第9話 蒸留器
相希が砂浜を進んでいくと、直人のそばに置かれた大きな金属製の容器が、少しずつはっきりと見えてきた。
直人は錆びたドラム缶の横に立ち、相希へ向かって大きく手を振っている。
「おーい! おっきいドラム缶が落ちてる! 運ぶの手伝ってくれー!」
相希は足元に気をつけながら、直人のところまで歩いた。
近くにはドラム缶だけでなく、金属製の筒やロープ、いくつかの漂着物がまとめられている。
「随分いろいろ見つけたな」
「まだ向こうにも置いてあるぞ」
「まだあるのか?」
「持ちきれなくなったから、途中にまとめてきた」
直人は砂浜の途中にある、大きな流木を指差した。
その脇には、ペットボトルや容器、板切れなどが小さな山になっている。
「使えそうな物は、とりあえず集めておいた」
「燃やせそうな枝まで分けてあるな」
「火も必要になるだろ?」
相希はドラム缶の周囲に置かれた物を、一つずつ確認した。
・汚れたペットボトル
・長さの違うロープ
・破れた布
・薄い金属板
・曲がった筒状の部品
どれも、そのまま使える物ではない。
それでも、組み合わせれば何かに使える可能性はあった。
「それで、このドラム缶なんだけどさ」
直人が側面を軽く叩いた。
空洞を響かせる鈍い音が返ってくる。
「これで海水を沸かして、蒸留器みたいなものを作れないか?」
「蒸留器?」
「海水を沸かして、出た蒸気を冷やせば真水になるんだろ?」
相希はドラム缶と、脇に置かれた金属製の筒を交互に見た。
「原理としては合ってる」
「じゃあ、作れそうか?」
「実際に作ったことはない。でも、試す価値はある」
「なら、やってみよう」
直人は迷うことなく言った。
相希はドラム缶の外側を確認してから、蓋の外れた部分から中をのぞき込んだ。
底には砂や錆が溜まり、内壁には正体の分からない染みも残っている。
「何が入っていたか分からないのが問題だな」
「飲み水を直接入れるのは危ないか」
「ああ。火を囲うか、別の容器を加熱する台に使った方がいい」
「じゃあ、こっちは火を使うための土台だな」
直人はドラム缶の周囲を回り、形を確かめた。
「倒して、その上に容器を載せるのは?」
「安定はしそうだけど、空気の通り道が足りないかもしれない」
「だったら、下に石を噛ませて隙間を作る」
「それなら空気も入るな」
二人はドラム缶の下へ置く石の位置を想像しながら、しばらく形を見比べた。
相希は薄い金属板を持ち上げ、両手でゆっくりと曲げた。
「これは蓋に使えそうだ」
「ドラム缶の?」
「いや。海水を沸かす容器に被せる」
直人は並べられた漂着物の中から、片側がへこんだ小さな金属缶を拾い上げた。
「だったら、これがちょうどいいんじゃないか」
相希は受け取り、底や側面を確かめた。
「穴は開いてなさそうだな」
「一度、水を入れて漏れないか見よう」
直人は金属缶を持って波打ち際へ向かい、海水を入れて戻ってきた。
二人で底や側面を確認したが、水が染み出している様子はない。
「これなら加熱には使えそうだ」
相希が言うと、直人は曲がった筒状の部品を持ち上げた。
「こっちは蒸気を通す管だな」
「問題は、どうやってつなぐかだ」
相希は薄い金属板を、金属缶の上へ置いた。
板は缶の口より大きく、周囲には隙間が残る。
「このままだと、蒸気が全部ここから逃げる」
「板を曲げて、できるだけ口に沿わせる」
「それでも残る隙間は、何かで塞がないとな」
「泥は使えないか?」
直人が言うと、相希は先ほど見つけた湿った土を思い出した。
「粘りがあれば使えるかもしれない。ただ、熱で乾けば割れる」
「割れにくいように、布を細かく裂いて混ぜるのは?」
「補強にはなるかもしれない」
相希は破れた布を手に取り、指で繊維を確かめた。
