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『孤児院から逃げた私は、希少スキル《回復魔法》で世界を渡り歩く』  作者: 楓真パパ
第1章

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第2話

 雨は夜のうちに止んでいた。

 空はまだ薄暗く、雲が重たく垂れ込めている。

 私は濡れた服のまま、孤児院から離れた街道の端に座り込んでいた。


「……どうしよう」


 逃げることだけを考えて走ってきた。

 その結果、私は本当に孤児院から逃げ出せた。

 でも、次に何をすればいいのかまでは考えていなかった。


 袋の中には、少しのパンと水。

 それだけだ。


「街へ……行かないと」


 孤児院のある村は小さく、逃げた子どもを助けてくれるような場所はない。

 だから、私は隣の街を目指すことにした。

 地図なんて持っていないけれど、孤児院の職員たちが話していた方向は覚えている。


 ――北へ歩けば、大きな街がある。


 そこなら、仕事が見つかるかもしれない。

 誰かに助けてもらえるかもしれない。


 私は立ち上がり、泥で汚れた靴を見下ろした。

「……行こう」


 自分に言い聞かせるように呟き、歩き始めた。


 雨上がりの街道は、ところどころに水たまりが残っていた。

 空気は冷たく、湿っていて、草の匂いが強い。

 鳥の声はまだ聞こえない。

 世界が雨の余韻に沈んでいるようだった。


 私は歩きながら、何度も後ろを振り返った。

 追手が来ていないか確認するためだ。


 幸い、誰もいない。

 孤児院の人たちは、もう私を探していないのかもしれない。

 あるいは、雨の中で見失ったのか。


「……よかった」


 胸の奥が少しだけ軽くなった。


 でも、安心できるほどの余裕はなかった。

 私は一人だ。

 十三歳の少女が、何の準備もなく街道を歩いている。


 魔物が出るかもしれない。

 盗賊がいるかもしれない。

 誰かに捕まるかもしれない。


 不安は尽きなかった。


 街道の両側には森が広がっている。

 木々は雨で濡れ、葉から水滴が落ちていた。

 風が吹くたびに、枝が揺れて水がぱらぱらと降ってくる。


 私は森の中を見ながら歩いた。

 魔物が出てこないか、気になって仕方がなかった。


 ――魔物。


 その言葉を思い出すだけで、胸が痛む。

 お母さんとお父さんを奪った存在。

 私の人生を変えた存在。


「……大丈夫。今日は出ない」


 そう言い聞かせても、足は自然と早くなる。


 森の奥から、何かが動く音がした。

 私はびくっとして立ち止まった。


「……誰か、いるの?」


 声は震えていた。

 返事はない。

 ただ、木々の間で何かが走り去る気配だけが残った。


 小動物かもしれない。

 でも、魔物かもしれない。


 私は袋を抱きしめ、再び歩き始めた。


 太陽が雲の隙間から少しだけ顔を出した頃、私は限界に近づいていた。

 足が痛い。

 喉が渇く。

 お腹が空いて、力が入らない。


「……休まないと」


 街道の端に倒れた木があり、私はそこに腰を下ろした。

 袋からパンを取り出し、少しだけかじる。


 硬い。でも、食べないと歩けない。


 水を一口飲む。冷たくて、少しだけ生き返る気がした。


「街まで……どれくらいだろう」


 誰も答えてくれない。

 私はただ、歩くしかない。


 休んでいると、遠くから馬車の音が聞こえた。

 私は慌てて立ち上がり、街道の端に寄った。


 馬車は古く、荷物をたくさん積んでいる。

 御者台には年配の男性が座っていた。

 灰色の髭を蓄え、旅慣れた雰囲気の人だった。


「おや、こんなところで何をしているんだい?」


 男性が声をかけてきた。

 優しそうな声だったけれど、私は警戒した。


「……街に、行きたいんです」


「街?この道を北に行けばすぐだよ。半日も歩けば着く」


 半日。

 思ったより遠い。


「一人かい?」


「……はい」


 男性は少しだけ眉をひそめた。

「危ないよ。魔物も出るし、盗賊もいる。気をつけなさい」


「……はい」


 そう答えたけれど、男性は馬車を進めず、私をじっと見つめた。

 その視線が、どこか探るようで落ち着かない。


「君、どこから来たんだい?」


「えっと……南の村からです」


 孤児院の名前を出すわけにはいかない。

 私は曖昧に答えた。


「南の村?あそこは小さいだろう。家族は?」


 胸が痛んだ。

 でも、ここで本当のことを言うわけにはいかない。


「……いません。旅の途中で……その……」


 言葉を濁すと、男性はさらに眉を寄せた。

「いない?じゃあ、君は一人で旅をしているのか?」


