第25話
翌朝。宿の窓から差し込む光が、新しい剣の刃をきらりと照らしていた。
ソウマは剣を腰に下げたまま、鏡の前で何度も構えを確認している。
「……ソウマ、ずっと剣触ってるね」
「いや、だってさ……早く使ってみたいんだよ、これ」
子どものように目を輝かせている。
昨日買ったばかりの剣。狩人向けの片手剣で、重みがありながら扱いやすい。
ソウマは剣を軽く振り、その感触を確かめる。
「ノエル、見てくれよ。この剣、すごく手に馴染むんだ」
「うん、似合ってるよ」
ソウマは照れたように笑った。
「ありがとう。……でさ、ノエル」
「うん?」
「新しい依頼、受けたいんだ」
私は少し驚いた。
「もう?昨日、薄霧の谷であんなに大変だったのに」
ソウマは剣の柄を軽く叩きながら言った。
「この剣を使ってみたいんだよ。ちゃんとした戦いで、どれくらい動けるか試したい」
「……どんな依頼なの?」
ソウマはギルドの掲示板で見た依頼書を取り出した。
《新種魔物の調査依頼》
・森の奥で新種の魔物が目撃された
・討伐ではなく「発見と調査」が目的
・危険度によって報酬が変動
「討伐じゃなくて調査だ。倒さなくてもいい。姿を確認して、特徴を報告するだけ」
私は少し考えた。
――倒さなくていいなら、危険は少ない。
――ソウマの剣の試しにもなる。
――森なら、薄霧の谷ほど視界は悪くない。
「……うん。それなら、いいよ」
ソウマは嬉しそうに笑った。
「よし、決まりだな!」
ギルドへ向かうと、朝の光が差し込む中で冒険者たちが依頼を探していた。
受付嬢が私たちを見ると、昨日のことを思い出したように微笑んだ。
「おはようございます。昨日はお疲れさまでした」
ソウマが依頼書を差し出す。
「この新種魔物の調査依頼を受けたいんですが」
受付嬢は依頼書を確認し、少しだけ表情を引き締めた。
「……この依頼は少し危険です。森の奥で目撃された魔物は、既存の図鑑に載っていない種類だそうです」
私は息を呑んだ。
「図鑑に……載ってない?」
「はい。森の奥で薬草採取をしていた冒険者が、見たことのない魔物に襲われたと報告しています」
ソウマが剣の柄に触れながら言った。
「討伐じゃなくて調査ですよね?」
「ええ。姿を確認し、特徴を記録していただければ十分です。危険度によって報酬が変わります」
私は頷いた。
「倒さなくてもいいなら……大丈夫です。気を付けます」
受付嬢は少し安心したように微笑んだ。
「では、気をつけて行ってくださいね」
依頼書を受け取り、私たちは森へ向かった。
街を出て森へ向かう道は、朝の光が木々の間から差し込み、柔らかい風が草を揺らしていた。
薄霧の谷とは違い、視界は良く、空気も暖かい。
「ノエル、森は落ち着くな」
「うん。谷みたいに霧がないから安心する」
ソウマは剣を軽く抜き、その刃を光にかざした。
「……やっぱり、早く使ってみたい」
私は笑った。
「ソウマ、剣を買ってからずっとそれ言ってるよ」
「だってさ……憧れてた剣だよ。試したくなるだろ」
ソウマの無邪気な笑顔に私もつられて微笑んでしまう。
「剣ばかり眺めてないで前もちゃんと見てね」
「わかってるよ♪」
森の奥へ進むにつれて、空気が少しずつ冷たくなっていく。
鳥の声が遠くで響き、風が木々を揺らしてざわめきを作る。
「ソウマ、魔物の気配……する?」
「いや、まだだな。でも奥へ行けば何かあるはずだ」
森の奥へ進むと、空気が急に重くなった。
――何かがいる。
胸の奥がざわつく。
森の奥へ進んだときだった。
「た、助けて……!」
「誰か……!」
悲鳴が聞こえた。
ソウマが剣を抜く。
「ノエル、行くぞ!」
私たちは声の方へ走った。
木々の間を抜けると、そこには――
二人組の男女の冒険者が倒れていた。
若い。まだ十代後半くらい。
男の子は腕から血を流し、女の子は足を押さえて震えている。
「だ、誰か……!」
「助けて……!」
私は駆け寄った。
「大丈夫!?ケガしてる……!」
男の子が震える声で言った。
