第10章
ギルドの掲示板の前で、ソウマが一枚の依頼書を指差した。
『ホーンラビット討伐:1体報酬:銀貨2枚』
「これ、行こう。スライムよりは強いけど、危険度は低いらしい」
「……分かった。やってみよう」
昨日買ったばかりの胸当てが、服の上からでも存在を主張してくる。
木の杖を握る手に、少しだけ汗が滲んだ。
――討伐依頼。
採取やお手伝いとは違う、“戦う”依頼。
胸の奥が静かにざわつく。
ソウマが依頼書を剥がし、受付へ向かった。
私はその後ろを歩きながら、心臓の鼓動が少し速くなるのを感じていた。
「ホーンラビット討伐ですね?」
受付嬢は依頼書を受け取ると、私たちを見て少しだけ眉を下げた。
「……お二人、討伐依頼は初めてですよね?」
「はい。今日が初めてです」
ソウマが胸を張って答える。
受付嬢はその元気さに少し笑ったが、すぐに真剣な表情に戻った。
「ホーンラビットは、スライムよりは手強い魔物です。角による突進が主な攻撃で、速度もあります。油断すると転倒したり、打撲を負うこともあります」
私は思わず胸当てに触れた。
革の感触が、少しだけ安心をくれる。
「……危険、なんですね」
「危険度は低いですが、“初めての討伐”としては十分に緊張感があります。特に、突進を受けないよう注意してください」
受付嬢は私の杖に視線を落とした。
「ノエルさんは……後衛ですね?」
「はい。回復魔法が使えます。でも……攻撃はまだ慣れていなくて」
「でしたら、無理に前へ出ないこと。ホーンラビットは背後が弱点です。ソウマさんが避けた後、背中が一瞬だけ無防備になります。その時に杖で叩くか、距離を取って状況を見てください」
私は深く頷いた。
――背後が弱点。
――突進を避けた後が狙い目。
頭の中で何度も繰り返す。
受付嬢はさらに続けた。
「ホーンラビットは、群れで行動することはほとんどありません。一体ずつの遭遇が多いので、落ち着いて対処すれば問題ありません。ただし――」
受付嬢の声が少しだけ低くなる。
「時々、突進の軌道を変える個体がいます。避けたと思っても、急に方向転換してくることがあります。その場合は、無理に攻撃せず距離を取ってください」
ソウマが真剣に頷いた。
「分かりました。気をつけます」
受付嬢は少しだけ柔らかい表情になった。
「お二人は、採取依頼を丁寧にこなしていましたし……きっと大丈夫だと思います。でも、初めての討伐は緊張しますからね。無理はしないでください」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
――見てくれていたんだ。
孤児院では、誰も私の努力を見てくれなかった。
でも今は違う。
ギルドの人が、ソウマが、私を見てくれている。
「……ありがとうございます。気をつけます」
受付嬢は微笑み、依頼書に印を押した。
「では、討伐依頼、正式に受注です。草原の北側に出現しやすいので、そちらへ向かってください」
「はい!」
ソウマが元気よく返事をし、私たちはギルドを後にした。
外に出ると、朝の光が街を照らしていた。
人々の声、荷車の音、パン屋の香ばしい匂い――
いつもの街の風景が広がっている。
でも、胸の奥はいつもより少しだけ重い。
「ノエル、緊張してるのか?」
「……少しだけ。受付の方の話を聞いて、余計に」
「大丈夫だ。俺が前に出る。ノエルは後ろで状況を見てくれればいい」
ソウマの言葉は簡潔で、無駄がなくて、それが逆に安心をくれた。
「……うん。気をつけて行こう」
「よし、行こう」
ソウマは歩き出し、私はその背中を追った。
初めての討伐依頼。
胸の奥の緊張は消えないけれど――
それでも前へ進む足は止まらなかった。
昨日買った装備の感触を胸当て越しに確かめる。
木の杖は軽く、手に馴染む。
ソウマの腰には新品のナイフが挿されていた。
初めての討伐依頼。
胸の奥が少しだけ緊張でざわつく。
街を出てしばらく歩くと、広い草原が広がった。
風が草を揺らし、遠くで鳥の声がする。
「ホーンラビットはこの辺に出るらしい。気をつけて進むぞ」
ソウマは周囲を警戒しながら歩く。
私は杖を握りしめ、足元に注意を向けた。
――討伐依頼は採取依頼と違う。
――油断したら怪我をする。
その緊張が、胸の奥に静かに広がっていく。
ガサッ……!
草むらが揺れ、白い毛並みのウサギのような魔物が飛び出した。
額には小さな角。
ホーンラビットだ。
「来るよ!」
ソウマの声が鋭く響いた瞬間、
ホーンラビットは後ろ足で地面を強く蹴り、草を散らしながら一直線に突進してきた。
スライムとは違う。
その動きには“意思”がある。
獲物を狙う獣の、迷いのない軌道。
「速い……!」
私は思わず息を呑んだ。
ホーンラビットの角が陽光を反射し、
白い毛並みが風を切って迫ってくる。
ソウマは一歩だけ踏み込み、
突進の軌道を見極めるように体を沈めた。
次の瞬間――
シュッ!
