く音が聞こえた。
「……え?」
木々の間から、青い半透明の塊がゆっくりと近づいてくる。
ぷるん……ぷるん……
その音は、森の静けさに似合わないほど湿っていて、生き物の気配を強く感じさせた。
「スライムだ!」
ソウマが叫んだ。
私はその場で固まった。
――これが、魔物。
スライムは最弱の魔物だと聞いていた。
でも、目の前に現れたそれは、想像していた“弱い存在”とはまったく違った。
青い半透明の体は、光を受けてどろりと揺れ、内部に泡のようなものが浮かんでいる。
形は一定ではなく、歩くたびにぐにゃりと変形し、地面に触れた部分がじわりと広がる。
液体の中には黒い核らしきものがあり、液体の中を動いている。
まるで、意思を持った液体。
ぷるん……ぷるん……
近づくたびに、体の表面が波打ち、
その度に、酸のような匂いがふわりと漂った。
「……っ」
息が詰まった。
森の空気が急に冷たく感じる。
足がすくんで動かない。
心臓が早鐘のように鳴り、手が震えた。
――怖い。
最弱の魔物だと聞いていた。
でも、そんな言葉は目の前の現実を何ひとつ軽くしてくれなかった。
スライムはゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってくる。
半透明の体の奥で泡が弾けるたび、ぬるりとした音が響く。
ぷち……ぷるん……
その音が、耳の奥にこびりつくように気持ち悪かった。
「ノエル、下がれ!」
ソウマが私の前に立った。
私は動けなかった。
ただ、迫りくる青い塊を見つめることしかできなかった。
「スライムは弱いけど……素手で触ると溶かされるから気をつけろ!」
そう言うと、ソウマは近くに落ちていた大きな石を拾い上げた。
「うおおおっ!」
勢いよく振り下ろす。
ぐしゃっ。
投げた石がちょうどスライムの核に当たり潰れ、地面に散った。
しかし、その体液が跳ねてソウマの腕にかかった。
「っ……熱っ!」
「ソウマ!」
腕が赤く爛れている。
スライムの体液は弱い酸性で、皮膚をじわりと溶かす。
私は胸の奥の光を思い出した。
――回復魔法。
洗礼を受けた瞬間、胸の奥に宿った光。
その時、言葉だけでなく“使い方”も確かに頭の中へ流れ込んできた。
まるで誰かがそっと耳元で教えてくれたように。
まるで長い間忘れていた記憶を思い出すように。
傷に触れ、癒しを願い、光を流す――それだけでいい。
その方法が、今も脳裏に鮮明に残っている。
初めて使う。
怖い。
失敗したらどうしよう。
でも――
ソウマを助けたい。
その気持ちが、恐怖を押し流した。
私は震える手をソウマの腕にそっとかざした。
「……治れ」
その瞬間、胸の奥の光がふわりと広がった。
光は私の意思に応えるように、手のひらへ集まっていく。
温かい。
優しい。
洗礼の時に感じたあの光と同じ温もり。
手のひらから流れ出した光が、ソウマの腕を包み込む。
じわり……と皮膚が再生していく感覚が、手のひら越しに伝わった。
赤く爛れていた部分がゆっくりと薄れ、元の肌色へ戻っていく。
「……ノエル……これ……」
ソウマが驚いたように私を見た。
「大丈夫……?痛くない?」
「痛くない!すげぇ……ノエル、本当に回復魔法使えるんだ……!」
その言葉に胸の奥が熱くなる。
ソウマは興奮したように、私の手を何度も見て、そして自分の腕を見て、また私を見た。
「いや、ほんとにすげぇよ! だって、洗礼受けたばっかりなのに、こんなに綺麗に治せるなんて……!俺、ちょっと焦ったけど、ノエルが光らせた瞬間に“あ、助かった”って思ったもん!」
「え、そんな……」
「いやいやいや、謙遜すんなって!だって見ろよ、ほら!傷跡もほとんど残ってないし……これ、普通の回復魔法じゃここまで綺麗に治らないって聞いたぞ!」
ソウマは本気で褒めている。目が輝いていて、まるで宝物でも見つけたみたいだった。
「ノエルって……本当にすごいんだな……!俺、剣術Ⅲでちょっと自信あったけど……ノエルの回復魔法、めちゃくちゃ頼りになるじゃん!」
「そ、そんな……頼りになるなんて……」
胸の奥がくすぐったくなる。
顔が熱い。
森の風が頬に触れても、熱は引かない。
「だってさ、俺が怪我してもノエルが治してくれるって思ったら……なんか、すげぇ安心するんだよ」
「……あ、安心……」
その言葉が胸の奥に落ちた瞬間、心臓が跳ねた。
――私の力で、ソウマを安心させられたんだ。
孤児院では、誰かを安心させるどころか、
誰かに必要とされることすらなかった。
「ノエル、ほんとにありがとう。俺、ノエルがいてくれてよかったって……心から思った」
「……っ」
言葉が出なかった。
ただ、胸の奥がじんわりと温かくなって、視線を合わせるのが少し恥ずかしくて、私はそっと目をそらした。
「……もう!ほめ過ぎだよ!……照れるからやめてよ」
ソウマは照れた私を見て、嬉しそうに笑った。
「照れてるノエルも、なんかいいな」
「もう……!」
森の中に、二人の笑い声が静かに響いた。
――私の力で、誰かを助けられた。
孤児院では一度も得られなかった感覚。
誰かに必要とされるという実感。
胸の奥の光が、静かに、でも確かに輝いていた。
初めての感覚だった。




