第59話 離れる理由
翌朝、直人は黒田、高瀬、戸田の三人へ声を掛けた。
「夜、少し話したい」
黒田が直人を見る。
「何の話だ?」
「その時に話す。相希も一緒にいる」
「ほかの奴らは?」
「まずは三人に話したいんだ」
黒田は何かを聞きかけたが、直人の表情を見て口を閉じた。
「分かった」
高瀬と戸田にも同じことを伝えた。
二人とも理由を尋ねたが、直人は夜に話すとだけ答えた。
その日の共同体は、昨日までと変わらず動いていた。
薪が運ばれ、干していた肉の位置が入れ替えられる。罠を見に行く者たちが道具を確認し、水を汲みに行く者たちが容器を集めていた。
誰かが声を掛ければ、別の誰かが応じる。
直人や相希が先に動かなくても、それぞれが必要な仕事を見つけ、自然と動き始めていた。
日が落ち、食事を終えたあと。
直人と相希は、黒田、高瀬、戸田を連れて、火から少し離れた場所へ移動した。
声を潜めれば、ほかの者には聞こえない。それでも火の明かりと、そこで過ごす人々の姿は見える距離だった。
五人が立ち止まる。
「それで、話って何だよ」
高瀬が最初に尋ねた。
直人は一度、相希を見る。
相希は何も言わなかった。
昨夜、二人で話した時と同じように、直人が話し始めるのを待っていた。
「俺と相希は、ここを出ることにした」
高瀬の眉が寄る。
黒田と戸田は、すぐには言葉を返さなかった。
「出るって、どこへだよ」
「森で見つけた人工物。その先を見に行く」
「見に行って、戻ってくるんだろ?」
直人は答えなかった。
その沈黙に、高瀬の表情が変わる。
黒田が静かに尋ねた。
「調べに行くだけじゃないのか」
「ああ」
直人は三人を順番に見た。
「あれを作った人がいるかもしれない。ほかにも、何か残ってるかもしれない。道とか、建物とか……俺たちの知らない場所に繋がってる可能性もある」
「それは分かる。でも、それならここを離れる必要はないだろ」
黒田の言葉に、直人は少しだけ間を置いた。
「戻れるかもしれないから」
「戻る?」
「俺たちが元いた場所に」
火のそばから、誰かの笑い声が聞こえた。
それが消えるまで、誰も口を開かなかった。
「そんな方法があるのか?」
戸田が相希を見る。
「分からない」
相希は答えた。
「あの人工物が、俺たちのいた場所へ戻る方法に繋がっている証拠はない。いつ、誰が、何のために作ったものかも分かっていない」
「だったら――」
「分かってる」
直人が言葉を重ねた。
「ただの古い建物かもしれない。作った人も、もうどこにもいないかもしれない。それでも、戻れる可能性が少しでもあるなら、俺は確かめたい」
直人は、迷わずに続けた。
「戻れるなら、俺は戻りたい」
黒田がわずかに目を伏せる。
高瀬は直人を見たまま、何も言わなかった。
ここで共に過ごした時間が、直人にとって意味のないものだったわけではない。
それでも、ここは直人が望んで来た場所ではなかった。
三人にも、それは分かっていた。
「でも、それだけが理由じゃない」
直人は、火のそばへ目を向けた。
「俺たちが捜索に出てる間に、あの獣を捕まえただろ」
「ああ」
高瀬が答える。
「罠に掛けたのも、仕留めたのも、ここまで運んだのも俺たちだ」
「解体も保存も、分配もできてた。水も薪も足りてたし、次の日に何をするかも決まってた」
「だから何だよ」
「俺と相希がいなくても、ここは回る」
高瀬が口を開きかける。
直人は、その前に続けた。
「何も問題がないって言いたいんじゃない。この先も大丈夫だって、言い切れるわけでもない。でも、俺たちがいないと何もできない場所じゃなくなった。それは分かった」
「だったら、なおさら一緒に続ければいいだろ」
「生活はな」
直人は答えた。
「でも、何か分からないことが起きると、みんな俺たちを見る」
男がいなくなった時も。
人工物を持ち帰った時も。
誰も、自分からどうするかを言い出さなかった。
直人と相希が何を言うのか。それを聞いてから、自分の立つ場所を決めようとしていた。
「幼い獣を逃がした時は、意見が二つに分かれた。でも、男と女のことがあってからは、もう誰が誰を疑ってるのかも分からない」
誰かが近づけば、話が止まる。
肉を分ける者の手元を、黙って見ている者がいる。
同じ火を囲んでいても、以前のように一つの輪には戻っていない。
「俺たちが何かを決めるたびに、その答えが正しいかどうかじゃなくて、俺たちが誰の側に立ったのかって話になる」
「だから、いなくなるのか?」
黒田の声は低かった。
「今の状態で、お前たちまでいなくなったら、もっと悪くなるかもしれないんだぞ」
「ああ」
「生活が回ることと、お前たちがいなくても大丈夫なことは同じじゃない」
黒田は火の方を見た。
「むしろ今が、一番残ってほしい時なんだ」
「俺たちが出れば、全部うまくいくとは思ってない」