「ぼ、僕たち……薬草採取に来ただけで……冒険者になって二日目で……こんな魔物、知らなくて……!」
女の子も泣きながら言った。
「た、倒せない……!無理……!」
ソウマが周囲を見渡す。
「ノエル、後ろだ!」
私は振り返った。
そこにいたのは――
クモ型の魔物。黒い甲殻。長い脚。赤い目がぎらりと光る。
「……これ……ムワイさんがダンジョンで襲われた時の……!」
ソウマが剣を構える。
「ノエル、多分そうだ。俺たち二人じゃ絶対に倒せない」
男の子が叫ぶ。
「助けて……逃げたい……!」
女の子も震えながら言った。
「お願い……!私たちじゃ無理……!」
私は胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
――この二人を見捨てることはできない。
ソウマが私を見る。
「ノエル……助けて逃げるぞ。でも、あいつの注意をそらさないと……!」
私は頷いた。
「うん……!この二人を守ろう!」
森の奥で、新種の魔物が赤い目を光らせてこちらを見ていた。
新人二人の背後で、クモ型の魔物が赤い目をぎらりと光らせた。
黒い甲殻。
長い脚。
鋭い牙。
――ダンジョンでムワイさんを襲った魔物と同じ。
胸の奥が一気に冷たくなる。
「ノエル、二人を治療してくれ。俺があいつの相手をする」
ソウマが剣を構え、魔物の前へ立ちはだかった。
「ソウマ……一人で大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど……やるしかないだろ」
その声は震えていなかった。
新しい剣を握る手は、しっかりと前を向いていた。
私は頷き、新人二人のそばへ駆け寄った。
男の子は腕から血を流し、女の子は足を押さえて震えている。
「大丈夫……すぐ治すから」
私は二人の傷口へ手をかざし、魔力を集中させた。
胸の奥がじんわりと熱くなり、腕へ流れ、手のひらへ集まる。
淡い光が傷口を包み、血が止まり、皮膚がゆっくりと閉じていく。
「……あ、あったかい……」
「痛みが……消えていく……」
新人二人は涙を浮かべながら私を見た。
「ありがとう……」
「助かった……」
私は微笑んだ。
「まだ終わってないよ。動けるようになったらすぐ逃げて」
その時――
ガンッ!
金属が甲殻を叩く音が響いた。
ソウマがクモ型魔物の脚を受け止めていた。
ソウマは新しい剣を構え、魔物の攻撃を必死に受け止めていた。
クモの脚が高速で振り下ろされ、地面がえぐれる。
「くっ……!」
ソウマは後ろへ跳び、剣で脚を弾く。
その瞬間――
ソウマの体から淡い光が立ち上った。
「ソウマ……?」
「ノエル……これ……剣を装備したからスキルが……発動してる……!」
剣を握るソウマの腕が、まるで別人のようにしなやかに動く。
《剣術Ⅲ》
剣の軌道が鋭くなり、魔物の脚を正確に弾き返す。
「すごい……ソウマ……!」
「いや、すごいけど……長くは持たない……!」
ソウマの呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。
剣術Ⅲは強力だが、まだ慣れていないせいか体への負担が大きい。
クモ型魔物は怒ったように甲殻を鳴らし、さらに攻撃を激しくしてきた。
ガンッ!ガンッ!
剣と甲殻がぶつかる音が響く。
ソウマは必死に受け止めるが、徐々に押され始めていた。
「ノエル……!早く……二人を……!」
「もうすぐ……!」
私は新人二人の治療を終え、立ち上がった。
ソウマは魔物の攻撃を受け止めながら、後ろへ下がってきた。
「ノエル……!逃げるぞ……!でも、このままじゃ追われる……!」
「怯ませれば……!」
私はソウマの予備のナイフをカバンから取り出した。
「ソウマ、目を狙う!」
「任せた!」
私は深く息を吸い、ナイフを構えた。
――霧の中でゴブリンを倒した時の感覚。
――薄霧の谷での緊張。
――ソウマを守りたいという思い。
全部を胸の奥に集めて――
ナイフを投げた。
ナイフは一直線に飛び、クモ型魔物の赤い目に突き刺さった。
ギャッ!!
