第19話
翌朝。
空は薄い灰色で、雲がゆっくりと流れていた。
街の門前には、昨日買ったばかりの荷台が置かれている。
木製の荷台は、朝露を受けて少しだけ光っていた。
車輪の鉄部分は冷たく、触れると指先が痺れるほどだった。
「ノエル、荷物は全部積めた?」
「うん。薬草と、食料と、水袋……それから、予備の布袋も」
ソウマは荷台の紐を確認し、しっかりと結ばれていることを確かめる。
「よし。じゃあ、行こうか」
私は街の門を振り返った。
――この街で過ごした日々。
――初めての依頼。
――初めての討伐。
胸の奥が少しだけ痛む。
でも、戻ることはできない。
院長が探している以上、この街に留まるのは危険すぎる。
私は深く息を吸い、荷台の横に立った。
「……行こう、ソウマ」
「うん。二つ先の街まで、ゆっくり進もう」
荷台の車輪が静かに回り始め、私たちは街を後にした。
街道は思ったよりも広く、馬車が通れるほどの幅があった。
両脇には草原が広がり、風が草を揺らして波のように流れていく。
鳥の声が遠くで響き、空気は街の中よりもずっと澄んでいた。
「……こんなに広いんだね、街道って」
「街の外に出ると、空気が違うだろ?俺はこの感じ、好きなんだ」
ソウマは荷台を引きながら笑う。
私は杖を握りしめ、周囲を見渡した。
初めての長距離の旅。胸の奥が少しだけ緊張する。
でも、ソウマが隣にいる。
それだけで、少しだけ安心できた。
昼前。草原の奥で、白い影が跳ねた。
「……ソウマ、あれ」
「ホーンラビットだな。昼食前に一体くらい狩っておくか」
私は杖を構え、ソウマはナイフを抜いた。
ホーンラビットは草を蹴り、一直線に突進してくる。
「ノエル、右へ!」
私は横へ跳び、ホーンラビットの突進を避ける。
ソウマが背後へ回り込み、ナイフを振り下ろす。
ザッ
刃が背中に深く刺さり、ホーンラビットは倒れた。
「よし、討伐完了」
「うん。前より落ち着いて動けたかも」
「そうだな。ノエル、動きが見えてきてる」
「本当?それならよかった」
少しずつ強くなっている実感が心の中に広がっていく。
街道脇の木陰で、私たちは昼食を取った。
パンと干し肉、それから水袋。
簡単な食事だけど外で食べると不思議と美味しく感じる。
「ノエル、疲れてないか?」
「うん、大丈夫。街道だから歩きやすいしね」
「そうだな。でも油断は禁物だ。もっと強い魔物が出ることもあるし、盗賊もいる」
私は周囲を見渡した。
草原は静かで、風の音だけが響いている。
でも、油断はできない。
――院長が追ってくる可能性もある。
――もし見つかったら……
胸の奥が少しだけ冷たくなる。
ソウマが私の肩を軽く叩いた。
「ノエル、考えすぎだ。今は旅に集中しよう」
「……うん」
夕方。
太陽が赤く染まり始めた頃、私たちは街道脇の小さな林に入った。
「今日はここで野営しよう。街までまだ距離があるしな」
「……野営って、どうするの?」
「簡単だよ。火を起こして、食事をして、交代で見張りをするだけだ。俺は薪を集めてくるから、ノエルは食事の準備をしてて」
ソウマは手際よく枯れ枝を集めてきて、火打石で火を起こした。
火がつくと、林の中が少しだけ明るくなる。
私は荷台から鍋を取り出し、水袋を開けた。
「ソウマ、これでいい?」
「いいぞ。今日は昼間に狩ったホーンラビットでスープにしよう」
鍋に水を入れ、捌いたホーンラビットと野菜を少しだけ入れる。
火の上に鍋を置くと、じわじわと湯気が立ち上った。
「……なんか、不謹慎だけどワクワクするね」
「よかった、確かに院長が迫ってきているけどせっかくの旅だ。少しは楽しまないとね」
ソウマは笑い、私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
鍋の中でホーンラビットの肉がほろほろと崩れ、野菜の甘い香りが火の熱でふわりと広がっていく。
私は木のスプーンでそっとかき混ぜながら、湯気の向こうに揺れる炎を見つめた。
「……そろそろいいかな?」
「うん、いい匂いだ。ノエル、器を出してくれ」
私は荷台から木製の器を二つ取り出し、鍋の縁に手を添えてスープをよそった。
ホーンラビットの肉は柔らかく、野菜は煮崩れてとろりとしている。
色は地味だけど、湯気の立ち方がどこか温かい。
ソウマが器を受け取り、火のそばに腰を下ろした。
「いただきます」
「……いただきます」
スプーンを口に運ぶと、昼間の戦いが嘘みたいに優しい味が広がった。