ソウマの体が横へ跳んだ。
ホーンラビットはそのまま突き抜け、空を切る。
すれ違いざま、ソウマのナイフが閃いた。
ザッ
刃が脇腹を浅く裂き、ホーンラビットは短い悲鳴を上げて跳ねるように後退した。
「ノエル、距離を取って!」
「……うん!」
私は杖を構えながら後退する。
胸当ての革がわずかに軋み、心臓の鼓動が早くなる。
ホーンラビットは傷を負っても怯まない。
低く身を沈め、再び突進の姿勢を取った。
「来る……!」
地面を蹴る音が聞こえた瞬間、ホーンラビットは弾丸のように跳び出した。
ソウマは正面から受けるのではなく、突進の直前に半歩だけ右へずらす。
その動きは、避けるというより“流す”に近い。
ホーンラビットの角がソウマの肩をかすめ、魔物の体勢がわずかに崩れた。
「っ……!」
ソウマはその一瞬を逃さなかった。
体をひねり、背後へ回り込む。
ホーンラビットの背中が無防備にさらされる。
ナイフが振り下ろされる。
ズッ
刃が背中へ深く刺さり、ホーンラビットは地面に倒れ込んだ。
草が揺れ、静寂が戻る。
「一体目、討伐完了」
ソウマは短く言い、ナイフを引き抜いて血を払った。
私は杖を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
――スライムとは違う。
――速い。
――狙ってくる。
胸の奥の緊張が、まだ完全には消えない。
でも、確かに倒せた。
ソウマが避け、攻撃し、仕留めた。
私は深く息を吐き、杖を握り直した。
「……次も気をつけていこう」
「もちろんだ。油断は禁物だ」
ソウマの声は落ち着いていて、
その冷静さが少しだけ私の緊張を和らげた。
「……速いね、動き」
「剣術Ⅲが聞いているのかナイフは思い通りに動くし何処を切ればいいとか良ければいいがわかるけど油断すると突き飛ばされる。気をつけよう」
ソウマの声は真剣だった。
草原を進むと、二体目が現れた。
「ノエル、今回は攻撃してみて。杖でいい」
「……分かった」
ホーンラビットが突進してくる。
ソウマがナイフで受け流す。
魔物の背中が一瞬だけ無防備になる。
私は杖を握りしめ、踏み込んだ。
ゴッ
杖が背中に当たり、ホーンラビットがよろめく。
「ナイス」
ソウマがすかさずナイフを突き出し、魔物は倒れた。
「……できた」
「やったね!問題ないみたいだね。動きはよく見えてるよ」
ソウマの声を聞いて、胸の奥が少しだけ軽くなった。
三体目は、明らかに他の二体より大きかった。
角も太く、毛並みも荒れていて、突進の勢いが強いのが見て取れる。
「ノエル、後ろに下がって」
「うん」
私は杖を構えながら後退する。
胸当ての革がわずかに軋み、緊張で手の汗が増える。
ホーンラビットはソウマではなく、
まっすぐ“私”へ向かって突進してきた。
「っ……!」
避けきれない――そう思った瞬間、
脳裏に受付嬢の言葉がよみがえる。
――時々、突進の軌道を変える個体がいます。
――避けたと思っても、急に方向転換してくることがあります。
――その場合は、無理に攻撃せず距離を取ってください。
まさにその通りだった。
ホーンラビットはソウマの前を通り過ぎる直前、不自然な角度で急旋回した。
「ノエル、伏せて!」
ソウマの声が鋭く響く。
私は反射的にしゃがみ込む。
直後、ホーンラビットの角が私の頭上をかすめていった。
風圧で髪が揺れ、背筋が冷たくなる。
「……っ!」
ホーンラビットはそのまま勢いを殺さず、再び方向転換して突進の構えを取る。
「軌道を変えるタイプだ……!」
ソウマが低く呟き、ナイフを構え直した。
ホーンラビットは地面を強く蹴り、今度はソウマへ向かって突進してきた。
ソウマは正面から受けず、突進の直前に半歩だけ横へずらす。
角が空を切り、ホーンラビットの体勢がわずかに崩れる。
「ノエル、距離を保って!」
「分かった!」
私は杖を握りしめ、魔物の動きを見極める。
ホーンラビットは体勢を立て直し、再び突進の姿勢を取った。
ソウマは魔物の正面に立ち、わざと隙を見せるように体を少し開く。
ホーンラビットが反応し、突進してくる。
その瞬間――
ソウマは体をひねり、魔物の横へ滑り込んだ。
「ノエル、今だ!背中を!」
「……っ!」
私は一歩踏み込み、杖を振り下ろす。
ゴッ
杖が背中に当たり、ホーンラビットがよろめく。
その一瞬の隙を、ソウマは逃さなかった。
ナイフが深く突き刺さる。
ズッ
ホーンラビットは地面に倒れ、草が揺れた。
静寂が戻る。
「三体目、討伐完了」
ソウマは短く言い、ナイフを引き抜いて血を払った。
私はしばらく呼吸を整えた。
――受付嬢の言葉がなかったら、避けられなかった。
――軌道を変える個体は、本当に危険だ。
胸の奥の緊張がゆっくりとほどけていく。
「……ありがとう、ソウマ」
「気にしないで。あれは初見じゃ避けられない。受付の人が言ってた忠告が役に立ったね」
草原の風が静かに吹き抜ける。
「これで依頼達成だ。街に戻ろう」
「うん」
初めての討伐依頼。緊張したけれど、確かに前へ進めた気がした。
――私は戦える。
その実感が、胸の奥に静かに広がっていった。