魔物が甲高い声を上げ、大きくのけぞった。
「今だ、逃げるぞ!!」
私たちは一斉に走り出した。
森の中を必死に走る。
木々の間を抜け、枝を避け、倒木を飛び越える。
新人二人はまだ震えていたが、ソウマが支えて走っている。
私は後ろを振り返った。
クモ型魔物はまだ目を押さえていて、追ってくる気配はない。
「ソウマ……!追ってきてない……!」
「よし……!このまま森を抜けるぞ……!」
息が切れ、足が震え、胸が痛くなるほど走った。
やがて森の出口が見えた。
「出た……!」
私たちは森を抜け、街へ向かう道へ出た。
新人二人はその場に座り込み、涙を流していた。
「助かった……」
「本当に……ありがとう……」
ソウマは息を整えながら言った。
「無事でよかった……もう無茶するなよ」
私は二人の肩に手を置いた。
「ギルドへ行こう。報告しないと」
ギルドへ戻ると、受付嬢が驚いたように目を見開いた。
「えっ……新人さんたち……!?ケガを……?」
ソウマが依頼書を差し出した。
「新種魔物の調査依頼です。森の奥で遭遇しました」
受付嬢は真剣な表情で聞いた。
「どんな魔物でしたか?」
私は深く息を吸い、魔物の特徴を伝えた。
「黒い甲殻で……脚が長くて……赤い目をしていました。前いたところのダンジョンでCクラスの冒険者が襲われた魔物と同じでした」
受付嬢は息を呑んだ。
「……Cランクで勝てない魔物が森に……?」
ソウマが頷いた。
「新人二人が襲われていました。倒してはいませんが、特徴は確認しました」
受付嬢は深く頷き、書類に記録を始めた。
「危険度は高いと判断します。詳しい報告は報告書を提出してください。報酬は後日、ギルド内で決定されます。新人二人の救助も含めて、高い評価になると思います」
「わかりました。よろしくお願いします」
ギルドでの報告を終えると、私たちはそのままギルド食堂へ向かった。
薄霧の谷とは違う、森の中での緊張がまだ体に残っている。
ソウマは席に座ると、剣をそっと横に置き、深く息を吐いた。
「……はぁ。今日、やばかったな」
「うん……本当に。あのクモ型の魔物……ムワイさんの時よりも動きが速かった気がする」
ソウマはスープを飲みながら頷いた。
「剣術Ⅲが発動したのは助かったけど……まだ慣れてないから、体がついていかないな」
「でも……すごかったよ。ソウマがあの魔物を抑えてくれたから、私は二人を治療できたんだよ」
ソウマは照れたように笑った。
「ノエルが治療してくれなかったら、あの二人は逃げられなかった。……俺たち、いいコンビだな」
「うん……そうだね」
食堂のざわめきが心地よく響く。
冒険者たちが今日の依頼を語り合い、酒場の方からは笑い声が聞こえる。
そんな中――
「……あのっ!」
小さな声が聞こえた。
私とソウマが顔を上げると、さっき助けた新人の男女二人が立っていた。
男の子は腕に包帯を巻き、女の子はまだ少し足をかばっている。
二人とも、申し訳なさそうに、でも感謝を伝えたいという気持ちが溢れた顔をしていた。
「その……本当にありがとうございました……!」
男の子が深く頭を下げた。
「私たち……本当に死ぬかと思って……でも、ノエルさんとソウマさんが来てくれて……」
女の子は涙を浮かべながら言った。
「助けてくれて……ありがとうございました……!」
私は慌てて立ち上がった。
「そんな……!無事でよかったよ。ケガは……もう痛くない?」
女の子は頷いた。
「はい……ノエルさんの回復魔法、すごかったです……あんなに早く治るなんて……」
男の子も続けた。
「ソウマさんも……あの魔物を一人で抑えて……僕たち、逃げることしかできなくて……」
ソウマは照れたように頭をかいた。
「いや、俺もギリギリだったよ。ノエルが治療してくれたから助かっただけだ」
二人はさらに深く頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました……!僕たち、冒険者になってまだ二日目で……何も知らなくて……」
「これからは……もっと気をつけます……無茶しないようにします……」
私は優しく微笑んだ。
「うん……それがいいよ。森は安全な場所じゃないからね。でも、諦めないで。冒険者は、少しずつ慣れていけば大丈夫だから」
ソウマも頷いた。
「そんなこと言ってるけど俺たちもまだ新人だ。困ったら協力しような。俺たちも最初は何もできなかったし」
新人二人は涙を拭きながら笑った。
「はい……!また頑張ります……!」
「本当にありがとうございました……!」
二人は何度も頭を下げて、食堂を出ていった。
その背中を見送りながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ソウマ……助けられてよかったね」
「うん。ああいうのを見ると……もっと強くなりたいって思うよな」
ソウマは剣の柄にそっと触れた。
「この剣で……もっと守れるようになりたい」
私は静かに頷いた。
「うん……私ももっと回復魔法、上手くなりたい」
食堂の灯りが、新しい剣の刃を静かに照らしていた。




