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『孤児院から逃げた私は、希少スキル《回復魔法》で世界を渡り歩く』  作者: 楓真パパ
第1章

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第1話

新作始めました。少しのんびり書いていきます。今回は主人公視点で物語を進めてみようと思います。


 雨の匂いがした。雨の匂いは私の心をざわつかせる……

 孤児院の廊下は湿っていて、古い木材が水を吸ったように重たく軋んでいる。

 私はモップを持ったまま、窓の外を見つめた。


 私の名前はノエル・リュミエール、十三歳。

 ここで暮らして8年になる。


 私がこの孤児院に来たのは、五歳の時だ。


 その日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 忘れようとしても、夢の中で何度も蘇る。

 雨の日の匂いと同じように、胸の奥に残り続けている。


 あの日、私たちの村は魔物に襲われた。


 夕方、家の外で遊んでいた私は、遠くから聞こえる悲鳴に気づいた。

 最初は誰かが喧嘩しているのだと思った。

 でも、次の瞬間、地面が揺れ、黒い影が村の入口を踏み潰すのが見えた。


「ノエル、家に入りなさい!」


 母が叫びながら私を抱き寄せた。

 その腕は震えていて、私の心臓も一緒に跳ねた。


「お母さん、あれ……なに?」


「いいから、早く!」


 父が家の扉を閉め、棚から古い剣を取り出した。

 普段は穏やかで優しい父が、あんな顔をするのを初めて見た。


「ノエルを連れて裏口から逃げろ。森に向かえ。俺は時間を稼ぐ」


「あなた一人でどうにかなるわけないでしょう!」


「行け! ノエルを守れ!」


 父の怒鳴り声は、家の中を震わせた。

 私は怖くて泣きそうになったけれど、母の手が強く私を引いた。


 裏口から外に出ると、村はすでに混乱していた。

 家々が燃え、魔物の咆哮が響く。

 人々が逃げ惑い、倒れ、泣き叫んでいた。


 母は私の手を握りしめ、必死に走った。

「ノエル、絶対に離れちゃだめよ」

 その声は震えていたけれど、強かった。


 でも――魔物は速かった。


 森へ向かう途中、背後から地面を叩く音がした。

 振り返ると、巨大な影が迫っていた。

 黒い毛並み、鋭い牙、赤い目。

 獣のようで、獣ではない。

 人の形をしているようで、していない。


「ノエル、走って!」


 母が私を突き飛ばした。

 私は地面に転がり、泥が服に染みた。

 母は魔物に向き直り、両手を広げた。


「お願い……この子だけは……!」


 魔物が腕を振り上げた。

 私は叫んだ。


「お母さん!!」


 次の瞬間、視界が真っ赤になった。

 母の体が宙に浮き、地面に叩きつけられた。

 動かなくなった。


 私は声が出なかった。

 喉が締めつけられ、息ができなかった。


 魔物がゆっくりとこちらを向いた。

 赤い目が私を見ていた。

 逃げなきゃ。

 でも、足が動かない。


「ノエル!」


 誰かが私を抱き上げた。

 父だった。

 息が荒く、体中が傷だらけだった。


「目を閉じろ!」


 父は私を抱えたまま走った。

 魔物の咆哮が背後から響く。

 地面が揺れ、木々が倒れる音がした。


「ノエル……生きろ……」


 父の声が耳元で震えた。

 その声が、最後だった。


 魔物の腕が振り下ろされ、父の体が大きく揺れた。

 私は父の腕から投げ出され、地面に転がった。

 痛みで視界がぼやける。


 父は倒れていた。

 動かなかった。


 私は泣きながら森の奥へ走った。

 どこへ行けばいいのか分からなかった。

 ただ、生きるために走った。


 夜になり、雨が降り始めた。

 私は木の根元で震えながら泣き続けた。

 誰も来ない。

 魔物の咆哮も、もう聞こえない。


 どれくらい泣いていたのか分からない。

 気づいた時、誰かが私を抱き上げていた。


「大丈夫よ……もう怖くないわ」


 ミラさんだった。

 孤児院の職員で、村の救援に来ていたらしい。


 私は泣きながらミラさんにしがみついた。

「お母さん……お父さん……」


 ミラさんは何も言わず、ただ私を抱きしめてくれた。


 そのまま私は孤児院に連れてこられた。