「泥だけよりは形を保ちやすそうだ」
「じゃあ、それでやってみよう」
二人は必要な部品を地面へ並べながら、蒸留器の形を考えていった。
金属缶に海水を入れる。
薄い金属板を蓋にする。
蓋の中央付近へ金属製の筒をつなぐ。
布を混ぜた泥で、周囲の隙間を塞ぐ。
筒を斜め下向きに固定し、その先へ水を受ける容器を置く。
相希は筒を持ち上げ、その長さと曲がり方を確認した。
「蒸気が冷えて水になれば、この中を通って先へ流れる」
「だったら、筒を冷やす場所も必要だな」
「濡れた布を巻くか」
「海水ならいくらでもある。乾いたら濡らし直せばいい」
直人は筒を受け取り、金属缶や金属板と並べた。
「後は、実際に組みながら考えよう」
直人は海岸と岩場を見比べた。
「これ、拠点まで持っていかなくてよくない?」
「どういうことだ?」
「蒸留するたびに海水を汲むんだろ? だったら、海の近くに置いた方が楽じゃん」
直人は砂浜から少し離れた、平らな場所を指差した。
「海岸と拠点の間に、蒸留する場所を作ればいい。海水はすぐ運べるし、できた水だけ拠点に持っていけばいいだろ」
「なるほど」
相希は直人が指差した場所へ目を向けた。
波打ち際からは十分に離れている。
満潮になっても、すぐに水が届きそうな位置ではない。
岩場からも見える距離で、周囲には燃え移りそうな草木も少なかった。
「それなら、火と煙も拠点から離せる」
「だろ?」
「ただ、波が来ない高さと、火が燃え移らない場所は選ばないといけない」
「そこは一緒に見よう」
二人は海岸から岩場までの間を歩き、地面の高さと周囲の様子を確認した。
少しして、草の少ない平らな場所で足を止める。
「ここならよさそうだな」
直人が言った。
「ああ。波打ち際からも離れてるし、拠点から様子も見える」
「じゃあ、ここを作業場にしよう」
二人はドラム缶をその場所まで転がした。
蒸留に使えそうな金属缶や金属板、筒も、そばへまとめて置く。
途中の仮置き場まで戻ると、直人が集めたロープを使い、ペットボトルや容器、布、金属片をまとめていった。
板切れと流木は別に束ね、砂の上を引きずれるようにする。
焚き火に使う流木や枝は必要な分だけ作業場へ運び、残りの漂着物は後で拠点へ持ち帰れるようにまとめておいた。
「海岸、作業場、拠点って感じだな」
「ああ。この方が動きに無駄がない」
「よし。じゃあ、次は泥だな」
相希は木々の方を振り返った。
「湿った土なら、さっき見つけた場所にある」
「じゃあ、取りに行こう」
二人は必要な物だけを持ち、相希が先ほど通った道を進んだ。
木々の中へ入ると、海岸から吹いていた風が弱くなる。
足元には枯れ葉が積もり、場所によっては土が柔らかく沈んだ。
相希は地面につけておいた枝の跡と、木の根元に並べた石を確認しながら歩いていく。
「ちゃんと目印つけてたんだな」
「戻れなくなったら意味がないだろ」
「俺だったら、たぶん感覚で戻るけどな」
「それで迷うんだよ」
直人は笑いながら、足元の石をまたいだ。
少し進むと、周囲より地面が低くなった場所へ着いた。
相希が土を掘った跡も、そのまま残っている。
直人はしゃがみ込み、指で土を押した。
「確かに湿ってるな」
「表面より、少し下の方が粘りがある」
二人はマルチツールと拾ってきた薄い金属片を使い、地面を浅く掘った。
土は冷たく、握るとある程度まとまる。
だが、そのままでは崩れやすかった。
直人は破れた布を取り出し、細く裂き始めた。
「これを混ぜるんだよな」
「ああ。ただ、長すぎると扱いづらい」
「じゃあ、もっと細かくするか」
相希も布を受け取り、短く裂いていく。
二人は土に少量の海水を加え、布の繊維を混ぜながら手で練った。