「……はい」


「どうしてまた……」


 男性は完全に興味を持ってしまったようだった。

 馬車から身を乗り出し、私の顔を覗き込む。


「君、まだ子どもだろう?十三、いや十二か?」


「十三です」


「十三歳の少女が一人で旅なんて、普通じゃない。何かあったのかい?」


 ――やばい。


 この人は悪い人ではない。

 でも、善意で踏み込んでくるタイプだ。

 深く聞かれれば、嘘がばれる。


 私は必死に考えた。


「……家が、なくなったんです」


「なくなった?」


「火事で……全部燃えてしまって。だから、街に行こうと思って」


 嘘ではない。

 村は魔物に襲われて燃えた。

 ただ、細部を隠しただけ。


 男性はしばらく黙っていた。

 やがて、深く息を吐いた。


「……そうか。辛かったな」


 その声は本当に優しかった。

 だからこそ、余計に胸が痛んだ。


「街に行けば、誰か助けてくれるだろう。だが……」


 男性は私の服を見た。

 泥だらけで、雨で濡れたままだ。


「君、本当に大丈夫かい?街まで乗せていこうか?」


「い、いえ……大丈夫です!」


 私は慌てて首を振った。

 馬車に乗れば、早く着くが、この男性が孤児院の関係者の可能性もある。


「そうかい?本当に?」


「はい。歩けますから」


 男性はまだ心配そうだった。

 でも、私が頑なに断ると、ようやく手綱を握り直した。


「……分かった。無理はするんじゃないよ」


「ありがとうございます」


 馬車はゆっくりと動き出した。

 男性は何度も振り返りながら、私に手を振った。


「気をつけるんだよ、娘さん!」


「……はい!」


 馬車は遠ざかり、やがて森の向こうへ消えた。


 私はその背中を見つめながら、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 ――優しい人もいるんだ。


 そう思えただけで、少しだけ歩く力が湧いた。

 午後になり、森が途切れ始めた。

 遠くに煙が見える。

 人の声も、かすかに聞こえる。


「……街だ」


 私は思わず足を早めた。

 胸が高鳴る。

 孤児院から逃げて初めての街。

 初めての自由。


 でも、同時に不安もあった。


 ――私は、ここで生きていけるの?


 その問いは、胸の奥で重く沈んだ。

 孤児院では、食事も寝る場所も与えられていた。

 それがどれほど歪んだ環境だったとしても、最低限の生活は保証されていた。

 でも、これからは違う。

 自分で働いて、自分で食べて、自分で生きていかなければならない。


「……働けるのかな、私」


 私は自分の手を見つめた。

 細くて、力もなくて、何か特別な技術があるわけでもない。


 ――仕事は見つかるの?


 街の門が近づくにつれて、その不安はどんどん大きくなった。

 門の向こうには、たくさんの人がいる。

 商人、冒険者、旅人、住民……

 みんな自分の生活を持っていて、忙しそうに歩いている。


 その中に、私が入っていけるのだろうか。


「……迷惑、かけないかな」


 孤児院の人たち以外と話すことは、一度もなかった。

 だから、街の人たちにどう接すればいいのか分からない。

 話しかけていいのか、邪魔にならないか、嫌われないか。

 そんなことばかり考えてしまう。


 ――誰か、助けてくれる?


 その問いは、胸の奥で小さく震えた。

 馬車の男は優しかった。

 でも、あれは偶然だ。

 街にいる人たちがみんな優しいとは限らない。

 むしろ、孤児院のように、私を利用しようとする人がいるかもしれない。


「……でも」


 私は小さく息を吸った。

 雨上がりの空気は冷たくて、胸の奥まで染み込んだ。


「進むしかない」


 孤児院に戻る選択肢はない。

 戻れば、私は“商品”として売られる。

 名前も、自由も、未来も奪われる。


 だから、怖くても歩くしかない。

 不安でも、前に進むしかない。


 私は泥で汚れた靴を見下ろし、ぎゅっと拳を握った。


「……行こう」


 その一言は、誰に向けたものでもなく、自分自身を奮い立たせるための言葉だった。

 誰かに守られるためじゃない。

 誰かに選ばれるためでもない。

 自分の足で、自分の人生を歩くために。


「……大丈夫。歩ける」


 そう言い聞かせると、足が自然と前へ出た。

 街道の土が靴の裏でざくりと音を立てる。

 その音が、まるで新しい一歩を祝福してくれているように感じた。


 私は街の門へ向かって歩き出した。

 雨上がりの空気は冷たく澄んでいて、

 胸の奥の不安を少しだけ洗い流してくれるようだった。


 ――私は、私の人生を歩くんだ。

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