 あの日から、ここが私の居場所になった。


 ――それ以来、あの日の雨の匂いは、今でも忘れられない。


「ノエル、廊下の掃除は終わったの?」


 背後から声がして、私は振り返った。

 ミラさんだ。優しい人だけれど、どこか影がある。


「もう少しで終わります」


「そう。今日は雨だから、外に出ちゃだめよ。院長が言ってたわ」


「……はい」


 雨の日は、いつも院長が子どもたちを部屋に閉じ込める。

 理由は教えてくれない。

 でも、私は知っている。


 ――雨の日に、子どもがいなくなることが多い。


 最初にそのことに気づいたのは、七歳の頃だった。

 その日は朝から強い雨が降っていて、孤児院の庭はぬかるんでいた。

 外で遊べない子どもたちは、部屋の中で退屈そうにしていた。


 その中に、私と同じ年の少女――リナがいた。

 栗色の髪で、笑うとえくぼができる可愛い子だった。

 私とよく一緒に遊んでいた。


 雨が強くなった午後、院長が突然リナを呼び出した。

「リナ、ちょっと来なさい」

 その声はいつもより低くて、どこか冷たかった。


 リナは不安そうに私を見た。

「ノエル、すぐ戻るからね」

 そう言って部屋を出ていった。


 でも――リナは戻ってこなかった。


 夕食の時間になっても姿がなく、職員に聞いても

「里親が見つかったのよ。急だったの」

 としか言われなかった。


 急すぎる。前触れもなく、雨の日に限って。その違和感が胸に残った。


 それからも、雨の日になると誰かがいなくなった。


 十歳の時には、年上の少女ミーナが消えた。

 彼女は孤児院の中でも特に美しく、職員たちからも可愛がられていた。

 そのミーナが、雨の日の午後に院長室へ呼ばれ、

 そのまま姿を消した。


「ミーナは幸せになったんだよ」

 院長はそう言ったけれど、誰もその“幸せ”を見たことがない。


 そして、雨の日に限って職員の数が増える。

 普段は二人しかいない見張りが、雨の日だけ四人になる。

 廊下の巡回も厳しくなり、子どもたちは部屋から出ることを禁じられる。


「雨の日は危ないから」

 職員はそう言うけれど、外に出られないのは私たちだけだ。

 職員は自由に歩き回り、院長室へ何度も出入りする。


 私はその様子を見ながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。


 雨の日にだけ増える職員。

 雨の日にだけ呼び出される少女。

 雨の日にだけ消える子ども。


 偶然なんかじゃない。


 私は慎重な性格だから、誰にも言わずに観察を続けた。

 そして、確信した。


 ――雨の日は、誰かが“選ばれる日”だ。


 選ばれた子は、二度と戻ってこない。

 その子がどこへ行くのか、誰に会うのか、何をされるのか。

 誰も知らないし、誰も教えてくれない。


 ただ、雨の日の孤児院は、いつもより静かで、重くて、息苦しい。

 まるで建物そのものが何かを隠しているようだった。


 そして今日も、雨が降っている。

 胸のざわつきは、いつもより強かった。


 ミラさんが去ったあと、私はモップを置いて院長室の前を通りかかった。

 扉は少しだけ開いていて、中から話し声が聞こえた。


「次の子は、十三歳の少女だ。見目が良い。貴族の旦那様が高値で買うだろう」


「名前は?」


「ノエル・リュミエールだ」


 心臓が跳ねた。

 息が止まった。

 世界が一瞬で静まり返った。


 ――私?


 私は壁に手をついて、必死に呼吸を整えた。

 耳が熱くなり、手が震える。


「引き渡しは来週だ。準備を進めておけ」


「はい、院長」


 その瞬間、全てが繋がった。


 いなくなった子たち。

 院長の不自然な笑顔。

 “里親”という言葉の嘘。

 雨の日の閉じ込め。


 ここは慈善施設なんかじゃない。

 見目麗しい少女を貴族へ売る、人身売買の孤児院だ。


 そして――次は私。


 私は部屋に戻り、ベッドに座った。

 雨音が屋根を叩く。

 その音が、心臓の鼓動と重なってうるさい。


「……どうしよう」


 声に出した瞬間、涙がこぼれた。

 怖い。

 でも、泣いている時間はない。


 私は、冷静に考えた。


 ――逃げるしかない。


 ここにいたら、私は“商品”として売られる。

 名前も、自由も、未来も奪われる。


 逃げなければ。


 でも、どうやって?