最初は水分が多すぎて柔らかくなったが、乾いた土を足すと、少しずつ形を保つようになっていく。
「これくらいなら、隙間に押し込めそうだな」
直人が握った土を見せる。
「悪くない。ただ、厚く塗りすぎると乾きにくい」
「薄すぎたら割れそうだけど」
「だから、何回かに分けて埋めよう」
「最初に形を固定して、その上から足していく感じか」
「ああ」
二人は練った土を金属製の容器へ入れ、作業場へ戻った。
直人が金属缶を押さえ、相希が薄い金属板をその口に合わせていく。
板の端を少しずつ曲げ、できるだけ隙間が小さくなるように形を変えた。
「もう少し、こっちを下げたいな」
「押さえるよ」
直人が板を固定し、相希が端を曲げる。
何度か位置を変えながら、金属缶の口を覆う形へ近づけていった。
次に、筒の片側を板の隙間へ差し込む。
完全には合わず、周囲には大きな隙間が残った。
「ここを泥で固める」
相希が練った土を手に取ると、直人も反対側へ回った。
「俺はこっちを押さえる」
「筒が動かないように頼む」
直人が筒の角度を保ち、相希が接続部分へ土を押し込んでいく。
一度に盛らず、薄く伸ばしながら形を作る。
土が落ちそうになると、直人が指で下から支えた。
「もう少し右じゃない?」
「右に寄せると、筒が上を向く」
「じゃあ、石を少し高くする」
「それならいける」
直人は筒の下へ置いていた石を一つ動かした。
筒の先が、わずかに下を向く。
相希はその角度を確認し、接続部分へさらに土を足していった。
蓋の周囲にも同じように土を塗り、蒸気が逃げそうな隙間を塞いでいく。
完全ではない。
細かな隙間は残っている。
それでも、先ほどよりは一つの器具らしく見えるようになった。
「後は、筒を冷やす部分だな」
直人は破れた布の残りを筒へ巻きつけた。
「ここに海水をかけ続ければいいか」
「熱くなりすぎないように、様子を見ながらな」
「受ける容器は、これを使おう」
直人は、洗ったペットボトルの上部を切り落とした物を筒の先へ置いた。
相希は位置を確認し、容器の下の砂を少し掘った。
「もう少し低くした方が、水滴を受けやすい」
「じゃあ、このくらいか?」
直人が容器を押し込む。
筒の先が、容器の中央へ来る位置で止まった。
「これならよさそうだ」
「よし。じゃあ、火を起こすか」
直人は集めておいた細い枝と、乾いた流木を運んできた。
相希はリュックから防水ケースを取り出し、中のマッチとファイアースターターを確認する。
「まずはマッチでいいだろ」
「湿気てない?」
「防水ケースに入ってたから、大丈夫なはずだ」
直人は細い枝を組み、その内側へ乾いた草と裂いた布の端を少し入れた。
相希がマッチを擦る。
小さな炎が生まれ、風に揺れた。
直人は両手で風を遮りながら、火を乾いた草へ近づける。
炎は一度弱くなったが、細い枝へ移ると、ゆっくりと広がり始めた。
「ついた」
「まだ油断するな」
直人がさらに細い枝を加える。
相希も反対側から、火を潰さないように隙間を残しながら流木を重ねた。
やがて炎は安定し、金属缶の底を舐めるように燃え始める。
二人は火の前へ座り込み、組み上げた蒸留器を見つめた。
金属缶の中には、汲んできた海水が入っている。
まだ、何の変化もない。
「どれくらいで沸くかな」
「容器が小さいから、そこまで時間はかからないと思う」
「思う?」
「実際にやるのは初めてだからな」
「俺もだよ」
直人は炎へ流木を一本加えた。
「じゃあ、二人で見てれば何とかなるだろ」
相希は筒と蓋の接続部分を確認した。
泥はまだ湿っている。
火の熱が伝われば、乾いてひび割れる可能性もある。
「蒸気が漏れたら、すぐ塞ぐぞ」
「了解」
二人は火と蒸留器の様子を交互に見ながら、海水が熱せられるのを待った。




