第60話 残る側
その夜、紗良はなかなか眠れずにいた。
火から少し離れた場所で話していた五人が戻ってきてから、ずっと胸の奥が落ち着かない。
黒田も、高瀬も、戸田も、出ていく前とは顔つきが違っていた。
直人と目が合った時、先に逸らしたのは直人だった。
何を話していたのかは聞いていない。
それでも、紗良には分かる気がした。
森で見つけた人工物。
地中に埋まっていた、明らかに人の手で作られたもの。
あれを見つけてから、直人と相希は何度も二人で話していた。
きっと、ここを出るつもりなのだ。
人工物の先に何があるのか、確かめに行くために。
その時、二人と一緒に行きたい。
そう思う自分がいた。
けれど、すぐに別の思いが浮かぶ。
この共同体には、直人と相希に出会う前から世話になっている。
食べ物を分けてもらい、一緒に働き、眠る場所を与えてもらった。今では紗良にも役割がある。
結衣のこともあった。
男と女の間で起きたことも、まだ終わったとは思えない。表面上は以前と変わらず生活していても、誰が誰をどう見ているのか分からない空気が残っている。
そんな中で、自分だけ二人についていってもよいのだろうか。
「紗良?」
声に顔を上げると、結衣が立っていた。
「まだ寝ないの?」
「うん。ちょっと考えてて」
結衣は紗良の隣へ腰を下ろした。
しばらく二人で、火の中に残った赤い光を眺める。
「例えばの話なんだけど」
紗良が切り出すと、結衣が顔を向けた。
「例えば、ここを離れて、どこかへ行きたいと思ってる人がいるとするでしょ」
「うん」
「でも、その人にもここでの役割があって、いなくなったら困る人がいるかもしれない」
結衣は何も言わず、続きを待っている。
「残る人たちのことも心配で……そういう時、自分だけ行ってもいいのかな」
結衣は少し考えてから尋ねた。
「その人がいないと、残った人たちは何もできないの?」
「そういうわけじゃないけど」
「残ってほしいって頼まれた?」
「頼まれたわけじゃない」
「じゃあ、そんなのお門違いだよ」
思いがけない強さに、紗良は結衣を見る。
「お門違い?」
「自分がいなくなったら、私たちが困るって思ってるんでしょ」
「私たちって言ってないよ」
「例えばの話なんでしょ?」
結衣は少しだけ笑ったが、すぐに真顔へ戻った。
「いなくなったら寂しいよ。困ることだってあるかもしれない。でも、だから残らなきゃいけないっていうのは違うでしょ」
「でも、何かあったら」
「何かあったら、残った人たちで何とかするよ」
結衣はきっぱりと言った。
「その人にしかできないことがあったとしても、いなくなるなら別のやり方を考える。それは残る側が考えることだよ」
紗良は答えられなかった。
「心配してくれるのは嬉しい。でも、私たちを理由にして、本当は行きたいのに残られるのは嫌」
「どうして?」
「だって、その人がどうしたいかが一番大事でしょ」
結衣は紗良をまっすぐ見た。
「自分で残りたいなら残ればいい。でも、誰かのために仕方なく残るなら、それは違うよ」
強い言葉だった。
けれど、突き放されているとは感じなかった。
結衣は、自分たちには紗良が必要ないと言っているのではない。
必要であっても、それを理由に紗良を縛るつもりはないのだ。
「……そっか」
「うん」
「ありがとう」
「例えばの話なのに?」
結衣が笑う。
「例えばの話だから」
紗良も小さく笑った。
もし、直人と相希が本当にここを出るなら。
その時は、自分も一緒に行こう。
紗良はそう決めた。
翌日、直人は全員へ声を掛けた。
火の周りに人が集まり、黒田、高瀬、戸田もほかの者たちと並ぶ。
直人の隣には相希がいた。
「話しておきたいことがある」
ざわめきが静まるのを待ち、直人が続けた。
「俺と相希は、ここを出る」
驚きの声が上がった。
直人は、森で見つけた人工物について話した。
あれを作った者がほかにも何かを残しているかもしれない。その先に、別の場所や人へ繋がる手掛かりがあるかもしれない。
そして、元いた場所へ戻れる可能性が少しでもあるなら確かめたいと伝えた。
「どこまで行くんだ?」
誰かが尋ねる。
「分からない」
「いつ戻る?」
「それも分からない。何があるかも、どこまで進むことになるかも決まってない」
「戻ってこないかもしれないってこと?」
直人は少し間を置いた。
「ああ。戻ってくるとは約束できない」
先ほどより大きなどよめきが広がった。
「本当に、今出ていくのか?」
その声には、戸惑いよりも責める響きがあった。
「まだ、ここだって落ち着いてないだろ」
「自分たちだけ戻る方法を探すのか」
別の場所からも声が上がる。
「二人がいなくなったら、何かあった時は誰が決めるんだ」
「獣が来たらどうする?」
「病気や怪我人が出た時は?」
直人は一つずつ聞いていた。
言い訳をすることも、反発した者を責めることもしなかった。
一方で、小さな声も上がった。
「でも、戻れるかもしれないなら、確かめたいよな」
「自分だったら、行かずにいられるか分からない」
寂しそうに目を伏せる者もいる。
何も言えず、直人と相希を見ている者もいた。
納得した者ばかりではない。
