第57話 持ち帰ったもの
拠点へ続く道へ戻った頃には、木々の間から差し込む光が傾き始めていた。
直人が歩きながら鼻を動かす。
「肉の匂いしない?」
紗良も息を吸った。
いつもの薪が燃える匂いに、脂の焼ける匂いが混じっている。
「する」
相希が答えた。
拠点へ近づくにつれて、人の声と、何かを叩く音も聞こえてきた。
三人が木々の間を抜ける。
最初に見えたのは、火の近くへ並べられた肉だった。
細く切られたものが縄に掛けられ、その下から煙が上がっている。
少し離れた場所には、大きな皮が広げられていた。
その周囲で、何人もの者が動いている。
直人たちがいない間も、火は消えていなかった。
水の入った容器は並び、薪も積まれている。
「帰ってきた!」
一人の声に、拠点にいた者たちが一斉に顔を上げた。
直人と相希を見る。
その後ろにいる紗良を見る。
さらに、その後ろへ視線を向ける。
女性も立ち上がった。
三人の後ろに誰もいないことを確かめ、足を止める。
「……見つからなかった?」
紗良が女性の前まで歩いた。
「うん」
女性の手がわずかに動く。
紗良は続けた。
「探せるところは、探した」
「そう……」
女性はそれだけ言い、目を伏せた。
黒田が隣に立つ。
代わりに何かを言うことはせず、その場からも離れなかった。
「ひとまず、荷物を置け」
戸田が三人へ声を掛けた。
「水もある。話は、そのあとでいいだろ」
「ありがとう」
直人は荷物を下ろしたあと、もう一度、火の近くに並ぶ肉を見た。
「これ、どうしたの?」
高瀬が広げられた皮へ目を向ける。
「今朝、罠に掛かってた」
「前のと同じ獣?」
「ああ。猪みたいなやつだ」
高瀬は、森から運び込む時に使ったらしい縄を持ち上げた。
一部が赤黒く汚れている。
「まだ生きてたから、見回りに行った三人で仕留めた。運ぶ時は人を呼びに戻ったけどな」
「危なくなかった?」
「前にやったのを見てたから、何とかなった」
高瀬はそう答えたあと、少し離れた場所にいる者たちを見る。
「一人じゃ無理だったけど、皆でやればできた」
火の近くでは、肉を切る者と、煙の位置を調整する者が別々に動いていた。
以前より切り口が揃っていない。
厚いまま残っている部分もある。
それでも、食べる分と保存する分に分けられ、傷みやすい部分から火へ掛けられていた。
「三人の分も残してあるよ」
肉を運んでいた女性が言った。
「今日戻るって聞いてたから」
「そこまでしてくれたの?」
紗良が尋ねる。
「三人が持ち帰った食べ物だって、いつも皆で分けてたでしょ」
女性はそれだけ答え、再び肉を運び始めた。
直人は、並べられた水と薪を見る。
「明日の見回りは?」
「もう決めてある」
戸田が答えた。
「罠の方は高瀬たち。水は今日と同じ組で行く。肉を保存する方へ人を回したから、増やす予定だった罠は一日延ばした」
「そっか」
直人は短く答えた。
ほかに確認することを探すように周囲を見る。
だが、誰かが直人の言葉を待っている様子はなかった。
それぞれが自分の作業へ戻っていく。
三人がいない間にも、共同体の一日は進んでいた。
三人は身体の汚れを落とし、残してあった水を飲んだ。
日が落ちる頃には、火の近くへ人が集まり始めた。
三人にも、焼いた肉と温かい汁が渡された。
直人は肉を一口食べる。
前より少し硬く、切られた厚さも揃っていない。
それでも、久しぶりに腹へ入る肉だった。
食事が一段落すると、戸田が直人たちを見る。
「そろそろ、聞いてもいいか?」
直人は持っていた容器を地面へ置いた。
「うん」
火の近くにいた者たちが、少しずつ三人の方へ身体を向ける。
「まず、あいつのことから話す」
直人が言った。
相希が、探した範囲と順番を説明する。
水場までの道。
水場の周囲。
そこから森の内側へ入ったこと。
一晩外で過ごし、翌日の昼まで範囲を広げたこと。
「探した範囲では、争った跡や血は見つからなかった」
相希は集まった者たちを見る。
「衣服の切れ端や、持っていた道具も落ちていなかった。怪我や事故があったと判断できる痕跡もなかった」
「じゃあ、自分から出ていったってことか?」
一人が尋ねた。
「その可能性が一番高いと思う」
相希は答えた。