 孤児院は高い塀に囲まれていて、夜は職員が巡回している。

 裏口の鍵は古いけれど、針金でこじ開けられるかもしれない。

 食料は……厨房の余り物を少しずつ隠しておけばいい。


 私は震える手で涙を拭いた。


「……やるしかない」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


 それから数日、私は逃亡の準備を続けた。


 見張りの時間を観察し、巡回の間隔を覚えた。

 裏口の鍵穴をこっそり触り、針金で開けられるか試した。

 食料を少しずつ袋に詰め、ベッドの下に隠した。


 誰にも気づかれないように。

 慎重に、静かに。


 でも、胸のざわつきは消えなかった。

 院長室で聞いた言葉が、何度も頭の中で反響した。


「ノエル・リュミエールだ」


 自分の名前が、商品として呼ばれた。

 その事実が、心を締めつける。


 逃げるなら、雨の日がいい。

 雨音が足音を消してくれるし、視界も悪くなる。


 そして、その日は突然訪れた。


 夕方から降り始めた雨は、夜になると激しくなった。

 雷が鳴り、空が光る。


 私は袋を抱えて部屋を出た。

 廊下には誰もいない。

 巡回の時間は、あと十分。


 自分に言い聞かせるように呟いた。

「……行くしかない」


 袋を抱え、私は廊下をそっと進んだ。

 雨音が屋根を叩き、孤児院全体が低く震えているように感じる。

 廊下のランプは古く、炎が揺れて影が伸びたり縮んだりしていた。


 裏口へ向かうには、階段の横を通らなければならない。

 普段なら何でもない距離なのに、今はやけに長く感じた。

 足音を消すために、ゆっくり、ゆっくりと歩く。


 ――あと少し。


 階段の手前まで来たとき、私は一度立ち止まった。

 階段の影が濃く落ちていて、そこだけ闇が深い。

 雨の日の孤児院は、いつもより静かで、息苦しい。

 まるで建物そのものが私を閉じ込めようとしているみたいだった。


「……大丈夫。誰もいない」


 そう思い込もうとした瞬間だった。


 階段の影が、ゆっくりと動いた。


 私は息を呑んだ。

 影が揺れ、そこから人の形が浮かび上がる。

 職員の男だった。

 いつもは無表情で、子どもたちに興味がなさそうな人。

 でも今は違った。

 目が鋭く、獲物を探すような視線をしていた。


「……誰かいるのか?」


 低い声が廊下に響く。

 私は反射的に壁に背をつけ、息を止めた。

 心臓がうるさい。

 雨音よりも、職員の足音よりも、ずっと大きく響いている。


 職員は階段を降りてきた。

 足音が近づく。

 影が伸びて、私の足元に触れそうになる。


 ――見つかったら終わりだ。


 私は袋を抱えたまま、そっと廊下の端へ移動した。

 靴底が床を擦る音がやけに大きく感じる。

 職員の足音が止まった。


「……誰かいるな」


 職員が階段の影から完全に姿を現した。

 ランプの光が彼の顔を照らす。

 目が細められ、廊下を見渡している。


 私は息を止めたまま、影の中に身を縮めた。

 雨音が強くなり、窓を叩く。

 その音が、私の震えを隠してくれることを祈った。


 職員はゆっくりと廊下を歩き始めた。

 こちらへ向かってくる。

 足音が一歩、また一歩と近づく。


「その髪色は……ノエルか?」


 名前を呼ばれた瞬間、背筋が凍った。

 声は確信というより、探るような響きだった。

 でも、見つかるのは時間の問題だ。


 私は決断した。


 ――走るしかない。


 職員がもう一歩踏み出した瞬間、私は影から飛び出した。

「っ……!」


 職員の目が見開かれる。

「おい、待て!」


 怒鳴り声が廊下に響いた。

 私は袋を抱えたまま、裏口へ向かって全力で走った。

 足が滑りそうになる。

 でも止まらない。


 背後で職員の足音が響く。

「ノエル! 止まれ!」


 止まるわけがない。

 止まったら、私は“商品”として売られる。

 自由も未来も奪われる。


 私は雨音に紛れるように、裏口へ向かって走り続けた。

「待ちなさい!」


 怒鳴り声が響く。

 足音が迫る。


 私は裏口に飛び込み、針金を鍵穴に差し込んだ。

 雨で手が滑る。

 焦りで指が震える。


「お願い……開いて……!」


 ガチャッ。


 鍵が外れた。

 私は扉を押し開け、雨の中へ飛び出した。


 冷たい雨が全身を叩く。

 泥が跳ねて足が滑る。

 でも、止まれない。


「ノエル! 戻れ!」


 背後から院長の声が聞こえた。

 その声は、今まで聞いたことのないほど怒りに満ちていた。


 私は振り返らず、ただ走った。

 息が苦しい。

 足が痛い。

 でも、止まったら終わりだ。


 街の外れまで走り続け、ようやく追手の声が遠ざかった。


 私は、雨の中で膝をついた。


「……逃げれた……の?」


 信じられない気持ちで空を見上げた。

 雨粒が頬を伝い、涙と混ざった。


 私は自由になった。

 でも、これからどうすればいいのか分からなかった。

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