応援したくても、素直に送り出せない者もいる。
誰かが二人を責めれば、それにうなずく者がいる。
その一方で、何も言わずに首を横へ振る者もいた。
さまざまな思いが重なり、まとまらないまま広がっていく。
紗良は隣にいる結衣を見る。
結衣は何も言わず、わずかにうなずいた。
紗良は一歩前へ出た。
「私も行く」
皆の視線が紗良へ向く。
直人も紗良を見た。
「駄目だ」
あまりにも早い返事だった。
「なんで?」
「危険だから」
「それは、直人たちも一緒だよ」
「俺たちはいいんだ」
「何が違うの?」
直人は答えに詰まった。
けれど、その表情に迷いはなかった。
「……そういうことじゃない」
「どういうこと?」
「絶対に駄目だ。紗良はここに残った方がいい」
「でも――」
「駄目だ」
直人は、紗良が何を言おうとしているのか聞こうともしなかった。
紗良は唇を結ぶ。
皆の視線が集まる中、それ以上言い返すことはできなかった。
「もういい」
黒田の声が、その場を止めた。
皆が黒田を見る。
「言いたいことがあるのは分かる。俺だって、昨日聞いた時は止めた」
黒田は直人と相希へ顔を向けた。
「今でも、残ってほしいと思ってる」
直人は黙って受け止める。
「でも、二人が考えて決めたことだ。俺たちが不安だからって、ここに縛りつけるのも違うだろ」
反発していた者たちが口を閉じた。
黒田は少し間を置き、続けた。
「別に、出ていくからって、それで終わりじゃない」
直人が顔を上げる。
「戻りたくなったら戻ってこい」
黒田は、迷わず言った。
「お前らの居場所は、ここにあるからな」
火の周りが静かになる。
直人は黒田を見たまま、しばらく何も言えなかった。
「……ありがとう」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
その夜。
紗良は、相希が一人で道具を確認しているところへ近づいた。
「相希」
相希が手を止める。
「どうした」
「少し、聞いてもいい?」
「ああ」
紗良は相希の前に座った。
「相希も、私が行くのは駄目だと思う?」
相希は、すぐには答えなかった。
「直人の言いたいことも分かる」
「相希も反対なの?」
「この先は、今までの捜索とは違う」
相希は紗良を見て続けた。
「どこまで進むことになるか分からない。水や食料を確保できる保証もないし、知らない獣や地形に出会う可能性もある」
「うん」
「怪我や病気になっても、ここへ助けを求めることはできない。戻ってこられる保証もない」
相希は言葉を濁さなかった。
「命を落とす可能性もある」
「それは、二人も同じでしょ」
「ああ。同じだ」
「それでも相希は行くんだよね」
「行く」
「じゃあ、どうして私は駄目なの?」
相希は少し考える。
「直人は、自分たちの目的にほかの誰かを巻き込むつもりがないんだろう」
「相希は一緒なのに?」
「俺は最初から行くつもりだったからな」
「でも、私だって行きたい」
「ああ」
「それなら、同じじゃないの?」
相希は否定しなかった。
「直人なりに、紗良のことを考えてるんだと思う」
「私のこと?」
「紗良には、ここでの役割がある。紗良が抜ければ、その分を誰かが埋めることになる」
紗良は眉を寄せた。
「それは、二人が抜けても同じでしょ」
「そうだな」
相希はあっさり認めた。
「だったら――」
「直人の中では、同じじゃないんだろう」
「どうして?」
「俺たちは、もともと後からここへ来た。紗良はその前からここにいた」
それだけで納得できるはずがなかった。
今では直人も相希も、共同体の中で多くの役割を持っている。
二人が抜ければ、紗良よりも大きな穴が空くかもしれない。
それでも直人は、自分と相希が離れることと、紗良が離れることを同じだとは考えていない。
「相希は、どう思ってるの?」
「何が?」
「私が一緒に行くこと」
「俺が決めることじゃない」
「来ていいとも、駄目とも思わないってこと?」
「紗良が行くかどうかを、俺が決めるつもりはない」
「じゃあ、直人に話してくれない?」
「何を話すんだ」
「私も一緒に行っていいって」
「それを決めるのも俺じゃない」
相希は紗良の味方をしなかった。
けれど、直人の味方をして紗良を諦めさせようともしていない。
紗良は、ほかの言葉を探した。
「私が行ったら、相希は困る?」
「一人増えれば、必要な水と食料は増える。移動の仕方も考え直す必要がある」
「そういうことじゃなくて」
「分かってる」
相希はわずかに表情を緩めた。
「ただ、俺が紗良の代わりに決めることではないと思ってる」
紗良は膝の上で手を握った。
結衣と話した時、自分も二人と一緒に行こうと決めた。
けれど、直人は最初から紗良が同行する可能性など考えていなかった。
相希も、手を引いて二人の側へ入れてはくれない。
「相希から言っても、直人は考え直さない?」
相希は直人がいる方へ目を向けた。
「まあでも、直人はああなったら、梃子でも動かないぞ」
困ったような言い方だった。
紗良は何も返せなかった。
二人と一緒に行きたい。
その気持ちは変わっていない。
けれど、二人に認められなくても行くのかと問われれば、まだ答えを出せなかった。