直人も、火のそばにいる者たちを見る。
「もっと悪くなるかもしれない。でも、俺たちが答えを出し続けたら、みんなが自分たちで決めることはできない」
「そんな簡単な話じゃないだろ」
「ああ。簡単じゃない」
直人は否定しなかった。
「俺たちがいなくなったあと、間違えることもあると思う。揉めることだってある。でも、それも含めて、ここに残るみんなで決めないといけないんだと思う」
「なんでだよ」
高瀬が一歩、直人へ近づいた。
「今まで一緒にやってきただろ」
その声には、怒りよりも戸惑いが滲んでいた。
「最初は何をするにも、お前らに聞かなきゃ分からなかった。でも、今は違う。罠だって仕掛けられる。獣だって俺たちで仕留められた」
高瀬は一度、言葉を切った。
「これからは、もっと一緒にやれるじゃないか」
直人は黙って聞いていた。
「何か起きたら、また一緒に考えればいいだろ。俺たちがいれば何とかなる。今までだって、そうだったじゃないか」
「ああ」
直人はうなずいた。
「俺も、何とかなると思ってる」
高瀬の表情が、わずかに緩む。
「だから、今なら離れられると思ったんだ」
「それ、俺の言ってる意味と違うだろ」
高瀬の顔が歪んだ。
「俺は、これからも一緒にって言ってんだよ」
「分かってる」
「分かってないだろ」
直人は、返す言葉を見つけられなかった。
高瀬が引き止めているのは、知識や仕事のためだけではない。
それが分かるからこそ、何を言っても高瀬の望む答えにはならなかった。
それまで黙っていた戸田が、相希へ顔を向けた。
「相希。お前は、本当に俺たちだけで大丈夫だと思ってるのか」
「大丈夫だと言い切るつもりはない」
「三日回っただけだろ。この先も同じようにできるとは限らない」
「ああ」
相希は静かにうなずいた。
「罠に獣が掛からない日もある。水場が使えなくなる可能性もあるし、病気や怪我が重なることもある。三日で、この先まで保証できるとは思っていない」
「だったら、残るべきじゃないのか」
「それでも、俺たちがいなければ何もできない状態ではなくなった。それは分かった」
戸田はしばらく相希を見ていた。
「いつ出る」
「皆に話して、準備ができてからだ」
「どこまで行くつもりだ」
「分からない。今は、人工物を見つけた場所と、その先の方角しか決まっていない」
「戻る時期は?」
相希は答える前に、直人を見た。
「決められない」
直人が代わりに答えた。
「何があるかも、どこまで行くことになるかも分からない。戻ってくるって約束もできない」
再び、沈黙が落ちた。
高瀬が直人を睨むように見た。
「俺たちが止めても、行くんだろ」
直人はすぐには答えなかった。
黒田も、高瀬も、戸田も。
ここへ来てから、何度も一緒に働き、食べ、迷ってきた。
その三人を前にしても、答えは変わらなかった。
「……行く」
高瀬が奥歯を噛む。
やがて、息を吐くように言った。
「だったら、途中で死ぬなよ」
直人が顔を上げる。
「俺たちがいれば何とかなるって言ったんだ。二人だけで勝手にいなくなって、そのまま死んだら許さないからな」
「分かった」
「分かってない奴の返事なんだよ、それ」
高瀬はそう言ったが、それ以上は引き止めなかった。
黒田も、長く息を吐いた。
直人は三人を見回す。
「明日、みんなにも話す」
一度切った言葉を、自分へ言い聞かせるように続けた。
「俺の口から」
黒田がゆっくりとうなずいた。
「分かった」
戸田は相希へ、出発までに確認したいことをいくつか伝えた。
水や食料の保管方法。
罠を増やす場所。
怪我人が出た時に使うもの。
相希は一つずつ聞き、明日から確認すると答えた。
話が終わりかけたところで、戸田はもう一度、相希を見る。
「相希も、本当に行くのか」
「ああ」
相希は少し離れたところにいる直人へ目を向けた。
「あいつは、俺がいないと死んじゃうから」
冗談めいた言い方だった。
けれど、それだけで戸田には、相希の答えが変わることはないのだと分かった。
「……そうか」
戸田は少しだけ視線を落とした。
「お前なら行くんだろうなとは思うけど、困るな」
相希は、まだ伝えていないことが残っているのだと思った。
「残すべきことは、出る前にまとめる」
「そういうことだけじゃない」
戸田は、それ以上を言えなかった。
寂しいという言葉を胸の奥へ押し戻し、相希から視線を外す。
相希は口を開きかけた。
けれど、何と返せばいいのか分からないまま、その口を閉じた。
五人は、火のそばへ戻った。
紗良は結衣と一緒に、使い終えた容器を片づけていた。
近づいてくる五人へ顔を向け、黒田、高瀬、戸田の表情を順番に見る。
最後に、直人と目が合った。
紗良は何も尋ねなかった。
直人も、何も言わなかった。
ただ紗良は、直人が先に目を逸らすまで、その顔を見ていた。