肉はしっかりしているのに、噛むとほろりと崩れて甘みが出る。
野菜の旨味がスープに溶けていて、体の奥までじんわりと温まる。
「……おいしい」
思わず声が漏れた。
ソウマは嬉しそうに笑った。
「だろ?ホーンラビットは見た目よりずっと旨いんだ。煮込むと柔らかくなるし、旅の食事にはちょうどいい」
私はもう一口スープを飲む。
火の温かさと、スープの温かさが混ざり合って、胸の奥までじんわりと満たされていく。
「……なんか、不思議だね」
「何が?」
「昼間は魔物で怖かったのに……こうして食べると、すごく安心する」
ソウマはスプーンを置き、火を見つめながら言った。
「旅ってそういうもんだよ。怖いこともあるけど、こういう時間があるから続けられるんだ」
私は器を抱えたまま、火の揺らぎを見つめた。
風が木々を揺らし、
火がぱちぱちと音を立てる。
その音が、まるで「大丈夫だよ」と言ってくれているように感じた。
「……ソウマと一緒でよかった」
小さな声で言うと、ソウマは照れたように笑った。
「俺もだよ」
スープを飲み終える頃には、体の奥まで温まり、胸の緊張も少しだけほどけていた。
夜。
火は小さくなり、林の中は静かだった。
私は杖を握りしめ、火のそばに座っていた。
「ノエル、そろそろ交代で見張りをしよう。先に俺が見張るよ」
「ううん、私が先にやるよ。ソウマは疲れてるでしょ?」
「ノエルも疲れてるだろ。さっきもあくびしてたの見たぞ!ゆっくり休まないと歩けなくなるぞ」
私は少しだけ考え、杖を置いた。
「……じゃあ、お願い」
ソウマは火の前に座り、私は荷台の横に敷いた布の上に横になった。
夜風が少し冷たく、木々のざわめきが耳に残る。
――初めての野営。
胸の奥が少しだけ緊張する。
でも、ソウマがいる。
それだけで、少しだけ安心できた。
焚き火は小さくなり、ぱち、ぱち、と静かに木を焼く音だけが響いていた。
夜の街道は思った以上に暗く、林の影は黒い壁のように広がっている。
風が吹くたび、木々がざわりと揺れ、その音が胸の奥の不安を少しだけ刺激した。
私は布の上に座り、眠りにつく前、私は小さな声でソウマに話しかけた。
「ソウマは……怖くないの?」
ソウマは火を見つめたまま、少しだけ間を置いて答えた。
「怖いよ」
その言葉は、焚き火の音よりも静かで、でもまっすぐだった。
「でも、ノエルがひどい目に遭う方がもっと怖い」
胸の奥がきゅっと締めつけられた。
――私のために、怖い事にも立ち向かってくれている。
その事実が、夜風よりも温かく胸に広がった。
「……私、足手まといじゃない?ゴブリンの時も……動けなかったし……ソウマが傷ついたのに……」
言葉にすると、胸の奥の痛みが少しだけ強くなる。
ソウマは火の前で腕を組み、ゆっくりと首を振った。
「そんなことない」
その声は強くなく、ただ事実を伝えるような響きだった。
「ノエルがいなかったら、俺は一人でダンジョンで死んでたかもしれない」
私は顔を上げた。
ソウマは火の明かりに照らされていて、その横顔はいつもより少しだけ大人びて見えた。
「スライムの時も、核の動きを見てくれたから倒せた。ゴブリンの時も、ノエルの一撃がなかったら俺はやられてた」
ソウマは火をつつき、小さな火の粉が舞った。
「ノエルは足手まといなんかじゃない。俺の相棒だよ」
胸の奥が熱くなる。
「……ありがとう」
その言葉は自然に口から出た。
ソウマは少しだけ笑った。
「気にすんな。俺たちは二人で冒険者になったんだ。どこへだって一緒に行く」
その言葉は、夜風よりも温かくて、焚き火よりも優しくて、胸の奥に静かに染み込んだ。
私は布の上に横になり、火の揺らぎを見つめながら目を閉じた。
――怖いこともある。
――不安もある。
――でも、ソウマがいる。
その事実が、夜の静けさの中でゆっくりと心を満たしていった。
その後ゆっくりと眠れた私はソウマに起こされ見張りを交代した。
翌朝。太陽が昇り始め、林の中が少しずつ明るくなる。
私はソウマを起こした。
「ソウマ、おはよう」
私の声に反応しソウマが起きる。
「ノエルおはよう。昨日の見張りは何もなかった?」
「特に何もなかったよ。」
「そうか」とソウマは火を消しながら準備を始める。
「ノエル、今日中に次の街へ着けると思う」
「うん。頑張る」
荷台の車輪が回り始め、私たちは再び街道へ出た。
空は青く、風は少しだけ暖かい。
――新しい街。
――新しい生活。
――新しい冒険。
胸の奥が少しだけ高鳴る。