「水を入れていた容器と道具がなくなっている。拠点の近くで争った跡もない。少なくとも、自分で移動する準備をして出たようには見える」
「そのあと、どうなったんだ?」
「分からない」
相希はすぐに答えた。
「俺たちが見た範囲の外へ進んだのかもしれない。途中で別の方向へ変えた可能性もある。拠点を離れたあとまで、無事だったとは言えない」
声が途切れた。
高瀬が火を見たまま口を開く。
「もう、探さないのか?」
直人は少し考えてから答えた。
「本当のことは分からない」
空になった男の寝床へ目を向ける。
「でも、探せるところは探した。手掛かりがないまま範囲を広げたら、今度は探す方まで戻れなくなる」
誰も口を挟まなかった。
「今は、あいつが自分でここを出たと考えて、一度区切るしかないと思う」
直人は女性を見る。
女性は俯いたまま、しばらく動かなかった。
やがて、小さくうなずく。
「……分かった」
黒田が周囲を見る。
「水場へ行く時は、道の周りも見るようにしよう」
「罠の見回りでも、跡がないか確かめる」
高瀬が続ける。
戸田もうなずいた。
「何か見つかったら、その時にもう一度考えればいい」
一人ずつ言葉が続き、それ以上の捜索はしないことが決まっていく。
直人も相希も、そこへ何かを付け足すことはしなかった。
全員が納得したわけではない。
男が自分から出たことも、その先で生きていることも、証明されたわけではなかった。
それでも、何もしないまま諦めたのとは違う。
探せるところまで探した。
それを、今の区切りにするしかなかった。
短い沈黙のあと、直人が自分の荷物を引き寄せた。
「それと、もう一つある」
包んでいた布を開く。
中から、灰色の欠片が現れた。
火の明かりを受け、崩れた断面に混じる小石が浮かび上がる。
黒田が身を乗り出した。
「これ……コンクリートか?」
「たぶん」
直人は答えた。
「森の中で見つけた」
人々が灰色の欠片へ目を向ける。
「どこにあったんだ?」
「今日探したところ。倒れた木の根の下に埋まってた」
紗良が答えた。
「木が倒れて、土が持ち上がってなかったら、たぶん気づかなかったと思う」
「これだけだったのか?」
「少し離れたところにも、同じものに見える部分があった」
相希が言った。
「地面の下で繋がっているかは分からない。周囲に道や建物も見つからなかった」
「じゃあ、前に人がいたってことか?」
「人が造ったものなら、そうなる」
「今もいるんじゃないのか?」
別の声が上がる。
「建物があるなら、近くに道だってあるだろ」
「そこまでは分からない」
相希は灰色の欠片を見る。
「いつ造られたものかも、何に使われていたものかも判断できない。今も誰かが使っている痕跡はなかった」
「消えたあいつが、そこへ行った可能性は?」
高瀬が尋ねた。
紗良が首を横へ振る。
「私たちも偶然見つけたの。あの人が通った跡はなかった」
「この人工物と、男の失踪を結びつけられるものは見つかっていない」
相希が補足した。
それでも、人々の視線は欠片から離れなかった。
「もっと探せば、ほかにもあるんじゃないか?」
「建物が残ってるかもしれない」
「誰かが暮らしてる場所へ続いてるとか」
「また見に行くのか?」
いくつもの声が重なった。
やがて、その声も止まる。
火の周りにいる者たちの視線が、直人と相希へ集まっていた。
「それで、どうするんだ?」
誰かが尋ねた。
直人はすぐには答えなかった。
火の向こうに並べられた肉を見る。
三人がいない間に捕らえられ、運ばれ、分けられた肉だった。
水も薪もある。
明日の役割も、すでに決められている。
直人は相希を見る。
相希は何も言わず、直人の言葉を待っていた。
「……今は、まだ何とも言えない」
直人は灰色の欠片へ目を戻した。
「少し考えてから、また話そう」
布で欠片を包み直す。
誰も、それ以上は尋ねなかった。
一人ずつ身体の向きを戻し、途切れていた会話が小さく再開する。
それでも直人には、自分たちへ向けられた視線だけが、まだその場に残っているように感じられた。
三人がいない間にも、共同体の暮らしは続いていた。
答えを出さなかったはずなのに、その答えを自分たちが待たれていることだけは分かった。




